第1章:壊れた鏡
2003年11月、名古屋市中区。坂井真琴は、中部新報の編集室で、机に広げた勇気のリュックの写真を見つめる。
刺繍された「森山勇気」の文字が、胸を締め付ける。10月15日、勇気(4歳)が柴田彰の暴力で死に、森山綾が「椅子から落ちた」と嘘をついた。
警察署で見たノートの「たすけて」が、耳から離れない。
真琴は心の中で呟いた。
「俺の無関心も、あの子を見殺しにした」
佐藤の励ましで連載を決意したが、勇気の死の真相を掘るには、綾と柴田の過去を知る必要がある。
真琴はノートを開き、取材計画を立てる。
綾の孤独、柴田の怒り。それが勇気を孤立させた連鎖だ。
佐藤が近づき、煙草をくわえた。
「真琴、連載の第一歩だ。どこから攻める?」
真琴は答えた。
「綾の過去から。彼女の嘘の理由を知りたい」
佐藤は頷き、言った。
「深い闇だ。目を逸らすな」
真琴は拳を握り、名古屋の街へ出る。
綾の過去:愛情の欠乏
真琴は、綾の学生時代の友人・美佐子(26歳)に連絡を取り、昭和区の喫茶店で会う。
店内は古いジャズが流れ、窓から団地の灰色の建物が見える。
美佐子は疲れた顔で、コーヒーカップを握る。
真琴は丁寧に切り出した。
「綾さんの昔、どんな人でしたか?」
美佐子は目を伏せ、言った。
「綾、いつも暗かった。中学の頃、母親に『地味だ』って言われてた。愛されてないって、よく呟いてた」。
真琴はノートに書き、胸が締め付けられる。綾の孤独が、勇気の孤立に繋がったのか。
美佐子は続けた。
「高校で、綾は鏡を避けてた。『自分、醜い』って。
男子に『ブス』って笑われて、教室の隅で泣いてた」
真琴はペンを握る手が震え、勇気のリュックを思い出す。「たすけて」と書いたノート。綾の自己否定が、勇気を守る力を奪った。美佐子はため息をつき、言った。
「綾、誰かに必要とされたかった。柴田に出会って、変わったけど…悪い方に」
真琴は問うた。「柴田と、どう出会ったんですか?」 美佐子は首を振った。
「コンビニで働いてた時、柴田が客で。綾、彼に夢中になった。『彰は私を見てくれる』って」
真琴はノートに「依存」と書き、綾のコンプレックスが柴田への執着を生んだと悟る。
柴田の生い立ち:暴力の連鎖
真琴は山崎(35歳、刑事)に連絡し、柴田の情報を求める。
警察署の喫煙室は煙で曇り、書類が山積みだ。
山崎は書類をめくり、言った。
「柴田彰、18歳。父親の隆に殴られて育った。中学でいじめられ、高校中退。社会から弾かれた奴だ」
真琴はノートに書き、問うた。
「その環境が、勇気君への暴力に?」
山崎は煙草を押し付け、言った。
「ああ。柴田、怒りをぶつける相手が欲しかった。綾と勇気が標的になった」
真琴は拳を握り、勇気のノートを思い出す。「たすけて」は、柴田の怒りに潰された。
真琴は柴田の高校時代の担任・岡田(50代、男性)に会う。
名古屋市郊外の喫茶店。岡田は眼鏡を外し、言った。
「柴田、いつも一人だった。授業中に殴り合いして、停学。親父が酒浸りで、誰も助けなかった」
真琴は問うた。
「学校や児相は?」
岡田は首を振った。
「児相に通報したが、動かなかった。彰は『誰も俺を見ねえ』って言ってた」
真琴はノートに「孤立」と書き、柴田の怒りが勇気に向かった連鎖を想像する。
近隣住民:無関心の影
真琴は柴田の育った団地を訪れる。錆びた階段、剥がれた壁。50代の女性が言う。
「あの家、夜中に怒鳴り声が響いた。関わりたくなかった」
30代の男性は言った。
「彰、ガキの頃から一人でうろついてた。いじめられて、殴り返してた」
真琴はノートに書き、勇気のリュックを思い出す。
誰も手を差し伸べなかった。綾も、柴田も、勇気も、孤立していた。
真琴の葛藤と決意
編集室に戻り、真琴は資料を整理する。
綾の愛情不足と容姿コンプレックス、柴田の虐待といじめ。
それぞれの孤独が、勇気を守れなかった。真琴はリュックの写真を見つめ、涙が滲む。
「俺も見て見ずだった。勇気君の『たすけて』は、俺にも届いてた」
佐藤が近づき、言った。
「真琴、連載の骨子は?」
真琴は答えた。
「綾さんと柴田の過去から。無関心が連鎖を生んだ」
佐藤は頷き、言った。
「いいぞ。勇気のリュックで、読者に突き刺せ」
真琴はペンを握り、原稿に「森山勇気、4歳」と書き、連載の第一歩を踏み出す。
「無関心は共犯者だ。俺がこの連鎖を断つ」。