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68.東の国境町 其の一

 東国の玄関口となる国境の町――【テステフ】

 とある名家の名を冠するこの町に滞在してからもう半月ほど経つ。

 何日か前までは暑い日差しの中にも涼を感じる風が吹いていたのに、今ではその風までもが熱を帯びるようになってきた。

 残暑だな、とヤカラが言っていたっけ。


「フゥ、あっつい……」


 真っ青な空に手をかざす。

 遮っているはずの太陽が眩しくて目を細めていると、不意に影が差した。

 後ろの塀の上から勢いよく飛び出した影はボク――【イオリ】の頭上目掛けて木の棒を振り下ろす。


「イーオーリぃーっ!スキあー……りょ?」


 が、いち早く気付いたボクが避けると影は着地と同時に横に二回転し、受け身を取ってようやく止まった。


「ぬぅ、またイオリに気づかれた〜」

「今回は影でバレたね。せっかく足音は聞こえなかったのに」


 バシバシとホコリを払いながら影が立ち上がる。


 ――真友 誠二。

 同じ中学校の同級生で、上背はボクと同じくらい……ウソ、ボクより三センチ高い。

 伸びてきた浅黄色の髪に、人懐っこそうな瞳。

 少し日焼けしたその頬には傷跡が浅く残っているが、これは元の世界(向こう)でボクを助けた際に負った傷だ。

 申し訳ないとは思っているものの、何でか見るたびに誇らしい気持ちになってしまう。ボクの大切な友人だ。


 ま、そんな友だからこそ、気になる面もあったりするのだが。


「というか、さっそく汚してるけどいいの?ヤカラサンに後で手直しするからあんまり汚すなよ、って言われてたじゃんか」


 彼が景気よく叩いているジャケットは、山岳民族であるヤカラの古着をリメイクしたもので、鮮やかな刺繍がセージによく似合っている。

 なのに、昨日卸したばかりの服であるそれに、すでに土ぼこりが目立ってしまっているのはいかがなものか。


「これくらい平気だって。今までのだって、洗えばすぐに落ちたじゃん?」


 けれどもセージは太陽のような笑顔であっけらかんと笑う。

 たしかに、()()()で使ってる石鹸の洗浄力がすごいのか、今のところ洗濯で手間取ったことはない。

 まぁそもそも旅に出るまで洗濯などした覚えもなかったのだから、比較のしようがないのだけども。


 ジャケットの裾を持ってバッサバッサと羽ばたいているセージを横目に、ボクは吹き出る汗を袖で拭う。

 その彼と同じく、昨日の買い物で手に入れたボクのシャツは、リネンが混じっているのかサラリと心地よい。

 少しかたい気もするが、洗っていくうちにやわらかくなると店員も言っていたし、前の服とは異なる着心地にもそのうち慣れるだろう。


「おースッゲ。イオリ、めっちゃ当ててんじゃん!」

「え……ああ、うん。連投はまだ全然ダメだけど、レイサンのフォームを丁寧に意識すればワリと当たるようになったかな」


 汗で湿った服を眺めていたらいつの間にかセージがとなりに立っていた。

 手をかざして、前方にある的をつけた立板を眺めている。


「へー、オレもレイ兄の投げ方やってみたいな。ヤカ兄の説明ってちょっと難しいんだもん」

「どうせそのうちやるでしょ。セージは今日は、壁駆けだっけ?ボクだってそっちはまだやったことないもん。もうすでにやりたくないけど」


 楽しそうな声で言ってくれるけど、そんなセージだってあちこちにすり傷を作ってる。

 そもそも壁を駆けるトレーニングって何だよ。壁は走るものじゃないだろ。

 ――思わず空を仰いだ。


(そういや、あの散々な目に遭ったトンデモ事件から、もう一週間以上は経ったのか)


 そこでのダメージが大きすぎて何日も寝込むハメになったけど、それすらも穏やかで平和な日常だったように今は思う。……動けるようになったとたん、ヤカラとレイによる個別指導のトレーニングがスタートしてしまったのだもの。


