2-2:異世界転移してしまったことを空を見て確認してみた!
そして霊感の差がこのトンネルに入ってまもなく現れる。
「……なんだか声がするな」
そう最初に呟いたのはヨッシーだった。
「え?」
「振り向かないで!」
後ろのヨッシーの呟きに振り返ろうとした先頭のユウキをサダコ姉が咎める。
そこにはいつものおっとりとしたサダコ姉らしい声がまるで感じられなかった。
ユウキがそんな彼女の声を聞いたことははじめてではなかった。
サダコ姉がこの声を出すタイミング。
それは、本当にやばい心霊スポットに来てしまった時だ。
「……やばいのか、ここ」
「やばい。今まで一番かも。
でも、今までとは違う。
なんというか、やばさが最高ランクなことはわかるんだけど、別に幽霊が見えてるってわけでもない。
なんだろう……まるでわからない。
その過程と全部すっ飛ばして、やばいという答えだけがわかる」
実はこの時サダコ姉のカメラには無数のオーブが映されているのだが、サダコ姉の目はそれを確認できていないし、カメラを通しても見えていない。
「振り向かなければいいんだよな、サダコ姉」
「うん。これもわからないけど、振り向いちゃいけないことだけはわかる」
「なら、俺のリュックから原子時計を取り出してもらえるか?」
「わかった」
ごくりと息を呑んでヨッシーのリュックを開くサダコ姉。
かなりの重量の原子時計をどうにか抱え、ヨッシーに手渡した。
「ユウキ、29までの素数を数えてくれ」
「は? あ、あぁ。
1、3、5、7、9、11、13……17、19…………」
「すまん。つい研究室の身内ノリが出た。
10まで数えてくれ。10秒を測りたいんだ。
あと、1は素数じゃないし2は素数だ」
「最初からそう言えし!」
その理系ジョークが場を和ませるためのものだったのか素なのかはともかく、ユウキは言われた通り10秒をカウントした。
当然、振り返らずに、だ。
「……どうだ?」
「当たり前だが、人の秒数カウントと時計のカウントには誤差がでるものだ。
だがその誤差は10秒カウントならせいぜい±2秒だろう。
だがお前の誤差は……+8秒だ」
「は? いやいや、さすがにそれは……」
「俺もカウントしたがやはり+8秒の誤差がある。
つまり……俺達の時間の進みが20%になっている」
「おいそれって!」
「ワームホール説、冗談にできんぞ。
くそっ、こんなことなら重力波測定機と素粒子測定機も持ってくるんだった……手元にはガイガーカウンターしかない」
「なんでしれっとガイガーカウンターはあるんですかねぇ!?」
ガイガーカウンターを片手で見たヨッシーが深刻な声を出した。
「……放射線量が0.05~0.1マイクロシーベルトで変動している」
「はぁっ!? 放射能検出されてんの!? ていうか変動ってありえるのかよ!?」
「平常値だな。
ガイガーカウンターはガイガー管のノイズを自身で拾う。
特に放射線量がゼロに近ければ近いほど観測数値は変動する」
「ならそんな深刻そうな声出すなし!」
「でも、やばいことは確かなんだよ、ユウキ君」
この状況に最も危機感を覚えているのは3人の中で最も強い霊感を持つサダコ姉だった。
「ど、どうする?」
「そうだね……靴を脱いで、頭の上に乗せて、犬の仔、犬の仔って言いながら後退りして戻ろうか」
「なんだっけそれ。
前にサダコ姉が解説してたよな。
禁足地のオソロシドコロだったか?
同じルールが通じるのかここ?」
「わかんない」
「後退りをするのは賛成だが靴を脱ぐのは反対だ。
いざという時に走れないのは困る」
・オソロシドコロ
長崎県対馬豆酘地域龍良山に存在する禁足地で、表八丁郭、裏八丁郭の2個所と、多久頭魂神社の不入坪から構成される。
対馬固有の宗教天道信仰の聖地。
土足厳禁で、間違って入ってしまった場合は即座に靴を脱いで頭の上に乗せ、石堤が見えなくなるまで「犬の仔、犬の仔」と言いながら後退りしなければならないとされる。
自分は犬の子であり人間ではないので見逃してくださいの意味。
振り向いてはいけないところにはユング味を感じる。
「そ、そうだな……じゃ、後退りを……ん? おい、君!」
そこでユウキが何かに気付いて声をあげる。
「誰か居るの? というか……ユウキ君が見えてる?」
「ユウキが見えるってことは幽霊じゃないのか?」
ユウキの手のLED懐中電灯がトンネル前方に人影を照らす。
800ルーメンの明るさに思わず顔を覆う人影。
「あ、すまん!」
ユウキは一度懐中電灯の先を下げ、明るさを落としてから改めて前方を照らした。
そこに居たのは、金髪の少女だった。
見た目は20歳前後と、3人とそれほど変わらない。
だがその服装は洋服でもなければ、特定の宗教や民族の装束でもない。
騎士の甲冑だ。
それも実際にルネサンスヨーロッパで使われたようなフルプレートではない。
実用的防御性能を犠牲に女性的セクシュアリティを強調した、アニメのコスプレでしか見られないような甲冑。
なにより、頭の上にはバニーガールのようなウサ耳がついている始末だ。
「……え? コスプレ撮影してんの? こんなとこで、こんな時間に?
え? いや、でも、金髪の女の子ってあの怪談の……」
「た、助けてくだ……ひぃっ!?」
3人に気付いた少女がユウキにかけよろうとして、突然その踵を返して走って逃げていく。
「お、おい君!」
「走って!」
そう叫びつつサダコ姉がユウキを追い越して前方に駆けていく。
「え、なんで……うぉっ!?
