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39.夏宿に集う 其の三



「セージはイシマトイじゃあない……ヤカラ」

「そうだな。風呂場でも探ってみたが、聖石は何処にも付いて無かったぜ、っと」


 相手の言い分に適当に合わせて立ち上がる。


「おら、イオリ。そろそろ風呂ついでにその服洗ってこい。草の汁ってのは乾くと落ちねぇんだからよ」

「えっと、でもまだ……」

「なんだ?茶は零しっぱなし服は濡らしっぱなし落とした湯呑は片付けねぇ。んで?次は俺に体ごと洗って欲しいのか?さっさと行け」

「うっ、ごめ……いってきます……」


 ぴしぴしと指をさしてやれば、イオリは怯んで部屋を出て行った。


「ったく、セージの事になると隙だらけだな。敵にいいように利用されちまうぜ」


 すぐ動揺するわ、茶が自分に掛かっても気付く様子もなく呆けているわ。

 自力で我に返る術も知らねぇわ。


「心構えも体捌きも根本が幼子と同等たぁな。加えて竜にも目を付けられているとなりゃあ、とっとと縄張りから出た方が賢明ってか。だがその結果がこれじゃあな」


 何も知らねぇ何も出来ねぇ、雛二匹を護れんのは己が身一つ。

 そんな己も万全とは云い難く、力を取り戻す術は神竜から離れるのみ。

 にべも無く足枷抱えて、追われるように旅を進める中で不測の事態が相次いで、頼みの綱である自分自身が遂ぞ力尽きる……――

 最悪な結末だ。


「随分と舐め切った道筋を選んだもんだよなぁ。此れで死んでも満足だったかよ、あ?」


 さっきから()()()()を決め込んでいる相手に水を向けてやる。

 当人も散々な目に遭ったんだ。

 十二分に堪えているのだろうが……んなもんじゃ到底足りねぇ。

 アチラも漸く面を上げ、己――【ヤカラ】を見据えてこう言った。


「……死にかけたよ、もう。理に、アランに会ってきた」


 コイツは。本当に、己の神経を逆撫でしやがる。


 一歩二歩、のし歩けば直ぐに相手の目の前に立つ。

 そのまま襟首を引っ掴んでやった。

 この程度で動じるワケもないだろうに、痣でも軋ませたのか、極々小さな呻きと共に相手は顔を歪めた。


「ふぅん、それで?アランは何て言ってた?何でアンタを生かしたって?」

「……っセージが……いるのにっ」

「起きねぇだろ、この程度じゃあ……なぁ、も一つ聞くがよ」


 力を込めれば込めた分だけ相手の体がいとも簡単に持ち上がる。

 ここまで衰弱させる必要があるものかとイオリも言っていたが、()()()ここまで衰弱するような代物ではない。

 元は老竜の腹いせだとはいえ、あくまで、警告の為の戒めだ。

 ただし、上限がねぇってだけのな。


 一回や二回程度なら、痣が発現したところで元の体力の方が上回っている分、まだ回復の余地があるもんだ。

 故に、頻繁に発現させ続けていない限りは短期間でこうはなるまい。

 ならば。


「アンタ、いったい何時から聖石を呼び続けていやがった?」


 判らねぇのは、何故こんなになる迄コイツは力を使い続けやがったのか、だ。






 ***






 誰もいない浴場で、洗濯物を洗う音が響く。


 令嬢の頃は、他人と湯船に浸かったことはもちろん、公共浴場施設での利用などしたことがない。

 元の世界(あっち)でならば、洗濯機という文明の利器を使うのだろうが、まさかこうして全裸になってタライと洗濯板で服をゴシゴシこすって洗う、なんて日が来るとは。


 ようやく体も服も洗い終えて、ボク――【イオリ】は湯船に浸かった。

 まだ日も高いこの時間帯は、誰も利用する者はいないらしく、少し安堵する。

 この宿に来た初日はロクな目にあわなかったからだ。



 初日。

 セージもレイもまだ目を離せる状態ではなく、ヤカラと交代で風呂に入ることにしたのだが……ドロドロの服を抱えて入ると先客が何人かいて、こちらに気が付くと一様にギョッとした顔をされてしまう。

 洗っている最中も無遠慮な視線に晒されて……結局湯船に浸かることなく足早に部屋へと戻ったのだった。


 ちなみに、ドアを閉めようとしたところで後をついて来たらしい男が入って来たのだが……部屋にいたヤカラが()()()追い返してくれた。


「くそぅ、ヤカラサンみたいに筋肉があればな……」


 呟いてみても、このヒョロッヒョロで白い腕は、細い棒みたいで。

 せめてセージのように日焼けしてみたいのだが、この数日、散々日の下に晒され続けたというのに肌が焼けた感じが全然しない。

 というか、()()()は太陽光の下に居続けたことすらなかったのに、よく日射病にならなかったな?


 この時期は特に、とボディガードに日光までガードされていた日々を思い返す。

 あれからまだひと月も経ってはいないが……やはり戻りたいとは思わない。


(セージは、やっぱり戻りたいんだろうか)


 この世界(こちら)が合わないのだろうか。

 家族や友人に会いたくて仕方ないのだろうか。


 しかし何を想定してみたところで、()()()()にはそぐわない気がした。

 少なくとも、ボクの前ではいつも元気で笑ってて、この旅を一緒に楽しんでいるように()()()


 家族のことは、話のネタとして聞いたことがあるくらいだが関係は良好らしい。

 けれども、寂しくて辛いのと、生きるのが辛いのとは、レベルが全然違うと思う。

 そもそも帰りたいのならばどんなことがあっても生きて帰ろうと思うだろうに。

 セージは……ちゃんと、生きようとしている。


(でも、それならイシマトイってコト?)


