名ばかり聖女は田舎に帰りたい
「コーネリアス。貴様との婚約を破棄する!」
それは、ある日の王城でのパーティーで起きた出来事でした。私の婚約者である王子。クリストファーが声高らに宣言したのです。
「何故ですか?」
「知れたことを!サマンサ、前へ」
クリストファーの後ろに隠れていた女性が顔を出します。情熱的な真っ赤なドレスを身につけた長身の彼女はくすりと笑いながらこちらを見つめていました。
「お前は、俺の寵愛を受けるサマンサに嫉妬し、彼女に酷い嫌がらせをしたそうじゃないか。これだから卑しい生まれの者は……だからお前はこの国の国母に相応しくない!」
「嫌がらせなんて私しておりません……その女性とお会いするのも初めてで……」
「なんと白々しい!可哀想なサマンサは俺に涙ながらに貴様の非道を訴えてきたぞ。叩く、私物を隠す。時には命を狙うようなことをしたそうじゃないか。なんて悍ましい!」
全く身に覚えのないことに私は反論の言葉すら失っていました。そもそも私はクリストファーを愛してすらいない。そんな私が嫉妬に駆られて見ず知らずの女性をいじめる?訳がわかりませんでした。
「ねぇ、殿下。どうすれば婚約破棄は認められるの?」
クリストファーの肩に寄りかかり、サマンサは妖艶に微笑みました。
「この場にいる者たちの賛同を得られればいいのさ……。さぁ、この婚約破棄に賛同してくれるものは拍手を」
まるでスコールのように、会場は割れんばかりの拍手に包まれます。どんな手を使ったかはわかりませんが、この会場にいる者たちはもうすでに買収済みということでしょう。
クリストファーの臣下が私に乱暴に書類を押し付けてきました。
「あとは、お前が署名するだけだ、素直に従えば、命だけは助けて田舎に送り返してやる」
私は、うずくまると涙を流すふりをして、笑いそうになっている口元や頬を両手で必死に抑えていました。
帰れる。田舎に帰れるんだわ!
私は、田舎にある孤児院で育ちました。この世界では七つになると自身の魔法の適正を測れるようになります。私は七つのとき、光魔法の適正があると言われてしまいました。光魔法は非常に強力な魔力。私はすぐに大教会に引き取られ、厳しい研鑽を受けることになりました。
でも私にあったのは適正だけで、魔法を使うための才能がまるでありませんでした。ついたあだ名は「名ばかり聖女」。
私に使い道がないと分かった教会は、権力争いをしていた王家への牽制の一環として、私をクリストファーの婚約者に祭り上げました。それから始まったのは厳しい妃教育。
月に一度顔を合わせをするクリストファーは、私のことを毛嫌いしていました。穢らわしい田舎生まれの平民。会うたびに冷たい目で見られ、すれ違いざまに唾を吐かれました。時には殴ったり蹴られたり。そんな相手に、どうして恋心を抱けるというのでしょう。
そんな日々に耐えてこられたのは、ある約束があったからです。田舎の孤児院には、初恋の男の子がいました。ちょっとやんちゃで乱暴者だったけれど、いつもメソメソしていた私の腕を引っ張って、いろんな景色を見せてくれた幼馴染の男の子。
あの頃は楽しかった。かくれんぼ、鬼ごっこ、陣取り……。いろんな遊びをしました。私が教会に引き取られる日。男の子は私に言いました。
「必ず、迎えにいってやる」
きっとそんな約束。男の子は忘れてしまっているでしょう。それでも私は彼が迎えにしてくれることを夢見て、辛い日々を耐えていました。でも、そんな日々は彼の迎えを待たずして終わってくれるようです。
彼は私のことを待っていないでしょう。でも彼と過ごした楽しい日々のある田舎に帰れる。それだけで私は十分でした。
私が震えた手で書類にサインをすると、臣下はそれをクリストファーに持っていきました。
サマンサは満足そうに彼から手渡された書類を眺めています。
「ねぇ、殿下。これで聖女との婚約破棄は成立したの?」
「ああ、それどころか。彼女はもう聖女ですらないさ。ついでに教会の除名書類も書かせたんだ。あいつは君をいじめた悪女だ。下手に教会を抱き込んで、妙な復讐をされたら困るからね」
「ふうん。この書類は絶対よね?覆ったりしない?」
「どうしてだい?」
「だって、万が一でもコーネリアスが貴方の婚約者に戻ることがあったら困るもの」
サマンサがじぃっとクリストファーを見つめると、彼は満足そうに彼女の腕に手を回します。
