36.夏宿に集う 其の二
「ぅはぁぁ〜……お風呂、ありがとうぅ」
「アンタ、本当に若人かよ」
こり固まった体を湯船にトプンと沈めると、ほどよく熱いお湯が全身をじんわりと包んでくれる。
長い間待ち望んでいたこの瞬間に、心から感謝した。
となりであきれたような声が聞こえるがキニシナイ。
「ヤカ兄もっありがとうぅ~……ガボボ」
「ぅお!?わーったから止めろ……っと、やべ」
ついでにレイの時みたいに頬ずりしてやろうとすればグイと離されて、踏ん張りがきかずにそのまま湯船に沈む。
すぐさまヤカラが引き揚げてくれなかったら溺れてたかもしれない。
――このお宿にお風呂がある。
そう聞いたオレ――【セージ】は駄々に駄々をこねてこね続け、や〜っとのことで念願のお風呂に連れてきてもらっていた。
なお、付添い人はヤカラである。
なんせ今のオレはヒットポイントゼロ状態――前に立ち寄った村で爆発に巻き込まれたあげく、丸々五日間も眠り続けてやっと本日起きたばかり!なのだから。
今でも起きているのがやっとなくらい、体に力が入らない。
体力も食うし溺れるからと、このヤカラに散々止められたんだけど……とうとう軽く浸かるだけ、という条件で許可を出してくれた。
「ったく、大人しく浸かってろ。苦しかったら言えよな……んん、苦しそうだな?」
「ちがっ、これはさっき溺れたからで……い〜やぁあ〜まだ入るぅゔ!」
「あーッたく余計な体力使ってんじゃねぇよ!いいから浸かれ!」
くい、とオレを引き揚げかけたので思わず浴槽のフチにしがみつく。
抵抗もむなしく簡単に引っぺがされたけど、ヤカラはそのまま湯船に浸からせてくれた。
「ったく、アンタも目が離せねぇなぁ」
そう言いながらも、オレのビショビショの前髪をそっとかき上げてくれる。
面倒くさそうにしてるわりには、こうして支えてくれたり、身体を洗う手伝いをしてくれたりとずっと面倒を見てくれたりして……
「……ツンデレ?」
「あ?何だって?」
思わず呟いてしまった……意味が通じなくてヨカッタ。
とりあえず、無心でお風呂と一体化することにした。
「そーいやぁ……なぁセージ、丸薬は飲んだか?」
「んぇ、ヤカ兄のじーちゃんの?……んーん」
ふいに放たれたヤカラの問いに、しかし飲んだ記憶はない。
もしかしたら飲んどけとか言われるのだろうか。
今あのお茶の味を思い出させるのは勘弁してほしいんですが?
「いや、袋が切れてたからな。大方どっかで落としたんだろうが」
どうやらあの薬は無くしたらしい。
きっと爆発の衝撃で飛んでいっちゃったんだ、じーちゃんには悪いけどシカタナイね、うん。
それにしても、ヤカラはやけに歯切れが悪くて……顔を見上げれば、少し気まずそうに目を逸らされた。
「いや、な……もしかしたらあの丸薬をレイに飲ませたんじゃねぇかと思ってよ。正直、俺の薬だけじゃあ間に合わねぇかと思ってたしな」
「えっ……!」
レイに薬を飲ませた記憶はない。
本人はあんなにも元気に大食いしていたというのに?
……うん?ヤカラの薬が足りないとゆーことは……じゃあ今もレイの容態は悪いということで……え、そーだったのか?じゃあまだ死にかけ……え、マジで!?
