70-1:狗神の正体はこれだ! 民俗学で結論出してみた!
「さて~、それじゃ私のターンよ~。
さっきの定義で言うなら、私は狗神の力の源は、狗神を恐れる人たちだと思うのよね~。
少なくとも今の狗神はね~」
「昔の狗神はそうじゃないということか?」
「その辺も含めて、狗神の起源から見直してみましょう~。
まず、記録上最古の狗神は平安時代から鎌倉時代の間、この頃の狗神は陰陽道の式神の一種として語られていたわ~」
「陰陽師か。安倍晴明とかまさに漫画やアニメのヒーローだよな」
「ちなみに晴明が名を馳せた時は既におじいちゃんだから、よくある若いイケメンのイメージは幻想よ~」
妖怪のイメージが水木しげる以前と以後で違うように、陰陽師のイメージも夢枕獏以前と以後でかなり違う。
夢枕獏以前となるとかろうじて帝都物語の加藤だろうか。
「本筋じゃないからさらっと流すけど、そもそも陰陽師は百鬼夜行と戦うようなオカルトヒーローじゃないわ~。
でも当時の知識人はみんな呪いを当たり前に信じていたし、百鬼夜行も実在すると思っていたの~。
まぁこれは平安京が急速な都市化の弊害として疫病が蔓延していた頃だったしさもありなんね~。
陰陽師の仕事はそんなお偉いさん達の不安を祓うことで、結果的に悪霊退散をやるようなポーズを取るけど、これは本当に悪霊を祓っているわけではなく、悪霊を信じる人を安心させるためにやってるだけよ~。
現代の自称霊能力者も大半がこのパターンだと思うから、単純に詐欺師だとは罵れないわね~」
霊能力者は金銭を騙し取る詐欺行為を働きがちであるが、仮に悪霊を祓ったとして、その料金が10万円だった場合と10円であった場合、どちらがより効果を信じられるだろうか。
その点で所謂霊感商法というものは、騙す側と騙される側が暗黙の共犯関係になっていると言える。
「ただこれは陰陽師側からの視点で、陰陽師を頼りにする人たちからすれば彼等は本物のスーパーヒーローなのよ~。
こうして勝手なイメージが盛りに盛られた結果、エンターテイメント的に正義の陰陽師と悪の陰陽師みたいな対立構造が生まれて、それが常識になったら今度は陰陽師側が自身のパフォーマンスにヒーローイメージを取り込んでと、ここで双方の共犯関係で陰陽師のイメージが雪だるましていくわけね~。
そこで式神なんて概念も生まれて、その中のひとつが狗神ってこと~」
「納得のいく話だな。
しかし、それが四国にのみ広く流行したのは何故だ?」
「鎌倉時代に入るタイミングで、源平合戦が起きるでしょ~?
その時に平安京から大勢が四国に移動してるのよ~。
多分その中にインフルエンサーの才能を強く持った陰陽師がいて、その人が狗神推しだったんだと思うわ~」
オタクが社会を変えるのはいつの世も同じらしい。
「ということは、最初の狗神はただのフィクションで、何の力もなかったということですか?」
「最初の狗神はそうね~。
でも、それを大勢が信じるにつれ、信じる力が狗神の力になっていくわ~。
このあたりは呪いの仕組みでもやったわよね~。
そしてこの力が戦国時代を経て天下泰平の江戸時代で爆発するのよ~」
「平和になったのに呪いが力を持つんですか?」
「むしろ逆よ~。平和だからこそ呪いが流行るの~。
生きるか死ぬかの限界サバイバル環境では、呪いなんてこと言い出す人から死ぬわ~。
妄想を垂れ流す前にまずは自力で現状を生き延びないとダメだからね~。
でも、世界が平和で、ある程度食料が安定してくると、呪いとか言い出す余裕が生まれてくるわけよ~。
そして、平和であることは経済格差を作る理由になって、狗神は不当な成長をしている家が裏でやっている悪どい真似、もしくは、そういう家を貶めるための祈りとして使われるようになるのね~」
「両方にそれぞれ狗神を使う理由が生まれ……あれ?
