9.始まりの地 其の四
『ココはドコだぁぁぁぁぁっ!!?』
「ぁー」
「ぁー…」
遠く聳える山々に、オレ――【セージ】と綾ノ瀬イオリの叫びが気持ちよ〜く木霊する。
「ご近所迷惑だからやめなさいっ」
続いて降って湧いた声とともに、ゴツゴツンっとオレたち二人の頭頂に衝撃が走る……が、あまり痛くない。
「ったく、朝早くから元気だねぇ……キミ達は」
叩いた拳を弛めながらも、レイは目を細めた。
「でもまぁ…これで少しは、違う世界に来たって実感が湧いたんじゃない?」
そう言って、レイは自分たちの視線と同じ方向を見やった。ヒンヤリと過ぎていく風が気持ちいい。
そう―――オレたち三人は今、昨夜寝泊まりした家の真裏に来ているのだ。
あのあと一晩ぐっすり眠り、朝も早くにレイに起こされたオレと綾ノ瀬イオリは、まだ眠い目を擦りながら朝食のパンとスープをおかわりし、レイに外を見に行こうと誘われての今、である。
いや〜…まだ頭がぼんやりとしている中で連れ出された外の光景に、一瞬でその目が覚めちゃったよ……。
なだらかに広がる緑の絨毯が〜…と、ここまでは昨日の窓の風景と同じなんだけど、今日は窓から見えていた方とは反対側に来ているんだよね。
そこで悠々と広がるのは、青々とした草原だった。海みたいにだだっ広くて、草が波のようにさざめいていて…思わず本当に泳げちゃうんじゃないかって思ってしまった。
遠くに見える山脈はエンピツみたいに尖っていて、てっぺんは微かに白くて…それこそ目が覚めるくらいキレイな景色で………と、そこまでは良かったんだけど……。
その付近を鳥のようなものが飛んでいるのが見えるんだけど……遥か遠くで飛び回っているであろうハズのソレを、なんで目視出来るんだろーな…?
まだ寝惚けていて、遠近が掴めていないのだろーか…。
それに、麓の草原に点在している小さな林の陰から人が………ヒトのような何かがゆっくりと歩き出してきたんだけど…………。
「……ナニアレ……ヒト…じゃないのに二足歩行してるんだけど」
「あれは通称 "森の番人" と呼ばれている種族だね」
「……ねぇ今……あの山にいる大っきい鳥が、何か白いの吐いたんだけど……」
「鳥じゃあなくて竜ね。炎でも吐いたんじゃないかな」
呆然とする綾ノ瀬イオリと、プルプル震える自分のそれぞれの呟きに、レイはそれぞれ答えていく。
「……っじゃぁあなくってぇえっ!!」
ついに堪えきれなくなったオレは、振り向きざまにレイの腰を引っ掴む。
「何あの生き物っ!?ってか竜いんの!?ってか何ここっ地球じゃないの!!?」
ガクガクと揺さぶってるつもりがレイは微妙に揺れるだけだった。
微塵のダメージも見受けられない。
「だから……キミ達にとっての異世界だって。昨日言ったでしょ?もしかしたら人間以外の種族は見慣れてないのかもと思ったんだけど……合ってたみたいだねぇ」
レイはニヤリと笑う。してやったりだ。
「いないっつーか漫画ン中っつーか!?!?待って!どうなってんの今!!?」
オレはもう、すっかりパニックに陥った。
***
俺――【レイ】が、ポンポンっと肩を叩いてみるも、セージは気付く様子もない。
こっそりと溜め息をつく。
まさかここまで衝撃が強かったとは……もしかして "向こう" は人間以外の種族が本当に存在しないのか。
チラリとイオリを伺う。
さっきから妙に静かだが、見た感じでは落ち着いて辺りを観察しているようだった。
よく見ると目をキラキラと輝かせている。
「コホン……いいかい二人とも、よく聞いてね」
セージの両肩に手を置いてガクガクっと揺さぶると、彼も漸く大人しくなっ……いや、若干目を回しているっぽいが。
それでもちゃんと自分の顔を見上げてくる二人に、腰を落として目線を合わせる。
「―――どんなに受け入れ難い現実だとしても、キミがそこに居る以上はキミだけの道だ。立ち止まっても蹲っても消えたりはしない。逃げ出したとしても、それもキミが創る道となる。だから―――」
真っ直ぐに二人を見る。
この意味が、真理が、いつかの二人に、ちゃんと届きますようにと。
「だからよく考えて進むんだよ。流されたとしても、心が折れたとしても。生きている限りそれはキミの糧になる」
