76.煌々と秘かに輝くは 其の一
町の外へと踏み出せば、夏の盛りにしては涼しい風に草の匂いがした。
北の門をくぐり抜けた先は見晴らしのいい草原が続き、山の端に茜色のグラデーションが名残惜しそうに残っている。
夜はまだ始まったばかりだというのに、すでに幾千と星が浮かんでいた。
あの山で見た光景に比べれば距離は遠くなったハズなのに、それでも頭上に降り注がんとばかりに煌々と瞬いている。
何というか、圧がすごい。
「……ほら、あそこ。あの青い星の輪の中心にあるのが【星標】だよ。あの赫星だけは動かないんだ」
「わぁ〜つまりはアレが北極星ってこと?きれ〜い」
星々に圧倒されているボク――【イオリ】の前では、レイとセージがカップルのごとくキャッキャしながら星空を見上げている。
レイの指す赤い星とは、どうやら向こうの世界で云うところの北極星のような存在らしい。
控えめに輝く赤い星の周りを、青い輪がグルリと囲んでいる。
まるでドーナツのような星環に、一粒だけダイヤモンドのような明るい星が輝いていた。
あの星の位置を頼りに、おおよその時間の流れが把握出来るよ、とレイが続ける。
(ナルホド、ドーナツは時計盤の役割もあるのか)
何度目かのあくびをかみ殺し、イチャつく二人の後ろをボンヤリついて行く――とイキナリ足が地面から離れていった。
体の浮いた感覚に咄嗟に両手を組んで勢いよく頭上へ振り上げるも、ポス、と何とも手応えのない音に受け止められてしまう。
「――悪くねぇ反応だがよ、見えてねぇ相手に両手は組むな。こんな風に詰むぞ」
ボクの拳をガッチリと掴んだまま、頭の上から声が降ってくる。
見上げなくとも知れた相手に今度は両足を後ろにいるであろう相手の両ひざ裏に回しこんでみる。
が、やはりびくともしない。
膝カックンを仕掛けてやったつもりなのに、くそぅ。
まー反応は悪くねぇよ、とやっぱりボクを持ち上げたままでヤカラは余裕たっぷりに笑んでいた。
「ほれ降りろ。つぅかアンタ眠いんだろ?さっきから足元が覚束ねぇぜ」
いきなり抱き上げてきたのはヤカラのクセにと思いつつも、降ろされた先はさっきまでの硬い地面とは違って柔らかい草の感触がした。
どうやらあのまま進んでいたら草むらに突っ込むところだったらしい。
「眠くないし。ゼンゼン余裕ダシー」
「嘘つけ、目ぇ閉じてんぞ」
もちろん嘘に決まってる。
本来なら寝ている頃だ、おもっクソ眠い。
ましてや今日は、セージとケンカしたりヤケクソで自主トレしまくったり仲直りしたりと、イベントが盛りだくさんだった。
泣きすぎたボクの瞼を、レイがこの一日で何度も冷やしてくれていたし。
まぁ、まさかそんなボクの限界っぷりを知ってくれているハズの彼から、今夜のうちに出立するとかいう意味不明な提案を出されるとは思わなかったけども。
天使のフリをした悪魔とは彼のことを指すのだろう。
「――ごめんねイオリ。ほら、俺の背に乗りな?」
「ったくレイ、そーやって直ぐに甘やかすんじゃねぇよ。イオリも承知の上で歩いてんだからよ」
しかし行動力はとんでもない悪魔であっても、本心は優しいというか面倒見が良いというか。
現にこちらに気付くと颯爽とやってきてボクの前で軽やかに屈んでくれる。
付き合わせてゴメンね、とでも言いたげな目で見上げてくる柔らかい微笑み付きで、だ。
ボクの感情を振りまわすなよ、小悪魔か。
だけど、ここはヤカラも言ってるとおり甘えるワケにはいかない。
こういう急なイレギュラーにも慣れていかなければだし……それに。
「大丈夫だよレイサン、これも鍛錬のうちだし。コレにも早く慣れたいしさ」
レイにも見えるように、腰に下げたソレをそっと持ち上げる。
暗くてあまりよく見えないが、レイの持つランプに照らされて独特の模様がほのかに浮かび上がった。
新鮮な手触りに思わず頬が緩みそうになるが……気を引き締める。
みっともない顔なんて、とくにヤカラには見られたくない。
「じゃあさっイオリ、いざとなったらオレが引っ張るから一緒に行こーぜ!」
「うん!」
ちょうどいいタイミングで、レイの後ろからヒョッコリとセージが現れた。
差し伸べられたその手をボクはありがたく握りしめる。
カチャカチャと小さな音を鳴らしながら、ボクたちは夜の草原を駆けて行った。
***
俺――【レイ】達が、宿を発つ少し前。
準備もそこそこに、ヤカラが二人の名を呼んだ。
素直に集まるセージとイオリに、ヤカラは点検を終えたばかりの品をそれぞれ手渡していく。
「ふぉおっ、ヤカ兄何コレ!めっちゃカッコイイんだけどぉ!」
興奮したセージが、受け渡されたソレを両手で大きく掲げ上げた。
その瞳がキラキラと輝いている。
「あーな、アンタ前に斧欲しがってたろ。最近は素振りもマシになってきたしな。だが、一先ず預けとくだけだぜ?余程の事態にならねぇ限りは持ち歩くだけにしとけ」
頭上に恭しく掲げられたセージの新しい得物は、先日ヤカラと見繕ったものだ。
全体的な大きさとしては腕の長さと同じくらいなのに対し、刀身の部分は手のひらを広げても満たないが、重心を取りやすく直感的に扱いやすい……要は、あまり考えずに突っ込むセージと相性が良いのでは、という判断だ。
