90.祈りを撚る 其の三
たった一人が現れただけで、さっきまで賑やかだったその場がピタリと静まり返る。
「……ヤカ兄」
怯えるように、セージがその名を呼んだ。
・・・・
時刻はちょうど昼に差しかかったか。
この広場もだいぶと賑わい、さっきまで遠巻きにされていたボク――【イオリ】たちの周りも、騒ぎが収まったと判断されたか、人通りが増えていく。
なのにボクたち自身はまだ、周りの和やかなムードに溶け込めないでいた。
今しがた噴水の前に現れた彼に、注目が集まる。
今日はいつもの多彩な刺繍で縁取られた民族衣装ではなく、ロンと同じく簡素な服装でフードを目深に被っている。
これは人目を避けるためにだろう。
ただ彼の場合、高身長のせいで逆に目立つんじゃないかと思わなくもないようなあるような……威圧感も増しているような?
良くも悪くも、ヤカラはヒトの目を引く存在だものな。
かと思えば、普段は不思議なくらい周囲に溶け込んでいるようにも思うし。
もしやオーラ的な何かをコントロールしているとか?
――と、ヤカラについての考察は後にしなければ。
「おーう、随分とガタイのいいニィさんさー」
口火を切ったのはそれまで黙っていたジーノだ。
ヤカラを前にたじろぐコトもなく余裕の笑みを浮かべている。
ギロリ、と擬音が入ってもおかしくないような視線を向けられたのに、怯む素振りも見せないとは……なかなかやるな。
「あ?誰だアンタ」
「オレはジーノ、一応レイの顔馴染みさ。元気でやってるか見に来たのさ」
バカ正直にレイの名を出すが、ヤカラは敵に対して容赦はしない男だ。
「そうか、俺ぁヤカラだ。アイツならそのうち来るぜ」
そう。事も無げに告げるとドカリと噴水に腰掛けて……って、おや?
想定外な対応に、思わず固まるボクたちをヨソに、ヤカラはクアリとアクビする。
あまりにもアッサリと教えるのに、ジーノが気まずそうに頬をかいた。
「あー……と、いいのか?アンタのお仲間は必死に隠してたみたいだけど」
「アンタはアイツの仲間なんだろ、なら構わねぇよ。つっても顔晒すのは勘弁だが」
淡々と答えるヤカラの横で、ボクはコソリとロンに耳打ちする。
「なぁ、あの二人ってこの町の教会に目を付けられてるんじゃなかった?ロンも追われてるんだろ?」
これに対してロンは周囲を警戒するでもなく、あっけらかんと返してきた。
「ん?別に追われてなんかないスよ?悪い事してないもん」
「はぁあ?じゃあ何だってコソコソ顔隠してんのさ」
思わず声を上げたボクの疑問に、何が恥ずかしいのか、ロンはモジリと俯いた。
「そりゃ〜そうスよ……あんだけ目立ったんだから。これ以上は勘弁ス」
……しばし思考が停止する。
うん、整理しよう。
まず、ロンたちは悪い事をしていない。
この町の教会と信仰のシンボルである湖を共有していることに、イチャモンをつけられただけで、一応、この件は神竜の使徒こと無自覚イケメン共のおかげで解決はしたらしい。
しかしボクが懸念していたのは、このあとの展開だ。
ボクはてっきり、この協定に納得なんかしていないであろう【事の発端者】が、ロンやレイたちを狙って誘拐なり嫌がらせなりを仕掛けてくるのだろうな、と思っていた。
だってそうだろう?
相手からしたら、ゴシップを流したり地位を利用して周到にロンたちを追い詰めていたのに、いよいよ大詰めかなーってタイミングで、神竜を後ろ盾にイケメン共が現れ、あっさりと台無しにしていったんだもの。
見事なザマァ展開だが、相手はさぞかし理不尽な思いをしただろう。
もしボクがその相手の立場だとして、仕返しを企むならば、まずは外堀から攻める。
ボクとセージはそれこそいいエサになるだろう。
だからこそ、レイはボクたちに釘をさしたのだと思っていたのだが……
それがロンの言い分だと、目立ちたくないから隠れているだけ、みたいな?
そー言われると、レイの指示もそーゆー意味としか思えなくなるのだけど?
チラリとヤカラに視線を移せば……中身は豆菓子か何かだろうか。
どこから出したのか、片手に持った袋に手をつっこんでボリボリとほおばっていた。
そのふてぶてしい態度は、とても奇襲に身構えているようには見えない。
「なんだ、言わなかったか?俺等は人目につくのを良しとしねぇんだわ。捕まったら面倒だろうが」
「そーそー、すでにどこからか情報が漏れていたみたいスもんね。根掘り葉掘り聞かれるとかマジ迷惑スわー」
「いや、そっち!?」
セリフが完全に裏稼業。
……じゃなくて。
なんだ?
