50.雲の行く方 其の三
今夜の月が出る頃にゃ、大抵の人間は寝支度を済ませているだろうよ。
――というワケで、そのスキに隠し通路を使って館に侵入しようとダンが提案し、オレ――【セージ】と団子兄弟の三人で、今か今かと月を待っていた。
それにしても、まさかこの小屋が地下道で別邸とつながっているだなんて。
「緊急時の脱出用でな、そのコトを知る者は限られているんだ」と言うダンが、本当にお金持ちに見えてくるんだから不思議だ。
「オレ様は昔からこの通路で遊んでいたからな、何とか分かるが……お前たちは大丈夫そうか?」
ダンが先頭を歩いてくれている。
オレはゴゥに支えられながらなんとか歩いてはいるんだけど……
う〜また土の中に潜ってると思うとツライけど……ダイジョーブ、これはただの道。進むべき道なんだ!
出口、アルヨ!……キット。
「うぁぁ〜土ん中怖ぇ〜……あ、ゴゥそこ危ない」
「は?どこ……っいって!つか、キミ何で見えんだよ?」
「ゴゥ……セージも静かにしてくれ……ほら、着いたぞ」
兄弟とワチャワチャしているうちに、なんとか館に入ったらしい。
ホッとしたのもつかの間で、今度はめちゃくちゃに寒い部屋に出た。
「ここは厨房の裏手にある氷室でな。何か物色してくるからお前たちはここで待って……」
「うぅ寒いよぅ〜……レイ兄のストールがコイシイよぅ……」
「兄さん、コイツ凍死しそうだよ」
「まったくもー!ほら一緒に来い!」
昼前にお散歩に出たレイに、ストールを貸してしまったことを悔やむ。
まー元々レイのストールなんだけども。
「いいか、今度こそ静かにな!見つかったら終わりだからな!」
「いや、ダンの方がウルサイって」
「いや、兄さん落ちついて」
「もーお前たちさっきから何なんだ!?ホントは仲良しなのか!?」
ガクブル震えながら兄弟に引っ張り出されたのは、明かりの一つもない通路だった。
こんなところで誰かがいるはずもなし。とオレたちも気がゆるんだんだろう。
オレとゴゥの肩に手を置いて、全力で注意するダンの後ろから、ふいに声がかけられた。
「え……その声は、もしかしてダン坊っちゃん?」
……こうして、オレたちの冒険は終わったのだった。
***
縦長に伸びる窓が一つ、暗い部屋の壁に貼りついていて、夜を迎えつつある空を切り取っていた。
窓の下にはイスが一つ、ポツンと置かれている。
――あぁ、嫌だな、と思う。
以前の自分のいた部屋にそっくりだ。
幼い頃の……――イスの上に乗って鉄格子のような窓から外を眺めていた、アノコロノジブンを思い出す。
「……あら、もう起きましたの?」
ぼんやりと眺めていたボク――【イオリ】は、背後からかかった声に思わずビクリと肩を震わした。
「……いつもでしたら朝まで起きられないのですけれど。まぁ良いですわ、ご案内いたしましょう」
そこでようやくボクは後ろを振り返る。
明かりのない部屋に開け放たれたドアの前には、一人の少女が立っていた。
細い身体に黒の艷やかなロングヘア。
グレーのワンピースと黒いエプロンに、ヘアドレスを目深に被ったそのファッションは……メイドスタイルというか、いわゆるゴスロリというやつではないだろうか。
淡々と話すその声の主は、この部屋の暗さと相まって、妙に怪しいムードを醸し出していた。
「……当館へようこそおいで下さいました。ワタクシはこの館の案内係を務めます。どうぞサンとお呼びください。それではまず手始めに……」
「ちょちょっと待って、追いつかないから色々とっ」
顔を合わせても一切の惑いなく話し続ける彼女――サンに慌ててストップをかける。
ボクの声は届いてくれたようで、サンは一旦口を閉じるとほんのちょっとだけ首を傾げた。
白い肌にサラリと髪のひとスジがかかり、その口もとに触れる。
「……そのお身体を身綺麗にいたしましょうか。ちょうど湯浴みの準備が整っておりますのでこちらへどうぞ」
しかし彼女は髪をかき上げもせず、本当にちょっとだけ待ってからふたたび話し始めた。
