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82.煌々たるに、惹かれ寄るは 其の三



「――っ、何っ……スか、()()は!?」


 神竜の住まう地と繋がるもう一つの聖域。

 御山から遠く離れているにもかかわらず、遥か昔からそう言い伝えられ、大切に管理されてきた泉がある。

 大概に湖と呼ばれるその地では、我々山の民に課せられた古くからの慣習があった。


 ――(つごもり)、暁の前に不浄を祓うべし。


 自分――【ロン】も、その責務を全うするべく星明かりを頼りに出立し、つい先刻この湖畔へと辿り着いた……のだが。


 通い慣れたこの地で目にした光景は、実に異様なものだった。






 ・・・・






 聖地である所以か、この辺りは【マガイモノ】が寄り付きやすいとされており、毎月欠かさず町に駐在する者達で見廻りを行なっていた。

 今夜も自分と仲間が数人、そして久方ぶりの参加だという祖父も一緒に来ている。


 このお役目も、自分としては強くなるための修行が好きなだけ出来るので不満はないし、この歳にして祖父の後継を継ぐことになったのもまた然り。

 ただ、自分の年齢に対して些か重い責を負うハメになってしまったのには少しだけ堪えている。

 今宵は特に気負わねば――

 そう意気込んでやって来た筈なのに。


 ――一体、何なんスか?コレは!!


 そう声を張り上げて問おうとすれば、眼前に対する()()方に目で制されてしまう。

 まるで待ち構えていたかのように手前側、湖畔に立ち尽くす我々と程近い湖上に浮かぶは、もしや伝承の【双月】か!?

 天の月が降りてきたにしては随分と小振りだが、煌々と光を湛えたソレは言葉を失うほど美しく。

 しかし、幻想かと惑う光景に添うのは、どうにも不可解な影が二つ。


(何でこの人達がいるんスかね!?)


 取りあえず、()()に従い大人しく口を噤んでおくが。

 双月のやや手前に立ち、護るように両脇をかためるは一対の山岳民族。

 いや、片方は民族衣装を纏った旅人だったか。


 その『月』は何だとか、どうやって水面に立っているんだとか疑問は尽きないが、それよりもどうして、()()()()()の二人がこんな所にいるのか、だ。


 一瞬、これは連日のし掛かった負荷による自分の心が生み出した幻か?とか思ってみるも、同族達の「うわ……神々し」だとか、「ちょ……え、ムリ綺麗……」だのと囁き漏れる呟きに、これはしっかり現実なのだと受け入れた。


 そう、たしかに格好良い。

 今宵の二人はやたらと、とても…………コホン。

 つい語彙が乱れてしまったが、そのヤカラとレイが纏うのは、山の祭事に着る儀礼服だ。


 ヤカラは墨地の長袴に丹色の絣を合わせ、赤地に同系色の刺繍を全面に施した上衣を羽織っている。

 暗色の帯には髪色に合わせた橙の飾り紐がシャラリと風に揺れていた。

 双肩に誂えたのは山の奥地に生息するという白狼の毛皮か。

 それに掛かる髪が、雄々しい彼の気質を一層醸し出しているように思う。


 ヤカラと対をなすのはレイ。

 こちらも旅の服装ではなく、白地の衣長に絣地を織り合わせた長羽織で、流線を描く青の刺繍がこれもまた見事なもの。

 頭飾りから長く垂れた白銀の組み紐が碧い髪に絡まり、まるで朝露のように煌やかだ。


 『月』明かりに薄衣を透かし、二人の肌が輪郭を持って浮かび上がる様がなんとも艶っぽく、何でか罪悪感を覚えてしまう。


 シャシャッ、と奔る音に見やれば、連れのうち一人が勢いよく紙面に筆を走らせていた。パラリと風に捲られた一枚はどうやら写し絵のようだ。

 その隣ではもう一人がひたすらに且つビッシリと文字をしたためている。

 うん、仕上げたら是非とも見せてほしい。


「……――な、んと!?これは一体、どういう事ですかな!?」


 目の前の神秘につい、この目に焼き付け!とばかりに見入ってたら、いつの間にかある一行もやって来ていたようだ。

 うっかり忘れかけていたが、彼等はこの辺りに居を構える一団で今夜の接待相手でもある。

 自分等とは道のりが違うため、ここらで待ち合わせていた。


「――どうも、コンバンハ。宜しくお願いするス……」

「どういう事かと聞いているのです。これは貴殿らの幻術か何かですか?」


 気持ちを切り替え、先ずは型通りの挨拶をするも、言葉の途中で折られてしまう。

 前回対面した時はもう少し額面通りの丁寧さがあった気もするのに。

 今回は人目につかないからか、それともこちらの代表が若輩の自分であるからなのか……対談相手の男に以前のような謙虚さは見られない。


「まさかとは思いますが、我々への歓待ですかな?とても見目麗しいですが、我々の信仰は紫眼の三柱。申し訳ないのですが、おとぎ話の月を見せられても、こちらの提案は変わりませんよ」


 ……御伽噺。

 たしかに【双月】は山の民の間でも既に不確かとなってしまった伝説ではある。

 作り話と一笑に付されてもまぁ、仕方がない。


「アレは我等の幻術じゃあないスよ」


 歓待に披露するくらいなら、同族招いて心ゆくまで鑑賞会するけども。

 零れそうな本音は口にしない。


「ほう、ならば何故彼らは浮いているのです?それに、彼らの衣装は貴殿らと似ているようですが?」


(――そんなモンこっちが聞きたいスわ)


