31-3:あっさり噂が消えた理由を解説してみた! 反撃作戦開始!
――21日目
「8356! 8357! 8358!」
キリヤが午前中の素振りを進める中、3人は朝食を取っていた。
「あと10日かしら」 「8359! 8360!」
「選挙まで?」 「8361!」
「この噂が消えるまで」 「はっせっ……てぇ! お姉様今なんと!?」
当然とばかりにそう言い放ったサダコ姉に、キリヤは素振りを中断してまで駆け寄った。
師匠からの言いつけである素振りを中断するというのは彼女にしてみればありえないことだ。
「まじであと10日で終わると思ってんのか?
人の噂も七十五日っていうから、まだまだじゃねぇの?」
「いえ、終わるわね。
もしも今の噂の方向性が政治利用を目論む陰謀論者によって定められたものであるなら、彼等は大きなミスを犯したわ」
「どういうことですかお姉様!?」
「まぁ百聞は一見にしかず。
こんな経験リアルタイムじゃそう何度も体験できないレア経験よ。
よく見て、覚えておくといいわ。
陰謀論の終わりと、新たな都市伝説のはじまりをね」
とても信じられない。
何がミスで、ここからどう終わるのか。
首をかしげるキリヤだが、その表情にはこの数日で見られなかったアホ面が戻りつつあった。
「さ、キリヤちゃん。
素振りを続けなさい」
「あ、そうだ! えーと、何本までやりましたっけ」
「今7時42分ね」
「ありがとうございます! 7421! 7422! 7423!」
稀にこうして突然落語がはじまる小説である。
次は茶碗と猫と枕あたりに気をつけたい。
「あぁ、そうだ。それと……」
サダコ姉はスマフォを操作し。
「もしもし~。サダコです~。
次回の件でご相談が~」
――22日目
『この街の議会で、人間社会党があまりに長い間第一党を維持していることは確かに問題だろう!
しかし、だからといって特定種族に強く肩入れする政党の台頭を招くのも危うい!
この街で、この星で!
すべての種族は平等に、その立場を保証されなければならない!』
――23日目
『最近のゴブリンスレイヤーズの話、面白くないんだよな』
『な。やけに政治的っつーか、小難しいっつーか』
『なんだか人間を貶めようとして噂を流した人達がいるらしいわ』
『聞いた聞いた! 怖いわよねぇ!』
『おかしいと思ったんだよ。
突然人間バッシングに内容が変わってさ』
『絶対選挙が近いからだよ!』
――24日目
『最初の頃のゴブリンスレイヤーズの噂はなんだかちょっとわくわくしたんだよな』
『だよな。そんな手段でゴブリンを殺すのか!? って驚きがあってさ』
『娘のバイト先、突然店内が汚くなって、それでみんな気付いたそうなのよ』
『人間のバイト、あなたでしたのね、店内を掃除してたのはって感じかしら?』
『まじ変な噂流したやつ許せねぇよ』
『なんか人間に恨みがあったんだ!』
――25日目
『我々はー! 人間に巣穴を追われた過去があったんですー!
どうかー! どうか我々ゴブリン共同党をー!』
――26日目
『実は潜水艦説言い出したの俺』
『お前かー! いや、もうちょい面白いの考えろよ!』
『村はずれの騎士さん、お嫁さんと喧嘩したそうね』
『見た見た! 顔のあざ! あれは顔隠したくもなるわ!』
『結局人間社会党ってどうなんだ?』
『ブラウンブロアー地区の立て直しとか、わりと評価できるよ俺』
――27日目
『白いワニって言い出したの誰だ?』
『なんか妙なリアリティあったよな』
『火事で店を畳んだゴブリンのパン屋さん、なんでもパン職人修業に出てるらしいわよ』
『修行の前に自分の家を燃やすんだって。
ストイックな文化だけどちょっとかっこいいわよねぇ』
『結局人間の悪い噂流したのってゴブリン共同党か?』
『わかんねぇけど、ホントにゴブリンスレイヤーズにやられなきゃいいな!』
――28日目
『選挙期間も残す所あと3日となりました!
我々人間社会党は、ブラウンブロアー地区の治安改善と、街全体の雇用環境の立て直しを成功させました!
