81.煌々たるに、惹かれ寄るは 其の二
「……――だいぶ、増えてきたね」
煌々たる球体に照らされて、碧髪の眼が妖しく揺れる。
その視線は獲物を見定める様に昏い湖面を奔り、遠方へと向けられた。
風に靡く碧髪に隠れたレイの口が僅かに笑んだのを、己――【ヤカラ】は見逃さない。
「例年の報告より、ちぃと多くねぇか?」
湖畔に沿うようにポツポツと気配が増えていく。
定期で山に届く報せによりゃ、精々が数体程度らしいんだが……現段階でこの増え方だ。
十や二十じゃきかねぇだろう。
「それは……ほら、キュイエールのおかげじゃないかな?」
己の呟きに応えながらも、レイの目は周囲を隈無く警戒している。
どれもこれも一様にキュイエールの造り出した『月』を目指してやって来るらしく、周りはすっかり取り囲まれたようだ。
この光が特別だってコトぁ、相手方も分かっているらしい。
「……ったく、光に群がる羽虫共が。見境無しに飛び込んで来やがって」
キュイエールの光に魅入られんのは仕方ねぇが、分不相応にも程があんだろーが。
レイが何やら物言いたげに細めた目で己を見てくるが、何を言いたいのやらさっぱりだ。
「この数年、神竜の威光は弱る一方だったからね。やはり、秘かに増え続けていたのだろう……気の毒な事だね」
己が身に集ろうとする羽虫にさえも憐れみを抱くキュイエールの寛大さに、やはり、寄って集る害虫は須く排除しようと内に誓う。
『此の世の居場所を失い彷徨う存在』
――失っても尚、安寧の光を求めるその在り様は、さぞかし不憫で哀れむべきものなんだろう。
だが、ソイツらの境遇なんぞ知った事じゃねぇ。
降り掛かった災難に、起こり得てしまった結果に、同情はすれど容赦はしない。
害為す存在と成ったならば屠るのみ、だ。
――己の護る唯一は、キュイエールなのだから。
と、つい拳に力を込め過ぎたか、握り締めた内側に、ゴリ、と痛みが走る。
開いて見下ろしたソレに、先程のひと時を思い返した。
・・・・
かつてと変わらぬ慈愛に満ちた声――
欲して止まなかった音が光の向こうから届く。
その中に佇む輪郭は、くっきりとキュイエールである事を映していた。
この手を伸ばせば届くだろう距離に、しかし詰める事は許されず。
己の侵入を拒み、立ち塞がる光壁。
恐らく、この中は神域と同じ空間となっているんだろう。
普通の人間は神域に立ち入れず、相対するのを望むならば、相手に神域から出て貰うしかない。
だがしかし。
――キュイエールは神域から出る事を禁じられている。
何故なら、それが神竜から課せられた己への咎だから、だ。
あまりの腹立たしさに頭を打ち付ける。
狡猾老獪な神竜め、棲家が少しばかり荒らされたからと、己への嫌がらせとしてキュイエールを閉じ込めるなんざ。
手を出すなら己の身だけにしろと訴えるも、聞きやしねぇ。
あんなモン――とっとと、くたばっちまえ。
「……ヤカラや」
折角の邂逅だってのに、怨嗟ばかりが先立ってしまった。
抑えたつもりだが、キュイエールには見透かされたか……溜息混じりに己の名を呼ばれた。
「前にも言ったがね、僕はこの道を選んだ事に、悔いは無いんだよ」
――わかってるよ、ンな事ぁ。
応えたつもりが、掠れて音にならなかった。
ヤカラや――ともう一度名を呼ばれ、面を上げる。
己の方へと伸ばされた影が光の壁に触れていた。
その片掌の影に、己の掌を重ねる。
「君に託したいんだ。僕はもう、色んな景色を見せてあげられないからねぇ……だから、僕の代わりに連れて行って欲しい」
「無論だ。アンタが望むのなら、俺は何でもする」
互いの掌に挟まれた光をすり抜けて、己の手の内に当たる感触を握り締めた。
見て確かめずとも、己はソレが何かを知っている。
幼い時分に見せてもらった事がある、キュイエールの大切な……魂の片割れだ。
