83.賢人の謀 其の一
――湖畔の方が段々と賑やかしくなってきた頃。
「おーおー、アチラさんは大事になってきてるよーだぜ、レイさんよぉ?」
「そうだねぇ、何だか殺伐としてきてる気がするよね、ヤカラさん?」
水の上から陸の様子を眺めつつ、俺――【レイ】達はお互いに顔を見合わせていた。
対岸では、ロン達が遅れてやって来た一団と揉めている様子だ。
「やっぱ目立つもんなぁ、此れ」
「うん、ガッツリこっち見てるものね」
夜更けの湖上に浮かぶ光球と二対の人影。
ロン達とはまだ面識があるからいいものの、一方の団体からしてみれば怪しい事この上ないだろう。
「やはり今夜が視察の時だったかね。ならば教会が関わっているとみて良さそうだよ、レイや」
「あー……連中の着てるモンもソレっぽい感じがするぜ?」
キュイエールの言葉に、ヤカラも対岸を注視するように目を眇める。
『月』からはやや距離があるし、彼らの持つ各々の明かりでは断定が難しいけれど、ロン達と面識があるあたり教会の関係者で間違いないだろう。
「となると……やっぱりロン達が狙われている線で動いていいかな」
「そうだねぇ、君が図書館で得た情報からしても『山岳民族を教会側に引き込んで、勢力を拡大しようとしている』という線が有力だろう」
キュイエールの後押しに、一先ず安心する。
「なら、さっさと始めようぜ」
頷き、ヤカラに倣って正面を見据える。
ここ数日の問題もこれで漸く解決出来そうだ。
先ほど練られたキュイエールの作戦を反芻する。
ついでに、流した汗が冷えた心地に心まで風邪を引きそうになったあのひと時までも、思い出してしまった。
・・・・
先刻――ひと通りの仕事も終え、俺達は再び【双月】の前へと集っていた。
汗も緊張も引かないまま、ヤカラと並んで正座をし、キュイエールの言う歓談とやらでひと時を過ごす。
ついでに、国境町でのあらましも相談してみたところ、ロンの祖父に責任という形で追及された例の件も、元を辿れば教会が関わっているのではないか、とキュイエールは推理した。
「大方、新しく就任した教会の人間が、次期管理頭の彼女に目をつけたのだろうねぇ」
――山の民へ外部による圧力がかけられた、という可能性について。
あの老人に課された無理難題が腑に落ちず、ヤカラと二人で延々と頭を悩ませながら数日かかって組み立てたその推測も、キュイエールにかかればあっという間だ。
滅多に表に現れない彼らには、干渉出来る相手など限られている。
それこそ国が動かないと難しいし、そんなものが動けばさすがに俺達も気付く。
外部……国の外――湖。
湖といえば、この近くにある教会だ。
湖の畔には教会を中心とした小さな集落があり、彼らは【三神】を崇拝する信者として、表向きはこの湖を所有し、管理もしている。
そんな彼らの立場ならば、湖を餌として山の民に干渉するのも可能だろうか?
そんな折に先日の掲示板で目にした、『神官長就任』と『異教徒』についての記事。
抜粋すると、『他国から派遣された新任者』は『山岳民族に対し、実在しないモノをあたかも脅威のように流布し信徒の不安を煽っているなどと言及している』とあった。
世間一般からみれば【マガイモノ】の存在は殆ど知られていない。
新任者は、そんな不信な存在を異教徒が討伐と称して所有地に乗り込み、深夜に徘徊している怪しき集団。と捉えたらしい。
近く視察に乗り込む旨も綴られていた。
「……ッたく、目ぇつけられたってんなら素直にそう言ゃあいいのによ。面倒臭ぇ爺爺だぜ」
「たしかに、何であんな手段で俺達に繋げたんだろう?」
言いがかりをつけられても、事を荒立てないように受けて流す慎ましやかな民族のことだ。
同族への被害を抑えるためか、外部からの面倒事に、外部寄りである俺達を頼るのはいい判断だと思うけれど……それがどうしてあのようなカタチになったのか。
「もしかすると、山岳民族の娘を取り込めば東国の支持を得られると期待して、婚姻関係を迫ったのかもしれないねぇ」
『うわ、マジか』
新たな推論に、ヤカラと思わず引いてしまった。
「筋書きは……そうだねぇ、討伐が偽りでないか証明しろと押しかけ、偽りならば湖から手を引いてもらうか、それが嫌ならば教会と関係を持てと。されば教会の管理する湖を任すという体で庇護してやろう、とでも持ちかけたのではないかな?」
「いやそれ……お、いキュイエール?」
「えぇー……」
俺達の戸惑いを気にも留めず、のんびりとした口調には似つかわしくない内容をスラスラと具体的に述べていく。
「大方、教会の管理してるものに他宗教が手を出してるのが気に入らないのだろうよ。同じ様な手口を繰り返すとは……何十年経ってもそういった考え方は廃れないものだね」
ただの見解にしては随分と具体的なそれは、ひと昔前に実際にあった一例らしい。
