58.曇天滴るが如く 其の一
祖父に付いてこの町に居着いてから、もう数年と経つ。
何年経とうが祖父の背は遥か高みにあって、経験も筋力も、同族の中ではまだまだ下っ端。
それでも、この町の雲行きを任されるくらいには実力がついてきたのだと、そう自負していた。
けれども。
「まだまだ、見解も足りてないスね。ジブンて奴は……」
つい零れ出た自分――【ロン】の呟きは、あの二人に届いてないといいが。
「おらテメェウチの仔どうしたちゃんと薬湯持たせてやったんだろうな、あ?」
「気にするのソコスか?」
その二人とやらは今、広間で伸びている灰装束のうち一人を蹴り起こしている真っ最中だ。多分あの頭巾の持ち主なんだろう。
……本当に、聞いてきた印象とはずいぶん違う。
―― ヤカラと云う男には期待を抱くな
之は祖父の教え。
子供の時分に死ぬ定めだったところを彼の賢人キュイエールに救われ、以来その生涯を賭して忠誠を捧げる男――
同族からそう評されているのがヤカラという人物だ。
胆力知力全てに於いて、いずれ山の民を統べるだろうと謂われ、その実力は先程自分も垣間見た。
なのに当人は露とも興味が無く、助力し合いつつも我々山の民とはどこか一線を引いている感がある。
誰と馴れ合うでもないその男はきっと、有事の際は神竜よりも山の民よりも、キュイエール唯一人を優先するのだろう――
そんな噂の男だ。
自分みたいな小娘ならば尚更、ロクに話も聞いてくれず、気安く近寄るなって態度取られてこちらの都合などお構いなしに動くのだろう。
そう思っていたのに――祖父の命で渋々付いてみればどうだ。
実際のヤカラは……ま、人相はキツイが、根は中々に面倒見のいい奴らしい。
案外話しやすく、さっきの自分の誤診に嘲ることもなく、且つこちらの自尊心を慮ってか助言もサラリと流してくれた。
あの当主に対してもだが、そもそも自身とキュイエール以外どうでもいいと思っていそうな男が手心を加えたり、この町の問題に責任を取らせようと発言したのには驚いたもんだ。
それに……
「あっおいコラレイ、勝手に行こうとすんな! 心配なのは分かるが安静にしてろ。ほれこれでも飲んで……ああほら、椅子持ってきてやるからっ」
「保護者なんスかね?」
面倒見がいいというか、一寸甘やかしも入ってる気もするが。
片や、ヤカラに首根っこを掴まれて引き摺り戻された美貌の青年は、不服! と言わんばかりの表情でそれでも大人しく渡された薬湯を啜っている。
キュイエールを救いし者。
山に舞い降りた氷花の精。
山からはそんな噂が届いている。
世界を渡り歩いた見聞を活かし、子供らにも教え諭す旅人あり。
しかし人の輪に深く踏み込むこともなく、神域に借り暮らす者――と。
賢人の如き対応に不足はない。だが山の民として迎え入れるには、触れるに触れられない凍えきった氷の花。
眺める分にはいいけれど、そんな凍傷しそうな花、きっと自分は近づきたいと思わないな。
そう思って構えてはいたのだが――さっきのヤカラの言葉と重ねてみる。
冷淡かと思えば冗談めかしてすっとぼけたり、少しズレたところもあったり。
たしかに、氷花として飾っておくには勿体ない。
(まったく、噂とはアテにならないスね)
現に目の前でじゃれ合っている二人は、聞いていた印象とは――孤独とは無縁そうだもの。
「ちゃんと手入れしあえる仲間がいるじゃないスか」
孤高などではなく、共に高みへと咲く花。
どうりで祖父も気に入る筈だ。
「――だぁから飲み捨てて行くんじゃねぇって……あン? おいコラ今舌打ちしたか? したよな――」
「……前途は多難そうスけどね〜」
この呟きも……届いてなさそうだからいっか。
***
――バチンッ、と衝撃が走った。
視界は真っ白で、グワンと頭がブレる。
何が起こったか分かんない間に、二度目の衝撃で床に叩きつけられたのだと分かった。
涙で滲む視界に床が映り靴が映り――こっちを見下ろす男の顔が映る。
「悪いがお前にやる分はもう無いのだよ」
ニタリと顔中を歪めて男が嗤う。
汚いモノでも見るように、馬鹿にしたように、心底愉快そうに。
「――何せ、コレで十人目だからなぁ!」
笑い声を上げる男から目を離さずに、なんとか立ち上がろうともがくけど、上手く力が入らず尻もちをついた。
(イオリっ――)
呼んだつもりなのに、口からはカハと空気がもれるだけ。
(助けなきゃ……イオリがピンチなのに――)
起き上がりたいのに動けない。
どうしたって、オレ――【セージ】の体は思うように動かない。
視界はユラユラと揺れてイオリの姿を探せない。
悔しくて、視界がさらに滲んだ。
敵わない。
敵わないんだ。
心の底から腹立つ相手なのに。心の底から自分を叱ったって。
いつだって、自分一人じゃ何もできない。
「――そこまでだ」
痺れる耳に誰かの声が届く。
(……レイ兄、ヤカ兄……)
そうなんだ。いつだって大人がいないと先に進めない。
オレじゃあ、ダメなんだ。
(助けて……)
声にならなかったと思うのに、応えるように誰かの声が重なって、オレの体が宙に浮く。
