37.神竜の御呪
御神竜の与え給うた御印なのだ、と周りの連中は捉えた。
コイツが回復士として働かなくなったのも、神竜が大切に為さっているからなのだ、と受け容れられた。
……何を宣っていやがるんだか。
当の神竜は老いぼれ果て、キュイエールが次代として山に囚われるのだと知りもしないくせに。
盲信こそが信仰なのかと吐き捨ててやりたいもんだ。
そりゃあ己の父母も祖父も、山の民の一族として心から尊敬はしている。
だが、根底の部分で分かり合えることは無いだろう。
あの山で生きていく限り己が捉えるのは敬い祀る神竜ではなく、キュイエールとして、なのだから。
・・・・
レイの鎖骨が露わになった途端、息を呑む二人の緊張が伝わった。
イオリの方は既に目にしている筈だが、まー在れは何度見ても引くよな。
セージに至っては、息してんのか?コイツ。
青白い顔で目ぇ見開いたまんま、ピクリとも身動ぎしねぇんだが。
固まりきったセージの背中を擦ってやりながら、己――【ヤカラ】も改めて其れを見やる。
ソイツの左の鎖骨下、その辺りから脇にかけて流れるように、その渦巻いた痣は広がっていた。
何も知らねぇ奴等曰く、神竜から賜った、御印とやらだ。
その青黒く脈打つ皮膚には霜が纏わりつき、数刻おきに薬湯を飲ませねぇとソイツの口から霜を吐く。
一応一時の峠は越しちゃいるし、こんなんでも幾分かは体温が戻ってきてる方だ。
コイツなりに弱ってるとは思えねぇ量の飯も食っている。
だがそれでも、その肋は未だ薄く浮き上がっていた。
子供二人の前だからと涼しい顔を作っちゃいるが、この痣は持ち主の体力も気力も常時吸い続けやがる代物だ。
実際、毎夜人知れず魘されているモンだから回復が追い付きやしねぇ。
軽い戒めだとか抜かしてやがるが、間違いなくコレは呪いだろうが。
……本当は横になっていたいだろうに。
「二人には、黙っていたんだけどね……」
静寂の中、目を伏せたままのレイが言葉を紡ぐ。
どういう経緯でコイツらの旅が始まったのかは知らねぇが、事の起こった五日前の夜、イオリのあの反応からして痣の経緯は知らないのだと判った。
言う必要も無かったんだろう。
――竜の神力は、この国の中でだけその効力が発揮されると謂う。
あの山の麓から国を出る迄の日数は、最短ならば凡そ半月もあれば充分に足りうる。
つまり半月くらい我慢すりゃあ、煩わしい戒めとやらからは解放される手筈だったってワケだ。
たった半月……しかも外敵なんぞ殆ど垣間見えない様な旅程で、痣を発動させる事態に遭う事なんざ、滅多にない。
あの【試練】さえ起こらなければ尚更、だったろう。
さて、コイツはどう説明するのやら……
「……実は俺、イシマトイなんだよね」
吃驚したわ。
「――ってソコからかよ!!……は?嘘だろアンタ、その辺の事まだ言ってなかったんか!?」
いやまさか聖石を伴う旅路に於いて、【聖石を纏う者】だと名乗らなかったとは。
……何だコイツ、逆に怖いんだが。
この二人も、今それ言われても困惑すんだろうに。
「あーうん、まぁ、それは薄々気づいてたけどね。レイサン時々雪みたいなの降らせてたし、やっぱりそうだったのかーってカンジ?」
「うお〜マジで!?レイ兄かっけぇえ〜」
「アンタら切り替えんの早ぇな!?……アンタも照れくさそうに笑ってんじゃねぇよ」
いや、何なんだコイツら。
己の困惑を他所に盛り上がってんじゃねぇ。
「レイ兄レイ兄っ魔法っ、どんな魔法使えんの!?」
「ええと……聖石の能力のこと?セージも見てなかったっけ。爆風から守るために、あの集会所にいる村の人達を氷で覆ったんだけど」
「氷っ、やっぱりアレ氷だったんだ!レイ兄の魔法スゲェ!」
己の腕の中で興奮したセージが身を乗り出すので寝床の上に放ってやる。
ごろりと転がったセージが真顔で己を見上げるが……いや、んな何故に?的な顔されてもな。
イオリを見やれば此方には見向きもせずに、さっきから無言で目を輝かせているしよ。
それにしても方言なのか、セージは偶に知らない言葉を使う。
マホーとやらがよく判らんが、レイは聖石の持つ能力の事だと解釈しているらしい。
「……コホン。それでね、この痣はイシマトイである俺の能力を封じる為のものなんだ。聖石を呼ぼうとするだけで消耗するから、極力使わないようにしていたのだけど」
