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「作戦にあたって、分身した状態では突破は不可能なのね?」
「……はい。力不足で申し訳ございません」
「離れる許可を出すわ」
「ありがとうございます」
*
「作戦開始は一二〇〇。準備を怠らないでください」
「ああ。……そうだ、侍女さん」
「なんでしょうか」
「少し話がある」
人目のない場所へ移動すると、殿下は声を落とした。
「……それは」
「本人が自覚しているかは分からないが、種族的な問題なのか?」
「いえ。長い間この世界を見てきましたが、初めての例です。ただ……意識してみると、確かに起きています」
「治せないのか?」
「減り方からして、代償として支払っている可能性が高いかと。補うには、同等のものを用意しなければなりません」
「同等のもの、とは?」
「……同じものです」
「……そうか。あとどれくらいもつ?」
「長くて五年。短ければ三年ほどかと」
「ありがとう。少し考えてみるよ」
「はい」
殿下の視線は、いつもカリン様を追っている。
ですが、その熱を向けられていることに、本人は気づいていません。
カリン様は、どちらを選ぶのでしょう。
失う恐怖から距離を取るのか。
それでもなお、関わり続けるのか。
*
「では、参りましょう」
時計の針が十二時を指し、鐘の音が夜気を震わせた。
「あともう少し、待っていてください。必ず助け出しますから」
合図と同時に、屋敷へ向かって走り出す。
*
「今日はどんな話をしますか?」
「……いいえ。今日は別のことで楽しもう」
「私は会話のほうが好きですが」
「残念だな」
強引に押し倒され、足首の鎖が音を立てる。
瞳にギルの姿が映った。
あれからギルは、抜け殻のように動かなくなっていた。
(あの子たちも、今は私から離れている。どうして……今なの。作戦の決行は今日、あともう少しだったのに)
「三日も待ったんだ。十分だろう」
「……優しくしてくださいね?」
*
「ただいま戻りました。おじょうさ――」
窓のない部屋に立ち込める、甘ったるい香と煙草の匂い。
服は乱れ、足枷で壁に繋がれたまま、身動きも取れない状態だった。
シーツには拭いきれない痕が残り、太ももには血の筋が走っている。
「殿下は外で待機を。カリン様は毛布を。二人とも私が許可するまで中を覗かないでください」
ベッドに近づき、声をかけようとした瞬間。
「触るな!!」
振り払われた手。
向けられた瞳は、かつてと同じ――世界すべてを敵と見る目だった。
「お嬢様、私たちです」
「……遅い」
震えた声。
足枷を壊し、解放する。
「毛布を持ってきました」
「ありがとうございます」
そっと包むと、しばらくして震えは治まった。
「……ギルは、なぜあのような状態に?」
部屋の隅で、体育座りのまま虚ろに呟き続けている。
「この香のせいよ。魔力を持つ者の精神を侵す。
短時間なら問題ないし、用途次第では別の効果もある……でも、長時間浴び続ければ、元に戻れるかは分からないわ」
「詳しいですね」
「まあ……ね」
おそらく別の用途とはこの状況と関係があるのでしょう。しかし、これ以上の詮索はしません。
「ギルのことは後回しにしましょう。まずはここを出ます」
「ええ」
丁寧に抱き上げる。
「入っていいですよ」
「ああ……ギルは?」
「隅にいます」
「……!」
「最優先は離脱です。カリン様、隠密の魔法を」
「はい」
地下を抜けると、地平線が淡く橙に染まっていた。
新鮮な空気を吸い込む。あの地下室に居たのは少しの時間だったのにようやく息ができた気がする。
光を受けたお嬢様の髪が輝く。
「……エリンは?」
「既に回収済みです」
「よかった。少し……眠るわ」
「かしこまりました」
揺らさぬよう、静かに運びますから安心して眠ってくださいね。




