55.聖石のお話 其の二
セージの呟きに、さっきまで温和だった男の顔が一瞬にして切り替わった。
「この話の何を知っているというのだ!?」
ギリ、と掴まれている肩に男の指が食い込んでくる。
思わず呻いたが、男はチラとも見なかった。
苛立ちを隠そうともしない形相に、ボク――【イオリ】は内心舌打ちをする。
・・・・
――時は少し前。
「やぁ、君がダンと親しくしている女性か?我が屋敷へようこそ。彼が君のもとに足繁く通っていると聞いてな、そんな君にぜひ話を聞いてほしくてねぇ」
サンに連れられてこの部屋に入るなり、開口一番にそう捲し立てられる。ずいぶんなご挨拶だ。
長身の男は三、四十代といったところか。
茶色い髪を後ろに撫でつけひとつに纏めている。
スラリとしたグレイのロングコートと内に着ている服を同色で揃えるコーデは、どことなく修道士を思わせるイメージだ。
どこか似ている顔つきに、あのダンゴ兄弟の身内かなんかだろうとも思う。
第一印象は友好的だが、馴れ馴れしい口調には嫌味な響きが含まれており、見下ろす視線からは表向きばかりでこちらをもてなす気が微塵も感じられない。
当たり前か、この口振りからするとコイツが誘拐犯のボスなのだろう。
「親しいつもりはないと言えば、解放してもらえるのですか?」
「関係などどうでもいい。アイツラの知り合いだという事実さえあればな」
なるほどね、要はあのダンゴ兄弟への当てつけで誘拐したというワケか。
ということはやはり、このまま大人しく従っていてもロクな目に合わない。
顔は男に向けたまま、ベール越しに部屋の中を観察する。
立派なドアに見合わず、この部屋はただ広いだけで家具らしき物は何もない。
唯一、部屋の中央に大きな長方形のテーブルが置いてあるだけだった。
その周りにはイスが寄せられていて、四、五人程の、サンと同じ格好をした女子がボンヤリと座っていた。
「さて立ち話もなんだ。こちらへ来たまえ」
勝ち気な印象の男から、何でか偉そうにクイクイと指だけで招かれる。
イヤだが応じないわけにもいかない。
その間にもサンは女子たちを立たせて部屋の奥へと連れていく。
隅に集めてどうするのかと見ていると、サンが触れた壁がグルリと回転し、その奥の空間へ皆と一緒に消えていったではないか!なんと隠し扉か。
ちょっとワクワクするその仕様が気になるが、この男と二人きりになってしまった状況をどうにかせねばならない。
幸いというか、サンと同様この男も、ボクのことを自力で逃げ出すことができないオンナノコだと思っているらしい。
どうにかしてその隙をついて無難に逃げられればベストなのだが。
しかし中々縮まない距離に焦れたのか、いきなり詰めてきた男にベールを掴まれてしまった。
開いた視界に、目と目が合う。
上から見下ろす相手の目が笑みの形に歪んだ。
イヤな予感がする。
「ふむ、可愛らしいお嬢さんだ。あの娘達は泣いていたのだが君は随分と意志が強いのだな。本当は怖くて仕方ないだろうに」
さっきよりも柔らかくなった口調で、首すじの辺りをツイと撫でられた。
ものすごくイヤな予感がする。
「そんな健気な君ならば、俺様の期待に応えてくれるはずだ。どうだ……」
グイと肩を掴まれた。
ベール越しに見つめ合ったまま徐々に引き寄せられていく中で、自然と握り拳に力が入る。
どうしようか、ヤカラならぶん殴るだろうけどソレは念のための最終手段としてとっておきたい気もするし、レイは……レイならこんな時どうする。
「君、イシマトイになってみないか」
「え……――なりません!」
突然の申し出に、一瞬だけ考えてしまった自分が悔しい。
・・・・
……そして今に至るワケなのだが。
いつからそこに居たのか、ドアの前にセージが立っていた。
おそろいの服を着てい……え、セージも女子とみなされたってこと?
そのセージのとなりにいるのは、黒い三つ編みを両肩に流した……ん?ダンゴ兄弟の弟か?