「あーいや、あくまで憶測な。今回はアイツの生命力が異常に強かったってコトだろ。俺もあん時ゃ慌ててたしな」
こっちを見たとたん、ヤカラは一瞬固まりつつも手を振った。
もしかしたらオレのショックが顔に出すぎていたのかもしれない。
「……ヤカ兄でも、慌てたりすんの?」
いつでも余裕たっぷりなイメージのあるヤカラが慌てて判断を誤るとか、あるんだろうか。
そう思っただけなのに、ヤカラはくしゃりと破顔した。
「フハ、当たり前だろ」
ザバリと立ち上がると、ヤカラは今度こそオレを抱えてお風呂を出た。
***
爽やかな夏の風が、部屋の中を吹き抜けていく。
視界の端ではレイが青い髪をなびかせ、ベッドのクッションに寄りかかったままパラリと本をめくっている。
ボク――【イオリ】はといえば、窓のフチに腕を預け、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
夏といえば、うるさいほどの蝉の鳴き声と蒸し暑い熱気のイメージしかないものだが、こちらは、まるで初夏の高原にように爽やかだ。
陽射しは強いもののムワリとした空気なんかどこにもなく、涼しさを含んだ風が柔らかい。
こうしてジッとしていると汗ばむこともなく、実に快適に過ごせている。
町の賑わいと鳥のさえずり、穏やかな午後の時間がゆっくりと流れて――
「――レイ兄っ!生きてっ……むぐぅ」
穏やかな時間は、ドアを開けたとたんに響いた悲痛なセージの叫び声で終了した。
そのセージ自身も今、終わったみたいだけど。
「あーほら、アンタはもう寝ようなー……気をつけろよレイ。コイツまた擦り寄る気だぞ」
風呂から上がったばかりのセージを抱えながら入ってきたヤカラは、身を乗り出したセージの頭を掴み自身の肩に突っ伏させる。
流れるような一連の動きだ。
「えぇ……じゃあ俺もイオリと入ってこようかな」
ゆるりと身を起こしたレイが気怠げに髪をかき上げた。
その動きに合わせてめくれた服からのぞく鎖骨が、やけに気になってしまう。
「ボクは構わないけど……体調は、もう大丈夫なの?」
この宿に着いてからというもの、レイはベッドからほとんど出ていない。
自分たちの前では平気そうな顔をしてはいるが、あの身体を見てしまった以上は、それも演技なのではと疑ってしまう。
「……レイ兄っどっか悪いの!?や、やっぱり、ヤカ兄の薬が全然足りなかったんじゃ……」
「だーから体力使うなって。あと俺の処方に不手際があるみたいな言い方すんな」
復活したセージが再びレイに寄ろうと足掻くが、ヤカラの腕の中では元気にさえずるヒヨコにしか見えない。
一応、同学年なんだよなぁ。
「……うん、そうだね。やっぱり二人にもちゃんと話すべきだよね」
「おい、コイツがもうちょい落ち着いてからの方がいいんじゃねぇか」
困ったようにレイが笑むと、セージを寝かせるために部屋を出ようとしていたヤカラが振り返った。
「セージには怖い目に遭わせたからね。ずっと心配させ続けるわけにもいかないし、イオリも……見たからには、気になるでしょ」
レイと目が合うのに、迷ったが頷く。
あの時、倒れたレイが苦しそうに手で押さえていた、その胸の辺りがどうしても気になって、つい目で追ってしまう。
「イオリもセージも近くにおいで。前にさ、騒ぎを起こして神竜に怒られた話したの、覚えてる?」
ベッドの上で座り直したレイの、ナナメ前にイスを寄せて腰掛ける。
ヤカラはレイと少しだけ距離を空けてベッドサイドに腰掛けた。
いまだにセージを手放さず、子猫を抱えるかのように座らせているが……転落防止のためだろうか?
だけどたしかに、ここにきてからのセージはテンションが高いというか、感情が不安定な気がする。
レイのアレを目の当たりにしたら取り乱すかもしれない。
実際あの時、レイの服に手をかけたボクも思わず飛び退いてしまったし。
「ん〜と、ケンカすんなって言われたやつ?なんか竜巻がどーのって」
ヤカラの腕の中で器用に寛ぎながら言うセージの言葉に、思い出す。
神竜――大昔からあの山の神域にてこの国を護り、キュイエールという学者に己の世話を倒れるまでさせた、騒がしい聖石が大嫌いな偉大なるドラゴン。
なんだろう……イメージをまとめると、強大な権力を握った神経質で鬼畜な要介護者のジジイみたいなんだが。いや、性別なんて知らないが。
「あー、竜巻起こしたのは別のヤツなんだがな。そのせいで神竜の棲家がボロクソになっちまっ……て……なぁ?」
「うん、彼も悪いけど、煽ったヤカラも大概だからね?ていうか俺、キミ達の喧嘩の巻き添えだからね?」
珍しく尻窄みになるヤカラの目線を辿ると、目をキュウと細めたレイが彼を睨んでいた。
「えっと、要するに……たしか、アルゴ?ってヒトとヤカラサンが、ケンカした際に竜巻で神竜の家ふっ飛ばして、そこにいたレイサン共々こっぴどく叱られた……ということ?」
「そうそれ」
「おいっイオリ!あれはアイツがキュイエールを悪く言うから……だな……」
「んん、竜巻を起こせるってどーゆーこと?」
ボクの要約にソッコーでレイが相槌を打つ。
ヤカラも慌てて弁明するが、レイのジト目に黙ってしまうあたり、反省はしているのかもしれない。
セージの疑問にはボクもものすごく同意なのだが、たぶん今はソレどころじゃない。
「ともあれその際に戒めとして、神竜から罰を与えられてね。この国にいる間はと、各自にそれぞれの制限をかけられたんだ」
目を伏せたレイの、その手元はシャツのボタンに掛けられていて。
――― 何で生きてんだか……
そう呟いていたヤカラのセリフが、頭の中に響いて消えていく。
「それで、これが俺への『戒め』ね」
ハラリと開けた胸元に、再度視線が釘付けになる。
「そりゃあな、『呪われた』っつーんだよ……あの糞竜め」
憎々しげにヤカラが吐いた言葉は、ただ、この冷え切った空間を流れるだけだった。




