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51.雲中に迷う 其の一

 見知らぬ部屋の前で、彼女は浅く一礼する。


「それでは、おやすみなさいませ」


 静かに閉められたドアの向こうで靴音が遠ざかっていき……一人になったと確信したとたん、その場でガクリと膝をついた。


「つっ……かれたぁ」


 昼から散々な目に遭ってきたが……いや、厳密にいえば今もその最中なのだけども。

 とにかくもうここに来てからの、あのサンとかいう女子の行動がとんでもなかった。

 何というか、ボク――【イオリ】をお世話しようとする圧がスゴイ。


 普通のメイドであれば、まず主人に伺いを立て、断られたならば身を引くだろう。

 だが彼女の場合は、伺いを立てる=実行しますね という宣言に変わるらしい。

 あの部屋を出た後も、バスルームに案内したとたん服を脱がせようとしてくるわ、スキあらば身体を洗おうとしてくるわ……

 顔と声が誤魔化せても身体的特徴は誤魔化しようがないので必死にボクもアレコレ言い訳しつつ抵抗するのだが、彼女はナカナカ諦めてくれなかった。


「くそ、ボクの服ちゃんと返してくれんだろうな?」


 着ていた服も、ところどころが綻び始めた古着のせいか、お可哀そうに……、とか呟かれた挙げ句に奪われてしまった。

 たしかにもうだいぶヨレてはいるケド、ヤカラがくれた服なんだ。クッタリとして動きやすい着心地が気に入っているし、さり気なく生地も上質なものだし、ナメないでもらいたい!


 だいぶゴネたので一応、洗って返すとは約束してくれたけども……口もとがウヘェと言わんばかりにへの字に曲がっていたからな、もう一度念押ししとかないと。


 代わりに着せられたのは淡いグレーのネグリジェ。

 くやしいが肌触りがよく、サテンのような滑らかな生地に仕立てもいい。

 女性モノという点以外にはとくに文句はない。


(というか人拐いのくせに、待遇がよくないか?懐柔しようとしてるとか)


 案内されたこの部屋もそうだ。

 あの最初に運ばれた部屋とは正反対の、まるでスイートルームのごとく。

 クローゼットもテーブルも、置かれている小物まで質の良い物ばかりがそろえてある。

 窓から差し込む月明かりを頼りに見渡せば、部屋の奥に天蓋付きのベッドが……ボクは迷うことなくダイブした。


「うん、リネンの質がいい……ちゃんと手入れが行き届い……て……ってイケナイイケナイ」


 つい、そのまま安眠へと誘われそうになったが寝てはいけない。どうにかして脱出の糸口を見つけなければ。

 強烈な睡魔の誘惑を振り切って静かにドアの方へと戻る。

 ゆっくりと押してみれば、カギの掛かっていないドアは音もなく開いた。

 やっぱり妙だな、と思う。


 サンに付いてあちこち移動したというのに、その間は誰ともすれ違わなかった。

 こうしてドアのスキマからのぞき見ても、見張りの一人も立っていない。

 カギが掛かっていない時点で罠のような気もするけど……もしくは館の外に見張りを置いているんだろうか。


 何であれこのまま朝まで大人しく寝ている気はない。

 見張りと出会(でくわ)したなら、トイレを探してただのお腹が減って寝付けなかっただの言いワケすればいい。

 クゥ、とお腹が鳴った。


「……お腹空いたな」


 あのバスルームでの激しい攻防の末、お腹が空かれたでしょう、と食堂らしき所へ案内されたが、連れて来られた経緯が経緯なだけに、安心して口に入れられるワケがない。

 結局パンとフルーツだけをチビチビと食べ、後は理由をつけて残していた。


(キッチンだったら裏口があるかも)


