4.片田舎の漁師町 其の三
「ね、真友くん……ちょっとこっちに来て?」
不意に呼ばれ、真友は思わずドキリとした。
しかし綾ノ瀬さんは気にした風もなく、ジャケットのボタンをプチプチと外していく。
(――っあ、暑いからか!)
そう思いながらも真友の心臓は跳ね上がる。
普段から、特に異性との交流が少ない彼には少々シゲキガツヨイ。
思わず固まっていると、綾ノ瀬さんは内ポケットから取り出した『何か』を差し出して見せた。
内心、大きく安堵した。
「これは……」
改めてその手の内を見やる。
ほんのりと星明かりに照らされたソレは……こういう状況下では本来ならば、常人には識別出来ないらしいのだが……。
「…赤チョークで作った泥だんご?」
見えたまま、思ったままを述べてみる。
「……っく……ぷふっ……!!」
突然綾ノ瀬さんが吹き出した。
慌てて口を押さえようとして手の中のモノを落として―――しまうところを真友は既のところでキャッチした。
「――っと、セーフっ!」
それにしても……と、遠くの街灯にも照らして見てみるが、真友にはやはり泥だんごの類としか思えない。
少し重みのある、ひんやりつるりとした感触からスーパーボールでもなさそうだ。
「っふふ……ふ、ごめんっ……!」
綾ノ瀬さんはまだ笑っている。
何がそんなにウケているのか、ついに蹲ってしまった。
「……綾ノ瀬さん?」
お腹でも痛いのだろうか、と真友は心配になり覗き込んでみる。綾ノ瀬さんが漸く顔を上げた。
「はーごめんね、ついぼ……」
言いかけてハッとしたように目を見開く………が。
「………同じ事を、思ったんだ」
そう言って小さく微笑んでみせた。
それが何となく引っ掛かるが、真友は何も言えない。
切り替えるように綾ノ瀬さんが説明を始めた。
「これはね、とある部族の宝物なんだって。神様として祀ってたらしいよ」
そう言って手の中のソレを覗き込む。
「えぇ〜これがぁ?」
よりにもよって何故これを選んだのか。真友はどうにも釈然としない。
どうせならもっとピカピカしてるものを崇めればいいのに……宝石じゃあるまいし。
「それ、宝石らしいよ」
「はっ!?」
見透かしたように綾ノ瀬さんが言うのに、思わず声を上げてしまった。その拍子に『石』を落としてしまう。
――― ポスッ と小さな音がした。
そっと息を吐く。
ここが砂浜で本当にホント〜に良かった。
「…これね、返しに行こうと思って」
ヒョイと『石』を取り上げて、綾ノ瀬さんが立ち上がった。見上げるとその姿はまるで星空に浮かんでいるようで。
「旅に出るんだ」
こちらを見下ろして、そっと微笑んだ。
・・・・
真友はどうやら呆気にとられているようだった。
その表情は暗くてよく分からないが。
(彼の目にはどう見えているんだろう)
綾ノ瀬さんはふと、そんなことが気になった。
真友はこの薄暗がりの中で『石』の色味も質感も見分けてみせた。
生まれつきなのだろうか、他人との差異にいまいちピントが合っていないようだ。特別視力が良いと騒がれてはいないようであるし、単純に夜目が利くだけなのだろうか。
今の現状においてとても助かっているのだが、この凄さが他人には伝わらないのだろうか?