 それこそ初日はゆるいストレッチや体幹トレーニングで始まったのが日が経つにつれ筋トレも反復練習もと、どんどん増えていき、加えて合間にレイの授業が挟まれてと、くっそハードな毎日にボクたちはついに音を上げた。

 すると一転、昨日は買い出しと称して食べ歩きに連れ出してくれたりして……生かさず殺さずとはこのことか。


 今日の屋外トレーニングも、ボクたちのペースでやっていいと放置されているだがしかしノルマが重いが。


「でもさ〜この加護?があるからヘーキってゆーかさ。そりゃ転んだりしたら痛いんだけど、なんてゆーかバリア的な?あんまり怖くないってゆーか……」


 ボクの視線から気持ちを察したのだろう、セージがちょっとバツが悪そうに頬を掻く。


 この世界(こちら)に来た初日に、しかもボクたちが寝ている間にかけられたのだという『加護』

 それは体力及び感覚の向上、免疫力と回復力アップ。防御面については防寒、耐熱も兼ねているらしい。

 個人的解釈としては、『加護』という名の透明なベールに全身を包まれている状態なのでは、と推測しているが……そもそも異世界を渡るとかいうワケのわからない現象プラス目まぐるしい変化の連続に意識がまったく追いつかなかったせいで、その恩恵とやらも、存在は知れどイマイチピンときていなかったんだよな。


「あーうん、ワカルけど……それ、あの二人が注意してたやつだよね。()()()()()()()、ってさ」


 ようは調子に乗るなってコト。

 加護は無敵のバリアじゃない、油断してると痛い目に遭うぞ、と。


「うん大丈夫。ちゃんと、油断は大敵だ、ってじぃちゃんと父ちゃんにも言われてきたからさ。でも……」


 言いかけたセージがボクをジッと見る。

 普段は新緑を閉じ込めたみたいな瞳が、太陽を背にした陰の中、濃いオリーブグリーンに変わる。

 彼曰く、夜道でも昼のように見通せるのだという不思議な瞳。

 とても便利だとは思うけど、便利な道具は軍事にも利用されやすいのをボクは本を読んで知っている。

 この世界(こちら)はどうであれ、あまり他人に知られたくはない。

 そんなボクの心中をよそに、セージがイタズラっぽく笑ってみせた。


「ちょっと楽しいんだよね、この無敵っぽい感じ。ケガもすぐ治っちゃうし、体も軽いし!」

「ん、ワカル。あんまり疲れないし集中しやすいし。やった分だけ身に付いてるって分かっちゃうのがもうね!」


 セージの言葉に激しく同意する。

 いやもう便利なんだ、この加護ってやつは!

 トレーニング中、滑って落ちて膝を打つ瞬間はすごく痛いけど、それもみるみるうちに痛みが引いていく。

 ケガなんてうっすらと擦りむいた程度で済むし、疲労も上がった呼吸もひと息つくごとに回復していく。

 おかげで失敗したポイントを覚えているうちにリトライ出来るし、受け身の練習も捗った。


 この、怖がらずに何度でもチャレンジ出来る自分、てヤツがジツに……すごく気分がイイ。

 セージの言うとおり、まさに無敵なのでは?って思ってしまう。

 これはちょっと――いや、かなり楽しい。


「だよな〜。まーあの二人に比べたら全然弱っちぃんだけどさ……」

「あーうん、そーだね。あの二人の前だと、少っしも強くなってないもんね、ボクたち……」


 日々のレベルアップは感じれど、それでも一日のシメにあの二人と()()組み手を取れば、当たり前のように歯が立たない。

 あんなの、たぶん一生勝てないんじゃないか?


