61-2:ヒトラーの悪行をおさらいしてみた!
「つまり、そのヒトラーという人はお姉様達の世界の歴史に名を残す大悪党で、本来なら死んでいるはずだったのに生き延びていたかもしれないという噂があった。
もしも生きていればその人がやった悪行が繰り返されるかもしれなくて、昔の人たちはそれに怯えていた。
でも結局再び現れることもなく長い月日が経ってしまい、仮に生き延びていても既に寿命で死んでいるはず。
だから今はもう噂されなくなった、という流れですね」
「そういうことね~」
異世界人のキリヤはもちろん、現代人にも今ひとつ理解しにくいヒトラー生存説。
キリヤはまず何故それが理解しにくいのかを理解した。
「死んだはずの脅威的存在が生き残っているかもしれないという噂で考えると、わりとどこにもあった話で必ずしもヒトラーが特別なわけじゃねぇな。
代表例がローマを脅かし続けたカルタゴの英雄ハンニバル。
天下人に王手をかけ諸国を震え上がらせた武将織田信長だな。
源義経にもそういった噂があるが、これは英雄的な義経が死んだと考えたくない人々の夢であり、今回とは形成の動機が真逆だな。
織田信長の生存説も今ではそちらの文脈で語られるかもしれねぇ」
・カルタゴの英雄ハンニバル
紀元前264年から146年まで続いた地中海を挟んでのローマとカルタゴのポエニ戦争において、219年から201年の間に活躍したカルタゴ側の英雄。
当時のローマの兵力はカルタゴを圧倒しており、正面からではカルタゴの勝ち目は薄かった。
そこでハンニバルは象や騎馬兵を含む先鋭達で独立遊撃隊を率いてローマ国内を荒らし回る戦術を取る。
いつどこから現れるかもわからないハンニバル遊撃隊の恐怖でローマの団結を崩し国内世論を厭戦側に傾かせようとした。
特に有名なのがアルプス越えの逸話。
象を含む大軍で山を越えて襲いかかるというのは今の常識でもありえないが、ハンニバルはこれに成功。
結果として「ハンニバルはどこからでも現れる」という恐怖をローマに強く根付かせた。
また、実際に大軍と大軍が正面からぶつかり合う戦場での指揮能力も高く、機動力の高い騎兵を用いた包囲戦術は現代戦術論でも手本とされるほど。
なお、ホラー映画羊たちの沈黙のハンニバル・レクターとは完全な別人。
「ローマでは夜寝ない子供に対して『寝ないとハンニバルが来るぞ』と脅したらしい逸話が残っているわ~。
言ってることが妖怪のそれなのよ~。
まぁ今字幕で出してもらったようなことしてればそうもなるわね~。
ヒトラー生存説も同じようなものだわ~。
実際に昭和の都市伝説を探るとヒトラーやナチスめいた怪人の噂があるわ~」
今も世界的に見てナチスは嫌悪と同時に恐怖の象徴だ。
むしろそうなっていない現代日本がおかしいとも言える。
「僕達の時間では既に死んでいるはずのヒトラーがこちらで生きている理由についてなら、タイムトンネルを用いた転移と考えればすぐに腑に落ちる。
7分割されている理由は考えたくない。
僕の脳が理解を拒絶している」
実際に時間のズレはSF的にいくらでも解釈できる。
もう全部ウラシマ効果だと言い張ればにわかSFファンは騙せるだろう。
7分割に関してはSFでも事例がない。
あえて言うならドラえもんがいっぱい。
「ここまではだいたいわかりました。
では、それほど恐れられた大悪党のヒトラーは、一体何をした人なんですか?」
「一言で言えば戦争ね。
ただ、そこに至るまでの流れと、至った後の戦争以外の悪行が酷いのよ」
流石にゆるふわ~な雰囲気を作って語るのを拒むサダコ姉。
倫理観がバグっている彼女にも真面目に話すべきことはわかる。
「まず、戦争に至ったドイツという国は当時どん底の状態だったわ。
ひとつ前の戦争で大負けして、その賠償金がとんでもない額だったの。
これが今から考えても理不尽な話で、当時のドイツの人々の怒りは限界だったわ。
そこで現れたのがヒトラーね。