 聖石に認められた者は、イシマトイと呼ばれるらしい。

 大きくカブリを振ってみる。


 何でか胸がザワザワして、首に下げた袋を握りしめた。

 ここには、アランと呼ばれている聖石が入っている。

 絶っっ対に失くさないでね、とレイに五回くらい念を押され、寝る時もこうして風呂に入る時でも肌見離さずに持ち歩いているのだが。

 このアランが、セージを認めた……


「違う……そもそも、事例が少ないんだし」


 レイもヤカラも、その可能性はないと言っていた。

 試練とやらだって、セージのパターンは前例がない。

 聖石に詳しい彼らにとってもイレギュラーなのだから……そもそも、ボクらの存在自体がそうなのだから。


「他に、原因があるんだ……絶対」


 落ち着こうと深呼吸をしていると、脱衣場の方が賑やかになってきた。

 慌てて風呂から上がり、タオルを頭に巻きつける。


 入ってきた数人と入れ違うように出てみたが、彼らは気にもしていないようだった。






 ***






 一際に、大きく吐き出された吐息が己――【ヤカラ】の手に掛かると、白い霜となって消えた。

 掴んだ襟首を緩めてやると、寝台を大きく軋ませて咳き込む。

 それを見下ろしながら湯呑に薬湯を注ぎ、口に運んでやる。熱すぎて咽ているようだが構わずに飲ませた。


「……ッヤカ……ラ」


 漸く一息着いたか、喘ぐ様に己を呼ぶが……そろそろ限界だろう。

 この薬湯には感覚を麻痺させる為の、要は睡眠薬を配してある。

 コイツの場合、回復を促すにはよく眠るより他に無いからだ。


 「心配……かけて、ごめ……ん」


 支えてやったその頭がズシリと重くなると、レイは完全に眠りについた。


「誰が心配なんざするか」


 見当違いも甚だしい。

 己はキュイエールに願われて、コイツらと旅に出ているのだ。

 それなのにコイツときたら開始早々に死にかけやがった。

 意地だが自棄だが知らねぇが大分と酷い無茶振りで、だ。

 そんなん、腹立たしくもなるだろうが。莫迦にもつける薬が無ぇ。


「莫迦野郎が、言いたい事言う前に寝やがって。大体な、何年もかけて山で何を学んでやがったよ」


 やたらと神聖視されている山だが、その暮らしは決して裕福でも何でもない。

 命がけで畑と家畜を守り命がけで森を抜けて物資を運び、身を寄せ息すら潜めて厳冬期を越え、それで漸く一年を越せる事に……誰一人欠けなかった事に心の底から安堵する。

 そんな暮らしに、共に身を置いていただろうが。


「独りで生きられるワケねぇだろが」


 何故、己を待たなかったのか。

 何故、力を使い続けたのか。


 「抱えてる信念ってヤツがあるかも知んねぇがよ……俺を信用すらしてねぇってのも、別にいいんだがよ」


 相手はとうに寝ているってのに、言えば言う程、愚痴が止まらない。

 痛みを忘れたかのように安堵して眠る顔は、弱ってなけりゃ引っ叩いてやりたいくらいだ。


「……俺如きじゃあ頼れねぇってか」


 本当に、腹立たしい。

 こんなもん絶対に心配なんかじゃねぇ。






 ***






 どうして、こうなったんだろう。


「おいっ今お前、男湯から出てきたな?」

「怪しいね、この宿の売りってヤツでもないだろうに」


 壁を背に、二人の男に囲まれてボク――【イオリ】はため息を押しころす。

 先ほどの、浴場での第一波はどうにかクリア出来た。

 ところが着替えて頭のタオルを取って廊下に出た所で、ちょうどやってきた次の利用客――この男たちと鉢合わせてしまったのだ。


「いや、ボクは正真正銘の男なので。それじゃあ…」

「は?ウソだろ?こんな細い腕してて?」

「随分と肌も白いし、いいトコのオジョウサマじゃない?使用人が一人もいないのには何か理由があるんだろ?」


 こうなるならタオル取るんじゃなかった……と後悔してももう遅い。

 適当に躱して去ろうとするが、再度阻まれてしまう。

 腕を取られ、当たらずとも遠からずな指摘をしてくる相手は、元の世界(向こう)でならば高校生くらいだろうか。

 背たけもウェイトも自分よりひと回り以上あるし、悔しいが勝てる相手ではない。


「ボクは旅人だ。いい加減に離してくれ」


 はっきり言ってやったのに、今度はそろって大笑いされた。


「はぁ〜?冗談いうなよ。こんな弱そうな旅人見たことないぞ」

「何にも出来なさそうだけどなぁ。護衛される側の間違いでしょ」


――ゴリ……


 頭ではなく、腹の中で、何か固いモノが動いた気がした。


 「お前は弱い」「どうせ何にも出来ない」「守られるしか能がない」。

 散々投げつけられてきた言葉が、散々飲み込まざるをえなかったはずの言葉が、どうしてか今は、心底に腹立たしく……とうてい許容出来そうにもない。


「まぁいい、話は聞いてやるから。すこし付き合って……」

「……るさい」


 こちらの腕を掴んだまま、一方的に何処ぞへと連れて行こうとする男たちが、訝しげに立ち止まった。


「……何だと?おま……」

「うるさいって言ったんだ。ボクの生き方を、オマエラなんかが決めつけるな」


 取り上げられたボクの腕越しに、相手の男を睨みつけてやる。

 瞬間、激昂した男が片手を振り上げて――……


 誰もいない廊下に、鈍い音が響いた。

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