62.白雷に残るは 其の一
「……ワタクシの希望は、永劫の眠りにつく事です」
いつものように淡々とした口調で、サンは言う。
「……あのヒトの存在するこの世界を、ワタクシが好きになるなんて、到底思えませんもの……ですから、迎えに来ていただかなくて結構ですわ」
こちらを振り向くこともなく、そう告げる彼女にボクも言い返す。
「気にしないで、ボクが勝手に迎えに行くだけだから」
「……ですから、構わないでほしいと言っているのです」
「うん、こちらもお構いなく。ボクもキミの意見を優先しない」
「……しつこい方ですね」
「キミに言われたくないのだけど?」
少しだけ振り向いたサンがボクを見る。
ボクも真っ直ぐにサンを見た。
「ボクはこの世界を楽しむよ。色々覚えたらキミにも教えてあげる」
「……ワタクシは、ワタクシを終わらせる方法を必ず探し出してみせます。諦める事はありませんわ」
「大丈夫。きっとボクの方が早いよ」
「…………」
ついに黙りこんでしまったサンの髪を、やわらかい風がなびかせていく。
いつの間にかあの白い世界は消えていて、ボクたちは雨でびしょびしょに濡れた部屋の中に戻っていた。
外はすっかりと晴れわたり、床に散乱した窓ガラスの破片がキラキラと光を反射している。
「……窓を開けてくださいませんか……名前も知らないヒトに頼むのは気が引けますが」
「え、ああ……イオリ、だけど。えっと、ちょっと待って」
サンのお願いを聞く前に、セージをどうしようかと考える。
こちらも気付けばスヤスヤと寝ているようで少し安心した。
とはいえこんな床の上に寝かせるわけもいかないので、そばの壁に寄りかからせておく。
ついでに自分のエプロンを外し、山岳民が破った窓の枠にかぶせて押し開けた。
少し重いが、割って入るほどでもないと思う。
「……広間で眠らせたお兄様達に、ごめんなさいと伝えてください」
「はぁ?そーいうのはじ……」
割れた窓に慎重になっていて、すぐそばにサンが立っていたことに気づかなかった。
振り向くには近すぎる距離に、言いかけたボクの口が塞がれる。
「……もう二度と会いませんわ」
あっという間もなくフワリと窓を飛び越えたサンが、宙に現れた黒いモヤの中に吸い込まれていった。
そのまま跡形もなく消え去ってしまう。これは……流石にどうしようもない。
取り残されたボク――【イオリ】は、そこから動けないまま。
照りつける太陽に濡れた庭がギラギラと光っていて、しつこいくらいに眩しかった。
***
白い世界にいた。
変なハナシだとは思う。
寝ているというのにオレ――【セージ】は今、辺り一面が真っ白な世界にいるんだと分かるんだから。
あの時の暗い世界に似ている気もするけど、そこに比べるとここはずいぶんと明るい。
「……どうして、頑張って生きなきゃいけないの?」
どこからか、声が聞こえた。
「……昇る朝日を見てこれから迎える一日に絶望するのも、このまま目が覚めませんようにって祈りながら眠りにつくのも、もうイヤなの」
鈴の鳴るようなカワイイ声。
ちいさな小さな女のコの声。
不安気に話すその声と一緒になって、そのコの感情みたいなのが流れてくる。
「……お兄様の笑顔だって、お兄様のくれるお花のいい香りだって。もう何も心に届かないの。もういらないの」
ツラくて苦しくて寂しくて。
何も言えなくて、オレはまた泣いた。
「……誰にも言えないの。悲しませたくないの」
一人じゃないのに、一人ぼっちだ。
こんな気持ちのコに、オレは何も言えない。
何が言えるんだ。泣くなよ、もう。
オレが泣いたって、そのコは救われないだろ。
「……泣かないで」
こんなに、優しいコなのに。
やっぱりオレは、何も言えなかった。
・・・・
――そんな夢から覚めると、すぐ目に飛び込んできたのはイオリの姿だった。
