52.雲中に迷う 其のニ
静寂に満ちた廊下をたった一人で歩いてく―――。
こうして階段を降り、長い廊下をしばらく進んでみても誰にも会わない。
窓の外をのぞき見ても、見張りの姿は確認できなかった。
よほど逃げ出すまいと思われているのか、このくらいだったら問題ないと放置されているのか。ボク――【イオリ】への警戒心がまるで感じられない。
(まさかただの令嬢が素足で歩き回るとは思わないか)
ヒヤリと冷たい床を足の裏で感じるたびに、サンへの怒りがフツフツと湧いてくる。
部屋についたとたん、買ったばかりのボクの靴はサンに持っていかれた。おそらくは逃走防止のつもりで取り上げたのだろうから、朝になれば返してくれると思いたいが……返してくれ。絶対!
まー残念ですが、ボクは令嬢でも何でもないフ・ツ・ウ・の男子なので裸足だろうが歩き回りますが。
ヒタヒタと裸足で進みながら、一度案内された食堂の方へと向う。
まだ低い位置にあるせいか、窓の向かいの壁の方まで柔らかい月の光が届いていた。
あの月の大きさのわりには眩しくもなく、明るいのに薄暗いという不思議な空間を作っていた。
(この裏手がキッチンだと思うんだけどな)
たどり着いた食堂のドアをそっと開けてみても、やはり誰もいない。
そのまま向かいのドアをのぞけば、予想どおりキッチンに続いていた。
鳴りそうなお腹をさすりながら、まずは裏口を探してみる。棚の影にドアを見つけたが、鎖でグルグルに巻かれたノブにカギが繋がっていた。
さすがにそこまで甘くはないか。
気を取り直して、食べられそうなモノを探してみる。
オーブンらしき所の前を通るとわずかに熱を感じた。
夕食のパンがまだ残ってたなら、この予熱で温められるのにな、と向かいのテーブルを振り返ってみると、何か丸い塊が乗っている。
キッチンにある窓は小さくて、室内のほとんどが暗くてよく見えない。
それでもよく凝らして見ればどうやら布を被せた皿だと分かった。窓にかざして見れば、なんとサンドウィッチじゃないか!しかもまだ温かい!
きっと、ボクが残したありあわせで作ったのだろうな。誰かの賄いかもしれない。
…いや、ボクがお腹空かすだろうと見越して作っておいたヤツかも…。
これもサンの掌の上ならば全然嬉しくも面白くもない。しかしお腹は減っている。
くやしくてテーブルを睨みつける。と、その上に何かが散らばっているのがぼんやりと見えた。
(これは…ブルーベリー?ああ、食べたヤツの残りか)
そういえば、フルーツの盛り合わせに入っていたっけ。
食べきってしまうとお腹が空いてると思われるから、少し残したんだった。
バラバラと落ちているブルーベリーに手を伸ばしかけて…―――慌てて引っ込める。
何だろう…気のせいかもしれない…けど。
高鳴る鼓動に落ち着け!と命じながら、ふたたびテーブルの上を凝視した。
大して多くもないブルーベリーが、一か所に寄っている。ワザとなのか、だいぶイビツに並んだソレは―――。
「…ブ…ジ……」
小さく声に出してみる。偶然かもしれない。
だけど…たしかにそう読める文字に、温かい気持ちが胸いっぱいに広がっていく。
この世界には存在しない文字。
ボクたちだけしか知らない文字―――!
「…っセージだ……!」
これ以上声が漏れないように、グッと歯を食いしばってガッツポーズした。
セージがボクを探しに来てる。
無事だったんだ。コレは無事か?と聞いてもいる。
とりあえずスーハーと深呼吸をしてから、サンドウィッチを頬張った。
チーズにハムに、残したフルーツ。合わせるようにジャムを混ぜた甘酸っぱいソース。
セージはこんな気を利かせたトッピングはしないだろう。
レイとヤカラも一緒なのだろうか。いや、それならこんな回りくどいコトはしない気がする。
あのヒトたちなら部屋の前まで食事を持ってきてくれそうだし。なんなら今頃帰れてる。
そうもいかないワケがあるのか。それとも、セージは他の誰かといるのか。
こうしてコソコソしているのだから、アチラもヘタに動けないのだろう。
捜しに来た相手を捜しに回るのはよくない手段だと何かの本で読んだ気がする。
(ボクが空腹だと知ってたのかな。誰かから聞いたんだろうか?どこかで見ていたとか…。どのみちここにメッセージを残したってことは、また見に来るってことだよな)
ペロリと平らげた皿を戻し、ブルーベリーに手を伸ばす。
これで違う文字を作っても良さそうだけど、コックの朝は早いと聞く。誰かに取られたらオシマイだ。
一粒ずつつまみ食いしながら考える。
分かりやすくて、そのままにしておけて、ボクたちにしか分からないメッセージ……。
(とりあえず、今日のところはこのまま引き上げて、体力温存のために寝よう)
おかげで心の底からグッスリ眠れそうだ。
誰も見ていないのをいいことに、ニマニマしながら部屋へと戻った。
***
「…ージ、セージ起きろ!」
ユサユサと
揺られて起きれば
知らない天井 かっこ字あまり。
いつも通りのパターンに、オレ――【セージ】は大きくアクビをした。
「ふあぁ…。今度はドコ…ココ……」
「呑気なヤツだな。腹一杯になった途端眠りこけやがって。私がここまで運んでやったんだからな」
「まぁ待てゴゥ。昨日一日セージは大変な目に遭ってきたんだ、疲れが出たんだろ。セージ、調子はどうだ?」
怒りながら揺り起こしてきたゴゥが詰め寄ってくるも、ダンが嗜めるとすぐにオレから離れていく。
どっか見覚えのある動きなんだよな……そういえば近所で飼っていた犬が同じことしてたっけ。
「んー元気だけ、ど……およ?」
起き上がってみると、なんだかキラキラフワフワしているよーな。
「…お姫さまの部屋?」
「……私の部屋だ……」
ゴゥの部屋……。
思わずゴゥと部屋を交互に見てしまう。
天井から大きなカーテンみたいなのが垂れてる真っ白なベッドに、白いフリフリがいっぱい付いてるクッションが部屋のあちこちに置いてある。
棚とかテーブルとかの家具も全部白くて、金色の模様が朝焼けにキラキラと光り輝いていた。
ずいぶんとゴージャスなインテリアですな。
ゴゥが恥ずかしそうに答えたが、趣味は人それぞれって言いますしな。いーと思う!
