41.盛夏の町 其の一
開け放した窓から、太陽の匂いをたっぷり含んだ風が入ってくる。
日差しが降りそそぐ部屋は少し暑い気もするけれど、山から下りてくる涼しい風が反対側の開け放したドアへと絶えず吹き抜けていくからとても快適だ。
それに、なんといっても湿度を感じない。
海風の吹く地元では、肌がなんとなくペタペタしていたり、汗が潮臭かったりするけれど、ここの空気はサラッサラだ。
海の匂いも嫌いじゃあないけど……たまに磯臭いけど……避暑地として山に行く人の気持ち、も……わか……り………ぐぅ。
「……っじゅうう……は、ち……んじゅ、ぅくっ……っあ〜もーダメだぁっ」
ついに腕の震えが限界に達し、力尽きた手がすべり落ちた。
ドフッ、と倒れ込んだ体をフカフカのベッドが受け止めてくれる。
仰向けに寝転がって見上げた先では、天井の梁からぶら下がった棒がユラユラと揺れていた。
「うん、昨日目覚めたばかりにしては上々じゃない?それじゃあ次は……」
「ちょおっレイ兄!?もー休みたいんですけどぉ〜」
新鮮な空気を必死に吸い込みつつ、なんとか頭を持ち上げて足下に抗議すれば、同じベッドの奥で海色の髪の魔王が優雅に寛いでいた。
オレ――【セージ】の声なんか届いていないとでもいう風に、手もとの本に視線を落とす。
「それなら、休憩がてら夕べの続きをしようか?」
「うぇへ」
夕べはひたすら、こっちの世界の文字を音読していたんですが。
ただでさえ英語は苦手なのにその上見たこともないよーな文字を、レイの解説を交えて読み上げていたんですがっ!
幸い言葉はわかるというか同じだし、あとは文字の解読だけなんだけど……その文字がどれも一緒に見えるんだよなぁあ〜これが。
学校でも成績優秀者だったイオリ曰く、なんとなくサバンナのある国の文字と似ているらしい。
……なんでそんなコト知ってるんだろーか?
(それにしても、昨日から寝て起きてが忙しい気がする)
昨日はお風呂に入ったのまでは覚えているんだけど、いつの間にか寝落ちしちゃったんだよな〜。
起きたらみんなが夜ごはんを食べててさ。
その頃にはわりと体力も戻ってたから、今度はちゃんとお腹いっぱい食べることができたし、ひとりでも食べれたし!
そんで食後のお茶を啜っていると、退屈しのぎに本でも読もうかとレイが提案してきて……今思えば、それにイオリが両目を閉じて無の表情になった時点で察するべきだったネ。
今朝も起きぬけにちょっとお茶を飲んでたら、そのまま懸垂がはじまりましたし……なんでカナ??
変だとは思ったけども。
このベッドの真上になぜか棒がぶら下がってんの。
まさかそれに掴まって懸垂やれ、なんて言われると思わないデショ?何度でも言うけど、昨日までフラフラだったんだよっオレは!
魔王レイの提案に抵抗を示すべく、ベッドに寝転がったまま固く両目を瞑る。
このままお昼寝できたら楽になれるのに、残念ながら少しも眠くない。
そんな自分に向けてなんだろう。
フフ、と柔らかい声が耳に入る。
「冗談だよ、そろそろ朝ゴハンにしようか。イオリも、身体あったまっただろうし」
チラリと部屋の奥に視線を向けたレイにつられて、さっきからヒュンヒュン鳴っている空間に顔を向けてみる。
「っほら休憩っだってよ!……さっさとっ止めろって……っこのヒトデナシ!」
「あ?まだ減らず口叩ける余裕あるみてぇだな。ならもう一本増やしてみっか。いい汗かいた後の飯は美味いぞー」
「ふっざけんな!クソヤカラ!」
「ほれ、一本追加っと」
部屋の片隅ではイオリとヤカラが向き合って、ヤカラの言う『朝飯前の軽い運動』をしている最中だった。
オレの目の錯覚でなければ、イオリに向かってヤカラが何度もナイフを突き出しているように見える。
イオリの足はどうしてか、イスの脚とロープで固定されていて、当のイオリはものっそいスピードで向かい来るナイフを上半身だけでかわし続けているという……軽い運動の定義ってなんだろーか。
ヤカラの片手にナイフ一本だったのが、両手に一本ずつになったんだけども、それも軽いうちに入るんだろーか。
そして、オレもいつかアレをやるんだろーか……
こっそり打ち震えながら見守る中、風を切る音がさらに増えたけど、それもすぐに、ふぎゃあ、という叫び声とともに止んだのだった。
・・・・
ポットから注がれるお茶の香りが、部屋にフワリと広がっていく。
汲み上げた地下水を冷たいままキープしてくれるこのポットは、このお宿のサービスなんだって。
それにヤカラブレンドの茶葉を浸して作ったお茶は、氷でキンキンに冷えてる……とまではいかないけど、運動で火照った身体をクールダウンさせるには十分だ。
サイコーにおいしい!
