66.嵐の陰に舞う 其の二
「……はい。私の妹です」
緊張した面持ちで、地主の息子が応える。
この黒髪の方はゴゥという名だったか。
ちょいと垣間見えた限りでは、冷静で頭のよく回る印象がある。研鑽を重ねれば次期当主の器に育つ見込みも存分にありそうだ。
まあそれも次男だの妾子だのに縛られてる家では高が知れてるが。
兄を庇う様に己――【ヤカラ】の前に足を折る黒髪に、さてどう話したもんか、と考える。
時間をかけてやる義理はねぇが、首を突っ込んだ以上は最低限の義務くらいは賄ってやるか。
「あー、一寸待ってろ……おい、レイ」
一先ず、隙あらば抜け出ようとしやがるレイに小さく耳打ちしておく。
「ここは順番だろ。譲ってやれよ……な?」
囁やけば了承したのか、嘘みたいに大人しくなったので拘束を解いてやる。
「っと、断っておくがこれ以上の恩赦を求めるなよ。山の民は情状を汲まん」
前置きとして告げておく。山の民の最優先は神竜への脅威を排除する事だ。
堪えるように顔を赤くした黒髪が頷くのを見届けて踵を返す。進む先、床に転がっている男の頭を足で小突いてやった。
「コイツを動かしていた大元はな、お前の妹だ」
***
――獣のような咆哮にハッとした。
何が起こってこうなったのか、何故倒れているのか、一切の見当がつかない。
起き上がろうにも、この体がやけに重くて。
床の上から辺りを伺う。
少し離れた先に、へたり込んだ弟の、ゴゥの背中があった。
俯いたまま身体をひねり、振り上げた拳を打ち下ろしている。
振りかぶる度に舞う飛沫が、オレ様――【ダン】の目の前まで飛んできた。
赤い、飛沫。
「ゴゥ……」
呼びかける。届かない。
獣の咆哮が、弟の方から響いてくる。
「ゴ……ゥ」
這いずって、這いずって。
絞りきった声が飛び交う血に交じってこの耳に届く。
「よ……くも、サンを……」
その一言で、十分だった。
何が起こってそうなったのか。何故ゴゥが叫んでいるのか。
……誰を殴っているのか。
獣になった弟を後ろから抱きしめる。
獰猛な息づかいが、冷え切った体温が、幼い頃から知っている弟ではないと告げていた。
それでもこの腕は離さない。離すものか。
「兄さ……コイツ、サン……サンを……はっ、離してよ……」
涙混じりの弟の声が、実は泣き虫だった過去を思い出させた。
「もう止せ。このままでは死んでしまうぞ」
「は……何、言ってんだよ。何で……庇うんだよ、兄さん」
どんな顔を弟がしているのか、見てやれない。見たらきっと、この腕を弛めてしまうだろうから。
すまない。すまないな、ゴゥ。
「ふざけんなよっ離せよっ、こんな奴いらないだろうが!アンタだって……」
三人でいる時はくだけた口調で話してた。町の子供を真似て、家に内緒でヤンチャな遊びに連れ回した。
「血が、繋がってないから……どうでもよかったんだ……私達兄妹なんて……」
母が倒れてから現れた、二人の子供。
離さないと誓ったこの手は、いつから……
「ゴゥ、もう止めるんだ。コイツには然るべき処罰を受けさせよう」
「そんなのっ今ここで受ければいいだろ!私がやるんだ!離せ――」
「離さん!!お前までコイツと同じ処に行くな!」
当主という肩書きを欲したのは、立場の弱い二人を守れると思ったから。
それが兄の矜持だ、なんて勝手に格好つけていた。
すまないな……こんな、兄なんだ。
「お前まで……離してたまるか……大事な、弟なんだぞ」
それでも、兄なんだ。
***
――パリ……と走る電糸に、瞬間、懐かしい気持ちになった。
「え、コレ……」
言いながらも身体は勝手に動き、前にいたヤカラを押し倒す――直後。
――ガガッ……ッドオォオオン!!!!