いつかの日に貰った、大切な言葉。
「生きることは希望なのだから」
***
この日はあっという間に夜の帳が下りた。
昼間は涼し気に澄んでいた空気も、日が落ちれば鳥肌が立つような冷気に変わる。
あのあと、朝の散策を終えて昼食を済ませると、オレ――【セージ】は綾ノ瀬イオリと共に、それぞれの部屋に引き籠もった。
自分たちが置かれた状況を目の当たりにした後は、自分の心と向き合う事が大事なんだよ、とレイは言った。
どうしたいかを考えるのは、気持ちが落ち着いてからでもいい、と。
その言葉にとっぷりと甘えて、オレはレイのベッドを占領した。
微睡みながら、これは夢かもと考える。
もしかしたら現実では病院のベッドで意識不明になっているのかもしれないと。
あとは、この夢から覚めればいいのだと。
それでもふいに大きな不安が押し寄せてきて、泣いた。
夢じゃなかったらどうしよう。
このまま家に帰れなかったらどうしよう、と。
現実味がまるで湧かないのに、現実なのだと無理矢理言い聞かせられているようで逃げたいのに逃げ方が分からない……どうしようもなさ過ぎる。
……夢かもしれない…。
微睡みと逡巡を繰り返していると、いい加減に頭が痛くなってきた。ズキズキと痛む頭を擦りながら、モゾリとベッドから這い下りてみる。
途端に冷気にさらされて思わず身震いする。ベッドに掛けられたレイのストールを体に巻き付けてそっと廊下に出た。
突きあたりにあるキッチンから明かりが漏れている。きっとレイが居るのだろう…だけど今はまだなんとなく…会いたくない。
振り返ると、反対側にある隣の部屋からも微かな明かりが漏れているのを見つけた。
綾ノ瀬イオリが居る部屋だ。
部屋にそぅっと近付いてみる。
声を掛けてみようかな……ギシリと床が鳴った。
「……真友…くん?」
部屋の中から彼女の声がした。
心臓が跳ね上がる。
けど、当てられたことが何となく嬉しかった。
ひょこっと顔だけを覗かせて部屋の中を見てみると、ベッドの上に彼女が居た。
毛布に包まったまま窓の縁に腰掛けた彼女は、まるで一枚の絵画のようだった。星明かりを背にした横顔が白く浮かび上がっている。
思わずその場で立ち尽くしていると綾ノ瀬イオリが手招きしてくれので、今度は音を立てないようにそぉっと近付いてから、ベッドに腰掛けることにした。
「真友くんは、もう落ち着いた?」
ヒソヒソと小声で話しかけてくるのに合わせて、こちらもヒソヒソと返す。
「寝過ぎて頭イタイ……」
ブフッと彼女は吹き出した。
どうやらツボに入ったらしい。
今度はこっちが問いかけてみる。
「綾ノ瀬さんは、どうなの?……ここが異世界だって本気で…思ってる?」
言いながら、少し情けないな、とも思った。
散々異世界っぽいモノを見せつけられたというのにまだ言うのか、と。
問われて綾ノ瀬イオリは窓の外へと視線を移す。
ほんの少しだけ沈黙が訪れる。
「……夢みたいだと思ってるよ」
ポツリと紡いだ声は少し低くて、それが彼女の素の喋り方なんだ、と思った。
「だけど…これが現実だって言うのなら……自分は受け入れたい」
こちらを振り向く。
その瞳は決意に満ちていた。
「だって…ずっと冒険がしたかったんだ!自分の足で世界を見に行きたい!」
キラキラと瞳を輝かせて彼女は言い切る。
その笑顔に、いつかの夜を思い出す。
―― 旅に出るんだ
そう言って微笑む彼女に、あの時は何も言えなかった気がする………でも、今は。
―― 腹ァ括っちまえ!
ふと、父ちゃんの言葉が浮かんだ。
―― どうせ泣くならよ、飛び込んでから泣いてやりゃあいい
昔、海に飛び込むのが怖くってずっと泣いていた頃。
一回やってみれば楽になるんだ…って頭では分かっていても動けなかったオレに、父ちゃんは言った。
―― ウジウジモヤモヤ悩んでるよりかよぉ、あぁ怖かった!って泣く方が、よっぽどスッキリするぜ
「綾ノ瀬さん」
自分の声に、彼女の瞳が瞬いた。
「オレも行くよ」
その言葉に力を込める。
心臓の鼓動が早くなる。
正直まだ不安がっている。
だけど……もうモヤモヤは消えている。
父ちゃんみたいに、ニヤリと笑ってみせた。
「ボクらの冒険の始まりだ」