今後はさらに教育に力を入れ、市井の声を神々に公平に届け……』
――29日目
『ゴブリンスレイヤーズの新しい噂を思いついたんだが……』
『お、言ってみ言ってみ』
『ねぇ、奥さん。
あの人間さんのブティック、お安くありませんこと?』
『そうなのよ! 服のデザインもとっても好みで!』
『堕天使の悪い噂を流してる奴らがいるらしいぜ』
『人間の次は堕天使か!』
――30日
『明日31日、日曜日はミストン市議会の代表選挙です。
市民のみなさん、世界を導く神々に市井の声を届けるため、私達の代表を選ぶ大切な選挙。
必ず投票をお願いします』
――31日目
「ほら、終わったでしょ~?」
「ほ、ほんとに終わりました……でも、どうしてこんなにあっさりと……」
驚いているのはキリヤだけではない。
「確かにこんなにあっさり終わるのは驚いた。
だがそれよりも! サダコ姉! なんでわかった!?」
ユウキの後ろではヨッシーも疑念を目で訴えている。
サダコ姉は小さく笑って、解説をはじめる。
「実はこの1ヶ月の出来事、同じような展開が私達の世界でも起きていたのよ~」
「まじで!? こんなん冗談か誇張表現にしか思えんぞ!」
「どこで起きた事件だ?」
「最初に話したじゃない~。オルレアンの噂よ~」
「あのブティックの都市伝説か!」
こくりと頷き話は続く。
「最初はただのエロ本だったわ~。
女性がえっちな犯罪に巻き込まれちゃうってね~。
これに女性たちは純粋な恐怖を、男性たちは物語性を感じていたわ~」
「いつの世も男ってのはそういうもんだなぁ」
「最低です!」
フィクションとわかって楽しむなら許して欲しいものだが。
「で、そこから話が面白い方向、別の言い方をすれば荒唐無稽な方向に進むのよ~。
地下トンネルとかね~」
「この街でもそうなったな」
「で、これと並行してオルレアンでは、ブティックの中でもユダヤ人の経営していたブティックだけが騒がれるようになるの」
「その噂って、いつだ?」
「1969年。戦後24年よ」
「やはりヨーロッパにおけるユダヤ人の時効はまだまだ先になるらしい。
胸糞の悪くなる話ではある」
「と、思うじゃない~? ここからなのよ~」
途中一度深刻そうなトーンに変わったサダコ姉の声が再度盛り返す。
「この特定の民族をバッシングするっていう、政治的内容を含んでしまったのが噂の致命傷となったの~。
それまでの噂は言ってしまえば楽しめるホラーでエロ話よ~。
でもね、ユダヤ人が被害者になるとなれば話は違う。
ヨーロッパの人達は、ちゃんとあの戦争の教訓を覚えていたの。
特にね、そうなってすぐに立ち上がった人のセリフが熱いのよ~!」
『すぐに私は行動をはじめました。
聞き流すことなんてできるはずがありません。
なぜなら私は、同じような出来事をよく知っていましたから』
「うわーっ! 激アツじゃん!」
「キリヤさんに説明するとな、僕達の世界ではそのユダヤ人という人達が、民衆の暴走でひどい目にあった過去があるんだよ。
それもつい最近にな。
この人はその時のことを覚えていたんだ。
そして、二度と繰り返してなるものかと行動を起こしたんだよ」
「それは確かに熱いです!」
ちなみに上のイラストでサダコ姉が読んでいる本は、「オルレアンのうわさ 女性誘拐のうわさとその神話作用 著者:エドガール・モラン 出版:みすず書房」(ISBN:978-4-622-04907-4)である。
定価が4840円と高価なため、お近くの図書館をあたってほしい。
「なら、ユダヤ人、今回で言うなら人間へのバッシングに噂を利用したことが沈静化の理由ってことか?」
「正確に言うならちょっと違うわ~。
今回後半になって突然、この噂を作り出した陰謀論者の噂が出なかった~?」
――なんだか人間を貶めようとして噂を流した人達がいるらしいわ。
――おかしいと思ったんだよ。
突然人間バッシングに内容が変わってさ。
「なるほど。
噂には噂をぶつけんだよってことか」
「その通り~。
著者エドガール・モランは噂のことを神話と呼んだんだけど、ここで最後に噂を駆逐したもうひとつの噂のことを、こう呼んだのよ。
対抗神話、ってね~」
「対抗神話……すごい、まるで魔法みたいです」
目がきらきらと輝くキリヤ。