「……あ、ヤカ兄が呼んでる。何だろ?」

「……んー……あ、聴こえた。もうお昼かな?」


 むなしい空気が漂う中、セージがおもむろに顔を上げた。

 ボクも集中して耳をすませば、風の中に微かに笛の音が交じる。

 いつかも聴いたヤカラの指笛だ。


 ゴハンかもと思った途端にボクたちのお腹が盛大に鳴った。






 ・・・・






 一階の食堂でランチを済ませた後は、二階の部屋でお茶を飲む。この宿に移ってからの新しいルーティンだ。

 寝ている間に移されて朝目覚めたら変わっていた天井に、またか!ってセージが叫んでいたけども、ボクたちは前の宿で危険な目に遭ったからね、シカタナイ。 


「イオリ、ちょっといいかな。見せたいものがあるんだけど」


 ティータイムにひと息ついていると、テーブルの向かいから声がかかる。

 顔を上げれば、セージと似た色の瞳がボクを見ていた。


 ――レイ。

 ボクたちが初めて出会った、こちらの世界の住人。

 ボクたちの身の上を理解した上で一緒に旅をしてくれるとても親切で頼りになる……けれど、とても謎の多い青年だ。

 ()()()顔立ちしておいて、たまに大人らしくない言動をするので、気を付けていないとギャップにヤラれる。


「コレも俺が着倒したようなものなんだけど……よかったら、気に入った服が見つかるまで着てみる?」


 そう言って渡されたのは、フードの付いた薄地の服だ。

 あー……うん、あの事件のせいでボクの手持ちがメイド服だけになってしまったからな。

 昨日の買い物でも、暑いからって理由でアウターだけ保留にしてたんだけど……うん、ちょっと未練残ってたの見透かされたかな。


 丁寧に折り畳まれた服はクタリとした手触りではあるものの、目立った毛羽立ちもなくキチンと手入れされている感がある。

 ヤカラの古着に比べるとまだまだ現役のようだけど?


「え、いいの?まだ全然キレイだけど……レイサンの予備なんでしょ?」

「いや、実は少しキツくなってて……でも、売る気も捨てる気も無いのに、つい持って来ちゃったんだよねぇ」


 笑ってはいるけど、声が少し寂しそうだ。

 よほど大切に着ていたんだろうか。

 広げてみると、たしかにレイには少し小さいような気もするし……


(うーん……ボクが着るにはちょっと大きいかも)


 色味もデザインもボクの好みではあるけれど、サイズ的に着こなせるだろうか。

 そう思いつつ服の内側をめくってみると、鮮やかな刺繍布が目に飛び込んできた。

 エ、ナニコレスゴクカッコイイ!!


「おぉ〜めっちゃカッコイイじゃん!こっちが表じゃなくて?」

「使えそうなもんは残してたからな。補強の為に適当に裏地に縫い付けただけだぜ」


 一緒にのぞき込んできたセージの声に、ヤカラが応える。

 補強のためと言うが、落ち着いた色味の生地に刺繍布が嫌味なく映えていて色合いも全体のバランスもとても良い。コレは表に見えてもカッコイイんじゃないか?

 目の前いっぱいに広げて見ていれば、服の向こうからレイの申し訳なさそうな声が続く。


「えぇと……でも新しい服見つけたら気にせず処分していいからね?無いよりはマシだろうから。俺も昔、同じように言われて貰ったんだけど……結局ずっと着てたから、ボロボロになっちゃって……」


 ボクの長い沈黙を困惑と受け取ったのだろうか。

 いったい何をおっしゃるのやら、だ。


 初めて着た服はヤカラのお下がりで、それに続いてレイのお下がりも着れるだなんて。

 あの時のサンにうっかり感謝してしまいそうだ。それはそれとして服を勝手に処分した件は一生許さないけどな。


「そうなんだ?じゃあ、これくれたヒトは誇らしいね。だってレイサンのことを守りきったって証でしょ?ボク、大事に着るよ。ありがとうレイサン!」


 どうしてか落ち込んだ様子のレイに大きな声で感謝を告げれば、彼は驚いたように目を丸くした。

 うん、気持ちが乗っかりすぎたかな?シカタナイネ、本当に嬉しいんだもの!

 テンションのままに服と一緒にクルクル回れば、セージも一緒になって回っている。

 ヤカラも楽しそうに笑い声を上げていた。


「ハハハッ!本当敵わねぇよなぁ、良かったじゃねぇか、レイ」


 クルクル回る視界の中でヤカラがレイの背中をバシバシ叩いてるけど、痛いんじゃないか?


 レイはずっと、俯いたままだった。

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