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88.祈りを撚る 其の一



「ねぇ、もっとキミの事教えてくれよ」

「やっやめてくださいっ……こんな、みんなの前でっ」


 すぐ耳もとで囁かれる甘い声から逃げたくて声を上げる。

 そうしたくても、顔の両側を挟まれているせいで体は少しも動けない。

 壁に肘を置いたままで相手の指が器用に、少し伸びた前髪をかき上げてくる。


「いいじゃん、見たいヤツには見せとけばいいのさ」

「はゎ……こっ、困りますぅう」


 町のざわめきが遠くに聞こえる中、オレ――【セージ】はついに悲鳴を上げた。


「そっそんなイケボでささやかれたって、言えないもんは言えないんだからぁあっ!」


 そう……オレは今、正義のヒーロー系おにーさんに壁ドンの最上級である肘ドンをかまされている最中だった。

 ……どうしてこうなったんだろーか。


 事の起こりはオレがスリに遭って、それをこのおにーさんが取り返してくれて……そのままバイバイするはずが、いつの間にかこーして壁に追いつめられて?

 そんでもってオレの両側に肘を置いてホールドしているんだよねっ、何でかな!?お顔がめっちゃ近いんだけど!近づきすぎなんだけどぉお!!


 助けを求めたくても、この横道はトンネルになってるせいか外から見ると少し暗く、通りを歩く人たちは中にいるオレたちに気づくようすもない。

 壁にべったりと背中をつけたまま少しも身動きが取れないオレを、おにーさんはヨユーの笑みで真正面から見下ろしてくる。

 なぁにコレ、何なのコレぇえ!?


 めっちゃアセるオレに、仕掛け人のおにーさんは不思議そうに首を傾げた。


「何でそんなに隠すのさ?オレはただ、青い髪で緑系色の瞳を持ったパッと見、性別不明の美青年を見たことがないか聞いてるだけだぜ?」


 ――そう、それはどこからどう聞いても、あの人しか思い浮かばない。

 真っ昼間の沖合の岩場から眺めた海のよーな髪。

 太陽の裏側から見上げた葉っぱの重なったのと同じ色の目。

 怒るときは心配してるからで、いつだってオレたちを優先して無茶して……平気な顔して傷ついちゃう人。

 優しくてカッコよくて、大好きな兄ちゃんみたいな人。


 そんなオレたちの保護者でもあるレイを、どーやらこのおにーさんは捜してるみたいで。

 そりゃあ〜できれば教えてあげたいよ?助けてくれたし、悪い人じゃなさそーだしぃ?

 ……でも。


 ―― 俺達の素性は誰にも教えないでね


 そう言って今朝、フワフワプルプルパンの情報を残していったあの人との約束だから。

 オレは思いきって、真っ向からおにーさんをニラんでみた。

 だけどもヤカラを参照にした渾身のメンチもどこ吹く風だ。そ、れ、と、も……、と、おにーさんの指がオレの首の辺りをツツーと滑り。


「レイに黙っておくようにとでも言われたのかい?」

「うっ……べっつにオレは、何にも……知らないしっ」


 めっちゃ心臓がバクバクする。

 恩を仇で返すよーな不義理をかます罪悪感がハンパない。

 のぞき込んでくるおにーさんの白い髪がオレの鼻先にかかりそうになるけどでもっ、ここで怯むわけにはいかないのだ。

 必死でおにーさんの目をニラみ返す。

 ……と。


「そっか、そんならしゃーないな」

「……へっ?」


 アッサリと踵を返すと、おにーさんはオレから離れていった。

 あっけない手のひら返しに、ついポカンとしちゃう。

 そんなオレにおにーさんはヒョイと肩を竦めた。


「どーしたさ?答えらんないんだろ、ならこれ以上問い詰めたって仕方ないのさ」


 そう言ってスタスタと歩き出すおにーさん。

 な、何か知んないけど助かったぁ〜。

 コッソリ息を吐いたオレに、ちょっと離れた所からまた声がかかる。


「なー、来いよ。怖がらせちまったお詫びに飲みもんでも奢るさー」

「えっ?えっとぉ〜でもぉ~……」


 うぅ〜ん、正直さっきのやり取りで疲れちゃったし、もうイオリと合流したいキモチなんだよな。

 でもそー言われるとたしかにノドが乾いたかも……


 自覚するとますますノドがカラッカラに乾いてきちゃう。

 迷うオレに、明るい通りからおにーさんがニッコニコの笑顔で手招いてきた。


「ホラこっちこっち。さっき噴水の前でウマそうなの見かけたんだよなー」


 そう言ってスタスタと歩いて行くのに仕方なく、あわてて追いかけた。


「そーいや名乗ってなかったよな、オレはジーノ。アンタは?」

「えっ、あ〜っとセージ……ハッ」

「えー何さ、名乗るんのも禁止されてんのかよぉー」


 途中でアッとなる。

 思わず名乗っちゃったけどだいじょーぶだろーか?

