32.月照下の二匹 其の一
三人の足取りを追い掛けて四日目の夜。
肥えた月を頼りに一本頭の木を横切り、村の横腹を駆け上がる。
目指すは村長の住居だ。
其れは村ん中から見たら奥の方、森側の小高い丘の上に建ち、裏手の道は森の中へと引き込まれ、村人しか知らない非常時用の避難場所へと続いている。
何で山の民である己――【ヤカラ】が、他所の村の秘密を知っているのかといえば……まぁなんつーか、『御山の管理者』と謂われる山岳民たる所以つーか……買い出しのついでに散歩してみたら偶々見つけちまったっつーか。
柵を飛び越えれば、少し見上げる形で村長宅の前に出る。
ここからは見えないが、この丘の向こうを下れば集会所があった筈だ。
雲を待つ間、戯れ程度に覚えた村ん中の配置を思い浮かべる。
野盗だかその他だが知らねぇが、襲ったからには蓄えを保管してある集会所か宝物を管理している村長の所に集まる筈だ。
此れも噂程度に聞いた話だが、向こうの町の連中から見ればここの村はこの辺りで最も安全な村だと云われているらしい。
こんな最果ての村襲ったところでこの先に逃げ道は無ぇわ、定期的に己等が通るわ。
手を出した時点で終わってるんだと。
余程の大義名分が無い限りは。
と、取り留めのない事を連連考えていると下の方から気配がしてきた。
品のねぇ笑い声を上げながら品のねぇ着方をした連中が登ってくる。
服の系統から森に転がっていた連中と同じ部類だろう。
女がどうの、楽しみだが急がねぇとヤバイだの、互いを突き合いながら村長宅に向かって行く。
(……ふぅん)
大凡の見当が付いたところで村長宅の扉を開けに向かった。
「……っと」
扉に手を掛けた途端、違和感が走る。
つうか扉の向こう側からの圧が凄い。
正面は止めておいて、裏戸から入る事にした。
そろりと部屋を覗けば正面扉を警戒する女達と――……
見覚えのある後ろ頭に、拾った小石をぶつけてやる。
振り返ったイオリは己に気付くと目を大きく見開いて……一瞬だけ、くしゃりと泣きそうな顔を浮かべた。
(お?……ってやべ)
それも次の瞬間には慌てたように口を開こうとするもんだから、此方も慌てて口に指を当てる。
無事に察してくれた様で、女達には気取られない様に己の元へと寄って来た。
***
大丈夫だ、とセージが笑う。
その笑顔に、もう何も言えなくなって。
ボク――【イオリ】は、セージから手を離した。
ためらうことなく、暗い廊下を走り抜けて行ったその背中をいつまでも見送る。
ボクでは、セージにはついて行けない。
ボクなんかでは。
「あの、大丈夫?」
後ろから声をかけられ、ボクは心の中で頭を振った。
フッと息を吐いて気合いを入れ直す……無理矢理だけど。
ボクなんかでも、出来ることをやらなきゃ。
「うん、大丈夫だよ。ここで二人を待とう」
振り返り、グッと笑んでみせた。
「……っ!なんて健気なの」
「も〜っ大体ねぇ、あの男の子は女心を分かってないのよ、ねぇ」
「大丈夫っ、私達はどっちを選んでも応援するわっ」
「ん、分かるぅ!カワイイもキレイもどっちもなれるなんて素敵っ」
何故か一斉に声援が飛び交った。
一瞬ワケが分からなかったが、そういえば……と思い出す。
フッと息が漏れ出た。
こっちに来てからボクは随分と、ボクになったものだ。
やたらハイテンションで盛り上がってるけど……放っておくか。
好きに利用すればいい、と彼も言っていたのだし。
と、しばしヒートアップしていくその集団を眺めていると。
――ギッ
正面のドアが軋んだ音を立てた。
(マズい、騒ぎすぎたか!?)
しかし注目してみてもそれ以上ドアが開くことはなく。
もしかして、アレに気付かれたのだろうか?ここから避難した方がいいのでは?
しかし後ろでは振り返るまでもなく、彼女たちのボルテージが膨れ上がっていくのがワカル。
「上等じゃない……返り討ちにしてやるわよ」
「ん、ボッコボコにする」
「私達の楽園は誰にも穢れさせないんだから!」
ヤル気に満ち満ちてくれているのはとても頼もしいのだがなんだろう、ボクも逃げ出したくなるのだけど。
そんな折にコツンッ、と何かが頭に当たった。
何だろうと振り返ってみれば部屋の奥、裏戸へと向かう廊下からしゃがみ込んだヤカラが顔を出していた。
(……っ!)
