74.暑気を払う
背後に響いた音に、作業の手を止めて窓を見やる。
見送った時分から少し傾いただけの陽射しに、まぁた何かやらかしてきたんかっつー気配がヒシヒシとするが……このまま無視していても仕方がない。
重い腰を上げ、叩かれた扉を開けてやれば案の定、予定よりも随分と早い戻りのレイが立っていた。
その両腕は何故かイオリを抱きかかえて……いや、こいつぁ寧ろイオリがレイに巻き付いてんのか。
「おう、もう戻ったのか……って、こりゃまたデケェモン担いでんなぁ」
「うん……打ち所が悪かったんだって、ね?」
レイが語りかけてもその首筋に面を伏したままで微動だにしねぇ。
困った顔で己――【ヤカラ】に視線を寄越したレイの、その唇だけが動く。
――『ケ、ン、カ』……喧嘩、か。
どおりでセージの姿が無ぇと思ったわ。
つか、ンなもん放っとけばいいだろうに。
そんな己の胸中を見透かしたのか、レイは部屋の中を横切ると降りる気配のないイオリを抱えたまま、敢えて己の寝床に腰を掛けた。
幼子をあやす様に背を叩くその目が心底面倒くさいと暗に言っている。
だからって己に振られてもなぁ……
仕方なくレイの横にしゃがみ込み、ソイツの背中と対話を試みる。
「よぉ、どーしたよ?セージと殴り合いでもして負けたんか?」
揶揄ってみても無反応。そのくせ面を覗きこもうと近づけばより深く埋まった。
レイの首と腰もより絞まる。
微かにぐずついた声に、やはり放っときたくなるんだが……あぁハイ、しがみつかれてんもんな。
剥がしたいんだよな、アンタは。
「んで?何があったんだよ、実際」
「……」
「おら、近状報告」
「…………ひ、とりで旅しろって……言わ、れ……」
義務だと促してやりゃ、つっかえながらも律儀に応えてくる。
本当にコイツの性格は甘えんのに向いてねぇな。
(それにしても、セージに突き放されてそのまま帰ってくるたぁな。やり返しゃあいいのによ)
恩義でもあるのか、セージが相手となると些か判断が甘くなる。
いいように泣かされて帰ってくるなんざイオリの性分に合わねぇと思うんだが。
「あー、今はまだその時じゃねぇわな。単独で旅なんざ、アンタもセージもまだ無理だ」
「でも……セージは、嫌だって……ボクと……」
「ソレを決めんのはアイツじゃねぇよ。んな立場にねぇだろ、己の道理を通したきゃ俺等と同等になってからだ。そうだろ?」
この世界の端から端を移動するってな旅に、我が身の技量じゃ到底足りねぇ事くらい分かんだろうに。
「群れるってこたぁな、互いに守り合わなきゃならねぇんだぜ?そん中にいる限りは、喧嘩したとて互いに協力し合うしかねぇし、それでも気に食わなきゃ誰よりも強くなるか余所の群れに行くか……何れにせよ未熟者がどう足掻いても、独りじゃ生きていけねぇもんだ」
(……それに、よ)
溜息一つ、気取られないように吐く。
年を経てどんだけ強くなろうが聡くなろうが……孤独は長続きしねぇ。
群れから飛び出たところで結局、求めるもんは同じだ。
……そうだろ?