部屋の灯りを受け、鈍く照らされたその小斧は彼によく似合っているように見える。
泣き終わったばかりだというのに心の底から喜びを表すセージに、無事に仲直りできて良かったと心から思う。
(今日はちょっと大変だったものなぁ)
なにしろ図書館に行ってからの展開が急だったから。
喧嘩を諌めたものの、蹲ったまま動かないイオリの様子に、セージと一旦距離を置かせることにしたあの後。
やはり存外深く傷付いていたようでイオリを慰めるのに時間がかかったように思う。
漸く落ち着いた頃、バァンと扉を叩き開けたびしょ濡れのセージが、そのままイオリのいる寝台に飛び上がった時はちょっと頭を抱えそうになったけれど……結果は良しとした。
仲直りの儀式とやらか何かだとは思う、ガシィッと抱きしめ合って動かない二人の髪をまとめて乾かし目元を冷やし、ヤカラが戻るまで放置して……その後の時間は、掲示板の記事を元にこれからの計画を練るのに費やしていたっけ。
(そのまま寝かしてやれたなら、朝まで気持ちよく眠れたろうに)
申し訳なさに頭を振り、回想から二人の方へと視線を戻す。
小斧を掲げたセージの隣では、イオリも同じく手渡された得物を熱心に見つめていた。
彼に用意したのは、こちらも小型の二節棍。
扱いの難しい武器だけど、賢いイオリならば良き相棒になるだろう。
イオリも感情を表に出さないよう懸命に口を引き結んではいるものの、その瞳はキラリと輝いている。
彼なりに喜んでいるようだ。
―― ヤカラサンには、甘えたくない
あの時、泣き顔を見られまいと俺に縋りつき、小さく零した本音。
ヤカラには届かなかった、そんなイオリのささやかな意地が妙に胸に沁みていた。
・・・・
――ビシビシッ
『――ッづぁい!!』
「ったく、離れんなっつったろが」
前方に降って湧いた二つの悲鳴とヤカラの声に、湧いていた思考が霧散する。
そうだ、今は夜行進の最中、ヤカラに悟られぬようコソリと気を引き締め直す。
「いくらセージの目が利くっつっても叢に潜んだ獣までは見えねぇだろが。襲撃されたらどう対応するつもりだ?大体、今の夜行進も普段の視覚に頼り過ぎた感覚を……」
「ほっ、ほらほらヤカ兄〜声大っきくなってるって〜」
「分かってるってヤカラサン。いつもの鍛錬と同じく視覚に頼らないよう目を閉じて集、中……クゥ」
「まってイオリっ、オレを一人にしないで!?」
少し離れた先では、駆け出した二人にあっさり追いついたヤカラが、彼らの頭頂に手刀を下し説教を始めている。
ヤカラも俺と同じくあまり見えていない筈なのによく動くというか小煩……いや、彼の場合は鼻が利くのだろう。
限界そうなイオリに対しセージはまだ元気そうだけど、やたら興奮しっ放しなのは糸が切れる前の何とやら、かもしれない。
やはりこちらもそう長くは保たないだろう。
「それにしても、セージの夜目は大したものだね。昼とさほど変わりなさそうだし」
「それな、寧ろ俺等の持ってる灯りを嫌がるくらいだもんな。日光は平気なくせによ」
呆れた目で子供達を見下ろすヤカラの隣へと立ち、同じように見下ろしてみれば、キョトンと見上げるセージと目が合った。
「え〜?だってせっかく光ってんのにさ~、眩しくしたら見えなくなっちゃうじゃん!」
『……ん?』
ヤカラに注意されたばかりなのに、警戒する素振りもなさ気なのんびりした声に、つい聞き逃しそうになってしまったけれど。
隣と同じ反応をしてしまうも、セージもそんな俺達を不思議そうに眺めるばかりで二の句を継ごうとはしない。
仕方なく、ぐるりと辺りを眺めてみる。
天上は賑やかしく瞬くも、その光は地上までは零れ落ちてはこない。
山肌は昏く山際の輪郭ばかりが際立ち、夜露を纏う草腹が風に揺蕩う度に、仄かに星の欠片を拾うだけ。
昏い道が浮かぶように続いている。
夜目に慣れた今こそはそれらのボンヤリとした輪郭を捉えはするけれど……少なくとも自分の視力ではそれらが光を纏っていると言うには無理がある。
ひと通り見回した先に、やはり同じように一周したらしい隣人と目が合った。
「……常人より、物に反射した光を捉えやすい、とか?」
「だがよ、それ程に過剰反応すんなら昼間は到底出歩けねぇ筈だぜ?それに星明かり程度で色まで見分けられるモンか?じーさまの処ですら難しいぞ、それ」
たしかに彼の家族が住む地ならば、星は地表を照らすだろう。
しかし、それでも仄白く浮かび上がる輪郭に色は映らない。
「うーん……キミの目は不思議だねぇ」
「う〜ん??」
改めて見下ろしてみれば、当の本人は俺を真似てなのかコテリと首を傾げて笑っている。
その年齢の割にはやや幼気だと思える振る舞いに、はたして昔の自分はどう見られていたのかと訝しむ。
少年に子供の頃の自分を重ねてみるもこの薄暗闇の中、その色は自分と同じ翠緑の瞳で……
「――あっ……そう、か……」
認識した途端、背筋を逆撫でされたような感覚が奔る。
闇夜の中、微かな光を宿して浮かぶ一対の瞳に見覚えがあった。
まるで――……
「まるで竜の眼、みてぇだな」
俺の二の句を継いだヤカラの声は、夜風に流れて消えていった。