ちょうど窓を開けようとしている所に、もう一人の女のコがイオリに近づいていく。
たしか、サンって呼ばれてたコだ。
(夢の中の声は、あのコに似てたなぁ)
ぼんやりと眺めていると、そのサンはイオリに何か話しかけたようだ。
振り向いたイオリが急に…………
しばし時が止まった。
「……イオリが、女のコと、チューした」
「うっわビックリした!?って、チガウって、アレは向こうがイキナリ……」
「うーわ、相手のせいにするんスか。それちょっとどうかと思うスよ」
こちとら見たまんまを言ってるというのに何がチガウというのか。
反対側からフラリとやってきた山のコも同意見だったようで、お腹のあたりを痛そうにさすりながらもツッコんでくる。
「だからアレは仕方ないっていうか、事故みたいなモンていうか……」
「うわちょっと聞きましたぁ?責任取らないつもりですよあの人〜」
「この期に及んで事故扱いスか?引くわ〜」
「本人の前でコソコソ話すのヤメてくれる?てか聞こえてるし」
ちょっとどころじゃナイと思うイオリの発言に、山のコと一緒にヒソヒソしちゃう。
イオリが何か言ってくるけど、やっぱどうかと思いますわよ〜。
『う〜わ〜……』
「ウルサイよ。ていうかオマエ、動いて平気なのかよ?」
あらためてハモれば、イオリも流石にイヤになったようで、山のコに話を変えてきた。
でもたしかにこのコもすごく痛い目に遭っていたはずだ。
「そーだよ大丈夫?キミ……あ、オレはセージね。手ぇ貸すよ」
「ロン、スよ。お気持ちだけで結構ス、丈夫に鍛えられてるんで。つかキミも男の子だったんスね」
あらためて見れば額に玉の汗が浮いている。
この部屋じゃ休めそうにもないし、移動したいけど今のオレじゃオンブも出来ないし……うん?あれ、ロンのそのセリフだと……
「え、オレ女のコに見えてるの?そんなにカワイイ?」
「……セージ、スカート」
初めて間違えられたヨ、と思ったけど…ろそーいやそーだった。変装してたんだったわ。
「う〜ん、ホントに女の子だったらカワイソ……コホン。え〜と、そんな事よりも……」
何かゴニョッと言いかけたよーだけど……軽く咳払いすると、ロンはイオリに向き直った。
「アンタはどっち側なんスか。返答次第じゃあこの場で叩き潰す」
「ちょっ、ちょっと待って!?ロン、イオリは敵じゃないって!」
ジャキッ、といきなり例の武器をイオリに突きつけるロンに、慌てて待ったをかける。
だけどそんなオレをロンはチラとも見ない。
「敵を助ける奴はその時点で敵スよ。情かなんか知らないスけど、アレを逃がした罪は重いスからね。なんせアレは、我々山の民だけでなく、生者にとっての脅威となるんスから」
「えっ、え〜とでもさ~」
とっても怖い顔でイオリを睨むロンに、何て言ったらいいのか分からない。
たしかにサンのあの黒いビームみたいなのはめっちゃ怖かったけども、本人は怖くないっていうか……きっと自分から他の人に危害を加えるつもりはないと思うんだ。
むしろ今のロンの方が怖いっていうか……
イオリが逃がしたのだって、もしかしたらあのコの事情を知ったからかもしれないし。
だけど……
(一人ぼっちのまま逃げたって、ずっと寂しいまんまだよな)
あのコが伝えてくれた感情が、胸の奥の方でグルグルしてる。
何も出来なかったから。オレは何も……
「セージ、もういいよ。ソイツの言ってるコトは正しいしさ。ロンだっけ?どのみちヤカラサンに報告するんだろ。ボクも会って話すコトがあるから」
うっかり俯いてると、イオリが声をかけてきた。
叩き潰されちゃうかもしれないってのに、吹っ切れたようにロンと向き合う姿は、オレよりもずっと堂々としてて、カッコよくて。
「……そんな事言って、ヤカラに泣きつくつもりスか」
「フッ。そんな甘くないだろ、あのヒトは」
そのままロンとイオリがしばし睨み合う。
なに、なんかカッコいいんだけど二人とも!
