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33.月照下の二匹 其の二

 地面を蹴りだすごとにグングンと木々が迫る。

 次の一蹴りで目前の木をかわすと、次は崖が迫ってきた。

 ダンッと蹴り上げ、跳び上がった先の崖岩を片手でつかむとそのままの勢いでグイと伸び上がり、スルスルと文字どおり駆け登っていく。

 風の如くまるで重量を感じさせないヤカラの動きに、ボク――【イオリ】は口を出せないでいた。

 いや、ヘタに喋れば舌を噛む。


 事の起こりは五分前……いや、三分も経っていないと思う。

 連れて行けと言う自分の無茶ぶりにヤカラは快く応え「んじゃまぁ、乗れ」とその背を差し出してくれたのまではよかったのだが……


「……こんな大荷物でよくあんなに動けたね?」


 背負われたバッグの大きさに思わずためらった。

 むしろどうやってボク乗れと?


「あーウチの両親はホント、アンタらの事気に入ってるからなぁ」


 ヤカラがため息混じりにバッグを前にかけ直す。

 いやまぁ、たしかに前回もご両親からは色々と大量に頂いたのだけれども。

 お気持ちはとても嬉しいが、それを運ぶ息子サンの負担とかは……いや、息子サンには負担かかってなさそうなんだよな?ならいいのか、な。


 あらためて向けられた背中に寄りかかる。

 おんぶしてもらうなんて初めての経験だが、これで合ってるのだろうか。


「足もちゃんと組んどけ。んで、落ちるなよ?」


 不穏な言葉を口にして。

 聞き返そうとする前に、世界が疾走った。






 ***






 首周りと肚に圧が掛かったのを確認して、己――【ヤカラ】は地を蹴った。

 耳元で、ひぇと小さな悲鳴を聞いたが……舌噛むなと言い忘れたな。

 構わずに村の奥へと一直線に駆け抜ける。

 再度確認する迄もなく、目指す崖の上からは火矢が絶え間なく集会所へと放たれていく。

 序と云わんばかりに村長宅の方にも射ってんのが徹底してるっつーかなんつーか。


 その崖上に着地して早々、下の方から爆発音が聞こえてきた。

 見下ろせば集会所の屋根が一部吹っ飛んでいる。 

 この村に火薬の類があるなんざ聞いちゃいねぇが。

 続いて今度は大規模な爆音が響く。

 こんな崖の上まで爆風が舞い込む程の勢いとは……


(コイツぁ、想定でもしていない限りは対応出来ねぇよな、レイ)


