47.口中に苦しは 其の二
「……どぉ、行った?」
「うん、行った行った。ちゃんと散歩してくるみたい」
ヤカラの置いていったお菓子を選びつつ、窓の外を眺めるイオリに声をかける。
あの二人は広場へと向かったよーだ。
ふぅ……まったく世話の焼ける大人たちだなっ。
オレ――【セージ】とイオリは、顔を見合わせ頷きあう。
――昨日のうち。
どうやらレイとヤカラの二人がケンカをしたようだ……と気付いたのは今朝方、ヤカラと二人で買い出しに出かけた時だった。
朝早くから賑やかな市場が、今日はやけに空いている気がする。
少し離れた先では活気のある声が飛び交っていたはずなのに、近づくにつれ段々と静かになっていく……
何だか遠巻きにされてるよーな感覚に、こいつぁオカシイぞ、と、となりを歩くヤカラを見上げたオレは心の中で頷いた。
うん、原因はオレの保護者だわ。
鋭い目つきに眉間にシワ。口を固く引き結んでデカイ体を揺らして歩く。
オレの少し前を先に歩くその背は、カタギの背中なんかじゃあなかった。
……うん、いつもと同じじゃん?と、思わなくもないけれど……しかしオレには分かるのだ!
ヤカラは今、本当にご機嫌ナナメなのだ、と。
いやまーね、いつも怒ってんの?って顔はしてるんだけどさ〜。
一日一回は本当に怒ってる気がしなくもないんだけど……でもなんかこう、元気がないっていうか〜?
考え事してる感じっていうか〜。
確信したのは、お店の前で朝ごはんを選んでいる時だったよね。
イオリはどれが好きそうか、選び合いっこしている時はキャッキャと一緒に盛り上がってくれたのに、レイの番になったら、スン……、て。
奥さん分かります?
沈んだテンションで、あー……任せるわ、って言ったんですよこの人。
あーこの人たちケンカしちゃったんだな、って分かりますわ。
中学生男子にだって分かりますわよ、ねぇ。
アンタが選べば喜ぶだろ、だって。ねぇ〜。
そのくせ、アレは美味そうに食ってたな……、とかさり気に口出してくるし。ねぇえ〜。
まーよく分からないんだけど、たぶん、レイに対して悪いコトしたなぁって思ってるみたいね。
だってこの人、こんな顔だけど、根はやさしーもん……こんな顔だけど。
それにもし本当に怒ってんだったら、これでも食わせとけ、って激辛料理あたりをチョイスしそうだし。
それなのに……こんなに心配してるオレに対してヤカラときたら帰るなり薬湯を差し出してくるし。
てっきりコレも苦かろうと思ってこっそり戻そうとしただけで二杯分も飲ませてくるとはっ!
……ふぅ。
しかし、サスガはイオリだ。
ごはんを食べながらも、全然会話しようとしない二人に気づいたんだろーな。
一緒に出かけてこいって送り出しちゃったもんな。
ドアを閉めたとたん、よし今日はトレーニングから解放される!、って小さな声で小さくガッツポーズしてたけども。
「さてと、アッチの部屋に持ってくのってこれで全部?」
クルリといい笑顔で振り返ったイオリが、オレの持ってたトレイをヒョイと持ち上げる。
「うん!あ、あと薬湯も持ってかなきゃ……てかイオリ、これくらい持てるって〜」
「いーからいーから。さっきもフラフラしてただろ。てゆーか、安静にしてるなら今日の薬湯はいらないんじゃない?苦いんでしょ、ソレ」
昨日の悶え苦しむオレを知っているイオリがコッソリ提案してくれるケド……厳密にはレイの薬湯が苦いのであって、オレの薬湯はそうでもなかったりする。
昨日の時だけ、とんでもなく苦いソレを飲まされたのは……たぶん、オレがはしゃぎ過ぎたオシオキだからダネ。
てっきり、今朝のヤツもソレだと思っていたんだけど……
「う〜ん……それが、今日のは全然苦くないんだよね~。むしろオイシーかも?」
「……ふーん。なんてゆーか、あのヒトもメンドクサイよねぇ」
うーん……美味しく感じたのは、昨日とのギャップのせい……だったりとか?