 ちょっとアセるオレにもおにーさん――ジーノは、ハハッ、と明るく笑い返してくれただけだけど。


「あ、そんならあだ名付けてやろーか。そーだな……スリの子供、略してスーコ」

「ぜってーヤダけど。誤解されっし」


 ソッコーで返したオレに、ジーノは思いっきり笑った。


「じゃあ、財布すら無い男でサナオ」

「なんか情けないからヤダっ」

「わかった!秘密を纏いし旅人、ヒマジン!」

「ダッセェし!いろんな意味でイヤだって!」


 ポンポン出てくるテキトーなあだ名に片っ端からツッコんでいく。


「も〜いーかげんにしてよもーっ」

「アハハハッ悪い悪い、あんまり一生懸命返してくれるもんだから面白くなって」


 謝りながらもジーノはやっぱり笑顔でオレンジジュースを渡してくれた。

 イタズラ好きってゆーかチャラそうってゆーか。

 盗られたの取り返してくれたし、こーしてオゴってくれるあたり良い人そーなんだけどさ。


 ジュースをすすりながら近くの噴水に一緒に腰かけて、あらためてとなりのジーノを見上げてみる。

 年はレイより年上そうかも……分からんな。

 目つきはちょっぴりツンとした感じもするけど、楽しそーに笑う顔はやっぱり悪そうには見えない。

 レイの友だちなのかな?でも、イイヒトそうに見えて実は詐欺師だったってぇのはよくある話だしぃ……


 ついマジマジと見ちゃったか、ジーノがくすぐったそうに笑う。


「めっちゃめちゃ警戒してんなー。ま、それでいんだけど」

「うっごめ……あっでも助けてくれてありがとうってのはちゃんと思ってる、マス」


 いーんだって、とジーノは軽く手を振った。


「オレとレイはダチ……つってもアイツが一人で旅に出てから何年も経つし、そー思ってんのはコッチだけかもしんないけどな。そんでもチョイチョイ様子見てたんだけどさ、最近になって行方が全く分かんなくなったってんで、慌てて捜し回ってるってワケなのさ」

「ふ〜ん……ん、様子見て……?」


 やっぱり友だちだったんだ……ん?でも見てたってどーゆーコト?

 一人で旅してるレイにコッソリついてったとか?

 え、それってストーカーじゃね?

 ジト目で見やれば意味に気づいたのかジーノがパタパタと手を振ってきた。


「あーやり取りしてたのはオレじゃなくて別のヤツ。それがさー、帰ってきたと思ったらイキナリオレの襟首引っ掴んで、レイ見失ったから探知しろっ!て、一方的に連れ出されたのさ。まったく、レイだってもういい大人なんだから、心配しなくてもいいっつってんのになー」


 そー言ってちょっとウンザリしたよーな顔で天を仰ぐジーノ。

 なんだかワイルドなお友だちに振り回されているよーですな。


 ちょっと同情しかけたオレにジーノはチラリと目をやって、何を思い出したのかニヤッと笑った。


「あ、でもアイツたまーに抜けたとこあるよな。武装集団のお頭にダチみてーに話しかけたり、ロクすっぽ知らねーヤツ庇って囮になったりとかさ」


 うぅ〜ん、レイの方がよっぽどワイルドでしたな。

 ナニソレコワイ……でも簡単にイメージできちゃうな、レイだったらフツーにしそーだもん。

 オレたち抱えて滝壺に飛び込んだり、オレたち背負って一晩中歩いたりしてた人ならヨユーでしょーよ。

 心の中のオレも思わずウンウン頷いちゃうぜ。


「……そーやって助けたヤツに裏切られて殺されかけたりもしたんだぜ?それなのに、アッサリそいつも許しちゃうしさ……ホント訳わかんねーよな、アイツ」


 ニコニコ笑って話すジーノの顔が少しだけ寂しそうに見えた。

 レイを危ない目に遭わせたヤツのことは許せない。 

 でも、何となくジーノの気持ちが分かる気もした。


 レイは誰かのために命を賭けられるんだ。

 ――オレの時みたいに。

 そんで死んでも……きっと、弱くて足手まといなオレを許してくれる。

 それがたまらなく……寂しい、のかもしんない。


(オレ、寂しいのかな……何でだろ)


 レイのことを考えてると、たまに胸のあたりがキュウッてなる。

 何かを失くしたよーな、不安なよーな……うん、寂しいって気持ちに似ている。

 なんでだろう。


「――オレ達みたいな凡人は追いかけるしかないのさ。虹を掴むよーなもんだけどな」


 ジーノの声がして、手の中のコップがヒョイと取り上げられて、あわてて見上げたオレに、両手にコップを持ったままジーノは器用に手を振ってみせた。

 いつの間に移動したのか、そのままお店に向かって歩いていく背中を見送った。

 オゴられたオレがコップを返しにいくべきだったのに……ボンヤリしてたみたい。


「虹って、レイ兄のコト……?」


 ジーノに言われたことを言葉に出してみる。

 虹はつかめない。知ってる。

 凡人のオレは、レイみたいに強くはなれないって意味だろーか。

 それでも追いかけろって、レイを追いかけるしかないって。

 ……どーして?


 強くなれなきゃ意味ないじゃん。

 オレがずっと弱いままだと、レイはずっとオレを守っちゃって。

 そうしてそのうちいつか、オレを庇って……消えちゃう。


 あん時みたいに。

 どうしようもなく、掴めないまま。


「……イヤだな」


 ポツリと出た声はドロリとして、胸の中をグルグルまわる。


「消えちゃうなんて……ユルサナイ」


 モヤリ、黒い綿毛が、棲んだ気がした。

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