(そもそもこんなシチュエーションには遭わないか)
そこまで考え至って漸く自分たちの状況を振り返る。
―――彼を巻き込んでしまった。
申し訳ない気持ちは勿論あった。
だが、正直今はそれよりも高揚感が勝っている。
護衛を出し抜いてやった事、彼が助けてくれた事。
その思わぬ能力もそうだが、何よりも共に行動してくれている事が、家を飛び出した今の綾ノ瀬さんには心強かった。
(その目には何が見えているんだろう)
ほんの少し怖くなった。
彼の目に写る自分は、上手く正体を隠せているだろうか、と。
・・・・
二人からしてみれば突然視界が真っ白になったことだろう。
突き刺す光に彼らは思わず目を瞑っていた。
どうやら大分と注意力が散漫になっていたらしい。
(思っていたよりも早く見つけられたものだ)
彼等を追い掛けていた男たちの内の一人、サングラスの男はニヤリとほくそ笑んだ。
今や二人の前には大きな機体が浮かんでおり、そのライトが暗闇から呆気なく少年らを曝け出した―――。
一見すると、そのフォルムはヘリコプターの様に見えるだろう。
ドロップを横にしたような本体の上に、竹トンボの羽の様なプロペラが繋がっている様はまさに想像通りのものだ。
だか目の前のそれは通常のヘリコプターとは少々異なっている。
ドロップ型のボディは小型だがヘリのイメージはそのまま。扉は付いておらず、殆ど枠組みだけの、いかにも重量を削ぎ落とす事に専念しました、と言わんばかりのデザインである。
プロペラ部分も似てはいるのだが、そうと見える部分は固定されており、代わりにとても小さなプロペラが幾つも取り付けられてる。
それらは高速で回転しているのにも関わらず音が格段に静かだった。
―――もっとも子供ら二人がその姿を確認することは出来ないのだが。
ぶわりと風が吹き荒れる。
まるで浜辺のこの一帯だけに砂嵐が起こったかのようだ。ヘリの風に二人の髪が煽られ、砂礫が顔に身体に打ちつける。とても目を開けていられる状況ではないだろう。
「――ったく手間取らせやがって!!」
砂浜の上で身動きが取れずにいる護衛対象の『お嬢』をあっさりと捕まえる。
「っく、離っ…せ……!!」
相手が己の護衛だと気付いたろうが何も出来やしない。砂嵐のせいで声も碌に上げられずズルズルと引き摺られてゆく。
「――っあ……やのさ…!!」
その声に反応してもう一人の子供が動いた。
目がまともに開けられないままそれでも伸ばした手は『何か』を掴み――――。
「うっっぜぇんだよガキが!!」
男の怒声と共に砂浜に突き飛ばされる。
「っうぁ……!!」
―――ズザァアッ
子供は転がるように砂浜に倒れ込む。
「――っ!?真友くん!?まとっ……」
綾ノ瀬さんの、悲鳴に近い声が響く。
こんな平凡な田舎町に住む平凡な少年に、突然飛んできた怒号と痛み。今まで他人に敵意を向けられた事など、況してや攻撃されたことなどありもしないのだろう。
その身を竦ませたまま、少年は動かない。
・・・・
すっかり大人しくなったその姿を見届けて、サングラスの男はパイロットに次の指示を出した。
ヘリがブワリと浮かぶ。
前には操縦者が一人。後ろの座席は大人二人分なので、自分と『お嬢』が座り、もう一人の護衛仲間である後輩には中腰体制で頑張ってもらう。
この機体は綾ノ瀬財閥が手掛けている研究の試作品だ。機動性と速度、ブレの少なさを極端に高めた期待の進化系ヘリである。
「…こんなモン持ち出したからにはただじゃ済まねぇよなぁ」
男は独りごちる。
叱責と格下げとケジメ金と……その他思いつく限りの罰を受けたとしても、男にとって大した事はないように思う。
命に比べれば。
そう、己の役割はお嬢サマの護衛。
側に付いて守り続けないとならない。
お嬢サマの身に危険が及ばないように、逃げ出さないように。
秘密が漏れないように。
その護衛対象者は今、己の隣で大人しく座っている。シートにもたれかかり、両腕は力無くだらりと下がったまま。さっきから微動だにしやしない。
(人形だものな)
男は心の中でせせら笑う。
この可愛らしいお人形はこれからも父親の手で大切に大切に、操り続けられるのだろう。
何年も何年もかけて無機質で美しい完璧な人形に育てあげられるのだ。
(是非とも見てみたい)
己の退屈な人生で漸く見つけた唯一の生き甲斐だ。
それを見届けるまでは何だってやってやるのだ、と。
まるで糸の切れたよう。項垂れたまま、お人形は動かない。




