56.雲中の二匹 其の一
本年も宜しくお願い致します。
――東国の北部に位置するこの町は、北国との国境に程近いこともあって他国との交流が盛んな、国の要とも云える重要な町である――
と、この辺りの情勢はイオリとセージにも、ちょっと変わっている国、という点を含めて教えてある。
地形や国柄というのもあるけれど、一番大きな要因はやはり神竜の存在だろう。
古より禍からこの国を護り続ける神竜は、どんな要塞よりも遥かに強固であり、あらゆる災害から守ってくれると信じられているからだ。
……実際のところ、遥か昔から神竜が退けてきたものは災害等ではないのだけど……それを知る者は、もう殆どいないらしい。
「しっかし一人の出迎えも寄越さねぇなんざ、随分とシケてやがるよなぁ」
「そりゃ無断侵入してるっスからね。あれ、自覚なかったんスか?」
ボンヤリと過去を振り返っていると、俺――【レイ】の前を歩くヤカラのボヤきに応えて、耳に痛い台詞が飛んできた。
目を向ければ、ゆったりとした歩幅で歩くヤカラの隣を、少女が軽快な小走りで付いて行く。
齢の頃はあの子達と近そうでも、彼女――ロンは、この町の管理を次期に任されている一人前の山岳民だ。
昼間に情報を仕入れたあの老人の孫にあたるそうで、ヤカラと二人でいたところに先の老人と同様、湧くように現れ、この屋敷へと案内してくれた……のだけど。
「人聞きの悪い事言ってんじゃねぇよロン坊。俺等はちゃんと正面から堂々と入ってったろうが。偶々誰にも会わなかっただけでな」
「いや明らかに見張さんの隙ついてたっスよね。つかヒトん家訪ねるのに窓から入るヒトいます?目の前にいますけど」
ハテ、と首を傾げるヤカラに倣って、俺も経緯を振り返ってみる。
あの後――リハビリがてら町に繰り出し、あの子達のオススメを堪能しているところ――にロンがやって来て、一緒にこの町の一角にある屋敷……つまりは今いるこの場所を訪ねることになったのだけど……
先頭のヤカラの進むままに真正面の門を通り過ぎ、一人しかいない門番の死角から塀を越え、適当な窓から中に入り、特に誰にも遭遇しないまま行けるところまで行ってみた結果、二階の奥の方の廊下を三人で会話しながら歩いているという現状になった訳で…………
……うん、もしかしたら、防犯意識が低いからといって気軽に侵入するのはよくないかもしれない。
イオリとセージにもちゃんと言おう。いつか。機会があったら。
「そういえば……あの子達の故郷では、先触れのことをアポって言うらしいよ?」
「ほーん、なら今回はアポを出しそびれたから仕方ねぇよな」
「そーゆー問題じゃねぇと思うんスよね。つかお二人揃って話逸らさないで欲しいス」
手厳しいロンはさておいて、先日イオリに教えてもらった言葉を思い出してみる。
取るとか取らないとか、そういった使い方をしていた気がするけれど、先触れや手紙などの『出す』ではないのなら……会合する権利を取得する、約束を取り付ける、あたりだろうか。
「つかジブン、爺様に言われて見張りに来ただけなんスからね。このクソ忙しい時に負担増やさないでくださいス」
人の気配もない廊下にロンの苛立った声が通る。
実はあの時、ヤカラが始末を仄めかすようなことを言ったものだから、ロンがお目付け役として付けられてしまったらしい。
道すがら延々と説得される中、件の二人組がこの屋敷の次期当主だと知らされた時は、当のヤカラも一時目を丸くしていたけれど。
ただそれで納得してくれるタマでもないし、ロンもあの老人もその辺りの諸事は心得ているらしい。
現に、屋敷を調べると言って歩き出したヤカラに小言を言いながらも、ロンは大人しく付いてまわっていた。
「そりゃあの二匹次第だな。ここで火薬の取引してんのは掴んでんだろ?事に依っちゃあ責任取ってもらわねぇとな」
「ほ……」
多忙な同族の意見辛苦にも、至極当然と宣言するヤカラの台詞に、ロンは驚いて立ち止まる。
口に出して確認し合った訳でもないのに、ヤカラも俺と同様に、この屋敷が村を襲った連中の拠点だと踏んだらしい。
調べによると、連中の所持していた武器の中にこの屋敷の家印が刻まれていたものがあった。
この屋敷の現当主に与えられた印を、あのならず者達が持ち出していたとなれば……
(当主の指示か、そう見せる為の陰謀か)
どこの国に行っても、跡目争いだの資産の争奪だのといった話は尽きた例がない。
個人的に、次期当主だというあの二人組が首謀者だとは思えないのだけど……どんな事情酌量があったとて、ヤカラはきっと容赦しない。
「それと拐かしの件についてもだ。村の女共と町で消えた女の人数が合致してるか調べたか?」
「それはハイ、言われたとおり。拐われる筈だった村娘達と、例の娘を含めてそれぞれ。でも、今日の分を合わせると一人多いスかね?」
