20-2:ヨルムンガンドにトドメを刺してみた
第5章は地震の描写を含みます。
ノス湖のほとりでユウキは体育座りの姿勢のまま体を小さくしていた。
彼の前で、ヨッシーがノス湖の水を試験官に入れていく。
「面白いことがわかったな。
淡水マーメイドの進化の理由だ。
それはおそらく、この地域の地質に原因がある」
「…………」
「見てくれユウキ。
この水の中には、地球上で未発見の元素が溶けている。
キリヤさんに聞いてみたが、おそらくこれが魔力の正体だ。
ほら、土からも同じ表記が出てるだろ?
そしてこの魔力が溶けた水だが、その浸透圧が塩の溶けた海水とほとんど変わらないんだよ。
浸透圧ってわかるか?
あぁ、まぁ、詳しい説明は省くか。
とにかく、そういう理由で海の種族だったマーメイドは、海中の塩からだけ離脱すればよかったんだ。
それがこのノス湖でうまく進み、世界的にも珍しい淡水マーメイドが生まれたんだよ」
「…………」
「だが見てくれ。
ノス湖の水にはわずかに塩分の反応もある。
元々魔力が混ざった水。
浸透圧の差からの対流は生まれず、ただでさえこちらの湖には流れがなく撹拌が起こりにくい。
つまり、湖底洞窟が存在し、そこが海中と繋がっていても塩分が湖面まで登りにくいんだ。
2ヶ月前の地震で地盤が割れ、ここで誕生した湖底洞窟でノス湖が海と繋がった可能性は現実的だぞ」
「……それでもUMAは。
ヨルムンガンドは、いねぇんだろ」
そんな二人を前に、サダコ姉は悲しげにため息をついた。
「もう、あの時みたいな嘘も」
――きゃああああああ~、ヘビがいたわ~
――うわぁぁぁぁあああああ!! に、にげろぉぉぉぉおおおお!!
――ぎゃぁぁぁぁああああ! どくへびだぁぁぁぁああああ!!
そのまま悲しげな表情で遠くを見たまま、サダコ姉は語り続ける。
「信じては、もらえない。
私達はみんな、大人になってしまったから」
「サダコお姉様……」
キリヤはその声に悲しみを感じ取り、どうにかなぐさめの言葉をひねり出そうと試みた。
しかし。
「ねぇ。キリヤちゃん。
もし私があの触手に襲われたら、2人は私をえっちな目で見るのかな?」
悲しみの声色こそそのままながら、想定とは180度方向性の変わったハレンチ極まりない問いかけに、キリヤは思わず顔を赤くする。
「なっ、ななな、なんで突然ハレンチなことを!?
それはそうでしょう!
当然そんな目で見られちゃうに決まってます!
サダコお姉様はきれいな女の人なんですから!」
しかしサダコ姉は極めて冷静に、別にどこも卑猥な話などしていないがと言わんばかりの堂々とした姿勢のまま、それでいて悲しげな声色は崩さずに、続きを語る。
「そうよね。でも、もしも2人の片方……
たとえばユウキ君が同じように触手に襲われても、ヨッシーはユウキ君をえっちな目では見ないわ。
それが私と2人の間にある絶対的な差。
私達は大人になってしまった。
そして私は、私だけが、女になってしまったの。
私はもう、あの2人の友達には戻れないのよ」
キリヤには言葉の意味が理解できない。
しかし、彼女もまた生物学上は女性である。
単純なポンコツというわけではない。
恋の意味くらいは知っているのだ。
「なら、どちらかとお付き合いをすればいいじゃないですか?
あ、いや、片方を選べないのなら、どちらともお付き合いしてしまえばいいんです!
そういう文化も普通にありますよね?」
少々素直には頷きにくい提案に聞こえるが、意外にもサダコ姉、この提案に即座に肯定を返す。
「そうね。そういう文化もある。
別に迎合できない文化じゃないわ。
私達日本人は、厳しい戒律のある宗教を信仰していないし、わりとなんでも受け入れる土台があるわ。
いい考えだと思う」
「なら!」「でもねキリヤちゃん」
キリヤの言葉を遮り、そして。
「私はあの2人じゃ濡れないだろうし、2人の子どもも産みたくない。
体を許すとしても、それは遊び以上でも以下でもない。
私はね、恋人でも、奥さんでも、ましてやお姉ちゃんでもなく……
親友に、なりたかったのよ」
キリヤには、その言葉の意味が理解できなかった。
「ヨルムンガンドなどいない。
そう言い切るのは難しい」
ユウキが顔をあげることはない。
その言葉の意味が理解できるためだ。
「存在を証明したいのなら、たった1つの発見をすればいい。
だが、存在を完全否定したいのなら、あらゆる可能性を否定しつくさなければならない。
それこそが未だ、科学がオカルトを完全否定できない理由……っ……だ」
最後、ヨッシーの言葉に間があいた。
その間は、彼が今まで行っていた水質調査の最終結果を目の前の機械が算出した瞬間に発生していた。
ヨッシーはその結果をユウキに伝えるか悩む。
だが、しかし。
――殺せよ! あのメスガキが本当に嘘つきのメンヘラなら、殺しちまえ!
お前はそれでいい! 俺達もお前を絶対に糾弾しない!
かつて友から言われた言葉を思い出し、決意を新たにした。
「環境DNA測定の結果が出た。
ビサヤ湖のものと同じ。
そしてある意味で、ネス湖とも同じだ。
この湖に、ヨルムンガンドと思われる生物が存在したDNAの痕跡は存在しない。
宣言しよう。ヨルムンガンドなどいない」
・環境DNA測定
2019年、ニュージーランドのオタゴ大学ゲンメル教授率いる6カ国代表の研究チームにより、ネス湖のネッシー伝説に終止符が打たれた。
調査で使用された技術の名は、環境DNA測定。
生物は実際に捕獲したり死骸を見つけずとも、糞や尿、抜け落ちる毛や古い皮膚や鱗から遺伝子情報を採取できる。
湖の場合、その遺伝子が湖に溶け出すことで、湖全域に生息する全生物の特定が可能となる。
研究チームはネス湖にてこの最新技術調査を行い、首長竜とそれに類するような未発見生物のDNAが存在しないことを確認し、「ネッシーは実在しない」という結論を世界に発表した。
この発表の中で博士は「ネッシーは実在しないが、水中から多くのウナギのDNAが発見された。
ネッシーは巨大なウナギかもしれない」とジョークと夢の残滓を語っている。
「そして……このチャンネルでの僕の役割は、オカルトを否定することだ。
他でもないお前がそう言った」
ヨッシーは科学というハンマーで、瀕死の大蛇にトドメをさした。
彼は今この瞬間、ヨルムンガンドを殺したのだ。