 あの二人は集会所に向かったと聞いた、が。

 踵を返し、予定通り火矢を放っていた連中の元へと向かう。


「――っ!?セージがっ、レイサッ」

「手遅れだったら其れ迄だ、事が起きてから動いても仕方無ぇ、なら片付けられるモンを片付ける。心配は押し殺せ」


 今からだろうが後でだろうが、駆け付けたところでやれる事は高が知れてる。

 取り乱し、身を起こしかけたイオリの腕を引っ張って己の背にひっ付けた。


「狩るぞ」


 崖の上の雑木林、其中(そのなか)に紛れ、連中の背後に立つ。

 一番手近の、最も崖から離れていた二体の首を捻った。


「此処に居ろ。よく見てろよ……返事」

「ふっ……はいっ!」


 その場にイオリを降ろし、荷物を預ける。

 声を出させて硬直を解かせると、存外良い返事が返ってきた。

 目を合わせる暇は無いが、自身を見失ってないならいい。

 腰に下げた蕨手刀を抜き取り、崖縁を覗き込む連中の方へと向かう。

 派手な見世物に夢中で背中がガラ空きなのはどうかと思うが……遠慮無く手前から狩っていく。



 ――山では、極刑の一つに晒し刑、というのがある。

 自害させぬよう縛り上げ、言葉通り地に晒す。

 日、月、雨、風の中、衰弱するか捕食されるか、野垂れ死ぬ迄だ。


『奪ったのならば、残った生を苦しみの中で享受せよ。より長く』


 どうやらレイはソッチ派らしいが、己はそうは考えない。

 不条理を押し付けておいて、不道理に命を狩っておいて、何時迄ノウノウと生を享受しているつもりだ。

 何時迄同じ世界に在るつもりだ。


『奪ったのならば奪われるべきだ。速やかに』


 己があの老竜に望んでいる様に。


 そしてもう一つ、手を下すならば。

 どれだけ憎かろうが、今際の際に余計な苦痛を与える必要は無いとも思っている。

 心を手向けず、迷い無く速やかに、理へと還す。

 ――唯其れだけでいい。



 五体目にして漸く、アチラ側も襲撃に気が付いたようだ。

 焦って突っ込んで来る奴等を片端から相手にしていると、その後ろから火矢が飛んで来た。

 打ち返してやればクルクルと回転しながら戻って行き、持ち主に着火する。


「おっと、ハハハッ……苦しませちまったな?」


 踊り出した火達磨を草気の無い辺りに蹴り転がしておく。

 森の火事なんざ御免だ。


「ヤカラサンっ!」


 横目で見やればイオリを襲っているのが一体。

 イオリは荷物を投げてソイツを躱し、全力で己の元に駆けてきた。

 なんだ、ちゃんと機転が利くのか。


 最後に己と対面する羽目になった男を片付け、その服で刀を拭いて納めた。


「んじゃ、アイツらの所に行くぞ」


 肩で息するイオリの背を叩き、再び荷物を抱えた。






 ***






 集会所が、あの二人が向かった先が、爆発した。

 なんてくだらないシナリオだ。

 これが台本なら破って捨てたい。

 けれど、実際にそれはボク――【イオリ】の目の前で起こっていて。

 だけど、脳が処理する間もなくその戦闘は始まり――……その決着はあっという間に着いていた。

 まさに一方的な蹂躙だったといえる。



 村長の家を出て、ボクを乗せたヤカラがまず目指したのは、村の奥の方に連なる小高い崖の上だった。


 今いるのはその崖と森の間の空き地で、そこに敵影を見つけたヤカラは、背後にまわると相手の顔を掴みクルンと回転させた。

 いとも簡単に首がこちらに回る。

 音くらいは鳴ってたかもしれないが、あいにく周囲の轟音の方がうるさい。

 目が合ってしまった相手に動けないでいると、ボクはいつの間にか地面に降ろされていた。

 荷物を手渡され、確認するように返事を促され。

 それでようやく、我に返った。


 そうだ、何のために連れてきてもらったんだ。

 何のためにあそこに残ることを拒んだ。

 『ボクなんか』のままで、いたくなかったから。

 ボクだって役に立ちたいから。


 (でも、そんなのはまだ早い)


 だから今の、ボクなんかにでも出来ることを……ヤカラの動きを観察した。


(……早いし、動きに迷いがない。というか……戦いなのか?これは)


 想像以上に……いや、そもそも想像すら出来てはいなかったのだけども、それにしたって彼の戦い方は……いうなれば、淡々としたものだった。

 たとえば、そこかしこにある的を無造作に振り回した剣で当てて回るような。

 たとえばただのつまらない作業のように、そう、何の感情も無いような顔で斬っていく。

 けれど、次々と倒れていくのは紛れもなくさっきまで生きていた人間であって。


 ――ヤカラのその手で、殺傷したヒトであって。


 狙ったのか偶然なのか定かではない。

 けれど、打ち返した火矢で放った本人が一瞬にして燃えた時……確かにヤカラは、嗤った。


 ゾッとする。

 ヤカラの嗜虐性に、ではない。

 いずれ、自分が至るのであろうその強者の境地に……自分が目指しているのは()()()、と自覚したことに、だ。


 もしも、そこに立つのがレイだったならばと考える。

 レイならばきっと、ボクたちに合わせ、順序立てて正しく教えてくれることだろう。

 ステップを踏んで、徐々に徐々に慣れさせて。

 同じこのシチュエーションでも、彼はきっと……少なくともボクたちが見ている前ではきっと、残忍性は見せつけない。

 そんなものは教えない。


 ヤカラとは……そう、これが彼なりの教えなのだとしたら、レイとはまさに対極だ。

 ボクたちに余計な情をかけず、余計な手間をかけず、あるがままに、戦い方を見せつける。

 現実とは単純に強かった者が生き残るだけなのだ、と云わんばかりに。


 出会い方が違っていたならば……?

 もしも、少しも彼を知ることが出来ていなかったならば、まるで物のように命を扱うヤカラは残忍で非道な人間なんだと、そう認識していたと思う。

 でもそのヒトは言った、見ていろ、と。

 ボクたちにただシンプルに、ただシビアに。

 己の戦い方を見せているだけなのだ。

 狩るべきならば手早く狩れ、と。


 ふいに、視界の端で何かが動いた。

 振り向けば自分に向かって男が駆けてくる。

 斧を振りかざしたその男は自分と目が合うとニヤリと嗤った。


「ヤカラサンっ!」


 叫んで、手にしていた物を持ち上げた。

 ヤカラの荷物はズシリと重くて、とても持って走れそうにない。

 グルリと一回転して、体力測定の時にやった砲丸投げの要領で放り投げる。

 当たるとは思っていない。

 相手が避けたスキにヤカラに向かってダッシュした。

 目が合う間もなくすれ違い、止まると同時に背後で悲鳴が聞こえる。

 たいした距離でもなかったのに鼓動が激しい。

 肩で息をしていると、ポンと叩かれた。


 辺りに倒れている男たちが目に入る。

 誰もかれもが、だらりと横になって寝ているだけのように見えた。

 そういえば血を見ていない。


 薄暗いからと思ったが、よく観察してみれば、斬られた服の辺りはじんわりと黒っぽいものが滲んでいる。

 残虐なシーンなどはフィクションで見たことがあるが、実際は盛大に吹き出たりとかしないものなのだろうか。

 それとも、ヤカラがそうしたのだろうか。

 何のために?


 汚れないためにだろうか、あるいはボクへの気づかいか。

 ……いや、彼等への弔いか。


 ふと、以前獲った魚を思い出す。

 なかなかとどめを刺せずに、長い間苦しませていた。

 ボクもいつか、誰かをこの手にかけるのだろうか。

 苦しませずに。


 迷わずに。

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