要はカミサマ降臨とゆー、一大イベントを起こしたのが山岳民だと一般信者にバレたから、突撃取材されないようボクたちに口止めしておいた、ってコトか?服装まで変えて。
……え、それだけ?それじゃあボクは、追手じゃなくて追っかけを警戒してたってこと?そこそこ有名なアーティストじゃあるまいし?
追われんのも疲れたしな……、と切なげに呟くヤカラが少しばかり憎い。
報連相は社会人の基本じゃなかったのか、知らないけど。
「よく分かんねーけど、取り越し苦労で済んでよかったのさ、な!」
「ソーデスネ……」
ガックリ落としたボクの肩を、ジーノがポンポンたたいて慰めてくれる。
なんだよ、敵じゃないならただのイイヤツじゃん。色々腹黒いコト考えてゴメンな!
「……ヤカ兄」
なにはともあれ、懸念は払拭された……と、そう思ったのに。
ヤカラの前に歩み出たセージの顔は暗く、憂いに満ちていた。
・・・・
「ヤカ兄っ……!」
セージが切なげに、その名を呼ぶ。
いつになく真剣なそのまなざしは、まっすぐにヤカラの持つお菓子を見つめていた。
ヤカラが無言で、ちょうどつまんでいたお菓子をセージの手もとに持っていけば、セージはちょっと屈んでパクリと食いつく。
しばし、モグモグしてからひと言。
「……ちがうっ!」
なんか違ったらしい。
セージはふたたび、キッ、とヤカラを見据えた。
「ヤカ兄……オレ、ヤカ兄のことそんけーしてるよっ」
「ん?……おう」
「強いしデカいし、カッコイイし……」
「……そーか」
「おかあさんみたいだし」
「……そーか?」
褒めてるのかどうだかよく分からないセージのセリフに相づちを打ちながらも、両手を添えて寄ってきたロンにお菓子を分け与えるヤカラ。
公園でハトにエサをやるオッサンじゃないんだから……とか思いつつも、ボクの方にも手を向けてくるのでありがたく頂戴する。
手のひらいっぱいに乗せてくれたお菓子をジーノにも差し出せば、嬉しそうにお礼を言われた。
「だからオレは信じるよ……ヤカ兄が犯罪に手を染めたのも、なんか大事な理由があるんだって。そりゃ……ヤカ兄に罪を着せられたのは悲しいけど」
「あ?」
「なんか流れ変わったさ?」
平和な公園の情景だったのが、突如として不穏なムードに切り替わる。
あたりにポリポリ音が響く中、セージだけが悲痛な面持ちでこぶしをにぎりしめ、ヤカラも眉間に深いシワを刻みながら、ただひたすらにボリボリ咀嚼している。
「でも、オレ覚悟決めたから!ヤカ兄と一緒に罪を償うって……だからヤカ兄……自首してっ!!」
ついに大きな声で世界の中心から、セージが叫んだ。
一拍おいて、ザワザワザワッ――と辺り一帯もどよめく。
周囲の視線が一斉にボクたちに突き刺さる中、ヤカラが胡乱な目つきを向けてくるのに、ボクは首を左右に振る。
促されてもないのに、ジーノもフルルと横に振り、その反対側ではロンが首をナナメに傾げた。
さてと……どうしようか。
セージの頭の中で何がどーしてこーなったのかはいっさい不明だが、ただでさえフードを被った大男なんて怪しまれるというのに、コレはマズイ。
ボクは口の中のお菓子を食べ終えてから、コホンとひとつ咳払いをする。
「……もーっ探偵ごっこはオシマイだって!みんな捕まったんだからーあきらめなって、な!」
「エッアッウン、そースよ、もう勝負はついたっス!追い詰めたスよ!」
つとめて明るい声でロンに振れば、戸惑いつつもボクに調子を合わせてくれる。
キョトンとした顔で何か言いかけたセージに向かって、ヤカラが大きな手を伸ばすのが見えた。
「そーそー、犯人役は大人しく負けを認めて自首するさー!」
一緒にジーノもノッて、三人でセージとヤカラを取り囲み、大きな身ぶりでワイワイ騒いでいれば、ザワついていた人々も納得したのか、ほうぼうに散っていく。
ふぅ、どうやら無事にごまかせたようだ。
一応アヤシイ人物はいないかさり気なく周囲をチェックしてから、ゆっくりと顔を戻してみれば。
「それで……何をどー勘違いしやがったんだ、アンタは」
噴水に腰掛けたヤカラのその足もとで、口いっぱいのお菓子にモグモグしながら、セージが地べたの上で正座をしていた。




