第2章:閉ざされた部屋
2003年11月、
真琴はノートを開き、田中美穂(26歳、綾の親友)の連絡先を確認する。美穂は綾と牛丼店で働き、ママ友でもあった。勇気の様子を知る数少ない人物だ。
佐藤が近づき、煙草をくわえた。
「真琴、次はどこだ?」
真琴は答えた。
「元同僚の美穂さんって方に会います。勇気君の日常を、連載に刻みたい」
佐藤は頷き、言った。
「いいぞ。読者の心に突き刺せ。勇気のリュックを軸にしろ」
真琴は拳を握り、待ち合わせ場所のコンビニへ向かう。
美穂の証言:勇気の恐怖
名古屋市内のコンビニ。美穂は灰皿の横に立つ。
蛍光灯がちらつき、冷たい風が吹く。
真琴は丁寧に切り出した。
「美穂さん、勇気君のこと、教えてください」
美穂は目を伏せ、言った。
「勇気君、いつもリュックを抱いてた。隅で縮こまってたよ。『ママ、怒らないで』って呟いてた」
真琴はノートに書き、胸が締め付られる。4歳の少年が、なぜそんな言葉を。
美穂は続けた。
「綾、あの男にに夢中だった。勇気君が『ママ』って呼んでも、聞こえないふり。
男が来ると、勇気君、顔を真っ青にしてた」
真琴はペンを握る手が震え、問うた。
「男…柴田さんが、勇気君に?」
美穂は唇を噛み、言った。
「怒鳴ってた。『黙れ』って。勇気君、リュックに隠れるみたいに、ぎゅっと抱いてた」
真琴は勇気のノートを思い出す。「たすけて」と書いた震える字。美穂は目を潤ませ、言った。
「私、気づいてたけど…何もできなかった。綾に『あの男はやめなよ』って言ったけど、聞いてくれなかった」。
真琴は美穂の言葉を聞き、勇気の日常を想像する。薄暗いアパート、6畳の部屋。勇気はリュックを背負い、床に座る。柴田が酒瓶を手に、怒鳴る。
「うるせえ!」
綾は台所で俯き、震える。
「彰、落ち着いて…」
勇気は小さな手でリュックをぎゅっと抱き、「ママ…」と呟く。柴田が睨み、勇気は縮こまる。リュックの刺繍、「森山勇気」が、唯一の支え。夜、勇気は布団でノートにクレヨンで書く。「たすけて」「だれか」。窓の外、団地の明かりは遠い。
真琴は目を閉じ、涙が滲む。勇気の恐怖が、胸に突き刺さる。
美穂は続ける。
「勇気君、時々『おじいちゃんに会いたい』って言ってた。埼玉にいるって。綾が『無理だよ』って冷たくしてた」
真琴は7月31日の地下鉄。勇気がリュックを背負い、「おじいちゃんに会いに行く」と駅員に言った。
真琴は問うた。
「勇気君、逃げようとした?」
美穂は頷き、言った。
「多分ね。リュックに全部入れて、いつも準備してたみたい」
真琴はノートに「逃避」と書き、勇気の小さな抵抗に心が痛む。
真琴は美穂に、綾と柴田の関係を尋ねる。
「綾さん、なぜ柴田さんに?」
美穂はため息をつき、言った。
「綾、あの男に必要とされたかった。『私を見てくれる』って。店にあの男が来ると、綾、別人みたいに笑ってた」
真琴は幼馴染の美佐子の証言を思い出す。綾の容姿コンプレックス、愛情不足。美穂は続けた。
「あの男は綾を支配してた。『お前は俺がいなきゃダメだ』って。綾、勇気君よりあの男を選んだ」
真琴はを握り、問うた。
「勇気君は、その中で?」
美穂は目を伏せ、言った。
「…邪魔者だった。綾、勇気君に冷たかった。『静かにして』って」。
真琴はノートに「依存」と書き、綾の無関心が勇気を孤立させた連鎖を悟る。美穂は涙を拭い、言った。
「私、もっと強く止めるべきだった。勇気君、ごめん」
真琴は美穂の手を握り、言った。
「美穂さん、話してくれてありがとう。勇気君の声、連載で届けます」
美穂は頷き、言った。
「お願い。綾も…悪い人じゃないよ」。
美穂は終始、柴田のことを【あの男】と呼んだ。同じ店で働き面識はあったはずだし、彩人のプライベートにもママ友として関係していることから、知らない中ではないはず。
それほど、柴田への嫌悪感を誠に植え付けた。
11月中旬、編集室。真琴は勇気のリュックの写真を見つめ、涙が滲む。美穂の証言が、勇気の恐怖を鮮明にする。アパートの薄暗い部屋、柴田の怒鳴り声、綾の沈黙。勇気はリュックを抱き、誰にも届かない「たすけて」を書いた。
佐藤が近づき、言った。
「真琴、原稿の進捗は?」
真琴は答えた。
「勇気君の日常を連載に書きます。読者に、彼の恐怖を伝えたい」
佐藤は煙草をくわえ、言った。
「いいぞ。リュックで心を掴め。無関心を暴け」。
真琴はペンを握り、原稿に書き始める
「森山勇気、4歳。彼のリュックは、恐怖からの逃げ場だった。『たすけて』と書かれたノートは、誰も聞かなかった叫びだ」
涙がノートに滴る。
「無関心は共犯者だ。勇気君、君の声を届ける」
真琴はリュックの写真を握り、連載の使命を胸に刻む。