彼の最大のスキルは、弱い立場の人たちに共感し、共に怒ること。
絶望的な人が求めているのは優しい言葉ではないわ。
いっしょに怒ってくれる人なのよ」
「ちょっとわかる気がしてしまいます。
不満を相談した時に相手に欲しいのは解決策の提示ではなくただ頷いてくれることというのはよく言う話です。
そこでもただ『わかるよ』と頷いてくれるよりも、『それは酷い!』といっしょに憤ってくれるのが一番うれしいんです。
むしろ生半可な優しい言葉をかけられても素直に受け取れませんし、まして正論なんて言われたら私でもキレるかもしれません。
ぎりぎりの時は合理じゃないんです。
男の人はそれをわかってくれないんです」
サッと目をそらすユウキとヨッシー。
いろいろと思うところがあるらしい。
「こうしてヒトラーは大人気になって、ちゃんとした選挙を通して国の代表に選ばれるわ。
それで戦争をはじめていくのね。
よく、ヒトラーはちゃんと選挙で選ばれたんだから悪いのはドイツ国民だ、という論調が語られることがあるわ。
でも、心が限界の人達の怒りを煽って人気を取る手法はどう思うかしら?」
「絶対に効果的だからこそ、良くないことは間違いないと思います」
「そのとおりね。
ヒトラーはそれを堂々と、かつ、完璧を超える技量でやってのけたの。
これがヒトラーの恐れられる理由の半分ね。
彼は、人の弱い心につけ入り、戦争なんていうどうしようもない行動にまで加速させてしまう力があるの」
第一次世界大戦以降、戦争は加速度的に悲惨さを増した。
戦争は悪行。それはもはや世界の共通認識だ。
戦争せざるをえない状況があることは否定できない。
だが、それでも戦争は避けるべき事柄であり、意図的に戦争に向かうべきではない。
ヒトラーの能力は人々の心に火をつける。
それがポジティブな力となるなら良い。
だが、怒りによるエネルギーは闘争と破壊にしか繋がらない。
故にヒトラーは歴史上最大の悪党と語られるのだ。
「それからのドイツの力は凄かったわ。
怒りの力が闘争と破壊にしか繋がらないとはいえ、闘争と破壊に使うなら怒りに勝るエネルギー源はないのよ。
兵士の戦意だけでなく、兵士が使う武器、特に新兵器を作り出そうという熱意もドイツは凄かったわ。
ドイツの科学は世界一、なんて言われるけど、これには『戦争を目的とした』という前置詞がつくのね。
そして開戦当時ドイツは連戦連勝を繰り返すんだけど、怒りの力には限界があるわ。
特に、怒りの力は守ることと維持することには使えない」
「その通りです。
最終的には明鏡止水の心に行き着くべきなのです」
怒りのスーパーモードではダメだと別の師匠も常々言っていた。
超サイヤ人ですら最終的には怒りを制御する。
「こうしてドイツは劣勢に追い込まれるんだけど、そうなると怒りが国内で爆発しかけるの。
そこでヒトラーは国内に怒りの矛先を向ける相手を作ったわ。
それがユダヤ人という人たち。
これは話すと長くなるから省略するけど、ユダヤ人は歴史上ずっと卑怯者の悪党というレッテルを宗教的に貼られ続けていたの。
もちろんそんなの事実無根なんだけど、私達の世界の宗教はそれを事実と感じさせるだけの力があった。
近代で宗教が力を失うにつれその考えは否定されていくんだけど、否定されていたからこそ蓋をされたままぐつぐつと煮えたぎる思いがあったのね。
ヒトラーはその地獄の釜の蓋を開けたのよ」
「そんなことをしたらこの世界の堕天使みたいに石を投げられてしまいます!」
「いえ、ならないわ」
サダコ姉は覚悟を決めた真顔で続きを語る。
「人々はユダヤ人に暴力を振るえない。
何故なら、ヒトラーの政策でユダヤ人は一箇所にまとめられてしまうから。
それがゲットーという場所ね。
ここに追いやる際に、ユダヤ人の財産を奪い人々に還元したの。
暴力に進む人は制御できない。
人を制御するには結局欲望を満たすことだわ。
ヒトラーはそれを理解していたのよ」
「まさに悪魔の発想ですね」
「悪魔と呼ぶのはまだよ。
