42.盛夏の町 其の二
青い空、眩しい太陽、鳥や虫に人の声――
窓の向こうにあったそれらが、外に飛び出たとたん容赦なく全身に降り注ぐ。
まるで海の中から顔を出した瞬間のようだ。
波音のように風が吹く。
町の匂いも、どこか遠くに感じていた喧騒も。今、その世界の只中にいる感覚。
喜びなのか、不安なのか、どちらともつかないようなバクバクとした感覚。
お腹の底から湧き出る衝動に、オレ――【セージ】は大きく息を吸い込んで――……
グイッ、と、オレの繋がれた方の腕が持ち上がった。
「……アンタら今、雄叫び上げようとしたろ。アイツから聞いといて良かったぜ。絶対に止めろよな?頼むから大人しくしてろ」
軽々と両手にオレたちをぶら下げたまま、ヤカラが言い放つ。
オレはとなりで同じようにぶら下がっているイオリと無言で頷き合った。
『大丈夫、任せてっ!!』
「任せられるかっ!自分らの行動振り返ってみろ……ったく、いいか?」
何故か間髪入れずにツッコまれてしまった。
オレたちを下ろすと、それぞれに指差し確認までしてくる。
「勝手にふらつくな特にセージ。拐かしの相手をすんな特にイオリ。アンタらはまだ油断出来ねぇからな。今日は用件済ませたら直ぐ戻るからな」
やれやれ、ずいぶんと甘く見られたものだ。
そりゃあたしかに?
宿から出てそのまま駆け出そうとしたら足がもつれてその辺を歩いてた人に体当たりかますところだったけども。
イオリも、何だか黒いフードを被った人に話しかけられていたけども。
でもね!
ちょっと出鼻はくじいてしまったけど、ヤカラが思うよりもオレたちはしっかりしているのだよ。
だからこうしてしっかり手を繋がれなくたってちゃんと歩けるし!
「わかってるって、ヤカ兄!レイ兄だってお腹空かせて待ってるんだし、寄り道しないでやることやろうぜ!」
「ん、まずボクたちの朝ゴハン食べて、靴と服買って、小物はひとまず短剣だけはそろえる。昼を過ぎる前にレイサンの分も買って帰る。迷子になったらシャレにならないし、探検はまた後日だね!」
「おぉ、思いの外分かってんのか……」
はっきりきっぱり、本日の目標と目的を告げるとヤカラは目を見開きつつも納得してくれたらしく、よーやくオレたちの腕を離してくれた。
「なら腹拵えすっか。適当に買って歩きながら食おうぜ」
ニヤリと笑って目で指し示す方に、オレたちも目を向けた。
そう、ここはすでに広場の端っこなのだ!
円を描くように建物が並び、それに沿って屋台がぐるりとひしめき合っている。
あんまし行ったことはないんだけど、地元で毎週開かれている朝市に似ているかもしれない。
こんな感じで野菜やらカゴやら売ってるお店があちこちに並んでいた気がするよーな。
端から順番に全部見て回りたいけど、それを実行するにはお腹が空きすぎている。
ここはひとつ、経験者に頼ろう。オレ、カシコイ。
「なぁ〜イオリはどれがウマかった?」
来たことはなくとも、食べ物に見覚えはあるはずだ。
イオリ自身も思いっきり目移りしている感はあるが、オレよりは決められるはず!
「うーんと、そうだなぁ……あ、あのクレープみたいなヤツ美味しかったよ。ちょっと濃い味の牛肉と野菜の炒めたヤツ」
クレープとはまたオシャレな……都会の食べ物として有名なアレか。
甘いイメージがあるが、イオリが言うにはがっつり系クレープなのかも……うん、お腹が鳴いた、ソレにしよう。
「じゃあ……ヤカ兄、オレ、アレ食いたい!」
「おう、自分で買ってきな」
元気よく告げたら、ジャラリ、とコインを渡された。
見たことはないけどもこのタイミングはアレだ、お金だな!