「今日の分は換算すんな。て事はあと一人足りねぇか……あーお前さんが囮になるとか……」
「いくらヤカラでも爺様に殺されるっスよ」
村で隔離されていた女性達は村にいた全ての女性が集められていたわけではなく、十代半ばという括りで、人数の上限があったと思われる。
町の方の事件では、村で集め損なった分を補填する為に行われたのだろう。
「爺爺は容赦しねぇからなぁ……なぁ、レイ」
この条件下での誘拐はきっと、俺も知っている事例だ。
「こいつぁ『雷帝の再現』か?」
振り返り問うヤカラの視線に、こちらも視線で返す。
――ひと昔前に、ある伝説が生まれた。
『とある教団で、名も知れぬ聖石を与えられた少女が、雷帝と成った』
当の教団はその少女と共に消えた筈なのに、噂は何故か広まった。
曰く、雷帝に成るのは、うら若き少女だけ。
曰く、その奇跡は十番目に起こる。
曰く、名も知れぬ聖石の出処は、『西の都』である。
その濁った噂は風化することなく……――
『西の都から出回った聖石を九名の犠牲を経て少女に与えれば、神と同等の強大な力を持った者が造れる』と、極々一部の間で密やかに、その再現が行われているという。
……きっと、今も何処かで。
「雷帝……って誰なんスか?」
「さぁな、俺もキュイエールから一度聞いたっきりだからよ。なんでも、西の聖石には神力があるとかでよ?九だか十だか繰り返した果てに成功すんだと。だから成ったソイツがそう名付けられんのかもな」
首を傾げるロンに、言い放った本人はぶっきらぼうに返す。
まぁ、その名を知るものは殆どいないから、当然の反応なのだけど。
どういうつもりなのか、キュイエールがそんな雑な説明をするはずはないと思うのだけど……それでも。
「彼女は、もう現れないよ」
それだけは、揺るぎようのない事実であって。
「それに、その石は紛い物だから。そんな方法でイシマトイに成れるはずもないしね」
聖石は誰かを認めて初めて、その人に憑く。
その噂どおりに強制的に人体にねじ付けたところで、イシマトイに成れるはずもない。
「無理矢理結合された石はね、拒絶反応を起こしてその人の精神を壊してしまうんだ」
この世界を彷徨っている大半は、そうして生まれている。
成る程な、と小さくヤカラが呟いた。
「そうやって【灰装束】が生まれんのか」
***
マジスか……、と息を飲むロンの声が漏れる。
山の民等にとっては、灰装束という存在は世棄て人のようなものだという認識しかない。
偶に神竜の手に掛かりたいと願いに来るような煙たい連中――只それだけだ。
レイの云う其れが世界の一般常識かは知らねぇ。
だがこの認識は少なくとも、此の世を棄てたいという意志を持った者であり、石に壊されたモノではない。
どんな目に遭ったとて、今際の際迄は、心は持っているもんだ。
――そうだろ?、とレイを見やる。
己――【ヤカラ】からはとうに視線を外し、俯いたまま。先刻から禄に口も利きやしねぇ。
(全く、誰の何に対して憤ってんだか)
相変わらず自覚があんのか知らねえが、こいつは相当怒っているんだろう。
まるでぼんやりと物思いに耽る様で佇むレイから目を離し、先へと進む。
どの様な経緯で灰装束が出来上がろうが、山の民が待遇を変える訳も無し、だ。
灰装束が何に利用されてようが知った事じゃねぇ。
「ねね、一寸聞きたいんスけど……あのヒトっていつもああなんスか?」
駆けるように寄って来たロンが小声で問うてきた。
祖父に付いてこの町に住んでいても、碧髪の噂は山から届くらしい。
大方、人当たりが良いだの、親切丁寧に相談に乗ってくれるだのといった辺りだろうか。
んな人物像を抱いてたのに、実際に対面してみりゃ表情は暗く、口数も少ない。
さぞ肩透かしを食らったことだろうが、今回のこの豹変振りは己だって初めてだ。
何と説明してやったもんか……
「冷静沈着で人を寄せ付けない雰囲気がまさに氷花の精って感じスねぇ……噂通りス!」
「……さよか」
んな印象だったか?
「イシマトイだって聞いてたもんスから、けっこうお喋りなヒトなのかと思ってたんスけど……ありゃ爺様も気に入る筈スねぇ」
……気に入ってたんか?
聖石嫌いな神竜の影響もあってか、山の民にイシマトイは居ないし連中も基本、聖石に興味を持たない。
このロンも特に教わらないまま育っている筈だろうし、己だってキュイエールから学ぶ迄は聖石なんざ気にも留めていなかった。
『イシマトイはお喋りを好む』とは只の迷信だ、と知る者は多くねぇんだろう。
「ンな事よりも、だ」
雷帝とやらの何に、レイが思い入れてやがんのか知らねえが。
「さっさと憂いを除いてやんねぇとな。氷花の精も、アイツの素にゃ敵わねぇだろうぜ」
「ほっ……」
何時迄もンな顔されちゃ鬱陶しいからな、と続けようとしたが、ロンは何故か素っ頓狂な声を上げた。