大地ごと揺るがす勢いで、巨大な白雷が落ちた。
衝撃に備えて身を固くするも、身体が煽られる気配もない。
ヤカラの背に押し付けていた顔をゆっくりと上げれば、辺りは一面の白に覆われていた。
「なぁおいレイさんよ、俺ぁ何時まで目隠しされていりゃいいんだ?」
「あぁ、目が灼けるかなぁって」
ヤカラの瞼に回していた手を下げる。
落雷の気配にとっさにその身を倒し、目を護ってみたのだけど、今回は不要のようだった。
身を起こしたヤカラと改めて辺りを見渡してみる。
というか、これは一体……
「こりぁまた……エライ雰囲気だな。もしやこいつが『雷帝降臨』てヤツか?」
「いや……似てるけど、彼女じゃあない。これは多分……」
【雷帝】の力は、やろうと思えばもっと強大で、もっと単純にいえば自然災害だ。
自然の落雷では、こんな空間は生まれない。
こんな芸当が出来るのは、唯一無二の存在だけ。
「……今度は一体何のつもりなの?――アラン」
俺――【レイ】の呼びかけに、隣でヤカラの肩が跳ねるが置いておく。しかし、相手からの返事はない。
「お、おいレイ。アランて……え、俺等、死んだのか?」
「どうだろ。俺もこの中に入るのは初めてだし、状況からしてそうかも、くらいだから……」
焦ったように問うヤカラに俺も首を傾げる。
理そのものともいえる【アラン】が人の前に現れるという現象は『試練』の他に無い。
ヤカラも帰らずの森を管理する山岳民として、そう教えられてきただろう。
けれど、試練とは人の心の内にて行われる。現し世ではない。
俺も昔、顕現に立ち会ったことがあるからそう判断しただけで、何の前触れもなくこんな空間に放り込むアランの思惑など知る由もない。
尚も困った顔で俺を見つめるヤカラに、大丈夫だとも言ってやれない。
それにしても、キュイエール以外の事でこんなにも狼狽えるとは……ヤカラも普通の人の精神を持ち合わせていたんだ。
「いや困る、俺の最期はキュイエールの膝の上だって決めてんだぞ」
「キュイエールも困ると思うよ、それ」
やっぱり放っておいても大丈夫そうだ。
「アランの顕現には膨大な量の電力……要は雷の力が必要なんだって。だからこれは試練とは関係ないんじゃないかな?」
向かうべきだった方向を見やる。
さっきまでそこにあったはずの仕掛け壁の向こうからは戦いの気配がしていた。手を伸ばしても、何も触れない。
「顕現ねぇ……まるで通せんぼだな。こいつがアレの仕業だとしたら、この先に行かせない為かもな」
「この機はそうだよねぇ。手を出すな、ってことかな」
もう立ち直ったのか、隣に立ったヤカラも同じように壁のあった辺りを眺めている。
後は子供達と合流するだけだというのに。
「アレの示しは絶対なんだろ?もしや、アンタがあんまり殺気立つから入室拒否されたんじゃねぇか?」
「なら聞くけど、この向こうにいるのがキュイエールだったとして、ヤカラはここで大人しく待ってるの?」
「ハッ、何言ってんだ。相手は聖石の王だぞ?」
からかってくるのに対して問う俺に、しかしヤカラは鼻で笑う。
「全力でぶち破るに決まってんだろ――行くぞ」
尊敬する気はないけれど、少しもブレないその胆力が今はとても頼もしい。
痣となった胸に手を当てる。
相手は理。在るべくして唯、そこに在るもの。
唯、受け入れるより他に無いもの。
「……それでも、抗うよね」
***
「――やれやれ、強引さが似てきたようだな」
姿無く滲み出た声は、幼気な女児を彷彿とさせた。
だが見廻せど、この只管に白昼の続く空間に気配は無く。
この状況下でンな芸当……ならばコレが【アラン】の声か。
そう判断するも、己――【ヤカラ】の隣人は意外な反応をみせた。
「な、んで、その声……なんだ」
声を聞いた途端、あからさまに狼狽えている。
これが嫌悪ならば、己も『声』に対して警戒を張るんだが……レイのこの様子はちと違うようだ。
「おや、気に入らなかったかな?最近は『彼女』の姿を器にしているのだが」
「……気に入らないわけないだろ」
「声ちっせ」