 燃えてしまったが、あの事件のあった村の家にも裏口から入ったし、このくらいの館なら搬送用にあるはずだ。


 ついでに何かつまめたらいいのだけど。






 ***






 誰もいないはずの通路にポツリと湧いたその声は、不安げに……しかしハッキリとダンの名前を呼んでいた。

 オレ――【セージ】とダンゴゥ兄弟はその場で固まったまま動けない。


 オワタ……


 たぶん、三人の気持ちはシンクロしてたと思う。


 キィ、と鳴った音の方に目を凝らす。

 通路の奥、氷室とは反対側のドアがゆっくりと開き、その陰に隠れるようにのぞく人影が、震える声でふたたび尋ねてきた。


「ダン坊っちゃん……そこに居るの?」

「その声……アネか!?何でここに……えっ」


 声を上げるダンに、その人影が一気に駆けてきて――


「こんのおバガっ!こぉんな夜中に大声で話してんでねぇっ!」

「んむぎゅうぅっ!?」


 その勢いのままグワシッとダンの口をひっ掴み、ムギュウゥッと絞り上げた。

 掴まれたダンの口からカエルの断末魔みたいな声が漏れる。


「しーっ!アネの声も大きいって。それと多分だけど兄さんの口塞いでるだろ」

「ふぉ、ばぁちゃんと一緒だ……」


 ダンに負けず劣らずのデカボイスに待ったをかけるゴゥを横目に、オレはひとり感動に打ち震えていた。

 このアネとかいう人、田舎のばぁちゃんと同じしゃべり方してる!


 うぁ〜そういえば本当なら夏休み中にばぁちゃん家に遊びに行く予定だったんだよな〜。

 ばぁちゃん家の白いご飯と畑のキュウリがたっぷり入ったダシがめちゃめちゃ美味いんだよな!


 と、懐かしい味を思い出せば、お腹がグゥウ!とハデに鳴った。


「何だぁ誰かハラ減ってんのけ?こごじゃ何も見えねっし、こっちさ来らっせ」


 オレのお腹の声を拾ってくれたアネは、ここでようやくダンから手を離した。

 肩でゼェハァ息をするダンをゴゥと引っ張りながら、今度は広い廊下へと出る。

 月明かりがほんのりと溢れる窓の下、また誰かに見つかる前にと、急いで厨房の中に入った。


「ゴホッ……あー改めて紹介するが、彼女はアネという。屋敷で働く使用人でな、オレ様とゴゥにとっては幼い頃からの遊び仲間なんだ」

「はじめまして、アネと申します。先ほどはお見苦しい所をお見せしまして……まさか二人の他にも誰か居るとは思わなくて……あ、おかわりどうぞ?」

「むぐ……あひはほぉ……んぐ。これめっちゃ美味い!あと、話し方戻してもいいよ……です。オレのばぁちゃんもそうだったし……あ、オレはセージです」

「セージ?何で兄さんと私に対してはタメ口なんだよ」


 みんなでテーブルの下に隠れながら紹介されたアネは、ダンと同い年なんだって。

 黒い髪の三つあみに、モジモジとホッペを赤く染めながら挨拶してくれて、やさしいお姉さんて感じだ。

 年下のオレに対しても話し方を丁寧に変えてくれたし、鳴り止まないお腹の音に、パパッとサンドイッチも作ってくれたし。

 うん、めっちゃ美味ですな!


「うふふ、ありがとぉセージ。セージも敬語なんが要らねぇから。おれは南部地方の出だがらなぁ、気ぃ抜かすと訛っでしまっでねぇ……あ、残り物だがらコレしかねっけど、全部食べでいいからなぁ」

「ふぉお、ありがとうアネさん!」

「あの、オレ様ももうちょっと食べたいんだが……何でゴゥとセージだけ……」

「何で私たちだけ呼び捨てなんだよ?セージ」


 小声で何か言ってる兄弟は置いといて、アネの南部地方という言葉に魔王の授業を思い出す。

 この東国は北南に細長い地形で、この町がある北部以外はぐるりと山脈に囲まれているんだとかなんだとか。

 そのため、やや北寄りに位置する王都より先の南側は、他国の影響をほとんど受けないせいか、閉鎖的な慣習が残っている地域が多いとかなんとか。


 そーいえば、神竜信仰の方針もそれぞれで違うとか言ってたような気もするよーな。


「我慢せなし、どぉせダン坊っちゃんが強引に付き合わせてんだでねぇか?あの娘っごらも、ダン坊っちゃんが招集さしでるだどは聞いでっけども……何さ了見んだ!?」

「う、そりゃ付き合わせたというか巻き込んだのはオレ様が……って待て、オレ様が招集してるって何の話だ?ここで何が起こってるんだ!?」

「はぇ、知らねぇのけ?いや、んでも確かにダン坊っちゃんが言っでたって……」


 モグモグとサンドイッチを噛みしめながら魔王レイのスパルタ教育を思い返してたら、いつの間にか話が進んでいるようですな?