ところでこのポット、ヤカラたちは『保温瓶』と呼んでいるみたいなんだけど……この世界にも魔法瓶、あるんだな?
ビックリしていたらイオリが真空ポットと同じ造りだと思う、と言っていた。
そーいえば学校で習った気がするよーな?
やっぱりというか、この世界では今の時期、氷はちょっとお高いらしい。
それでもレイ曰く、この国では比較的安価に手に入る方だという。
というのも、この東国には鍾乳洞が多く、各組合で氷室を所有してもいるため、冷たい物がわりと手に入りやすいんだそう。
加えて、おとなりの北の国では氷室石と呼ばれる氷のように冷たい石が産出されていて、食品はもちろん病院や流通になど様々な分野で重宝されているらしい。
よって冷たいモノに関しては、夏場でもより安定した供給がなされているのだ。平和バンザイ……と。
……うん、昨日の魔王講習での知識はちゃんと頭に叩き込まれているな。
「ぷはーっ、カラダが生き返るぅ〜」
「う〜ん、ノドに沁みわたるねぇ〜」
昨夜の授業の思い出を、冷たいお茶ごと飲み込んでやると、イオリも同じく飲み干していた。
イオリは特に、朝飯前というにはだいぶハードなコトしてたからなぁ。
キラキラしたその笑顔を見ていると、ついさっきまで乱暴な口調でヤカラと言い合っていたのがウソみたいダネ。
今朝のハードな思い出も飲み込んでやろうと、おかわりのポットに手を伸ばしたら、立ち上がったヤカラがひょいと持ち上げて注ぎ足してくれた。
「んじゃ、朝飯調達してくるわ。どんなのでもいいな?」
「あぁ、ヤカラちょっと待って」
おもむろに袋を抱えて出て行こうとするヤカラに、レイがストップをかけた。
「あれ、ヤカ兄どこ行くの?」
「町の広場に出店とかがあるんだって。ヤカラサンがいつもゴハンの買い出ししてくれるんだけど、どれも美味しいんだよねー」
そーなんだ!てっきりこのお宿で出されるものだと思ってたんだけど、ヤカラがわざわざ買ってきてくれてたのか。
イオリのそのセリフだと、まだ外に出たことはないのかな?
「ねぇヤカラ、今回はこの二人も連れて行って欲しいんだけど」
『えっ!?』
レイの提案に、オレたちはそろって顔をあげる。
え、ナニそれめっちゃ行きたい!
ワクワクするオレたちとは対象的に、ヤカラの眉間には深いシワが刻まれていく。
「……アンタ、まさかその隙に聖石呼ぶ気じゃねぇだろうな?」
「まさか、ちゃんと回復に専念するよ。ほら、そろそろ二人の靴をどうにかしないとでしょ?」
しれっとした顔で言ってるけれど、この人は魔法を使ったらダメージを受ける呪いにかかっているクセに、ガンガン魔法使って死にかけちゃった前科のある人ですからね。
そりゃあちょっと信用できない……んだけどもたしかに靴……なぁあ。
「え〜……まぁ、そりゃあ靴は欲しいけどぉ」
「もはや靴とは呼べないもんね、コレ」
それなー。
オレとイオリの靴は元の世界からずっと履き続けているんだけど……履いているとゆーか、とっくの昔に大破してパカパカになったヤツを布で何度もグルグルに巻き直しながら、無理やり足にはめているんだよな。
慣れたっちゃあ慣れたけども、歩きにくいコトはたしかであって。
だけどもレイの心配も最優先であって……
外に出たい!という気持ちをおさえるべきか、イオリと顔を見合わせてみる。
さすがのヤカラも前科持ちを一人にしたくはないのか、少し迷っているようだ。
「そりゃ確かに、変な歩き癖ついても困るけどよ」
「でしょ?それに服も新調させたいし。だからさ、ヤカラに装備一式見繕ってきて欲しいんだよね」
「あー小刀の一本も持ってねぇもんなぁ。けどよ、俺の見立てで揃えていいのかよ?旅慣れたアンタの方が気付きも多いんじゃねぇか?」
オレたちの問題ながら、たしかになーと思うことばっかりだ。
オレの服はざっくりと破けちゃってるし、旅の途中でも、あーイマちょっと切るモノ欲しいー、と何度思ったことか。
それにしても、ヤカラが選んでくれるのなら何の心配もいらないと思うのにな?
どんな知識が足りないのかはオレのレベルじゃさっぱり分からないけども。
てゆーかこんな何でも出来ちゃうヤカラが旅慣れてないなんてウソだとしか思わんが。
言われたレイも同じよーに思ったんだろーな。
キョトンとした目でヤカラを見上げるけど……すぐにニッコリとイイ笑顔になりましたよ!
「問題ないよ、その辺も含めて信頼しているしさ……」
オレたちのうしろにいるヤカラの顔は見えないけど、そのヤカラの目をまっすぐに見ているのであろうレイの声には、少しの憂いもない。
「頼りにしてるよ、ヤカラ」




