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後編――視線の終点、二人で書く終章

 空白砂漠(ブランク・デューン)――白紙片の砂は夜風に舞い、天穹(てんきゅう)の星々を淡い曲線でつなぐ。砂粒一つひとつが未使用のことばで出来ているせいか、踏みしめるたび足裏で微かな(ささや)きが弾けた。

 わたし――狭霧(さぎり)茉莉(まつり)は、頁の翼をたたみ、肩で荒い息を吐く。胸の奥で“好き”の芽が熱を孕み、肋骨を内側からすり減らすほどに脈動していた。痛い。それでも痛みは、わたしがわたしである(しるし)


 横で歩調を合わせる霜茸(しもたけ)(あきら)は、菌傘を風避(かざよ)けにしながら進む。深紅の斑紋が月光を滲ませ、ひだの裏に宿る燐光が砂漠を淡桃色へ染めた。

 「最後の監視装置《万観ヴォワル》は、あの光柱の中心だ」

 胞が指した先――地平線上に、翡翠(ひすい)の光が脈動している。塔というより無機の脊椎(せきつい)。最上部で巨大レンズが月の光を解体し、砂漠全域に網膜の網を敷いている。


 進むほどに気温が下がり、吐息が霧のように散って紙片に凍りつく。風が吹くたび、凍結した文章がカラカラと鈴の音を立て、足跡を追うように転がった。

 「怖い?」と胞が問う。

 否定しようとした唇に、昏い甘味がにじむ。怖い。けれど、その恐怖はわたしにかぎをかける檻ではなく、扉を叩く鼓動でもあった。

 「怖いけど、後ろへはもう戻れない」

 「戻る必要なんてない」胞は笑い、傘の柄を雪杖のように突いた。柄の先端が紙砂を抉り、青白い火花が上がる。


 塔の(ふもと)に着く頃、砂漠は完全な静寂に包まれた。ここでは風さえ単語になる前の息を潜め、鼓動の音が異様に大きい。塔の根元――黒曜石を思わせる土台に円形の扉が埋め込まれ、「誤字訂正室」と赤インクで刻まれていた。

 胞が傘を畳むと、ひだから白い胞子がひとひら舞い落ちる。胞子は扉の文字へ貼り付き、“訂正”の二文字を塗り潰した。すると扉は息をつくように揺らぎ、静かに開いた。


 内部――螺旋階段がレンズの中心まで続く。壁を覆う鏡面にわたしたちの姿が歪んで映り、像の背後で無数の瞳が瞬く。階段を一段上がるごと、鏡はわたしの記憶を再生した。

 教室の天井の針穴。隣家の磨り硝子の向こうで歪んだ男の瞳。体育館倉庫の影。――思い出すたび、胸の“好き”がざわめき、翼が乾いた音を立てた。

 「見ているだけで満足する奴らに、君の言葉を渡す必要はない」

 胞の声が背骨を撫で、わたしの影に温度が戻る。


 最上層――中空に巨大なレンズが浮かび、その下では金属の子供たち(ケルブ・ゼロ)が円陣を組んでいた。彼らの眼孔は虚ろで、代わりに胸に()め込まれたレンズが脈動している。塔全体が光を吸い込み、わたしたちを白日の下へ晒そうと唸りを上げた。

 「統合監視意識(オーサー)が来る」胞が前に出る。「ここからは、君の言葉でしか壊せない」


 わたしは喉奥を掻き(むし)るように息を吸い、胸に手を当てた。“好き”――幼い頃初めて書いた(つたな)い片仮名のエッジが、今も胸膜の裏を切り裂いている。

 「好き。好き。好き――」囁くたび、声は頁の翼へ伝わり、羽脈が緋色へ染まる。

 ケルブ・ゼロがレンズ光を放った。視線の刀が砂漠を裂く。胞は傘を掲げ反射するが、光は曲がり、わたしの影を(あぶ)り始めた。皮膚の下で未定義の恐怖が膨張し、肉が紙片のようにめくれそうになる。


 ――なら、わたしごと書き換えて。

 思考より先に、わたしはレンズの下へ飛び込んだ。翼が焼け、紙の端が炎を孕む。痛みの代わりに甘い匂いが込み上げ、視界が白紙の海へ沈む。

 「見ればいい! わたしを、全部!」

 叫びと同時に胸骨が裂け、覗き窓のような穴が開く。穴から放たれた光がレンズの中枢へ突き刺さり、統合監視意識がノイズを()き散らして崩れた。


 塔が悲鳴を上げる。天蓋のレンズが割れ、砂漠に翡翠の雫が降り注ぐ。金属の子供たちは声もなく崩れ、残骸の隙間から墨色の風が吹き抜けた。

 胸の穴には、まだ火照る“好き”が宿っている。外気に晒された言葉は、熱いのに涼しく、痛いのに優しい。

 胞が傘を杖代わりにして近づき、わたしの胸窓を覗く。彼の瞳に映るのは、燃える塔ではなく、揺らめく翡翠の湖――わたしの言葉がつくる無形の水面だった。

 「落下は止まらないよ」

 「止めない。落ちながら、見る」わたしは応える。翼が焦げ跡を残しつつ再生を始める。紙片がふわりと広がり、灰と光の混じった息吹が夜空へ昇っていく。


 塔の崩壊が終わると、視界には無限の余白が残った。月はページの端のように薄く、風も言葉も音符の前の休符のように静かだ。

 足下の砂漠はレンズの光で硬化し、鏡面へと変わっている。わたしの影――胸にあなを抱える姿が映り、その隣に胞の影が寄り添う。二つの影が重なった部分に新しい輪郭が芽生え、砂の鏡面に文字が浮かび上がった。

 「共犯――」声に出すと、文字は銀色に輝き、砂を伝って遠くまで走った。余白の地平が淡い朝焼けに染まり、翼の焦げ跡からは新しい紙片が芽吹く。

 「句読点は?」胞が穏やかな目で問う。

 「当分、要らない」わたしは笑い、胸の孔を指先で撫でる。孔は次第に肉へ吸収されるが、痛みの記憶だけは胎動のように残った。


 風がひとひらの紙花を運んでくる。花弁には小さなインクの雫があり、その中央にただ一言――「つづく」。

 わたしは花を掌に乗せ、ぽたりと雫を落とす。その雫が砂漠に染み込み、未来の芽を孕む音がした。


 わたしたちは手を繋ぐ。翼はまだ不揃い、傘は破れ、胸窓も締まりきらない。それでも今、どこにも属さない空白の地平が朝陽にきらめき、乾いた紙片が軽い音を立てて踊った。


 終幕はこない。それこそが、わたしたちの物語だ。


今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

実はこの物語と「並行世界」の関係にある物語を、別プラットフォーム Tales にて公開中です。


タイトルは――


『覗裂  黴雨・眼孔・沈声… / “視線の檻”に堕ちながら、あなたはまだ私を見続けるか?』

https://tales.note.com/noveng_musiq/w44dg3kaap10i


こちらは、今作とは対照的にホラー色の強いダークファンタジー寄りの世界観で描いています。

“誰かに覗かれている”という根源的な不安と、内面に潜む“自分でさえ直視できない部分”をテーマにした

重層的で幻想的、そして少し痛みを伴う物語です。


今作を読んで「このキャラ、もっと深掘りしたい」「別の可能性も見てみたい」と思った方は

ぜひ【視線】と【境界】をテーマにしたもう一つの“劇場”へ、足を踏み入れてみてください。


Tales版も、感想やご意見など大歓迎です。

引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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