「そのヘンな笑顔ヤメロ!誤解だからな!勝手に変えられてたんだ!」
「こらゴゥ、静かに。気持ちは分かる…この分だとオレ様の部屋も変えられているのかもな…」
ノープロブレム!と伝えたかったのに、なぜか怒られちゃう。
ダンもゲンナリとため息をつくが…それならコレは誰の部屋になったんだろう。
「ここは今、アネとその妹が使っているそうだ。彼女らも初めて通された時から既にこうだったんだと」
「セージは寝ちゃうし、私たちも状況を整理したいしで、連れてきてもらったんだ。まさか、私の部屋が使われてたなんて…」
なおも落ち込むゴゥの肩を、気の毒そうにダンが撫でている。
そーいや、オレの寝てた場所にもフリフリがいっぱいついた掛け布団がそのまま床に敷かれてる。
アネ姉妹が貸してくれたのかも〜ありがたし!
お礼を言いたいけど…そういえばさっきから見当たらない。
「まぁまぁ、ゴゥの部屋は厨房に近いんだ。炊事担当の二人が使うのに丁度良かったんだろう。そうだセージ、アネから伝言を預かってるぞ」
どうやらアネはお仕事に行ったらしい。いつもより早めに降りて、厨房をのぞいてきてくれたんだって。
「まず、お前の置いていった暗号は無くなってたらしいぞ。皿のも、キレイサッパリ食べられていたと。だがこれだけじゃあイオリかどうかも判らんと思うが…」
オレの作ったブルーベリー文字は誰かに食べられちゃったようだ。イオリだったら、何か残してくと思ったんだけど。
ちょっぴり落ち込んでるとダンが、それと…、と続けてくる。
「昨夜と戸棚の様子が違っていたそうだ。特に急いで直す必要もなさそうだけど、何の意味があるのかサッパリだったと」
アネが気付いたのは、裏口の横にある戸棚らしい。
その棚の横に置いてある木箱には、棚の上から下の木箱までロープが繋がっているそーだ。
しかもそれぞれの両端には、空き箱やら折りたたんだ袋やら、そのへんに置いといたモノがテキトーに積まれているそーで。
誰も触らないとは思うけど、ロープを引っ張ったらハデに落ちてしまいそうで、アネはそれが気になったんだそーな。
「ん~~??なんかどっかで……あっ!」
「ど、どうしたセージ?というか静かに?」
「何、やっぱりそれ、アイツの仕業なのかよ?」
何か知ってるよーな…と思ったら!
(あの村で作ってたやつだ!女の子たちが捕まってた部屋で、イオリがドアに罠しかけてたヤツ!!)
あの家をレイが出ていった後、なんかゴソゴソやってんな~って見てたヤツだ。
オレはあの時……ただひたすらレイの心配ばかりして、手伝いもしなかった、な。
「セージ?おぅい、どーした?」
「おい、何か気付いたんなら私たちにも教えろよ」
「ええと、うん。たぶんイオリかも…たぶん…たぶんだけど…」
ちょっと胸がチクっとするのは何でだろう。
ソワソワするような…いや、まずは助けることに集中しないと。
「…オレ、たちを待つ、って意味だと思う」
「てことは、助けに来たというのは伝わったんだな!」
「アイツがただ大人しく待っているような性格には思えないけどな」
ダンとゴゥそれぞれが、ホッとしたように笑ってくれたのを見て、オレもなんとなくホッとした。
…うん、そうだ。あとは助けるだけだ!
「じゃあさっそくぅお…!」
「待て待て、今出たら確実に見つかるぞ。誰が敵か味方なのか分からないんだから」
「姉妹が戻って来るまで、練った作戦を教えるから座ってろよ」
立ち上がり、ドアに向う前にグイッと引っ張られ、ふたたびストンと座らされる。
んむ、お布団アゲインか。くるしゅうない。
しかしこんなフカフカお布団の上で、オレはちゃんと話を聞けるだろーか…。
「…なぁセージ。その前に、お前にまだ言ってなかった事があってな。もしかしたら、天使様から聞いたかもしれんが」
「んーと…いや?ダンたちのことはひと言も話してないケド?」
「うぐふっ……!!」
「おいセージ、朝から兄さんを傷付けるんじゃない!」
小さな不安をヨソに、ダンがどこか申し訳なさそうに聞いてくるが……レイは何か言ってたっけ?
というか、また天使呼びに戻ったのかな?忙しい人たちだ。
しつこいようですけどあの人の正体は魔王ですからね。何度でも言いますよ。大事なことですからね!
「いや、いいんだ…うん、そっか…えっと、どこから話したものか…。昨日話した通り、オレ様が家を出た後の事だからな。詳細は分からんが…」
心なしか小さく見えるダンがポソポソと語り始めてるケド、どうしちゃったんだろう。
「オレ様がお前達に接触したのはな、妹を捜してたからなんだ」
気がつけば、部屋の中が薄暗い。
朝焼けが終わったばかりだというのに、外はどんよりと曇っていた。