「ハァ……分かったスよ、ヤカラの所に連れて行くス。アンタ立ってるのもやっとみたいだし」
ようやくそう言って、ロンは武器を下ろしてくれた。どうやらこの場は許してくれるみたいだ。
軽くため息をつきながら武器を足の辺りにしまっていく。
「あのなぁ、それはお互いサマだろ。何なら手を貸してあげようか?脂汗スゴイけど」
「結構ス〜。女誑しに貸しは作りたくないんで」
「ハ?だからアレは違うって言っただろ!」
「も〜やーめーろーよー。二人ともボロボロなんだから〜」
なーんかな〜。外は爽やかな雨上がりだというのに、部屋の中はギスギスしてきたよーな?
てゆーか、足もとフラフラなクセにこれ以上ケンカしないでほしーんだけど。
「そーいうキミ……セージも一体どうなってるんスか。あの欠片を押し付けられたように見えたんスけど……どこにも無いスよねぇ?」
ふたたび睨み合っていたロンの目が今度はオレに向かうけど、そーいえばヒタイに当てられた気がしたよーな……
だけどロンの質問に反応したのは何故かイオリの方で。
「あーあのカケラなら壊れたケド。なんか、掴んだら割れて」
「はーぁ!?あの欠片が掴んだだけで割れるワケ……ッツゥ!」
あきれた声を上げかけたロンが蹲る。さっきよりもスゴイ汗だ。
「あーあ、だから言ったじゃん。ヤセ我慢するから」
「っくぅ……それ、はお互いサマ……っス」
「もう二人ともヤメロってば!ロン大丈夫?ほら、イオリも手を貸して……って、うわっ!?」
慌ててロンにかけ寄って、イオリと一緒に持ち上げようと肩を組んだ……その時だ!
――ブワァッ!!
突然オレの手から黒いモヤが飛び出てきた。
まるで生き物のように大きくうねると、あっという間にイオリとロンのお腹に向かって食らいつく。
『うわっ――!?』
「わーっ!?何コレぇえ!?ヤメっ二人を離せぇえっ!!」
とにかくヤバイ。だってコレはサンのモヤと一緒のヤツだって!
無我夢中で黒いモヤを引っ張った。するとモヤはあっけなく二人から離れて……今度はオレ自身に食らいついてきたんだけどぉお!?
「ゔーわーっ!?イヤァアーっ!!」
「セージっ!っこの、離せっ!」
何が何やら分からないまま、しばらくすると黒いモヤは消えていった。
あとに残るはオレたち三人の荒い息づかいだけ。
「……いっ生きて、るの?オレ、生きてるの?」
「大丈夫、生きてるよ。ていうか……今の、何?」
「ゲホゲホゴホッ……!」
あまりの恐怖に、イオリと一緒にへたり込んでプルプルしちゃう。ロンにいたってはひたすら咳込んでいるし。
「ゲホッ……っ!やっぱりオマエも【マガイモノ】かっ……!」
どうやら立ち直ったらしいロンがユラリと立ち上がり、こっちに向かって武器を構えてきた。
え待って。マガイモノって何?オレはナニ!?
「待てっロン!セージは違うんだ!」
「やっぱりアンタも知ってたんスね。だからアレも逃がしたんスか!」
「アイツのコトはボクも知らないけど。とにかくセージはサンのとは違うハズなんだって!」
「ハン、マガイモノと同じ能力使っててよく言うスわ。オマエ等はまとめてぶっ潰す!」
「待ってイオリ!待ってロン?オレだけ何も知らないんだけど?待ってぇえ!!」
もう何もかもがめっちゃくっちゃになって、何もかもがワケ分からんっ。誰でもいいから助けてほしいんだけど!?
てゆーか、ヤカラとレイはドコにいるの?そろそろ出てきてください!
「マガイモノでは無いよ」
オレの願いが届いたのか。
降って湧いたようなその声は、だけどやっぱりオレの知らない声だった。