嘘だろ!? 俺にも聞こえる!」
その音はユウキにも確かに聞こえた。
びちゃびちゃという腐った体が動くような足音。
あの怪談のとおりだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!
原子時計をしまって……」
「おいてけ!」
「これ1000万円はするんだぞ!」
「バカ野郎! 優先順位を考えろ!」
それをユウキは「自分の命は1000万より大切だろう」というつもりで言った。
しかし。
「た、確かに、ワームホールの発見は1000万よりも価値があるな」
こうして原子時計をそっと床に置こうとするヨッシー。
その瞬間、地面から伸びてきた腕がヨッシーの手を掴む。
「うぉっ!?」
驚いたヨッシーの手が離れ、原子時計が10センチ程度の高さから落とされ、なんだか嫌なガチャリという音が響く。
それは具体的に言うならば、目の前の1000万円が消える音だった。
「早く走れ!」
「……くそっ!」
伸びてきた手は腐敗していたためだろうか、ぬるりという嫌な感覚と同時にすり抜けていき、そのままヨッシーも先の2人を追って走り始めた。
トンネルの流さは地図上では100m。
だがヨッシーの感覚では、入ってから既に200m以上を進んでいた。
そこから前に走り出して主観で60秒。
どれだけ自分の足の遅さを低く見積もっても300mは走ったはずだ。
だがまだ出口は見えない。
いや、本当に出口があるのか。
そう思いかけた時、ユウキの懐中電灯がトンネルの出口を照らす。
「出口だ!」
息も絶え絶えでトンネルから抜け出した先は、話に聞いた通りの墓地が広がっていた。
ゾンビの足は遅いようで、かなりの距離が開いているらしい。
ユウキの懐中電灯が広がる墓地と先ほどのコスプレ金髪ウサ耳騎士を照らす。
「あ、あの、君、なんなのその格好。
俺の知らないアニメみたいだけど……」
「お願いです! 助けてください!」
「いや、待って待って。
助けて欲しいのはむしろこっちなんだけど、とりあえず整理しよう整理。
俺はユウキ。
こいつはヨッシーで彼女はサダコ姉。
君は?」
「キ……キリヤ、です……」
「え?」
「それって、この墓地の名前?」
名前に驚くサダコ姉。
つられてユウキの懐中電灯が墓地の中を照らし始める。
墓標の形は仏教式にもキリスト教式にも見えない独特の形状。
3m感覚に置かれた墓標は遥か彼方まで広がっており、その広さは都心校外の霊園を想起させる。
だがそれはありえないことだ。
島の形状からして、そんな広さの土地があるはずがない。
地図上でもここは山の影で、せいぜいコンビニ1つくらいの広さしかない場所だったはず。
「どういうことだよこれ……どこなんだここ……」
「少なくとも、地球ではないな」
そう冷静に呟いたヨッシーは夜空を指差す。
「星座の形が違うことからここが地球でないことがわかるが……そんなものより、わかりやすいものがあるだろ?」
「……嘘だろ?」
ユウキの目に入ったもの。
それは、青、黄色、緑、赤に輝く4つの月だった。
「キリヤちゃん。
信じられないかもしれないけど、私達、ここからとても遠くから来てしまったみたいなの。
この国……ううん、この世界の名前、教えてもらえる?」
「オルコットン……」
「ヨッシー、聞いたことある?」
「ない」
「オルコットンは知らないが、オルコットなら、確か、神智学協会の創始者の一人じゃなかったか?
ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキーの方が有名だが。
ほら、ヘンリー・スティール・オルコット」
「流石オカルトオタク。
すぐ出てくるのすごいわ」
・神智学協会
1875年にアメリカのニューヨークで誕生した神秘思想団体。
アメリカにおけるニューエイジ運動やスピリチュアル、現代でよく信じられるオカルティズムの根幹を気付いた組織。
今によく知られているオカルト的な考え方を大衆に広めた功績と、嘘偽りの心霊トリックを科学者達に暴かれるという功罪を持ち「科学的に心霊を探る」という考えを斜陽化させてしまった存在でも言える。
・ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー
通称ブラヴァツキー夫人。
ドイツ系とロシア系のハーフで、キリスト教や仏教からエジプト宗教まで幅広い宗教を取り込んだ神秘思想を説いた。
言動には矛盾が多かったが、何かしらを感じ取るセンスがあったことは確かなのだろう。
何故か最近の検索サジェストでは「ママ」という単語と同時に美少女のイラストが登場する。
・ヘンリー・スティール・オルコット
プロテスタント仏教というキリスト教に仏教の考えを取り込んだ新派閥を切り開いたことで宗教学者の中からも一定の評価を受ける人物。
彼の信者は、オルコットはアショーカ王と釈迦の生まれ変わりだと信じる者もいる。
ブラヴァツキー夫人と共に神智学協会の中核となった。
「まぁ、どう見ても異世界です本当にありがとうございますってことか。
なんかチート能力とかないの俺達」
「アニメの見すぎだ。
そんなこと考えてる暇があったら星図からここが銀河系のどこなのか考えたらどうだ。
少なくともおそらくあれがシリウスだぞ」
「ヒントはありがたいんだが、それ考えられるやつどれだけいるんだろうなぁ。
つーか同じ宇宙だって確証はあんの?」
「ない」
「だよな」
シリウスのような明るい恒星の存在は確かに未知の状況でひとつの基準となる。
だが、この場で現状を確認したいなら、最善手はおそらく空を見上げることではない。