ともかく、そのメンドクサイ人が誰かは分からないけれど、器用にトレイを持ったままドアを開けたイオリに置いてかれないように、慌てて保温瓶を握りしめた。
***
雲の増えた空の下を、レイと二人歩いて行く。
己――【ヤカラ】の一歩前を歩くレイは、ゆっくりとだがふらつきはしない。
どうやら回復は概ね順調のようだ。
行き渋ってた割にはセージが常に身に着けていた露草色の布地を借り、悠然とした足取りでなんでもない町の様子を楽しんでいるようだった。
今朝方よりも賑わいを増した市場に再び足を踏み入れると、途端に彼方此方の出店から客引きの声が飛び交ってくる。
やれ、旦那どうだい二人分買うならマケるよ!だの、いい細工物入ったから細君にどうすか!だの。
山桜の花雨の如き其れ等をくぐり抜け、目当ての買い物を済ませていく。
漸く落ち着いたのは、市場を抜け広場の外れに辿り着いた頃だった。
高台に位置する広場をグルリと囲う堀に凭れ掛かる。
「ったく……どうしてこうなったんだか」
「ハハ……あの二人に気を使わせちゃったみたいだね」
深い溜め息を吐きつつ呟いた己の隣では、レイが困ったように笑っている。
そのまま近くの段差に腰掛けさせ、アイツらのおすすめとやらを手渡す。
ヤカラも座ればいいのに、と言われたが面倒臭せぇと断った。
「アッツ……う〜ん、久し振りの屋台の味だなぁ~。何年振りだろう!」
イオリが気に入ったと云う肉まんの端を咥え、湯気立つ餡に苦戦しつつも嬉しそうに声をあげる。
あまりにも美味そうに食うもんだから、通りすがりの老夫婦に何処の店のだと尋ねられ、口いっぱいに頬張っているレイの代わりに教えといた。
半分に割られた肉まんの片割れを貰い、広場の様子をぼんやりと眺める。
「そういやぁアンタは山から一時も出なかったもんなぁ。……あぁ、何か飲むか?今時期だと枇杷の果汁水があんじゃねぇか」
丁度、道行く灰装束の一団を遮るように、目の前を色とりどりの果汁水を乗せた屋台車が通りかかる。
その時期に採れた果実の汁と煮詰めた蜜を氷水で割ったもんだが、熱い肉まんのアテに丁度良いだろう。
頷くレイに店主を呼び止め、手持ちの湯呑に注いでもらう。一つだけ入った氷がカロリと涼し気な音を立てた。
咀嚼を終えたレイがこれも美味そうに一息で飲み干す。
向こうの方で果汁水を強請る声が上がった。
「うん、美味しい。コレも飲んでみたかったんだよねぇ。前にお勧めされてさ。……ヤカラは飲んだことある?」
「……枇杷は飲んだことねぇな」
「そう?キュイエールがね、好きだって言ってたんだ」
行きかけた台車を引っ掴んで止める。
店主は訝しげな顔をしながらも、差し出した湯呑に同じものを注いでくれた。
台車越しに、見たことのある顔が二つ通り過ぎたのを眺めつつ、ゆっくりと味わう。
背を預ける堀の下、眼下に延びる路地は西門に繋がっている。その背中越しに疎らな往来を眺めるレイは、ただ俯いているだけにも見えた。
「そうか……俺、もう四年は山に籠もってたんだなぁ」
全く、神竜に囚われてもいない癖によく籠もっていたもんだ。
山の連中でだって息抜きしに、この町にやって来るもんだというのに。
……そーいやぁ、いっそキュイエールの代わりに神竜に見初められてしまえやいいのに、と願っていた時期もあったな。
「……別に、キュイエールを独り占めしてたつもりはないよ」
空になった湯呑を受け取る代わりに、次はセージのおすすめだという包み焼きを手渡してやる。
クスリと独り言ちるように呟くレイが、薄い生地に包まれたソレを割るとたちまち湯気が立ち昇った。
セージは確か……くれーぷとか呼んでたか。
差し出された片割れを受け取りながら、物欲しそうに眺める群衆に、無言で屋台の方を指差してやる。
見下ろした先のその横顔は、先に垣間見たのとは打って変わり、なんとも無邪気な顔で美味そうに齧りついていた。
――ころころと様相を変えるその心の内は未だに読み切れやしねぇ。
そもそもが、キュイエールが倒れた頃に折好く現れただけの正体不明の旅人だった。
誰も彼も、コイツの本当の思惑を知らねぇ。
「理由を言えないのは……俺がまだ蟠っているから……かな」
「……何も言ってねぇだろ」
はふ、と熱気を吐き出しながら見上げてきやがるレイを睨みつけてやった。
何が可笑しいんだか、キョトンとした面で瞬いたレイがくしゃりと笑う。
「フハッ……フフ、そうだね。何も言ってないよね」
ケタケタと笑っている癖に、苦いものでも噛んだかのようにも見える。
細めた目線の行く先は、何が見えているのやら。
「……前に、声を失くした女の子と一緒に旅をしてたんだ」
その声色は、初めて聞くような……以前にも、聞いた事があるような。
「長いような、短いような……そんな旅だった」
……ああ、そうだ。キュイエールの、声だ。
共に旅をしていた仲間達との、思い出話をする時の、穏やかな声色。
懐かしむように慈しむように絞り出す、寂し気な声色。
「――彼女の仕草や表情で、会話をしてたんだけど……その時のクセだねぇ」
――きっと、と唇だけを動かして、レイは己を見上げる。
(泣きたそうな面で笑ってんじゃねぇよ)
本当に心の内を読み取れるんならば、己のこの呟きも届いたろう。
その目を外せば、向こうから老人の引く荷車がやって来るのが見えた。