***
ソロソロと近づいて来る気配の群れに、俺――【レイ】は改めて段取りを練りなおす。
自分一人であれば気にせず疾うに飛び出していたものを、二人で仲良く協力するように、とキュイエールに釘を刺されてしまったからだ。
その相手は先程から俯き、自身の掌を眺めていたけれど……開いた掌をゆっくりと握り締め、上げた口端は獰猛に歪んでいた。
……まったく、子供達が寝ていて良かったと思う。
見取り稽古は確かに必要だけれども、今回の戦い方は初手で覚えさせるには、少し特殊が過ぎると思うし、このヤカラがどう動くのかも、正直予想がつかないから。
ため息を隠し……昏い水面の上、姿こそはまだ視認も出来ないけれど、その身も心もとうに喪ってしまった者達を見据える。
対するのは、今の旅ではセージ達が既に相対しており、山岳民は、『灰装束の成れの果て』と一括りにしている者達。
確かに、この世を棄てた者という点では、そう認識されるのも間違いではないのだろう。
しかし、極稀にすれ違う彼等の大半は、生者だ。
それは身体的、或いは精神的な事由によりこの世との決別を図るため――安らかな最期を迎えるために、【理】の気配が色濃い地を求めて旅をしている者達のこと。
そして、この世と決別を果たしても尚、現し世を彷徨う者達は、『灰装束の紛い物』と称されている。
今、暗闇の向こうで相対しているのは後者だ。
彼等の存在はどうしてか減ることがない。
ここ聖地でも、山の民等が定期的に対処していると聞いているけれど、今回のこの数はかなり異常だ。
恐らくはこの辺り一帯で分散し潜んでいたのが、キュイエールの『月』の影響で根こそぎ集まって来たのだろう。
「君達に肩代わりさせてしまったねぇ。神竜が召される前にと来てみたのだが、想定よりも多くていけない」
ため息混じりのキュイエールの声に、たとえこの数相手でも彼が押されることはないだろうにな、と秘かに思う。
「ううん、平気、俺は慣れてるし。それに、こうして集まって来てくれるなら楽だよ」
「ここらで一掃しとけば、当面はキュイエールも楽が出来んだろ?やって損無しなら上等じゃねーか」
ここぞとばかりにヤカラも賛同する。
どうやら精神統一らしきものは済んだようだ。
不敵に笑う彼に、ついとその得物にも目がいく。
「ヤカラの戦い方も初めて見るから楽しみだな。一応ソレも普通の武器なんだよね?」
「アレが相手でもフツーに斬れんぜ?つってもこの先、竜の縄張りから出たらどうなるかは分からんがな」
そう、【マガイモノ】は普通の武器では倒せない。
伝承によると、神竜は己が領域を護らせる為、山で生まれた者に『マガイモノに対抗出来る力』を与えるという。
これも、彼等が神竜を護りし使徒と呼ばれる所以の一つだ。
そういえば前に扱い方を訊いた時も、普通に攻撃するが?って当たり前のように言われたっけ。
「そーいや、アンタとは素手の手合わせしかしてこなかったもんなぁ」
「一回だけね。あの時はヒドく怒られたっけな……」
今でもハッキリと思い出せる。
キュイエールを訪ねて山に着いた早々、初顔合わせの彼に何故か勝負を挑まれて、ちょっと……村の人達に迷惑をかけてしまったんだよね。
「……ふむ、それは僕が伏せていた頃の話かな?とても興味深いねぇ、レイや」
瞬間、ピシリと空気が凍りついた気がして、思わず自分の胸元を確認してしまう。
「ヤカラも……これから君達とゆっくり歓談したいから、早めに戻ってきてくれるかな?」
キュイエールの、いつもの優しい声色にどうしてか逆らえない圧を感じる。
隣に立つ男もどうやら同じらしい。
夜明けまでにはまだ程遠く、余裕で終わらせることは出来そうだけど……
心に余裕を持って戦うのはちょっと、厳しいのかもしれない。