レイが右手で痣を擦る。
ソレは使う程に生命力を奪うのだと謂う。
しかも普通の治療では回復が追い付かないときた。
……ったく随分と厄介でクソ迷惑な御印があるもんだ。
「つまり、その力を使ったちゃったから、レイサンは罰を受けたってこと?消耗って、だってあの時は非常事態だったワケじゃんか?自分の身だって守れないんじゃ……あんな、倒れるほどに苦しんでさ……」
声を抑えちゃいるが、イオリなりに憤っているんだろう。
たしかにあんな事件でレイが死にかける必要は無かったわな。
我等が御神竜は、人間如き小さか生き物の感覚なんざ理解出来ねぇんだろう。
己等の都合なんざ、知る由もねぇんだろ。
「あぁクソ、あの老竜の事考えてっと腹黒くなるぜ」
「……ソノ竜が、レイ兄を苦しめたの?」
己の溢した呟きに、静かに返したのは。
「……ソイツが、レイ兄を、アンナ目に遭わせたノカ……」
「セージ?おい、どうし……」
瞬間、ブワリと肌が粟立った。
腰掛けた寝床を這うように冷気が波打つ。
山霧の様に冷たくて……しかしそんなモンとは全く異なる、底冷えた悪寒。
遠い昔に味わった、懐かしい緩やかな死の気配。
「なぁ、セージよぉ」
さっき迄、己の直ぐ隣りに居たモノに呼び掛ける。
「……何故にアンタが【理】を纏っていやがる」
***
意識だけが飛んでいたように思う。
今、目にしている現実は認識しているのに、思考が、身体が全く動かない。
どうしてか苦しくて……どんどん苦しくなっていって……
――バンッ!!「――ッはァっ!?」
いきなり受けた衝撃で思わず息を吸い込んだ。
(……ッ苦しいワケだ!)
新鮮な酸素を目一杯吸い込んでボク――【イオリ】はようやく、自分で息を止めていたのだと気が付いた。
ボクの背を叩いた張本人――ヤカラの背中を振りあおぐ。
その大きな背中はボクと、ボクの向かいに居た彼とを遮断するように聳え立っていた。
(――ああクソっ、状況を整理するんだっ!)
何が、何で、どうして、どうしよう……と混乱する思考を叱りつけて、起こったことをイチから追っていく。
(焦るな……焦るな。ボクは今、守られているのだから)
何とかしてくれるヒトがいる。
この背中は、自分を守ってくれている。
何も分からないままで、自分がただ突っ立っているだけで、その間に全部解決しちゃえるほどの力を持つヒトが。
(だからこそ何も出来ないままの自分になるなんざ、絶対にイヤだ!)
だから……だからせめて現状に追いつけ自分。
最悪、混乱して足手まといにだけは絶対になるな!
荒い息を整えて、目の前の背中に集中する。
ギュウッと一度だけ目を瞑り、意を決してヤカラの向こう側をのぞき見た。
壁に寄せられた天蓋付きのベッド。
ボクのナナメ前にはレイ、その反対側にはさっきまでヤカラが腰かけていて、その二人の真ん中には、セージが寝転がっていて……いたハズで。
だけどそんな光景は……この状況は一瞬で変わってしまったのだ。
ボクはちょうどその瞬間を見ていなかった。
神竜のレイに対する仕打ちにムカついて俯いていたからだ。
セージの声が聞こえて、ようやくソレを見て……そこで思考が止まって……
そして、頭上から降るヤカラの声を聞いたんだ。
その時初めて耳にしたような、低くて固い、ヤカラの声を。
「……理……」
コトワリ……『コトワリ』って何だ。ソレがセージをどうしたというのだ。
ボクの前、セージが居たはずのその場所には今、突然現れた黒い塊が靄のようにわだかまっているばかりで、どうしてか肝心のセージの姿がどこにも見えやしない。
もしヤカラが呼びかけたとおり、そこにセージが居るとするならば……あの靄が『コトワリ』とやらなのか?
そのヤカラの言葉に行動に、それに対しても疑問が湧き出てくる。
まるで……その言い方じゃあまるで、セージが自分の意思でそうなったみたいじゃないか!?
それに……何でアンタはボクをセージから守っている!?
洪水のように押し寄せてくる謎に、疑心に次々と飲まれたせいで、ボクはしばらくそのことに気づけないでいた。
ボクたちが飛び退いたその瞬間にもただ一人……レイだけは変わらず、そこに座ったままだということに。