何でオマエがそこにいる、その格好はどうした、セージに何をした。
問い詰めたいのは山々だが、この男の注目は今セージに向いている。
助け舟を出してやりたいが、この話題ではボクは口を挟めない。
「……恐れ入りますが、この子の言った事は物語の内容にすぎません」
「物語だと?」
このままセージに向かうようならばこの男の股を蹴り上げて逃げてやる、とも思ったが、そうする前にゴゥが口火を切り出した。
セージを庇うように一歩前に出る。
「はい、昨年辺りに町で謳われていたものでございます。内容はたしか……『唯一無二のイシマトイ 高潔の力を振るうには 並々ならぬ努力が必要だ』……だったかと」
「ふん、つまらんな。その程度の事で口を挟むな」
失礼致しました、とゴゥとセージの二人は頭を引き下げた。
そのままセージを引っ張るように向かいのドアへと離れていく。
セージが困ったようにこちらを振り返るが……一度この場から離れるのは正解だと、ボクも思う。
察するに、彼らはこの屋敷で働くメイドに扮しているのだろう。
きっとボクを捜すためだ。
だが――それもこの男に見破られたらおしまいだ。
「まったく、お前達は相変わらずの愚鈍な姉妹だよ。あの親にしてこの子供あり、だな。この俺様だけだぞ、そんなお前達に情けをかけてやれるのは」
何がそんなに気に入らないのか、去りゆく疑姉妹の背に更に侮蔑の言葉を投げつける。
背中越しに、セージがムッとしたのが分かった。
その姉妹はきっと良い協力者なんだろうな。
「そうだ……おい、お前達にもこの特別な聖石を見せてやろう。どうだ、滅多にお目にかかれないのだぞ」
……ああ、そうか。
しつこいなと思ったが、この男はボクに見せつけたいのか。
無能な姉妹に対しても優しくて、面倒をみてやれる寛大で偉大な大人なのだ、と。
姉妹を使って、自分は無害で安全で好ましいとアピールしたいワケか。
まったく、人拐いのクセに都合がいい。
しかし、そんなくだらない思惑のせいで二人の変装がバレるのは非常につまらない。
どうにかして気を逸らせないだろうか。
(レイサンなら……利用するのかな、やっぱり)
フーッ、と静かに息を吐いてイメージする。
当たり障りなくバレないように躱すのはいつものことだったが、自分に注目させるというのは……したことがない。
「……え〜っスゴイですね、聖石の中でも更に特別な聖石、なんですか?」
口もとに指を当て、少し高めのトーンで呼びかければ、男はすぐにこちらを向いた。
……ちょっとワザとらしかったかな。
「ワハハッそうだぞ、気になるだろう。軒並み名を連ねる聖石の中でもコレは至高の存在なのだ」
気にならない、と言えばウソになる。
先ほどのゴゥとの会話からすると、イシマトイという存在はヒーロー的な扱いらしい。
要は一般人からみたら、イシマトイというヒーローに変身できる魔法の石、的な認識なのではなかろうか。
詩として広められているのならば、様々な諸説もありそうだし、これならあやふやなまま聞いても問題はなさそうだ。
「へ〜っスゴイですね、どのようなイシマトイになるのでしょう。実は私、あんまり詳しくなくって……」
「フフン、『三神が生み落とした聖なる石を纏いし者』の逸話は多いからな。だが君も聞いた事くらいあるだろう?」
ちょっと申しわけなさそうに聞いてみれば、男は得意そうに胸を張ってくれる。
よしよし、その調子でいっぱい教えてくれるとありがたい。
「そうだな……かの三大賢者も然りだが、今も名を馳せるのは中央国の【霧狐】、それにナミブの【砂山の王】か。今は亡き【赤狼】も、あの伝説の【赤目の剣士】も、その実はイシマトイだったとされているな。聖石の王たる【神の憂い】も、神の血を引く紫眼の一族が管理しているらしいぞ」
おおおお……何だかスゴそうな二つ名がいっぱい出てきたんだけど。なにそれカッコイイ……!
ベールで見えないけれど、セージもきっと興奮しているはずだ。
後でレイから詳しく聞けるだろうか。
「――だがな、それらのイシマトイですら圧倒する力を持つ者がいるのだ。それこそが【雷帝】!彼女は……彼女こそは全てのイシマトイの頂点たる存在に相応しい!」
唐突に、興奮したようにひと息に喋っていた男の、熱を帯びて充血した目がヒタリとボクを捉えた。
完全にイッてる目とはこんな感じなのか、とか思ってる場合ではない。
これはイケナイ。
「そして……これがその聖石だ!その至高の存在に、君も成れるのだぞ?これ以上の幸福は無いだろう!」
さり気なーくジリジリと、男と距離をとっていたのだけど、まだ大して離れられていない。
手を伸ばせばすぐに届いてしまう。
――どうしようか、次はヤカラに倣う番か。
***
オレ――【セージ】はちょっと怒っている。
このおっちゃんの態度がひどいからだ。
イオリが嫌がってんのに離さないし、ずーっとベタベタ絡んでるし。
アネ姉妹にだって……親のコトは知らないが、一緒くたに悪く言うのは違うだろうと思う。
「……カッコ悪い大人だな」
またしても心の声が出てしまう。
自分でもちょっとビックリするくらい、低い声が出て……まぁそのおかげか、アイツには聞こえなかったみたいだけど。
どうしちゃったんだろう……何だか今日は黙っていられないみたいだ。
気持ちが落ち着かないというか、ザワザワするというか。
なんなんだろう、頭ん中がブワーって膨らんでくるみたいな……
……黒いモヤが体のまわりをグルグルまわってるような。
(ああ、そうか。そうかも……そうだな)
うん、そう。オレ、ものすごく、怒ってるんだ。
フーッ、と深く息を吐いた。
イオリをイシマトイにしてくれるって、アイツは言うけれど。
めちゃくちゃ強そうな聖石をくれるって言うけれど。
だけど、オレたちが憧れてたものを、目指してみたいと思ったものを、あんなヤツの手で叶えられるのは、なんかムカつく。
そんなモン、要らない。
「そんなモンで、イオリを汚すなよ」
スゥーッ、と深く息を吸い込んだ。
目の前では今まさに、アイツがイオリに掴みかかろうとしている。
イオリがちょっと迷ったようにギュッと拳を握りしめているのが見えた。
大丈夫だイオリ。レイもヤカラもおんなじコトを言うに決まってる。
「イオリっ、そんなヤツ殴っちゃえ!」
思いっきり叫んでから、オレも飛び出した。




