34.月照下の村 其の三
――――――――――――……
湿った土と、草のにおいがする。
ヒンヤリとした感触を頬に感じて目を覚ますと、暗い地面が見えた。
辺りは静まり返っていて、何も聴こえない。
耳がジンジンする。
起き上がろうとするも、身体に力が入らない。
モゾモゾしているうちに、あるものが目に入る。
――倒れた、レイの背中。
(―――っ……!)
戦慄がはしる。身体がピクリとも動かない。
「……〜……レ、イ、兄っ」
なんとか声は出た。
一度身じろぎすれば、指先も肩もピクリと動きはじめる。
「レ、イ……にっいぃ……」
這いずっているつもりなのに、一ミリも進んでない気がする。
それでも全身に力を入れれば、少しずつだがレイの背中が近付いてきた。
「……レイ、兄っ……」
地面をつかむ。
上半身が少しだけ浮いた。
何度も名前を呼んでいるのに、一向に動かない。
距離が縮まらない。
這いずって這いずって。
ようやくその肩に手を伸ばすと、あっけなくレイの身体が傾いだ。
震わした手が引っかかっただけだというのに、何の抵抗もなく仰向けになって――
トサリ、と!レイの顔がこちらを向いた。
両目は閉じられていて、開く気配がなく。
口は薄く開いていて、何かで切ったのか少しだけ血が付いていた。
寝ている、だけだと思う。
「レイ……兄……」
呼びかける。
揺すってるつもりが、微かに揺れるだけだ。
「レイ兄……起きて……起きてよっ……」
お腹に力を込めたのに、掠れた声しか出ない。
月明かりはうっすらとしたものだった。
レイの顔は、まっ白で、血の気が無くて。
「……寝て、いるだけでしょ〜……」
もう少しだけ近づく。
顔を叩いてやろうと思った。
触れた頬は、地面よりも冷たくて。
まるで、氷みたいで。
「…………っ」
心臓がバクバクする。頭の中が、沸騰するみたいだった。
この熱がレイに伝わればいいのに。
(……心臓っ……そうだ、心臓マッサージ!)
授業の中で何度も習った。
海水浴場のある町としては、いざという時のために身につけるべきだ!と毎年くり返し、徹底的にやらされていた。
ズルリとレイに這い寄る。
(動いてて……動いてて!)
その胸に耳をギュウギュウに押しつけた。
……トッ……トク……と、微かに鼓動が聞こえる。
……生きてる。
わずかに上下している胸に安堵するも、その鼓動は弱くて、今にも消え入りそうで。
「レイ兄っ、起きてっ、お願いだから……起きてよ!」
レイの肩を何度も叩く。
他に出来ることが分からない。
顔をのぞき込もうとして、 ポトンとレイの頬に何かが落ちた。
コロリと地面に転がった黒い粒。
それは、ヤカラのじーちゃんがくれた万能薬だった。
無くさないように、と小さな袋に入れて首に掛けてもらったのだ。
斬られた服のすき間から、破れた袋がぶら下がる。
「レイ兄、これ飲んでっ」
急いでレイの口に突っ込む。
水は……そういえばレイの背負ってたバッグが見当たらない。
自分のバッグを探る。
一人一個は持っとけ!と、これもヤカラが持たせてくれた水袋を取り出す。
これも突っ込んだ。
「ッ……グッ……ゴボッ」
盛大に咳き込んだ勢いで、丸薬がどっかに飛んでいってしまった。
慌てて探す。
レイはますますぐったりとしているように見えた。
小さく荒くくり返す呼吸が苦しそうで……
今にも…………死にそうで。
「……ふっ、イヤだ……」
片っ端から地面を探る。
視界が滲んでよく見えない。
「……イヤだっ……絶対」
ギュッと瞬きして、ボタリと落ちた雫が、土にまみれた丸薬を洗い出した。
きれいに拭いて、レイの口に押し込む。
「死なないで……レイ兄」
水袋をグイと傾けて、自分の口に含む。
そのままレイの口に流し込んだ。
――コクリ……と小さく飲み込んで……
「……死なないで」
レイの身体にストールを被せ、ピッタリと身を寄せる。
もう、これ以上は限界だった。
痺れを増していく体をレイに預けて、オレ――【セージ】の意識はふたたび閉ざされた。
***
――――――――――――……
…………瞼を開けても尚昏く。
――コポリ……
水中にいるかのように、髪も服もユルリと揺蕩って――……
沈むようにこの身を預けたまま、俺――【レイ】は、見覚えのある空間を眺めていた。
「やはり動じないのだね」
何処からか、笑みを含んだような声が響いた。
「君にとっての希望とは、何だい」
適当に目を向ける。
暗闇の中から滲むように人影が浮かび……それは、『俺』の姿を模した。