いや、それ、裕福な人は狗神なんて使ってないですよね?」
「使ってませんなんて言っても噂する人たちは信じないわ~。
それと、その家を呪うために本当に狗神を使った人が後に裕福になってしまうと、本当に裕福になるために狗神を使った家がでちゃうのよ~」
「嘘から出たまことです!」
「文字通りよね~。
結果だけ見れば、本当に狗神が効果を示してるんだから~」
信仰はだいたいこうして成立していく。
それが聖なるものか邪悪なものかは、世間の多数派がそれをどう見るかでしかない。
「つまり、狗神は人間同士の僻み合い、そして、そんな社会で生まれてしまう差別を正当化する嘘として強化されていくのよ~。
当然みんな僻みも差別も良くないことだと本心では思ってるわ~。
だからこそ、その原因を狗神にしてしまうと同時に、狗神が恐ろしいものであり語るべきものではないとすることで、結果的に差別に蓋をしてしまったわけ~。
つまり、狗神の力も恐ろしさも、それを人から遠ざけ、現実から目をそらすための社会システムだったというのが民俗学的な狗神の正体だと思うわけよ~」
「現実的でつまらない理由だが、話の筋は通ってるんだよな……」
「むしろ狗神を語ることがその背後にある差別を隠したり逆に助長していると考えると、本当の意味で狗神怪談は語るべきではない怪談になってしまうわ~。
そしてその事実を知らない人からすれば、語るべきではない怪談は本物の怪異で狗神は本当にヤバイと強く信じる形になって、完全な逆効果になってるの~。
狗神は怖いのも厄介なのも、すべては怪談のメタ構造なのよ~」
「牛の首みたいなものか」
「怪談師としては耳が痛い話だな……」
これが怪談を楽しいエンターテイメントにしなければならない理由であると同時に、怪談をエンターテイメントにしてしまうことの弊害とも言える。
ままならないものだ。
「実際に今も狗神憑きの家系は差別の対象にあって、そこの家に生まれると地元で結婚できないなんてよくある話だわ~」
「令和のご時世によくもまぁ……」
「くだらない因習だと笑えれば終わりにできるのよ~。
でも、もしも終わらせたことで祟りが起きたら~?
その恐怖があるからこそ因習が続いていて、しかもたちの悪いことに、狗神憑きの一族、つまり、差別されている側がその思いを強く持ってるの~。
信じることで実体化する怪異の影響をモロに受けてるのね~。
やめられるものならやめたい、でもやめられない、それが狗神差別の実態なのよね~」
「本当に根深い社会問題だな……
そして、狗神の怪談を聞きたい人はまるで求めていない話だ」
「それを無理矢理聞かせるのが私達なんだけどね~」
このスタイルは地球で動画を作っていた頃から今に至るまで変わっていない。
むしろ、ここで一度原点に戻ったことで、改めて3人はその思いを強く共有した。
「まぁ、民俗学ってわりとそういうものよ~。
本気で妖怪を信じていた民俗学者は柳田パパとヘルンさんくらいで、この2人って今にして思うとただの怪談好きのオカルトマニア系インフルエンサーなのよね~」
「妖怪博士とかいう人いなかったか?」
「井上円了ね~。
彼は妖怪はほんと気の所為か社会が見せる幻だと主張し、妖怪にきゃっきゃうふうしてた柳田派をバッサバッサと論破していった学者さんよ~。
その2つ名が妖怪博士なんて呼ばれるのもなんだか皮肉よね~。
後世には彼から妖怪を教わろうと大学に入った学生が、最初の授業で『妖怪なんていません』と言われてカルチャーショックを受ける悲しい事故が多発するわ~」
「誰も幸せになってねぇ……」
「科学とは本来そういうものだ」
一同の間に冷ややかなため息がこぼれる。
幽霊の正体見たり枯れ尾花とはこのことか。
「ただ、その井上円了自身も妖怪の100%が作り話だとは思ってなくて、彼は極々わずか存在する説明しようのない怪異を『真怪』と呼んで探していたわ~。
そういう意味ではヨッシーみたいな人なのよ~。
本当はオカルトが大好きで強く信じているからこそ、本物のオカルトを探すために偽物のオカルトをけちょんけちょんにしていたの~」
「いや、僕は……」
「まぁまぁ。言わせんな言わせんな」
「そういう意味では私も同じよ~。
だからこそ、狗神の正体は妬みや差別という人の醜いものが正体で、本物の狗神はいません、なんてつまらない結論にしたくないの~。
ここから面白い話いくわよ~」
昔よくあった否定派肯定派の対立構造ではこの転換ができない。
1つの謎を否定と肯定両方から語り、その両方を真とした上で答えを決めず視聴者に考えさせること。
これが本当の、信じるも信じないもあなた次第という言葉の使い方なのだろう。




