休憩はしたい時にできないもの
気付くと、また真っ暗な空間にいた。さっきいた鳥籠と違って、ここは湿ってベチャベチャしている。そして床に弾力がある。まるで口の中に放り込まれたみたいだ。
「ツイてないなぁ……。体が粘っこいし、お腹も空いちゃった。疲れてるし、まだ眠いよ」
ここはゆっくりくつろげる感じではなさそうだ。こんな空間で一人蹲っていると、さすがに寂しくなって涙がジワジワ浮いてくる。
「お師匠さま……助けてよ」
なんだか浮遊しているような感覚もある。
「フワフワしてて気持ち悪い。ヤバい……吐きそぅっ」
そう言った途端に辺りがブルブル震えだした。
「なになに?」
慌てて床をつかもうとするが、不安定でやわらかくヌルヌルしているので滑りこけただけだった。突然パッと明るくなり、真っ暗な空間からズルンと押し出される。着いた場所はお師匠さまの自宅に作られた作業場だった。
「ハル!大丈夫かい?」
金髪翠眼、優しげな目元をした私のお師匠さまが、急いで駆け寄って来てくれた。ホッとして腕の中に飛び込む。今日もお師匠さまは、ほのかに良い匂いがする。
「ハル……くさっ!」
「ひどい!お師匠さまのおつかいに行ったせいで、散々な目にあったのに。」
「寄り道したからでしょう。僕はおつかいが済んだら、すぐに戻るように伝えたはずだけど」
「うっ……」
冷たい声でお師匠さまが言う。痛いところをつかれて言葉が続かない。
「とにかく臭いから、シャワーで体を清めてきなさい」
「……はい」
普段は優しいお師匠さまは、怒らせると結構怖い。ここは大人しく言うことを聞いておこう。
「ふぅ……生き返る……」
暖かい湯船に体をつけると、先ほどまでの出来事が遠い日のことに思えてくる。お師匠さまからはシャワーだけと指示されていたけれど、もう今日は何もしたくない。できることなら、このまま眠りたい。お師匠さまが作業を終えるまで、休憩室でのんびり時間を潰していようと思っていたが。
「ハル! 魔物対策課から緊急呼び出しが入ったから、すぐに出る! 作業場の片付けを頼む」
慌ただしく出かけていく音と、扉が閉まった音がした。
「ラッキー! お師匠さまが出かけたからダラダラ過ごそう」
このあと予定されていた作業がなくなり、嬉しくなった私は浴室から出た。魔物対策課から連絡があったということは、また魔物でも現れたのか。それにしても今日は災難な一日だった。
自分は安全圏にいるため、魔物用の罠にかかったことも、魔物から食べられそうだったこともハルにとっては既に他人事だった。
お師匠さまが帰るまでに使った物の後片付けを済ませ、いつも遊んでいる的当てをしようと用意を始めた。この的当ては、魔法の練習用にお師匠さまが用意してくれたものだ。遊びながら魔法が学べるため、大好きな特訓でもある。人差し指を的に向け、意識を集中させて魔弾を放ち、的に当てるのだ。当たった時にパシュッと乾いた音がするのが気持ち良い。
的の中心に当てられたら、何でも好きな物を買ってくれる約束をお師匠さまがしてくれたので、練習にも気が入る。
「よーし!」
人差し指を壁に向けて小さな魔弾を出すと、フヨフヨと的まで飛んでいき、中心から15センチくらいのところに当たった。中心に当てるまで、道のりは長そうだ。それにフヨフヨ飛ばすのではなく、お師匠さまみたいに鋭くドシュッと当てたいのだ。
「最近、街で流行っている派手なスイーツが食べたかったのに」
普段はお師匠さまが、いつでもお腹を満たせるようにと作業場に色々なスイーツを用意してくれている。だが、普段のものとは違う新しく珍しいものも食べたいというのが乙女心ってやつだろう。
そういえばお昼ご飯を食べていなかった。作業場を見渡すが、スイーツが置かれていない。
「……さっき少し怒っていたから、罰として隠されたんだ」
寂しそうにお腹がクルルとなる。
仕方なく水でも飲もうと踵を返すと、扉が開いた音がした。
「お師匠さまがもう帰ってきたのかな?」
振り返る前に後頭部に衝撃が走った。もうこの展開は懲り懲りなのに、意識が暗転した。
次に目を覚ますと、目の前に両手両足を縛られ転がされたアランがいた。といっても、私も同じ状態だ。魔導車に載せられているのか、ゴトゴトと絶えず振動している。
「なぜお前がいるんだ」
「それはこっちのセリフです」
鳥籠に捕まっていたときは気づかなかったが、アランは紫紺色の瞳が印象的な美青年だ。肩までありそうな黒髪を後ろで結んでいる。シャツに少しシワがあっても、見た目が良いから似合っている。状況を忘れてボーっと眺めていると自然と睨み合うかたちになり、居た堪れなくなったので、そっと目を逸らした。
「お前は結局何者なんだ!」
「私は魔物対策課で働くお師匠さまの弟子です。」
「なんだと?そのお師匠さまとやらの名前は?」
「スイです。ちなみに私はハルです」
「……は?」
ゴトンと大きな音を立てて魔導車が止まった。ドアがあくと、二足歩行の大型トカゲの魔物によって担がれ、どこかへ運ばれる。着いた場所は結界が貼られた大広場だった。辺りを見渡すと、他にも同じように両手両足を縛られている人達がいる。それぞれ、悪態をついたり不安そうに身を寄せ合ったりしている。
「とんだ変態野郎がいたもんですね」
「まったくだ」
大型トカゲに乱暴に床へ転がされたその時、大広場内に甲高い笑い声が響き渡った。