 出かけた言葉を押しとどめ、平静を装う。

 涼しい顔で例の二人が佇むはいつもの湖だ。

 そしてここは風の通り道。

 星など、常ならば溶けて揺れる水面に大して映らないのに、今夜はどうしてか鏡面の如く天を映している。

 ひたすらに美しい神秘に、今宵と重なってしまったことだけが惜しい。

 こんな厄介事など放っておいて、もっと良い気分で眺めていたいではないか。


「先日もお伝えしたとおり、この一件、どのような結果となっても悪いようには致しません。今夜は我々に異形を成敗するお姿を拝見させてもらえる約束でしたが……その事を踏まえて続けられますか?」


 こちらの沈黙を窮地と捉えたか、なだめるように先を促される。その声に含むのは疑い。


 灰装束等と似た姿を持つマガイモノを、この者等は見たことがないと言う。

 実在するならば見せてみろ、と、わざわざ我等の仕事を見物しにきたのだ。


 そう言われても、あの二人が先んじてここにいるのに、こちらの仕事が残っているワケがない。

 祖父の様子をうかがえば、遠く湖の奥に向いていたその頭がわずかに振れる。


(やはり()()()()はいないスか)


 対岸は暗く自分の目には何も映らないが、祖父曰く、見るのではなく感じ取るものだそう。

 自分には未だ至れぬ境地だ。

 

「いや、この辺りはもういないスね。それでも、習わし通り夜明けまで見張るスけど」

「……その、今夜でなければ、この催しも楽しめたと思いますが……」


 あちらサンも気の毒そうに言ってくれるが、その目の色は呆れだ。

 どうやら、こちらが取り引きを有耶無耶にするために駄々をこねたと思っているらしい。

 しかし、これはどうにも説明いたしがたいもの。

 彼等を巻き込むわけにもいかないのに……

 そう思うのに、傍らの祖父はこう言った。


「アレらはこの姫の婿だの。迎えに来るついでに仕事を済ませたのだろうよ」


 ――マテ、オイ。


 何とんでもねーコト宣いやがったんだウチの爺様はっ!?

 固まった空気の中、風の音だけが暫し鳴る。

 しかし自分の心中は嵐の如く吹き荒れた!


 ――何故今ここでソレ言う?あんな神々しいモンの前でよく言えたスね?つかそのハナシはジブンなんかとは年齢含めて不釣り合いだから取りやめろって散々訴えたろーが!!それと誰がいつ姫になった?こんな野蛮な姫サンいてたまるかぁああっ!!


 思いきり叫びたいのに出来ない。

 食いしばった奥歯が欠けそう、せめて胸ぐらつかみたい。


「……ハ、む、婿とはまた……大逸れたことを。あれは偽物でしょうに。この件に不服とはいえ、いくらなんでも我々に失礼ではないですか!」


 漸く声を上げた相手にも、我が祖父はチラと目を向けただけ。


「そろそろ言葉を慎みなされ。【双月】は神域と繋がるもの。殊更に、竜は耳がいいとされておるでの」

「……っ、しかし情報がこれだけでは……我々としても、このまま報告をしに戻るわけにもいきませんし……」


 相手もまた神事に携わる者だ。

 祖父の言葉に慎重になったか、それでも懐疑的な目を自分に向けてくる。


(こっちも何にも知らないんスよっ!)


 羞恥と焦りで思わず湖上の二人を睨みつけてしまう。

 ……と、それまで突っ立っていただけの彼等が漸く動きをみせた。






 ・・・・






 妖しく輝く『月』を背に、口もとに笑みを湛えたレイがゆるりと片手を差し出した。


(……ん?)


 こちらに視線を固定したまま、掌を上に向けている。


(まさか、ジブンに来いと言ってるスか?)


 念の為コソリと自身を指させば、レイの笑みが殊更深くなる。

 無茶振りするなと言いたいが、当然のように水面に立たれては断れもしない。


 客人の手前、躊躇いは見せぬよう恐る恐る水面に足を踏み入れる。

 沈んでしまったらどうしようと不安になるも、湖はちゃんとこの体重を支えてくれた。

 踏み出せばシトリと波紋を作りながら、前へと滑るように進んでいく。


(う〜わ〜っ、これは楽しいやつ〜!)


 軽く蹴り出せばツイと進み、靴の角を立てれば止まる。

 少々コツがいったが何とか辿り着くことができた……が、レイは未だその手を差し伸べたままだ。

 もしやと思い、手の先をちょっとだけ重ねてみると、キュと握り返された。


 心の臓がバクバクする中、肩に軽く圧が掛かる。

 振り仰げばヤカラが自分を見下ろしていた。

 その強い眼差しに見惚れるうち、もう片方の手は空いてる方の自分の手を取り、クルリと正面を向かされる。


 気付けばあの伝説の【双月】を背に、両手に美丈夫を侍らせた構図となってしまった。


 オイマテコラ。

 我等が目立つのを良しとしない民族であるのは重々承知ではないのか特にヤカラ。

 こちとら自身の行いとは人目に晒すものではないと祖父に教え込まれて育った身ぞ!?


 恐れ多いやら恥ずかしいやらそれでもしっかりせねばと、頭の中が大変に忙しい。

 一同が注目する中、意地で踏ん張るも緊張から足先の感覚が薄れ、立つのも怪しくなってくる。


 ついに意識が身体ごと、クラリと宙に浮いた。

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