93.湖上の遊覧
「あー……はいはーいなんか色々分かったからその辺にしとくさー。とりまメシでも食いに行くか?」
その後も延々と続く二人のやり取りに、いち早く思考を切りかえたジーノがナイスな提案を出してくれる。
たしかに太陽の位置はとっくに真上を過ぎていた。
そろそろボク――【イオリ】のお腹も鳴りはじめる頃だし、なんならとなりからはすでに景気のいい音が聞こえてきている。
「俺はいらね。テメーらだけで食ってこいよ」
みんなが頷きあう中、しかしアルゴだけがボクたちに背を向けた。
「え……まさかオレを置いて帰るとか?」
「え、竜巻の人どこ行くの?」
ジーノとセージが同時に上げた声に、アルゴは一瞬だけセージをチラ見するも、すぐにそっぽを向いてしまう。
「んなわけねーだろ。テキトーにその辺飛んでくるだけだよ」
『……とぶ??』
プライベートジェットでも乗りつけてんのか、アンタは。
今のところこの世界でそんなテクノロジーが発達しているような気配は感じられないのだが。
よもや風の谷仕様のヤツじゃあるまいな?ナニソレロマンティックがあふれてる。
謎ワードに、セージとともにロマンとハテナマークを浮かべていれば、そんなボクたちを眺めていたレイがクルリとアルゴの方を向く。
「それならアル、この二人も乗せて飛んできてくれない?」
「ハ?」
『へっ??』
ニッコニコの笑顔で謎ワードをカチ込むレイに、さすがのアルゴも目を見開いている。
が、レイにとってはそんな反応などお構いなしだ。
「ほらこの人数だし、外で空いてる席探すよりも借りてる宿坊でゴハン作った方がいいかなって。これから買い出しもするとなるとそれなりに時間もかかるし、この二人のお腹も空く一方でしょ?」
「ハ……ンなこと言っ……あ……」
そのまま一方的に口上を述べながら、さり気なくススッと距離を詰めると、アルゴの手を取り己の口もと近くへと寄せる。
「……だから、ね?アルゴに頼みたいんだ」
「うぅ……くっ……」
至近距離からのお願いに、アルゴが大変に困惑している。
その横で、ジーノがのんびりとした声を上げた。
「おー、いいなそれ。さっきウマそーなキャベツ見かけたからそれ買ってこーぜ」
「ロールキャベツ!レイ兄っオレロールキャベツ食べたい!」
「んん、またキミは知らない名称を出してくるねぇ。どんな料理?」
キャベツに反応したセージが瞬時に最高のリクエストを提示するのに、レイは苦笑しつつもその要望を受け入れてくれるようだ。
「そんなら、今朝捌いた鴨も出すか」
「爺様が燻製にするって持っていったから、まだ食べられてないはずスよ」
後ろからヤカラとロンもノッてきた。
ワチャワチャしだした状況のせいか、それともレイの笑顔に負けたのか……さすがにもう断れないと判断したのだろう。
「……べつにいーけど……ソイツらがいいってんなら、俺は」
不承不承ながらも頷いたアルゴを満足そうに見つめると、レイは次の標的へと向きを変える。
さて、お次はボクらの番か。
来るならこい、覚悟ならとっくにできている。
「――ねぇ、セージ、イオリ……」
ボクたちの目線に合わせて屈んだ、フードの下のエメラルドが妖しく笑う。
悪魔にささやかれるとは、きっとまさにこんな感じなのだろう。
だがしかし、そう簡単に籠絡できると思うなよ?