「……成程ね。己が在ってこそ、という事か」
『俺』が、可笑しそうに笑んだ。
己が、己で在ること――それはそう。
俺が昔から、あの人に教わり続けていたのだから。
赫い月の様な光を宿した、あの人の目を想う。
「だがそれも生きてこそ、だ。……君は随分と無茶をしたからな」
口端は笑んだままで俺を見据える『俺』に、俺も見返す。
「……貴方が試練なぞ持ち込まなければ、俺も余力残ってたんだけどね」
「ふふふ、根に持ってるねぇ。だがそれも込みでの結果だろう?」
それはそうだ。
余力も余裕も尽きると分かっていた上で、選択した結果だ。
「うん、分かってる。セージは……ここに居ないのならば、生きてるってことかな?」
「あぁ、彼なら君の傍で泣きつかれて眠っているよ。君を助けようと懸命だったぞ」
ああ、申し訳ない。
碌に教えられないままだった。まだ旅立ち始めたばかりだというのに。
「……自分を、責めないといいな」
「君も、他者の事ばかりを考えるのだな」
目を向けると、『俺』は困ったように、でもどこか懐かしそうに目を細めていた。
「君は、私に抗わないのかい?」
「うん、これが在るべき姿ならば。貴方は、そういう存在なんでしょ」
未練はある。随分とある。
けれど、過去は変えられない。
「貴方の示す運命に従うよ……アラン」
瞬間、『俺』を模したソレは口元を大きく笑ませたまま、グニャリとその姿を歪ませた。
「ならば、問おう。君にとっての絶望とは、何だ」
***
目を覚ましたら、見知らぬ天井が……またか。
ここ最近、起きると違う場所にいるよね現象が多い気がする。
旅ってこーゆーもんなのかな、とオレ――【セージ】は起きようと……したのだけれど。
うーん、身体がやたら重くて起き上がれないんだけども〜……うん、起きる前のこともちょっと思い出せない。
(……何が、あったんだっけ?)
フカフカのお布団に横たわったままウツラウツラと思い出してみる。
……お布団、フカフカ。
「おぅセージ、やっと起きたか」
「ヤカ兄?……あれ?」
幸せすぎる久々の感触に全身で浸っていると、なんだかすごく懐かしい声が横手からかけられた。
部屋の入り口にヤカラが立っている。
うわ〜、めっちゃ久しぶり!
あんまり笑わないイメージだったけど、今日のヤカラはなんだか嬉しそうだ。
ズカズカと部屋に入ってくるとワシワシと頭を撫でられた。
「いやー安心したわ。お前さん、まるっと五日間起きなかったんだぜ?」
「え、そんなに?……うーん……??」
そう言われるも、やはりイマイチ思い出せない。
モヤモヤと、引っかかるものはあるのだけど。
「……思い出せねぇか?俺等が見つけた時には、集会所横の崖下で倒れててな……レイと……」
「レイ兄っ!そうだっレイにっ……んむ!?」
思い出した。
あの夜、村で爆発に巻き込まれて、レイ兄が倒れてて――……
ガバッと起き上がるつもりが、スイッと指が伸びてきて額に当てられたとたん、頭が動かせなくなる。
「オラ、いきなり起き上がるんじゃねぇよ。血が下がるぞ」
指を押し当てたままヤカラが見下ろしてくる。
抵抗しているつもりなのに、びくともしない。
「うぐ、レイ兄は……」
あの人はどこにいるのか、無事なのか。
そう問いたくて、ヤカラを見上げれば。
「……レイ、か……レイは……」
ギュウと顔を顰め、言いよどむ。
ザワリと、全身が身震いだ。
「――ふんぬっ!!」
気合いを込めて横にスライドする。
ヤカラの指から解かれたのと同時にベッドから落ちた。
「うぉっ何だ、どーした!?」
驚いた声が上がっているが、それどころではない。
「レイ、にぃ……」
なんとか立ち上がり、グラグラ揺れながらも入り口に向かう。
「セージ……いや、自分で見た方がいいよな」
ヤカラもそう呟くと、ドアを開けてくれた。
「ほら、あの部屋にいるぜ」
指し示された部屋を目指す。
廊下の壁にドンと身体がぶつかる。
歩くのがままならない。
それでも、たどり着いた部屋のドアを開ければ……
――ソヨリと風が吹く。
「……セージ!?」
ガタリと椅子を蹴ってイオリが立ち上がった。
くしゃりと顔を歪ませて、今にも泣きそうで。
「良かった……起きたんだ!」
無事だったイオリの姿も、懐かしく感じる。
……だけど、それどころじゃないんだ。
今、イオリが座っていた場所。
その横のベッドに、オレの目はくぎ付けになった。
開いた窓からザアッと吹いてきた風が、ベッドに取り付けられたカーテンを大きく揺らす。
夏の風の匂いがした。