何で、こんな所に、いるんだ。
粗野っぽくて居丈高で、目つきも悪くて。
一緒に旅をすると言われた時は、ウルサそうだしベツにイラナイしとか思っていたのに。
なのに目が合ったとたん、ものすごく安心してしまった。
……きっと、こんな状況のせいだ。
グッと涙を堪える。
ていうかホントに何してんだ?あのヒトは。
コソコソと隠れるようにこちらの様子を眺めているけども。
声をかけようとすれば、シィー、とジェスチャーをされるし。
「……ここで何やってるの、ヤカラサン」
「よぉ元気でやってんな。いや手を貸そうと思ったんだけどよ、下手に話し掛けたら攻撃されかねねぇだろ、アレ。罠も仕掛けられてたしよ」
挨拶もそこそこに問いかければ、それを気にした風もなくヤカラは答えた。
クイと親指を向けた方を振り向けば、この家の正面となるドアに仕掛けた罠が見える。
「もしかして、さっき開けようとしてたの、ヤカラサン?上手く作れたと思ったのになぁ」
「あぁアレ、アンタが仕掛けたんか、バレバレだ。逆に相手に利用されるぜ。それでこれからどう動くんだ?」
サラリと指摘される。
が、今はそれについて問答している場合ではない。
「あっ、そうだ!レイサンが集会所に向かってて、セージが……ついてっちゃって……敵が来るかもしれないから、ボクはここで……」
コツンと、額に何かが当たる。
言いながら、締めつけられていく胸にまた俯いてしまっていたようだ。
見上げた先にヤカラの顔が間近にあった。
目が合うと突いた拳を下げてニッと笑う。
「おう、アンタはちゃんとこの場を守ってたぜ。上等だ」
口端をわずかに上げただけの、笑ってるつもりかソレ?と思うような、不器用な笑顔なのに。
間近で見上げてくるその目の色は、優しげに笑んでいた。
「……ボクの持ち場だからね。当然だし。それにまだこれから敵が……」
「あぁ、ここに向かってた連中は片付けといたぜ」
何でか目が熱くなってごまかすように言葉を紡げば、サラリと頼もしいお言葉が返ってきた。
というか、何で自分はこんなことしか言えないんだろう。
「いつの間に……そっか、それなら」
クルリと向きを変え、未だドアに向かってヘイトを唱えているヒトたちに声をかけてみる。
「あのっみんな、もう大丈夫!仲間が助けに来てくれたから……ホラ、立って」
しかし暗い廊下からユラリと湧き出るように現れたヤカラを見て、彼女らは一斉に後退った。
小さく息を飲み、こちらを凝視しているが……あーうん、そーだね、このヒトは見た目がコワイもんね。
チラリとつい、となりの男を見上げてしまう。
背が高く、目つきが鋭いうえに愛想もない。
さっきのレイを見てしまった後では余計に不審者に見えることだろう。
「えーと……さっきのオニイサンに頼まれてね、来てくれたんだって。見た目はコワイけど、優しくて?頼りになる?オニイサンなんだ!」
「おい、疑問形……」
説得を試みれば、となりからは不満が溢れたものの、彼女たちの緊張は多少ほぐれたようだ。
緊迫していた空気が和らいできたその時、どこからか笛のような音が聞こえてきた。
「……えっ?」
いつの間にかとなりにいたハズのヤカラが表に出ていた。
音もなく、仕掛けられていたはずのドアを開け外に出ると同時にその姿がかき消える。
煙のように消えていったヤカラに全員動けないでいると、ややあってすぐ近くからひときわ甲高い音が響いてきた。
なおも立ちすくんでいると、ヤカラがストンッ、とドアの前に落ちてくる。
……どうやら屋根の上にいたみたいだ。
「おい、アンタらは裏の森に避難しろ。追っ手が来ない様にしといてやるから、兎に角急いで逃げな」
村の女性たちに指示するだけして、彼はクルリと踵を返して――
「っヤカラサンっ、ボクもっ……」
思わずその背を呼び止めた……だけど。
「一緒に行きたい……でも、ボクは足手まといだから……」
ついて行きたい、置いていかれるのは嫌だ。
だけど、ボクなんかじゃ役には立てない。
先ほどのヤカラの動きですら、まったく見えていなかったのに。
「いいぜ」
ハッと見上げれば、いつの間にか戻ってきたヤカラがボクを見下ろしていた。
「俺ぁまだ余力があるからな……それに」
ボクの顔に片手を伸ばすと、グイと目元を擦られた。
その指に、キラリと光る雫が見える。
「一応、優しくて頼りになるオニイサンだしな?」
ニィッと笑うその顔は、先ほどの不器用な笑顔とは違って悪戯気で。
「……この組み合わせも、アリ……」
外へと逃げていく最後の一人が、ボソリとドアの影から呟いていた。