買い物がてらのちょっとした買い食いの権利をやすやすと手放すワケには――……
「……空、飛びたい?」
『飛びたい!!』
***
『ファーーーーッ!!』
人っ子一人いない雄大な大渓谷の上を、太陽を背負い滑空する。
全身に風をまとい、縦横無尽に宙を飛びまわる様は、まさに鳥になったと言っても過言ではないだろう。
こんなF-1並みにかっ飛ばす鳥が実際に存在するかは定かではないが。
アクアマリンの水を悠然と湛えた幾重もの段々を眼下に捉え、時にはその水面スレスレを薙ぐように並走し、時には遥か上空からその地平の彼方までの広大な景観を堪能する。
いや、実際は堪能したかった。
こうもしきりに急上昇に急下降、急旋回をくり返されては落ち着いて景色も見れやしない。
「……っちょっ、ゆっくり……!もっとゆっくり飛んでぇーーっ!!」
胸のあたりから不快感がこみ上げるのに、ボクはたまらず声を上げアルゴにしがみついたのだった。
・・・・
――『鳥のように大空を自由に飛んでみたい』
そんな太古の昔から人類が胸に抱きつづけてきたロマンを眼前にぶら下げられたら、ボクとセージが食いつかないワケがない。
アッサリと悪魔に魂を捧げ渡し、ボクたちはみんなと別れてアルゴについていくコトとなった。
坂道を下り、下の広場の門を出て辿り着いたのは、今朝も訪れた湖だ。
前代未聞の神秘が現れたせいで立ち入り禁止となった湖には、今も進入を拒むためのロープが張られている。
なのに、アルゴはそれをためらいもせずにくぐり抜け、さっさと先へと進んでいくではないか。
大声で呼び止めるワケにもいかず仕方なく後をついていく。
湖畔に沿って延々と進み、だんだんと木立も疎らとなった頃、アルゴはようやく立ち止まった。
「この辺りでいいか。おいオマエら、そこに並べ」
「えぇと、ヤキいれられるん?」
「ぜってー保護者に言いつけっからなー」
「しねーよ」
いったい何が始まるというのか。
見回したところ乗り物のたぐいはないようだが……
ここまで来ておいて今さらだが不安になる。
アルゴとはこんな顔をしておいて、あのヤカラのケンカ相手が務まるほどなのだ。間違いなくボクらなんて足もとにも及ばない。
助けも呼べない逃げきれない、誰も来ないの三拍子だ。
ボクたちのカタキをとってくれるアテはあるものの、できれば無難に生き延びたい。
戸惑っているあいだにもアルゴはさっさとボクたちの後ろにまわりこみ、両腕で囲むようにボクらの胴体をつかむ。
『……ぬ?』
「暴れんなよ、あと舌噛まないよーにしとけ」
ボクたちの頭の間から顔を出し、すぐ耳もとで囁くアルゴのセリフに、なんだか妙なデジャヴがわいたその時、風が起こった。
それはあっという間に壁となり、ボクたちを中心に渦を巻く。
「たっ竜巻の人ぉっ!?」
「ヘンな呼び方定着させんな」
取り込まれた木の葉が激しく旋回する。
突如として妙な浮遊感を覚えたのも束の間に、フッと足から地面が離れていった。
芽生えた喪失感を味わう間もなく――……
ボクらを取り巻いた空気の渦は――かっ飛んだ。
かくして――
絶景であるハズの何もかもがビュンビュンと高速で過ぎ去ってゆく、ロマンあふれる飛行体験は、残念ながら絶叫以外の何ものでもなかったという。
先述のボクの上げた願いが届いたか、アルゴは進路を変えるとその辺の切り立った崖の上に着地する。
与えられた地面のありがたさに五体投地のいきおいで転がった。
「すっげぇ!ジェットコースターみてーだった〜!!」
「そうなんだ、初めて体験したよ……」
グッタリとしたボクの横でセージがキャッキャとはしゃいでる。
乗ったことはないが、きっと世界中のどんな絶叫マシーンもこのアトラクションには敵うまい。
しばし荒い息をととのえている間も、アルゴは崖の先端に腰かけて、ボクたちの様子を黙って眺めていた。
「アッくんスゴイな!さっきのなに?どーやったん??」
セージの秘技、秒速懐きに、アルゴはユルリと視線を向ける。
「……どーもこうも、そーゆーイシマトイだから」
「おぉ〜そーゆーイシマトイだったのかぁ〜!」
「まー、それぞれ違うモンだからな」
おや、意外にも怒らないのか。
アルゴの気性からして絶対、気安く呼ぶんじゃねーっとか、話しかけんなーっだの、言うと思ったのに。
グイグイ距離を詰めるセージに若干、身を反らし気味ではあるものの、眉間にシワを寄せるコトもなく淡々と応対している。
案外そこまで短気ではないのかもしれない。
「へ〜、違うのかぁ。レイ兄の氷のヤツもすっげぇキレイだったけど……」
「あ?アイツ能力使ったのか?……チッ、あのバカ」
訂正、やはりアルゴはアルゴだった。
個人的にその顔に眉間のシワを刻まれるとメンタルにもダメージが刻まれるのでヤメてほしいのだが。
自身のウッカリ発言にピャッとなるセージだけど、それでもアルゴから離れず、そっぽを向いてしまった彼を見守っている。
「……アイツはな、前からテメェの限界無視して突っ込むよーなバカだからよ……オマエらもしっかり見とけよな」
「アッくん……」
ソヨリと吹いた風に、アルゴの声は流れる。
セージもそっと、呼びかけを風に乗せ。
「オレはセージだよっ、そんでこっちはイオリな!オレたちもヤカ兄も、みーんな一緒にいるから大丈夫だよ!」
少し重くなったムードまで風に流したセージの明るい声にも、ハ、とアルゴは息を吐く。
「そーかよ」
短く流れたその声は、ほんの少しやわらかく感じた。