己の前にいる旅人はソレに気付いてんだか……いねぇんだか。
「……筋を通してぇんなら、己を叩き上げるしかねぇぜ」
イオリの首筋を軽く揉んでやる。
何にせよこればっかりは己自身で動くしかねぇからな。
「……じゃあ、修行する」
「おう、んじゃ稽古すっか」
「レイサンがいい」
「んでだよ」
漸く気が弛んだのか、モゾリとイオリが頭を上げた。が、その面は己に向ける気はねぇらしい。
レイの首に額を貼り付けたまま尚も呟いているようだが、己には届かない。
どんな内容だったのか、唯一聞き取れたらしいレイが、情けねぇ顔で笑いだした。
「アハハッ……それは、うん……大事だねぇ」
一段と気の抜けたその声に取り敢えず、己はもう用済みらしい、とだけは判った。
***
ギラギラと照る太陽の下、図書館の前でレイたちの背中をぼんやりと見送る。
あとで迎えに行くから、と言われ、それまでゴゥがオレ――【セージ】のそばにいてくれることになった。
そのゴゥに引っぱられながらフラフラとついていく。
太陽が眩しくて、ボンヤリする頭もザワザワした気持ちも、全部夏のせいなんだと思った。
そーだよ、きっとそう。
「――ほら、梨の果汁水。私のおすすめだ」
ゴゥの声と同時に冷たいものが触れてハッとする。
オレたちはいつの間にか広場の端っこまで来ていた。
渡されたコップにはジュースがなみなみと入っていて、小さな氷が一個だけ浮かんでる。
「いつまで眺めてんだよ。ソレ返すんだから、さっさと飲めよ」
ゴゥに言われて慌てて飲んだ。
スッキリ冷たい梨ジュースに、少し暑さも引いたかもしんない。
氷を咥えたままジュース屋のおばちゃんにコップを返しにいくと、笑顔でお金を渡された。
「えっ、あれ?ゴゥ〜お金もらっちゃったんだけどぉ?」
「は?そりゃあ返却したんだから、容器代分が戻ってくるだろ」
言いながら先にコップを返していたゴゥが、今度は水筒にジュースを入れてもらっている。
そっか、レンタル代ってことかな?
いつも当然のごとくヤカラの懐からコップが出てきてたから、こっちの世界の人はみんなマイコップ持ってんだなって思ってたわ。
「しかし迷惑料とはいえ、レイ様からこんなに頂いてしまったけど……どうしたものか」
「さまぁ!?」
「あっ……すまない。やっぱりお名前を呼ぶのは馴れ馴れしいよな。しかし、女神様と呼ぶわけにもいかないし……何とお呼びすればいいのか」
聞き慣れない呼び方に思わず振り向けば、ゴゥも困った顔でオレを見ていた。
ちなみにその迷惑料とは、オレたちのケンカに巻きこんだお詫びとしてレイが渡したお金のことだ。
ゴゥは、受け取るわけにはいきません!って慌ててたけど……キラキラモードの魔王には逆らえなかろうて。
ま〜アドバイスは何もできないけれど、天使とか女神呼びしないのはナイス判断だと思いますよ!
レイに対してはものすごーく丁寧なゴゥにちょっと引いちゃうけれど、結局オレたちの中であの人のこと呼びすてしてんのヤカラだけだもんね。
オレは兄ちゃん呼びだし、イオリは……いまだサン付けだし……
うん……なんだか、またザワザワしてきたかもしれない。
だけど、ゴゥに話す気にはなれなくて……オレはただボンヤリと辺りを眺めていた。
ここはちょうど日陰になっていて、吹き抜ける風がちょっぴり涼しい。
寄りかかっている塀をのぞき込めば、この下を通る砂色の道にいつかの防波堤を思い出した。
「なぁセージ」
いつの間にか、ゴゥがとなりに来ていた。
オレと同じように堀に寄りかかって、下の道を見下ろしている。
「イオリの言う事も、正しかったぞ」
「……っ」
ゴゥの静かな声に、胸のザワザワが増す。
「セージが私達を庇ってくれたのは嬉しいよ。認めてくれる相手がいるのは、本当に……全然、気の持ちようが違うからさ。私も兄も救われている。それは本当だ」
チラッとゴゥを見る。
ゴゥは、まだ遠くを見ていた。
「何ていうか最初にセージと会った時はさ、コイツはチョロそうだなって思ったんだよな。お人好しそうだし、簡単に言いくるめられそうだなって」
クルリとこっちを向いたゴゥと目が合って、思わず息を呑む。
「そんな私達からさ、イオリはずっと庇っていたんだぞ……さっきもな。セージだけじゃなく、女神様も天使様も、いつだって仲間を守ってた」
「守るって……ゴゥたちは敵じゃあ……」
「うん、私達は敵じゃあない……少なくとも、今はね」
よく分からなかった。
ゴゥのその言い方じゃあ、実はオレたちの敵だったってこと?