『声』とレイのやり取りに思わず突っ込む。
怒ったように目を伏せるその頬が薄赤い。
「そーいやぁアランは試練の相手によって姿形を変えるんだったか?」
「ふふ、今回のこれは試練とやらでは無いよ。安心して寛いでおくれ」
己の呟きにも気さくに応える声の主ことアランがそう言うと、床が迫り上がり座椅子のような形を取った。
数人は掛けられそうなソレに寄り掛かればフカリと腰が沈む。
「ヤカラ……さっそく寛ぐんだ」
「他に出来る事もねーんだろ?ならお言葉に甘えようぜ。俺等の足止めをするってこたぁ、アイツらのお守りを代わりにしてやるって事なんだろうよ」
座面を叩いて促してやるも、まだ納得がいかないのかレイは立ったままだ。
全く、心配症もここまでくると厄介なもんだ。
「あのなぁ、過剰に守ってどうするよ。転び方も知らねぇまま大人になる方が怖いだろうが。少しの怪我くらいなら黙って見守っとくもんだぜ」
「……こういった非常事態は別でしょ。相手が何者かにもよるし、そもそも目が届かなければ見守ることも出来ないじゃないか」
抑、アランとまるで旧知の仲である様に会話を交わしているコイツが何者なんだかな。
「だけど君、あの勢いでこの先の部屋に入ったら、目についた対戦相手を屠っていただろう?」
「……っ」
「やっぱり入室拒否されてたんじゃねーか」
アランの指摘に小さく呻いたレイの腕を引っ張って座らせる。残りの薬湯を渡せば観念した様にチビリと飲んだ。
「ハハ、仕方無くだね。見守る側がそう短絡的では、当人達の思考する機会も失われてしまうからな。しかし、どうしたのだろうね?あの頃の君ならば、例え敵対していようとまずはよく観察していたろうに。あの彼も、そうしていたろう?」
アランの声はよく響く。
年端もいかねぇ声のくせして、まるで幼子に語り掛けるように柔らかく、慈愛に満ちていた。
責めている訳でもないだろうに、その声にレイは何故か俯くが。
「俺は……だって、弱いから。どうしたってうまく守れないよ。あの人みたいに」
だが聖石の王はそれすらも柔く包み込む。
「いいや、君は赤眼の彼によく似てきたよ」
「……っ!」
そうか、今日は珍しいものが見られる日だったか。
取り敢えず、持ってた水をがぶ飲みする。
昨日からコイツに合わせて気を張り続けてたせいで、どっと疲れが出てきたわ。
もう今回の事件は解決したんじゃねぇか。そうだろ?
「なぁ、その赤眼って奴ぁどんな男だったんだ?」
「そうだねぇ。場に流されやすいというか、流れるままに対応していたのだろうな、あれは。力任せに道を拓いて行くような、そんな気質だったぞ」
「それ、似てるのか?」
そんで褒めてるのか、それ。
「ああ、よく似ているとも。何より、仲間を家族として受け入れていたからな。君も覚えがあるだろう?」
適当だなと思う事は偶にあるが……そうだな、連れに対する接し方は……そうかもな。
柔く笑うアランの声に、割れる様にして音が交じる。
「ああ、猶予が切れてきたな。ありがとう、君達とのお喋りは楽しかったよ」
「いや別に、この程度だったらまた付き合ってやるぜ。無論キュイエール優先だがな」
「本当にブレないよねぇ、キミって」
漸く立ち直ったのか、レイが目を細めて己を見やる。
ブレないという点ではコイツも他人の事を兎や角言えねぇとは思うんだが……言わないでおく。
「フフ、その彼ともゆっくり話がしてみたいものだな。そういえば、その彼を真似て私も加護という形を取る事にしたんだよ。君達任せにするのも悪いと思ってね」
「え……アランの加護って、それ……」
レイの引いたような声に対しても、アランは至極楽しそうな声を上げる。
「彼らをこの世界に招待したついでに、私も共に旅をしてみたくなってね。とはいえ、規格外のこの身では纏えないだろう?あとはまぁ、上手くやってくれ」
「えぇー……本当に適当になったよね、アラン」
消えゆく声にレイが最後に呼び掛けると。
「そうだろう?私も気に入っているんだ」
いつの間にやら戻っていた部屋に、愉しげな余韻だけが残っていた。