「安心しろよ。サマンサ。この書類は公的なものだ。覆ることはない。あとは君と僕とが新しく婚約するだけ。そうすれば君こそがこの国の国母となる」
その手が腰に回りきらないうちに、サマンサはぱっとクリストファーの手を払い除けました。
「そう。よかった!」
呆気に取られるクリストファーをよそに、サマンサはドレスの裾をはためかせながら壇上を駆け下り、私の元まで駆けてきました。
何か嫌味でも言われるのでしょうか。なんでも受け入れましょう。だって、彼女のおかげで私は帰れるのだから。
顔を上げると、サマンサはさっとその場に跪きました。
彼女は地面についていた私の手のひらをそっと持ち上げるとと、その手のひらに口付けをしたのです。
何が起こったかわからず、呆けたままでいる私に、サマンサは美しい顔で微笑みかけました。
「まだ分からない?コーネリアス」
問いかけられ、まじまじと彼女の顔を見つめます。こんな美しい人。一度見たら忘れられないと思うのですが……。彼女の美しさを引き立てる濃い化粧。アイラインの奥にある瞳の中にくっきりと私が映っていました。
「彼女」を知らなくても、その光景に私は見覚えがあります。はるか昔、私をいつも導いてくれた黒曜石のような瞳。
「サミュエル……貴方なの?」
「言っただろう。迎えに行くって」
歯を見せて、屈託なく微笑むその顔は、忘れもしません。私の初恋の男の子サミュエルでした。私は彼の胸に飛び込みわんわんと声を上げて泣きました。
「会いたかった……ずっと。ずっと……」
「遅くなってごめんな」
サミュエルは私の頭を撫でると、抱き抱えるようにして私を立ち上がらせました。
「何してるんだサマンサ!戻ってこい」
クリストファーが焦ったように壇上から呼びかけます。それはそうですよね。今の今まで彼にとっては私は元婚約者で彼女はその恋敵。その二人が抱き合っているのですから。理解なんて追いつかないはずです。
サミュエルはコホンと一つ咳払いをすると、私を抱きしめたまま、クリストファーに一礼しました。
「申し訳ありませんが、殿下。貴方との婚約できませんわ」
美しいその顔、真っ赤なルージュを引いた唇から出た低い声にクリストファーは呆然としたように固まっておりました。
「ああ、それと。この書類をもらって行きますよ」
サミュエルが天高く婚約破棄の書類を掲げますと、一陣の風が吹き、私たちの体は天井高く舞い上がりました。彼はそのまま天窓を蹴り飛ばし、私たちの体は屋外に飛び出しました。
悲鳴を上げる私をしっかりと抱き留めて、サミュエルは高く高く登っていきます。
「浮遊魔法なんて高等な魔法を使えるなんて……」
「特訓したのさ。お前を迎えに行くためにできることはなんでもしたんだよ」
「なら、もっと早く。一思いに攫ってくれればよかったのに」
「それも、考えたさ。でも王家も教会もや執拗だ。婚約者と聖女を奪われたと知れば、威信にかけてどこまでもお前を追いかけてくるだろう。だから、どちらも自らお前を手放させる必要があった」
「それで婚約破棄させるために、女の子格好して殿下を誘惑したの?」
「ああ、最高に気持ち悪かったけど、クリストファーって言ったけ?ちょっとチヤホヤしたらすぐに俺に惚れたぞ」
「でも、こんなことしてそれこそ追われない?」
「男の色香に騙された王子とそれに騙された教会なんて知れること自体奴らにとっては不名誉だろ?事実が明るみに出ることを恐れたら追ってはこれないさ。ここにその証拠の書類もあるしね」
頼もしい胸に顔をうずめる。女の子みたいな薄い香水の中に彼の懐かしい香りを感じる。私は思わず笑ってしまった。私、女の子みたいな男の子に抱かれて空を飛んでいる。
「何で笑うんだよ」
「だって貴方が可愛い女の子になって私を迎えにくるんだもん」
サミュエルは少しむすっとして私の顔を覗き込む。ああ、懐かしい。その拗ねた顔。おかしそうにクスクスと笑い続ける私に彼はため息をつく。
「田舎に帰ったら、思い出させてやるよ。俺が、ちゃーんと男だって」
「ふふ、どうやって」
すっと、不意に唇に何かが触れ、私は押し黙ってしまった。
「……分かるだろ」
月明かりに照らされて、彼の顔が赤くなっているのに気がついた。きっとそれは私もそう。
胸の鼓動が早まる。あんなに帰りたかった田舎にはまだ着かないでほしいと思ってしまった。だってまだ。彼を知るための心の準備ができていない。それに、
今はただ、この美しいままの彼と、空の旅を続けたかった。
おわり