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夕食前、伯爵邸の廊下でカトリーヌ伯爵と出くわした。
「そういや、君の名前をまだ聞いていなかったね」
お嬢様に問う伯爵。お嬢様は少し沈黙したのち、静かに答えた。
「私に名前はありません」
「…そうか。では、こちらで調べてみよう」
伯爵の言葉は淡々としているが、どこか確信に満ちていた。
お嬢様は首を傾げ、疑念を抱えつつ自室へ戻る。
私たちはそっと後を追った。……ああ、今日もお嬢様は麗しい。心が痛むほどに尊い。
しかし、私は呼び止められる。
「君たちは彼女の名前を知っているだろう? 教えてくれないか」
仕方なく答える。
「はい。お嬢様の名前はカリスタ・ユニカ・オリュンテアです」
伯爵は短く頷いた。
「いい名前だ」
*
夕食の席、お嬢様は人間の侍女を伴い現れた。
食事を終えた後、カトリーヌは膝をつき、真剣な目で告げる。
「大事な話があります。あなたの名前のことです」
お嬢様が私を見た瞬間――その眼差し。まるで枯れた草花が、陽の光を浴びてひそやかに花を開いたかのようだった。
私は胸が熱くなる。……お嬢様が期待している、その一瞬のために私はここにいるのだ。
「本気で考えてくれたのですか?」お嬢様の声は、かすかに震えている。
「いいえ。あなたの“本当の名前”を調べてきました」カトリーヌは静かに告げる。
お嬢様の表情に一瞬の落胆が走る。……ああ、その困惑すら愛おしい。
「あなたの本名はカリスタ・ユニカ・オリュンテア。あなたは私たちの真の主――旧王家の唯一の生き残りです」
お嬢様は困惑の色を隠せず、ただ息を呑む。
「……え?」
「戸惑うのは当然です。しかし事実です」
「そして、あなたを待っていたのは私ひとりではありません。多くの家門が、あなたを迎える準備をしておりました」
お嬢様は小さく俯き、静かに言った。
「……一人にしてください」
カトリーヌは礼をして部屋を去る。
私は静かにその背を見つめる。……ああ、こんなにも困惑しているお嬢様を間近で見るのは初めてだ。尊くて、守らずにはいられない。
お嬢様が私たちに声をかける。
「ねえ、お前たち」
「はい、お嬢様」
変わらぬ呼び方に、お嬢様はわずかに微笑む。
「私の過去を勝手に見たわね?」
「申し訳ありません。しかし契約の時点で血筋は判明していましたので、驚きは少なかったのです」
「そんな前から知っていたのに、誰一人教えなかったのね」
「…できれば伝えたくなかったのです」
「なぜ? 主の意向に背いてまで、貫き通すの?」
「お嬢様のお父様は現王家によって殺されました。そしてそれを知れば、現王家が旧王家の親族を皆殺しにした事実も知ることになります。そうなれば憎しみが増し、心を縛る――その懸念がありました」
「……守るため、か」
私は尋ねる。
「今、なぜ生きているのですか?」
即答するお嬢様。
「復讐のためよ」
「では、誰のために生きているのですか?」
答えはなく、その代わりに沈黙が帰ってきた。
その答えに、私は胸が締め付けられた。
誰のための復讐かも答えれないだなんて。いや、答えは出ていても言えなかったのでしょう…
それに、私たちは復讐は何も生まないことをよく知っている。
それを伝えても、きっとお嬢様は止まらないのでしょう――止まれないのでしょう。
果たして、これが良かったのか――……しかし、尊いお嬢様のためなら、私たちはすべてを受け入れる覚悟をしていますからね。
ああ、胃が痛い。