「つまり、どーゆーこと?」

「つまり、兄さんの知らない所で兄さんの名を騙ってる奴がいるってこと。しかもソイツは、私たち一家の所有するこの別邸を我が物顔で使える権利がある人物ってこと」


 完全に会話を聞き流してしまったオレの呟きに、となりで一緒にモグモグしてたゴゥがとても分かりやすく解説してくれた。


「そうだな……これだけ巻き込まれたんだ。セージは知る権利があるな」


 ふいにオレの前に向き直るダンは、真剣な顔をしていた。


 最初はけっこー強引でワガママなあんちゃんだな〜と思ったけど……本当は、正義感が強くて面倒見もよくって……きっとゴゥにとって、カッコイイ兄ちゃんなんだろーな。


「我が家は父上が伏せた頃からよく分からん連中が出入りするようになってな。用途不明の火薬が運ばれたり、使用人が次々暇を出したり……立場もあるオレ様は家を出て、外から探る事にしたんだが……」

「つまり、どーゆーこと?」

「兄さんは次期当主なんだよ。現当主が寝たきりになってから怪しい動きが多発してるから、身の危険を感じて家を出たんだ」


 変な薬のダメージとサンドイッチのハーモニーにノックアウトされてるアタマに、ゴゥがまたも簡単に説明してくれる。

 そんなオレたちをダンは白い目で見てくるけど、それでも続きを話してくれるよーだ。


「……そうして調べるうちに近くの村で爆発騒ぎがあったと聞いてな。どうも、その村の娘らが拐われかけたのと町で頻発してる少女の行方不明事件とが絡んでるようで、な……」

「内密だけどな。衛兵に無理言って聞き出したんだから誰にも言うなよ?とにかくそれらの件と家が関わっている可能性があるんだ。でもこれは、兄さんに罪を被せる流れなのかもしれない……」


 なにやらメンドクサソーな流れに、兄弟そろって説明しながら落ちこんでゆく。


 爆発といえばオレたちも巻き込まれたばかりですよ、キグウですな。

 もしかしてその事件とここん家は関係があるよってオハナシかな?

 たしかにあん時も女のコたちが捕まってたけども、あれはさらおうとしてたってコト?

 ……ウン?何でこんなハナシになったんだっけ。


 ダンゴゥ兄弟はまだ俯いたまんまで……うむ、仕方がないので一人で推理してみよう。


(えぇと、結局オレが拐われた意味って何だったんだろ?)


 たまたまダンと一緒にいた所を見られたからだろーか。ダンもそんな感じっぽいコト言ってたし。

 てことはダンが次期当主になるのを邪魔するために、オレは殺されかけたってこと?そんな理不尽なハナシある?


「あっそうだイオリ!イオリは無事なんだよな?ここにいるんだよな!?」

「ちょっと待つだ?それって……拐われた娘がこのお屋敷さ連れで来られてっで事が!?そんな……おれ何も知らんと今までお世話さしてっで……」

「落ちついてアネ。それ、今日来たばかりの子も世話したってこと?」


 オレと同じタイミングでアネも声を上げた。

 彼女もどうやら何も聞かされていないまま働いていたみたい。

 ゴゥが聞いたように誘拐されてきたコたちのお世話が仕事なら、イオリのコトも知ってるはず……なんだけど。


「んだ……確かにさっき、新しぐ奉公に来らした娘さんに食事を用意してぐれって頼まれたけんども……ただ会っではいねんだわぁ。おれがここさいんのもぉその娘さんが食べ終わっだ皿を下げで来たんよねぇ」


 アネが言うには、イオリらしき人物はほとんど食べなかったらしい。

 その手付かずだったものでオレたちの分も作ってくれたそーだ。


(イオリ、絶対お腹空いてるだろーな)


 普段のイオリはもっといっぱい食べるのに。

 あの口のヤツのせいだろーか……でもそれなら回復すれば勝手に食べ物探しに来るかもな。

 オレなら絶対朝まで待てないし。


(どうしよ、一応食べ物置いとく?)


 ここでイオリを待っていればいい気もするけど、そもそもイオリじゃあないかもしれない。

 やっぱりイオリだったとしても動けない状況かもしれないし、会えないままオレが捕まっちゃうかもしれない。

 探してるってことを、すぐに伝えられたらいいのに。


「……よし」


 とりあえず、動きながら悩もう。


 グルグル回る考えを振りきって、オレは兄弟たちと一緒に厨房を出ることにした。

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