「って、ふぉお〜ヤカ兄オレお金数えられないぃ」
「あ?数えて貰えりゃいいだろ。いいから行って来い」
この無茶振りっぷりは、レイといい勝負かもしれない。
緊張しながらもお店のオバさんに注文してみると、30イェンね!と元気よく返された。
何だか聞き慣れた単価のせいか安く感じる。
それでもどれが幾らか分からないので、手のひらにコインを広げてオズオズと差し出してみると、オバさんはイヤな顔もせず、ひょいひょいと黒っぽいコインを三枚取ってクレープを渡してくれた。
「またよろしくね!」
「ア、ウス。イタダキマス!」
アッツアツのクレープを手に達成感を噛みしめていると、ヤカラがひょいとのぞき込んできた。
「ん、ちゃんと買えたじゃねーか。行こうぜ」
一応、残ったコインを見せてみれば、ちゃんと適正価格だったよーだ。
別の屋台で串焼きを買っていたイオリとも合流して、楽しい食べ歩きがスタートした。
***
アツアツの牛肉の串焼きをなんとか一口分齧り取り、ハフハフしながらも噛みしめてみる。
歩いてくるヒトを避けながら、移り変わる景色を楽しみながら、仲間とともに買い食いを堪能する。
ご令嬢時代には、絶対に許されなかった行為だ。
うん、こーいうの、憧れてた。
食べてみたかったモノの一つ、牛肉の串焼きはこの町の名物でもあるらしい。
なんでも数年前に町の中を暴れ牛が迷い込んだのがキッカケだとか。
その時、牛に追いかけ回されたヒトがモデルとなって、年に一度この広場で闘牛祭りが開かれるようになったとか。
よく分からないが、そのおかげもあってこの美味しい料理と出会えたのであれば、当時の被害者に感謝しつつ味わうしかあるまい、だ。
今回買った出店の串焼きは、フルーツ感のある甘辛な味付けで、例えるならちょっとプルコギに似ている。
飲み込んですぐ、持ってきた水筒で一気に流し込み、口に残った肉の油を中和させる。
それがたまらなく美味い。
ヤカラの淹れるお茶は何にでも合うから不思議だ。
「コレ、すっごく美味しいね。何で今まで買わなかったのさ」
「分かってねぇなぁ、こーいうのは冷めたら美味くねぇんだよ。だからコレも今しか食べられねぇぞ」
後ろを歩くヤカラに聞いてみれば、分かる気がするような答えとともに、その手に持っていた肉まんがズイ、と差し出されてきた。
コレはこの前も買ってきてなかったか?と、迷いつつも、せっかくなので口もとまで迫ったソレに齧りついてみる。
瞬間、ブワリと口の中で旨味がバクハツした。
うん。
この前のヤツも美味しかったです。ちゃんと美味しかったですけども、今回のこの肉まんは何というかそう、香りが強い。
アッツイんだけどもそれがトロットロの餡の旨味を押し上げてさらにフカフカの皮の甘みと食感と一体になってい……あーもう美味い。美味いから良し!
飲み込むのがもったいなくてじっくり噛みしめていると、そっちも寄越せ、とヤカラが串焼きを齧り取っていく。
オレもオレもと、セージもやってきて口の中で旨味をバクハツさせている。
こんな楽しいコトが、待っていたなんて。
あの頃のボク――【イオリ】が想像していた何百倍も、未来は楽しいのだと知った。
***
あれからお金のやり取りも順調にこなし、クレープと串焼きと肉まんの他にも、甘くて辛くて酸っぱい焼きそばと、モッチモチのフライドポテトと甘さがだいぶ控えめのドーナツも順番に堪能した。
ごちそー様でした!
ちょっと食べすぎた気もするけれど、今日のメインは買い物だ。
市場から細い路地を進んだ先にあった靴屋へと向かう。
この世界ではコレがフツーなのか、店内に並べられた靴の中から気に入ったデザインを選ぶと、ハダシになって足の型を取られましたよ?
そこから職人さんが、革を叩いたり炙ったりして形をととのえていく。
流れるよーな作業に思わず見とれてしまった。
そうして少し時間はかかったけど、イオリは靴紐の、オレ――【セージ】のはゴムを伸ばして履くタイプのショートブーツを手に入れた。
もちろんその場で装備していく!