ゲットーにまとめられたユダヤ人だけど、ゲットーを維持することにもお金がかかるわ。
ヒトラーはそのお金を節約しようとしたの」
「節約って、まさか……」
「いなくなれば、維持コストもかからない。
そういうことね。
彼らが最期に送られるのが強制収容所。
別名は絶滅収容所。書いて字の如しね」
先日のシーランド島で聞こえた強制収容所という言葉。
キリヤは集められたハエ達に罪悪感を覚えつつも少なくとも幸せに死んでいく彼らに複雑な思いを抱いていた。
だが、このユダヤ人が幸せな末路を送るとはとても考えられない。
シーランド島の所業を邪悪と評したキリヤに、言葉はなかった。
彼女は邪悪を超える概念を持たなかったのだ。
「合理的に考えて、確かに理屈は通るのよ。
すべてはドイツのため。
ヒトラーが本気でドイツのことを考え、善意で動いたことは間違いないの。
でも、たとえ理にかなっても、たとえ善でも、許されないことはある。
それを成してしまったからこそ、ヒトラーは大悪党と呼ばれたのよ」
「よくわかりました。
それは確かに生き残っていたらと震えてしまいます。
また弱い人たちを煽って、さらに弱い人達を殺すかもしれない。
想像するととても怖い話です」
と、キリヤとの前提情報共有は終了するのだが。
ここで蛇に足がはえかける。
「私も……」
「お姉様」
しかしその足はキリヤが強い視線を向ける同時に居合い切りする。
「その先の言葉は、抜くべきではない妖刀です。
ご理解されているなら、余計に」
「……そうね。その通りだわ」
ユウキとヨッシーは再度目をそらした。
実際にこの女なら似たような悪行に手を染めるだろうと常々考えていたからだ。
ヨッシーに至っては実際に呪いという形でその被害を受けている。
それでも、2人にとってサダコ姉は幼馴染であり悪友である。
同時に、少なからずその行き過ぎた合理主義に共感する部分もある。
故に2人はもう諦めている。
実際に彼女が凶行に走ってしまえば、その時はもう毒を食らわば皿まで。
共に責任を背負う覚悟が自然と決まっていた。
2人に止める力も気概もないのだ。
しかし止めるべきなのだろうという感情はある。
だからこそ、それをキリヤ1人に押し付けている現状から、目をそらした。
それは、友情のガワをかぶった現実逃避なのだろう。
「でもそんな大悪党をアイドル化しちゃうなんてどういう理屈なんですか?
ダークヒーロー化するにしてもいくらなんでもですよ」
「そこはなんというか、日本人がバグってるとしか言えん……」
「悪役としてちょうどいいのはまだわかるんだが、面白おじさん化や美少女化はもうなんていうかな。
いや、実際それを面白く感じてしまう俺達もどうかと思うんだが……」
これは2人のみならず、日本語で書かれているこの物語を読んでいる全員が目をそらすべき話かもしれない。
「……ん、ちょ、ちょっと!
ちょっと待ってください!」
「どうした?」
「そのヒトラー、この世界に居るんですよね!?
それも7人も!
大変なことじゃないんですか!?」
ハッと気付く3人。
言われてみればその通りでしかない!
3人はすっかりアイドル化した近年のヒトラーイメージに毒され、口裂け女やカシマサン、グレイや河童というオカルト区分でヒトラーを見ることに慣れていた。
まして設定年齢的に平成生まれの彼らは昭和オカルトが感じていたヒトラーへのリアルな恐怖なイメージを理屈の上でしか理解していなかった。
だが、今までの話を改めて聞いた上でヒトラーが生きていることは、明確な世界の危機である。
それも7人も居る!
7分割されたことにジョークめいたおかしさを感じてバグが加速されていたのだが、冷静に考えて1人でも大問題のヒトラーが7人居ることは悪夢を超越した恐怖である!
「……あれ? 実は今回ギャグでもなんでもなく、この世界に来て以来の世界の危機なのか?」
異世界オカルトチャンネル7、第16章!
7人のヒトラー編、開幕!




