73.昼下がりの図書室 其のニ
嵐の館で出会った不思議な女の子……いや、女の子の姿をした【アラン】という名の聖石。
ソレから貰った変な生き物(?)が今、オレ――【セージ】の頭の上に乗っかっているという。
おそるおそる手を伸ばしてみれば、たしかにホワホワンとした感触があるよーな。
「あれ、なんかコイツでっかくなってない?」
「うん、昨日食べたモモくらいあるね。もしかして成長した?」
なんせ頭の上を見ることはできないんで、触って確かめるしかないんだけど……うーむ、出会った頃はピンポン玉くらいの大きさだったというのに、もうこんなに大きくなっちゃって。
「お前ら、何でそんなに落ち着いていられるんだ……いや、私もその辺は麻痺しているかもな」
成長の早さをイオリとしみじみ感じていると、警戒してちょっぴり離れていたゴゥもなんだかしみじみしているよーな。
吹っ切れた様子でふたたび近づいてくると、今度はオレの頭の上の物体――ウニを観察してる。
触ってもいいか?と聞くので、どーぞ、と頭を差し出した。
「おぉ〜、毛皮っぽくはないんだな。綿毛のような……というか少しも温かく感じないんだが、コレは本当に生き物なのか?」
ウニを指でホムホムしてるらしいゴゥの声に、ふたたびイオリと目を合わす。
「そーいえば、ウニって生きてんの?」
「そーいえば、動いてるとこ見たコトないね。とゆーか、ちゃんと居たんだね?」
そーいえば、あの時もいつの間にかいなくなったんだっけ。
はぐれちゃったのかと思ってレイに相談したら、まーそのうち現れるんじゃない、ってテキトーに言われたんだったわ。
どーやらオレが飼い主みたいなんだけど、コレに関しては何一つ分かんないまんまで。
突然現れた謎の物体、ウニを前に首を傾げるばかりだ。
すると、そんな悩めるオレたちを前に、ただ黙って眺めていたはずのゴゥが突然吹き出した。
「くっ、フフッ!いや、も……ふざけんなって、おまえらさぁー」
急いで口を押さえ、プルプルしている。
ここでは騒いじゃいけないですからね。
何がそんなにツボったのか、ついには堪えきれずにしゃがみ込んでしまった。
「おわ?ゴゥ、だいじょ……」
お腹痛くなっちゃったんだろうか。
そう思ってのぞき込んだゴゥの目は、涙でいっぱいだった。
「あー、大丈夫だ。これは……」
言いながら涙を払うゴゥからオレは目を離せなくて。
そんなオレを見て、ゴゥは仕方なさそうに笑った。
「……大丈夫だよ。ただ、笑い合えていたと思っていたのは、私だけだったんだなって……ふと、思い出してさ」
淋しそうに笑うその顔が、いつかの女の子と重なって見えて。
「ゴゥ……ぅおわっ!?」
声をかけようと手を伸ばすオレの体が、いきなり後ろへと引っ張られてしまった。
イオリだ。
背中から羽交い締めにしたまま後ろへとどんどん下がっていくんだけど……ゴゥとも距離が離れちゃうんだけど〜?