サダコ姉は軽く微笑んで問いかける。
「ね? 民俗学って面白いでしょ?」
「はい……とっても!」
後方で腕を組みうんうんと頷くユウキ。
「結局、噂を暴走させるのも群衆だが、噂を沈静化させるのも群衆ということか。
その絶妙なバランス感覚が、オルレアンの噂も、口裂け女の噂も、ゴブリンスレイヤーズの噂も全部形作っていたんだな」
しかし綺麗にまとまったように見えて、ヨッシーの表情は暗い。
「群衆も捨てたものではない、が」
そう重く口を聞き、サダコ姉も真顔になる。
「そう。これは決して気持ちのいい終わりではないわ。
噂はまだ続いていく。
その過程でまた誰かが槍玉にあげられ、また誰かが傷ついてしまう。
それに、アイスクリーム屋台のおじさんに補填を行う人は、誰も居ないのよ」
「あ……」
キリヤからも笑顔が消えた。
そう、今回の事件はまさに自然災害。
特定の犯人にすべての責任が背負わされるわけではない。
故に、被害者の無念には行く宛がないのだ。
霧の街ミストンを包んでいた闇は晴れた。
人々は恐怖に怯える毎日から開放されたのだ。
「でも、俺達は何もしていない。何も出来なかった」
「不思議な体験だったな。
オカルトが僕達の前で勝手に生まれ、そして、勝手に消えていった」
事件のはじまりから終わりまでの一部始終を目撃した異世界オカルトチャンネルの4人。
普段は後を追いかけるだけの彼らにとって、産声を上げたオカルトとその恐怖に右往左往する社会をリアルタイムに経験するというのは、はじめての経験だった。
「民俗学的にはとっても興味深い1ヶ月だったわね~。
でも~……」
「全っ然すっきりしません!
こんなオカルトありえない!
こんな、嫌な感じだけ残るオカルトは私嫌いです!」
サダコ姉は民俗学的に解釈することで、この体験をひとつの社会の形として昇華していた。
それはおそらくヨッシーにとっても頷ける考え方であろう。
だが、オカルトの楽しみ方、オカルトの面白さを理解したばかりのキリヤにとってみれば、それはとても許せるオカルトではなかった。
オカルトはすべてを飲み込み、終わった後は何も残さない空虚な存在。
なのに今ここに残っているのは、べっとりとした後に引く嫌な感覚だけなのだ。
「怪談というくくりで言えば見事だと言わざるをえない。
家に帰るまでが遠足だみたいな話はガキの頃に聞かされたが、俺に言わせれば日常生活から恐怖が消えるまでが怪談ライブだ。
怪談を聞いてしまった後、無性に一人で居る時間や夜の闇、背中の向こう側が怖くなってしまう感覚。
それらを楽しんでこその怪談だ。
今回の事件をただのオカルト都市伝説ではなく、体験型怪談と考えればむしろこれからが本番だとも言えるな」
「私、怪談は嫌いです!」
「あぁ、そうだな。
今回ばかりはキリヤに同意だ。
怪談はエンターテイメント。
リアルであっては困る。
今回の件は俺が体験談として話すなら最高のネタかもしれないが、それをこんなにも大勢の人達が当事者として体験することは、あってはならないと思うよ」
それでも終わってしまったものは終わってしまった。
今ここに、ミストンを恐怖のどん底に突き落とした殺鬼人の恐怖は雲散霧消したのだから。
だが本当に、ただのオカルトマニアで動画配信者でしかない彼らにできることはもう無いのだろうか?
今回の物語は、ここで終わってしまうのだろうか?
「そう、ここからよ。
ここからが本当の反撃開始よ」
「なるほど。ようやくサダコ姉の意図が理解できたよ。
俺はまたてっきりトンチキなことを言い出したとばかり思っていたぜ」
「やれやれ。ならば致し方ない。
僕も覚悟を決めよう」
「え? えっ!? 何!? なんですか!?」
困惑するキリヤにサダコ姉はファイリングされた資料を差し出し、挑発的にユウキに振り向く。
「ここで終わりで良いのかしら? 良いわけないわよねぇ!」
「当然、ここで終わるわけがない!」
「もちろんだ。
すべての準備は整った」
資料をめくるキリヤの手が加速する。
その瞳にいつものアホ面を超越した輝きが宿る。
「サダコお姉様! これは!」
サダコ姉はにやりと笑って両手を広げ。
「この街でしかできない、私達なりの戦い方というものを教えてあげましょう」