靴屋のオジさんはオレたちの履いてきたボロボロの靴を見てドン引きしていたけども。
こんな姿になるまで頑張ってくれた立派な相棒なので、そんなゴミを見るような目で見ないであげてほしいですな、捨てるけど。
そんなこんなで、靴はすんなりと買えたんだけども……
「う〜……やっぱ手放したくな〜い〜」
「あー縫い合わせてやってもいいんだがよ。俺が大分と着倒したヤツだからなぁ。そこかしこで解れてるし、全部直すよか買った方がいいと思うが……」
「うーん、前側なんてほふく前進したあとみたいにボロボロだもんね」
次に入った服屋では色々と試着したものの、なんとなくしっくりこない。
かっこいいと思った服もあったけど……今着ているヤカラのお古の方が、どうしても着心地が良いと思ってしまう。
(だけど……これはさすがに、かなぁ)
前の部分がざっくり斬られているのに加え、全体的に擦れたようなダメージが広がってしまってる。
背中の方はまだ全然大丈夫なのに。
ここまできたら、さすがにもう捨てるしかないとは分かっちゃいるんだけど……どーにもすでに、かなり、気に入ってるんだよなぁ。
ヤカラも困ったような笑みを浮かべてるケド、やっぱりどうしよーもないんだろーなぁ。
「あの〜、それなら作り直してみるのはどうですか?」
三人でウンウン唸っていると、見かねた店員さんが声をかけてくれた。
「姉の店で、古くなった服を新しい生地と合わせて作り直しているんですけど。その服も、無事な部分をうまく繋げれば、新しい服が作れると思うんですよね?」
「成る程な、継ぎ接ぎとは違うのか。セージ、頼んでみるか?」
「要はリメイクだね。チャレンジにはなると思うけど、どのみちこのままでは着れないし、やってみれば?」
セージに任せるケド、と言ってはいるが、みんなの目はやっちまえよセージ!と言っている。
うーん、このままお別れするくらいなら、やるだけやって諦めた方がいいのかも……しれない!
とゆーワケで、店員さんのお姉さんに服を預けておき、また後日取りに行くことになった。
ちなみにイオリの服は、今回は見送るらしい。
「あーあ、こんなコトならヤカ兄の服もっと持ってくるんだったな〜」
結局、採寸やら何やらで予定してたよりも時間が経ってしまい、買い物の続きもまた後日となった。
ふたたび戻ってきた広場で、今度はお昼ごはんを調達していく。
「そいつぁ、母者も縫った甲斐あったと喜ぶだろうな。ただ本気で着古してきたからなぁ……持って来てたとて、使いもんにならねぇと思うぜ?」
「えっこの服……ってか、ヤカ兄の服って全部おばちゃんが作ったの!?じゃあなおさら気軽に買い替えられないじゃん」
のんきに話してくれてるが、その内容が衝撃の新事実なんだが?聞いてないぞ〜!
前に、テキトーなトコで売っ払って買い替えろ、とか言っていたもんだから気にしてなかったのに。
これはやはり、縫い繋げてもらうべきだったのでは!
「だーから、この町に着くまでの繋ぎだっつったろ。俺等山岳の民は、己の子に祈りを込めて装備一式を繕う習わしがあるんだがよ。その都度、ボロボロになるまで着倒した服は、子を守った証として親の誉れになるんだぜ」
――だがまぁその服の頃合いはあまり着てやれなかったからな……、と続けた声は、どこか寂しそうで。
どうしたんだろーか、と何となくイオリと顔を見合わせようとしたんだけれど、イオリはオレを見ていなかった。
戻ってきた道の先にはもうすでにお宿の屋根が見えている。
たしかそこの角を曲がればすぐだったはず……なのに一歩前を歩いていたはずのイオリは、その場から動こうとしないどころか、目をカッと見開いて、前方を凝視していた。
こちらもどーしちゃったんだろーか。