「ちょっイオ、リ……ん?」
振り向くと、めっちゃしかめっ面のイオリが睨んでいて……それでも、オレと目が合う寸前でフィッと顔を逸らされてしまう。
「セージ、そんなヤツと話したらダメだよ」
…………
ソンナヤツ。
…………ソンナヤツって。
「何だよ……その言い方。……ダメなのは、イオリの方だろ」
「……は?」
そらされていたイオリの目がもう一度オレに向く。
黄色味がかった瞳はいつも飴玉みたいにキラキラしてるのに、今だけはまるで光ってない。
一瞬だけ丸くなった目が、一段と低くなった声と共に細くなる。
「ボクは何も間違えてないけど?ソイツらのせいでヒドい目に遭ったの忘れてないよね?」
「だからっ、それはゴゥたちのせーじゃねーじゃん!」
「それでもっ、こうやって関わってたって、ロクな目に遭わないだろ!」
「お、おいおい、止めろってお前ら」
困ったようにゴゥが声をかけてくるが、それでもこのムカムカは収まらない。
だって悪くねーのに。
ゴゥたちだって辛かったのに……
「そんなに関わりたくなかったら一人で旅すればいーだろ!」
***
静かだった室内に低い音が二回、ほぼ同時に響く。
広い空間はシン……と、静まり返ってしまった。
突如として勃発したケンカは、どうやら私――【ゴゥ】が発端となったらしい。
セージは私が不当な扱いをされたと思い庇ってくれたのだろうが……この場合は。
「二人共、ここでの過ごし方は教えたはずだよね?」
重めの打撃音を放った主のその足元には、イオリとセージが頭を抱えて蹲っている。
ブルブル震えているのを見るに、相当効いてるようだ。
彼等を諌めるべく伸ばしたはずの私の手は、突如として現れた相手の腕に、ポスン、と触れる。
そんな私に、その人物は碧玉の瞳を向けてきた。
確かセージが、レイ兄、と呼んでいた人物。
初めて出会った時の印象は、我が兄が一時期熱心に語っていた湖の女神の像を彷彿とさせたが、その次に別邸で会った時は正直、目が合ったら凍りつくのではと思うくらいには恐ろしかった。
そんな相手が今、再び自分の前に現れたのだ。
しかも結構な至近距離で。
何だか出会う度に物理的に距離が縮まっている気がするのだが今はそれどころではなく。
氷の女神は短く目配せをすると、恭しく腰を折った。
「この度は連れがご迷惑をおかけしました。何卒ご容赦を願います……『テステフ卿の御子息殿』」
「……っ!いや、この件は不問とします。それと、この地では我々はただの土地持ちですから。どうぞ頭をお上げ下さい、旅の御方」
領主の子息という言葉に、辺りから囁きが漏れてくる……が、特に畏まる素振りはない。
神竜の影が色濃いこの町の住民にとって、自国の権力者など意にも介さない。
今となっては、不祥事を起こした一族にどんな処罰が下されるか、と白い目を向けるくらいか。
「ああ、痛ましい事件に遭われたと聞きました。神竜に仇なす者等の蛮行に対し、御一族の皆様の御身を削りながらも抵抗されたとか」
「いいえ、此度の解決は全て御神竜のお導きです」
「皆様のその信仰の深さに、あの天使方も手を貸されたそうですね。これからも共に歩まんと認められた証でしょう」
レイの放った天使という言葉に、辺りがざわめく。
そう、住民にとっては地主の子供の顔よりも、天使の言葉の方が重要だ。
―― この町の地主の処遇は天使の采配により赦され、次代より共にこの町を護り支えていく事に決まった。
そうとも取れる意味合いに、しかし首を傾げる者はいない。
全く、この国の……いや、この町の住民らしい。
この町というか、この国の北側一帯は、国王よりも神竜がもたらす影響の方が強い。
神竜が住まうとされる御山が近いのも理由の一つだろうが、領主という言葉が使われないのも、国ではなく神竜に仕えているという信仰の表明であるという所以がある。
その神竜の影として動く山岳民族など、住民達にとっては法に等しい。
彼等の行いは何より尊ぶべきものであり、彼等の言葉は神の啓示にも等しいとされている。
故に、そんな彼らの姿も言葉も悪意を以て騙る者には大変重い処罰が下る。
おかげで顔も知らない地主の子と旅人という、少しの信憑性の欠片もないはずの我々のこの会話でも、効果はそれなりにあったようだ。
(いや……それに加えて、この女神の存在も大きいか)
旅人だと名乗りながら、なぜか気品のある仕草と話し方に、この場の誰もが注目していた。
私達一族に向けられていた不信の目も、今やその人の一挙手一投足に奪われている。
芝居だと知っている自分でさえも。
区切りをつけるように、女神は改めて自分と向き直る。
「どうぞ、『御山の土の続く限り 神竜の加護と共にあれ』――」
どこか白々しさを覚える言祝に。
一段と冷えた氷のような瞳に。
それでも、冷たく放たれたその微笑みに、私は完全に目を奪われてしまった。