「ヤカラはここまで読めた?」
「いや、精々が湖をダシに脅された、くらいまでだな。アンタもか?」
コクリと頷いておく。
「偶々だよ。あの教会は数十年前の大火事の際に、一斉粛清されたからね。おかげで余計な柵も無くなった筈なのだが」
せっかく潰したのにねぇ……、と聞こえた気がしたのは風の音のせいかもしれない。
湖上は風が強ぇな、とヤカラもボソリと呟いてるし。
「ええと……それにしても、どうして湖を独占しようと思ったのだろう?」
どの国からも不可侵とされる、祈りと信仰の町。
湖の観光に訪れる人達からのお布施で細々と生活をしているような、厳格な信仰者ばかりだと聞く。
湖もそこの教会が主体として管理しているにもかかわらず、東国の神竜信仰も慮ってくれ、深夜の定期的な訪問も認可しているそうだ。
そんな彼らが、たかが新参者の影響を受けるとは考えにくい。
「その新入りってのは支持されてぇんだろ?この湖は他所の国でも有名らしいしな。悪者成敗して聖なるナンチャラを守りましたってオハナシはさぞかし注目されるだろーぜ」
「なるほどね、だから湖に目を付けたのか」
権威も収益も、湖を利用すれば大いに膨れ上がりそうだし、教会はもちろん、その人自身もさぞかし潤うことだろう。
キュイエールの言う通り、いつまでも厳格なままではいられない、と。
「ほぅ、確かに彼等は物語を大切にするからねぇ。ヤカラや、実に良い考えだよ」
キュイエールの言葉に、胡座をかいたまま突っ伏したヤカラは置いといて。
「キュイエール?何か思いついたの?」
「そうだねぇ、物語となるならば舞台を整えないといけないね。レイや、君達の服は持ってきているのだろう?」
『……ん?』
再びヤカラと声をそろえてしまうも、そこは賢人キュイエール。
彼は多くを語らない。
***
湖面に降り立つ時の緊張した様子も、水を渡るうちに幾分か気分がほぐれてきたらしい。
スイスイと危なげもなく、レイの招きに応じてやって来たロンの顔は楽し気なもんだった。
素直にレイの手を取る背中は、この先の展開を思うとちと荷が重いだろうが……己――【ヤカラ】も黙ってその手を取る。
案の定、正面を向かせた途端に奔った緊張と共にロンの手が急激に冷えていくのが、触れた指先からも伝わってきたが。
「ロン、大丈夫?……おーい、ロン?」
レイが小声で掛けてみるも反応はない。
本人は気合いで踏ん張っているようだが、その顔色はひと息毎に悪くなっていく。
……仕方無ぇか。
小刻みに震え出したロンを担ぎ上げる。
ヒュッと息を吸う音が耳元を過ぎたが、天を見上げたロンの顔は己からは見えない。
そーいやぁロンが今よりチビの頃、高背が羨ましいと強請られて、こうして片腕に担いでやってたっけなぁ……と、懐かしさにしんみりしてりゃ、落ち着いてきたのか、ポツリとロンが口を開いた。
「マジフザケンナし」
キレられた。
「ヤカラ、もう少し寝かせるようにした方がロンも楽なんじゃない?」
「こうか?」
レイの助言に、己の肩に頭をもたれ掛けやすいよう両腕に抱えなおせば、ロンが再び口を開く。
「イイカゲンニシロし」
やはりキレられた。
「ロン、ゴメンね?すぐに終わらせるから、このまま聞いて……あ、眠い?」
「問題ないス。目に良薬与え過ぎても毒になるんで。むしろ降ろしてくださいス」
覗き込んできたレイにも、ロンは瞬時に両目を閉じる。
両手も被せ、まるで目でも焼かれたかのように唸ってるが……寝惚けてんのか?
「このまま寝ててもいいぜ?」
「ウルセェス。お二人はもっと自分の顔面と行動に責任持てっス」
向こう方に解らせてやる為、ロンにはここに居てもらう必要があるが、居る以外にやる事は無い。
むしろ寝てた方が精神的にもいいと思ったんだが……何故にまたキレられるのか。
「あのなぁ坊、文句なら向こうに言えよな?こちとら爺爺の要望に応えてやってんだからよ」
「……は?え、なっ……ハァア!?」
「ロン、シィ……。ほら、始めるからお澄まししてて?」
抑、あの爺が回りくどいのがいけない。
助けて欲しけりゃさっさと言やぁよかったんだ。
教会の古参共も新入りの躾くらいしっかりやれ。
己等のせいではないっつーに、不満の声を上げかけるロンだったが、ぬっと出されたレイの手に窘められる。
「ヒョワ……は、始めるって、何をスか……」
両頬をソイツの手で挟まれ、何故か怯えた様子で見上げてくるロンに、レイは笑んで返す。
「意趣返しだよ。俺達だけ驚かされてばかりなのはつまらないでしょ?」
その声を合図とし、己の腕の中で再び唸り始めたロンを担ぎなおして湖畔へと目を向けた。
兎にも角にも、始まらなければ語れねぇ。
キュイエールの立てた筋書きを。つまりはあの男の生きた証をだ。
「さぁて、存分に物語ってもらおうぜ――」