「よく頑張った。ここから先はオレ様に任せろ」
オレの顔を覗き込んだダンは力強く笑って。
それから目の前の男と対峙した。
***
「――ダン!? ど、どうやってここに来た!?」
いったいどこから湧いたのか、突如として現れたダンに男が激しく動揺する。
「久しいな叔父上。オレ様と関わっただけの者に始末を命じたのはお前か? よくもこの様な非道な真似をしてくれたものだな。まずは謝れ!」
「なっ――んだその口のきき方はっ!? 俺様はお前の叔父だぞ! お前の父から次期当主を任されるのはこの俺様だぞ!」
眼光鋭く睨み据え、セージを抱えたまま立ちはだかる甥の姿に男――叔父は、呆気に取られていたもののすぐに我に返ったようだ。
勢い込んで言い返すのに、ダンは浅いため息をついた。
「またその話か。父上はそのような約束などしていないだろう。いいから謝れ!」
「誰が謝るか! 俺様はこの家の繁栄の為に動いているのだぞ、お前が感謝しろ!」
「なぁにが繁栄だっ! 村ひとつ爆発させるわ片っ端から少女を攫うわクソ迷惑な事ばかりしやがって! しかもオレ様に罪なすりつける気だろう!? いーからあーやーまーれっ!」
「兄さ……ダン坊っちゃん、語彙が拙いですー」
勢いはあるのに話がちっとも進まない泥試合に、ゴゥがツッコむ。
だがそれにいち早く反応したのは叔父の方だった。
「お前の仕業かっアネ! 雇ってやった恩をよくも仇で返しおって!」
結構な至近距離でそこにいるのは、アネのフリをしたゴゥなのだが、雇い主なのに気づかないらしい。
指をさされたゴゥは口に手を添え、不敵に笑ってみせた。
「ウフフッ、生憎ですが私共が仕えるのは当家当主でございます。その当主がダン坊っちゃんを後継に選ばれた。なればどちらを優先するかなんて決まっていますわ!」
「そうだぞ、この家はオレ様が継ぐ! 分かったら大人しく罪を認めるんだ!」
いっそ高笑いでも上げるんじゃねーかの勢いで勝ち誇る兄弟に、しかし叔父は動じない。
「ハッ、罪だと? バカバカしい。俺様は病に伏した兄上の為に、この家の益になる事を率先したまでだ。ついでに聞き分けのない使用人も全員解雇してやったんだぞ? 逃げ出したお前の代わりになぁ」
「ハァッ? 馬鹿言え、あれはお前がオレ様を擁護する使用人をイジメるからだろうが! オレ様が離れれば済むかと思ったのに勝手に解雇とかするんじゃない!」
「てかその代わりに若い女の子ばかり集めるなんてどんだけ変態なんだよ。キモすぎるだろ」
ずいぶんと好き放題やっているらしい叔父の発言にダンはマジギレし、ゴゥもアネのフリを忘れてマジツッコミするが、叔父はもはや、それすらも気にしていない様子だ。
何かを夢見るように、大きくその腕を広げた。
「誰が変態だっ! これは世話も護衛も制圧さえも一手にこなせる最高の使用人を手に入れる儀式なのだぞ――フフフ、見せてや……ガッ!?」
「――うっるっせぇえええっ!!」
不敵な笑みでこちらに手を伸ばして――……
そして、ついにボク――【イオリ】もブチギレた。
「いつまでもクダラナイコトで言い合ってんじゃねぇーよ、どぉーでもいーんだよコッチは! ンなコトより誰の始末が何だって!? テメェセージに何しやがったぜってぇ許さないからな――」
あんだけ危険な目に遭ったのは、こんだけ大変な目に遭ってんのは、実は親戚同士のケンカに偶然巻き込まれただけでした。
だとか、マジで冗談じゃない。
しかも何だ? たった今セージに手を出したばかりだが!? 他にも危険な目に遭わせてたのか!?
蹴り倒した叔父とやらをニラみ下ろし、腹の底から暴言をあびせて――……
――……そこで、ボクは目を覚ました。
・・・・
(……ドコ、ココ……)
最初に見たのは薄暗い天井。
目を動かせば薄暗い壁に貼りつく細長い窓。
雲が分厚いのかそういった時間帯なのか、外はどんよりと暗かった。
(初日に運ばれた部屋に似ているな)
問題は、なぜ自分がここにいるのか、だ。
さっきまで――いや、今ボクはたしかにセージのいるあの部屋で、あの叔父とやらと対峙していたはずだった。
なのに、気付けば誰もいない部屋の真ん中で寝ているとは。
(……夢? いやでも、ボクはたしかに……アレ?)
夢だとしても、いったいドコからで、むしろ今のコレが夢かもしれなくて、そしたら現実のボクは大ピンチなのにソレは夢だったかもしれなくて。
(夢でも現実でも……早く起きないと……早く)
思考はグルグル回るだけで現状は一向に変わらない。
起き上がろうにも体はやけに重たくて、ダルくて。
「……やはり、貴女には薬の効き目が悪いのですね」
ふいに頭の上の方から降りてきた声に、あぁそうか、と何故か確信した。
「……それでも、無事に目覚めてくれたようで安心しましたわ。薬の調合の加減なんて素人にはわかりませんもの……ねぇ?」
静かにボクを見下ろす、ベールのスキマから覗く紺色の瞳。
灰色服のメイド――サン。
彼女がきっとこの事件の黒幕なのだ、と。