それとも……これから敵になるかもしれないってこと?
イオリは、それに気づいてたって……こと?
頭の中を疑問ばかりがグルグル回る。
そんなオレを眺めてたゴゥがおかしそうに笑った。
「フッ、あっはは!悪い悪い、冗談だよ、冗談……そんな顔するなって」
まるでイタズラが成功したように、お腹を抱えて笑うけれど……オレはどうしても一緒に笑うことが出来なかった。
「はー……まぁ要はさ、私達がこーしているのは、たまたまそういう結果になったってだけ……運良く、敵にならなかったってだけなんだよな」
「……オレ、よく分かんないよ」
ゴゥの言ってることがやっぱり分からない。
ゴゥたちはずっと味方だった。ずっとオレたちを助けてくれていた。
それのどこに、敵になる可能性があったってゆーのか。
ものすごく悪いことや、絶対に許せないことをするから敵になるのであって……
「例えばあの時、お前があのまま死んでいたら、私達はイオリの敵になってただろうな」
心臓がドクンと鳴った。
「もしくは兄さんが、家の為にとイオリを見捨てていたら、やっぱりお前の敵になっていたろうね。なんなら一番最初にイオリと出会った時は殴って拐おうとしてたからな、私達は」
あっけらかんとゴゥが言う。
イオリを見捨てる?
もしも、オレじゃなくてイオリがあんな目に遭っていたら?
「……ごめんなセージ、少し怖がらせたかも。でもさ、世の中には色んな人がいるし、悪意が無い相手に酷い目に遭わされる事だって多々ある。……きっと、イオリはそれを伝えたかったんだと思う」
たしかにあの事件では、ゴゥたちに悪意なんてなかった。
オレたちと同じで、巻きこまれただけで。
「あの事件では、私達兄弟は被害者だったかもしれない。でも世間にとって、ましてや誘拐された家族にとっては、叔父も私達もまとめて加害者なんだ。それは分かるよな?」
コクリと、頷く。
ゴゥはもう笑っていなかった。
もしもイオリがいなくなっていたら――オレはきっと、許さないって叫ぶだろう。
きっと、オマエラノ家族ノセイデ――って。
それで……ゴゥたちに出会わなければって、後悔するんだろう。
「それにな、さっきの図書館で私を恨む者が居合わせていたら、この町にいる間はずっとセージ達に嫌がらせや不利益がもたらされていたかもしれなかったんだ。それも分かるだろ?」
頷く。
だって、もしオレが被害者だったら、ゴゥたちと仲良くしてるヤツなんて嫌いになる。
それに……そう思ってる人たちに、ゴゥたちは悪くない!って庇えるだろうか。聞いてくれるだろーか。
もし、この町の人たち全員に攻撃されたらオレは……ゴゥもイオリも、みんなを守りきれない。
……オレは、弱いから。
「ごめんな。本当は声なんてかけるべきじゃなかったのに、セージ達に会えたのが嬉しくて……ごめん」
どうしてか、ゴゥが何度も謝っている。
謝んなくていいのに。オレだってゴゥに会って嬉しかったんだから。
「あのな、セージのした事も間違ってなんかないからな……だから泣くなって、な?」
ゴゥの困りきった声に、やっぱり笑うことはできなくて。
「泣いで、ないじぃ……」
「も〜勘弁してくれよぉ、こんなとこレイ様に見られたら恩を仇で返されたって誤解されてしまうだろぉ……」
「ざまぁあ」
「何だとコラ!」
またしても様呼びに反応してしまったとゆーのに、何やら誤解を与えてしまったよーだ。
だけど、それでよかったのかも。
こうしてほっぺたをグリグリされてる間に、勝手に溢れてくる涙なんか止まってしまえばいい。