「……あぁ、どうしましょう。ワタクシが入る用に用意したもので少々湯加減が温めでございますわ。よろしければ湯を足して参りましょうか」
「……いや、お先にどうぞ。アナタのための用意なのだから。ボクは体を拭かせて頂けたら結構ですので」
色々と問い正したいコトはたくさんあるけれど、如何せん疲労感の方が強い。
本当は一刻も早く、この不快感がまとわりつく口まわりもまとめてキレイサッパリ洗い流してしまいたいところだけども……
相手の目論見が分からない状況で、自ら丸裸になるのは避けるべきだ。
ひとまず相手に合わせたボクの返答に、サンはまたしばし沈黙し……小さく、なるほど、と呟いた。
「……お心遣いありがとうございます。ですがワタクシは案内係。貴女様をお世話する義務がございます。まずはお召し物をお預かりいたしますわ」
言いながらサンは浅く一礼すると、ツカツカとボクの方に歩み寄ってくる。
レースのスキマから彼女の光のない瞳がのぞいて……近づきすぎだと思える距離にこちらが何かを思う前に、その小さな手がボクの服を引っ掴んでくる。
「ふぁっ?ちょっ何す……離せって、待っ……は、な、せっ!」
細い腕から思った以上に強い力でグイグイ脱がしにかかってくる彼女の手を何とか振り払う。
心外だといわんばかりに彼女はまた小首を傾げるが心外なのはこっちの方だ!
「……貴女様の振る舞いは、どこか男性的な印象を受けますね。気品を感じる佇まいと先ほどの会話から、さぞ名のある家のご令嬢とお見受けいたしましたが……何か事情がおありなのでしょうか」
「いや事情も何も、ボクは本当に男だから」
そう思われるのは仕方がないと諦めているが、今、この世界にいるボクは性別を隠す必要がない。
もう一度言おう――必、要、ない、のだ!
堂々と告げてみせるのに対し、しかし彼女はそっと片手を口もとに当てた。
「……まぁお可哀そうに、よっぽど深いご事情がおありなのですね。ですがもう大丈夫ですわ。ここでは偽りの性を演じなくとも良いのですよ」
「いやだから、これが本当の性別なんだって」
思い込みが激しいというか、頑なに認めようとしない彼女に少し嫌気がさしてきたが……だからといってセージの時みたいに脱いで証明して見せるわけにもいかない。
どう説得しようかと視線を向けた時、彼女の片手のスキマから見えた口の端は、笑みの形につり上がっていた。
「……ウフフ、この館内ではそのような振る舞いはおよし下さいませ。もし男性だと誤解されてしまえば大変なコトになりますので」
「いやだから本当に……大変なコト?」
何がおかしいのか、笑って言う彼女につられそうになるが……その内容に何だか物騒なニュアンスを感じるような?
「……埋められてしまいますよ……」
「ウメ……え?」
グッと絞られた声量は、覆った手によって更に聞き取り辛くなっていて……
しかし促すように見つめてみても、彼女はさっきのセリフをもう一度言ってくれそうにもない。
……何だかとても聞き捨てならないセリフだった気もするのだが?
「……この館内には女性しかおりませんわ。もし男性が侵入した場合は速やかに捕らえられますの……ですが貴女様は本当に……」
「エ〜ソンナワケナイジャナイデスカ〜ウフフ〜」
とりあえず――本能が相手に合わせろと告げている。
(だけど、女性しかいないってコトは……セージはどこにいるんだ?)
「んん、それでは遠慮なく振る舞わさせていただきますね。それであのぅ、私に付き添っていた方がいるはずなのですが、今はどちらに?」
「……さぁ、ワタクシは存じ上げませんわ。ワタクシはこの部屋にいらした方をご案内するだけですので」
とりあえず、あっちの世界で培った令嬢モードに切り替える。
軽く探りも入れてみるが……そうか、男子不要ならばそもそも最初から連れてこないか。
セージならば女子と間違えられないだろうし?
(……無事だといいのだけれど)
とにかく、今は自分のこの状況を切り抜けるしかない。
気合を入れなおし、ボクは彼女に従ってこの部屋を出るのだった。




