30.月照下の村 其の一
―――日が沈んで間もない頃だというのに、山際からは既に煌々と輝く月が顔を覗かせていた。
丸みを帯び始めた月はまだその一端だけだというのに、目の前に広がる村の輪郭を薄明るくも照らしている。
その月から隠すように子供達を引き寄せて、俺――【レイ】は周囲を隅々まで観察する。
眠りにつき始めても可怪しくはない時刻ではあるが、全ての建物から灯りが消えるには不自然な頃合いだ。何より、どんなに小さな集落であれ、夜間の見張り番は必須だろうに。
その姿すらも見受けられないという事は…やはり、異常事態が発生しているのだ。―――この村で。
薄く張った雲が月に掛かった頃合いで二人を連れて村の中へと侵入する。
本当ならば……彼等は置いて行くべきだと分かっている。
単身で動き、村人達の事は状況次第では見捨てる。もしくは、様子を見るだけ見てさっさと町へ報せに行く事が最適解だ。
子供達を守る者として。
だけども、俺自身がどうしたいかと自身に問うた時、脳裏に浮かぶあの人の、あの瞳が自分を見据えたとき。
俺は二人を連れて村人を助ける道を選択した。
―――そうしたいと、俺が思ったから。
(動いたからには、自責は終わってからだな)
木や茂みの陰に隠れながら、静まり返る村の奥へと進んで行く。
先ず目指すのはこの村の集会所だ。
村の中心となっているだけあって、その大きな建物は月明かりの下でも見失う事はない。遠目にも関わらず、その周囲を囲む様に男が数人立っているのが見えた。
ふと、遠回りに進んでいく途中で、坂上に気になる家を見つけた。造りは他の家と対して変わらないが、一回り大きい印象がある。
以前、神竜の山に入る前に泊めてもらった村長の家だ。
当時は夫婦二人で暮らしていた筈だが……今、その家の中からは複数人の気配がしていた。
起きている感じはするが、動き回っている気配はない。灯りも漏れておらず、妙に静かだった。
振り返り、家を指差しながら後ろの二人に頷いてみせれば、ゆるく頷き返してくれる。
いまいち状況が分かりきっていない感じが漂ってはいるが……まぁ、この家に入るよ、という意志が伝わったのであればそれでいいか。
正面の扉付近に気配が固まっているので反対側にまわり、裏戸を見つけて入る。
流石に床がきしむので――……不安気に服を引っ張る二人を棚の陰に押し込み、自分一人で暗闇の中を進んだ。
通路の向こうにぼんやりと灯りが溢れている部屋を見つけそっと覗き込めば、想定通りの光景があった。
部屋の奥には外から見えたのと同じ正面の扉が見える。その部屋の中心にはロウソクが一本。
その明かりのすぐ側で、人々が身を寄せ合っていた。
どうやら若い女性ばかりだが、よくよく見ればあの子達と同じ様な年頃も多い。
手首だけをそれぞれ繋がれ、その縄の端は壁にデタラメに積み上げられた樽やら椅子やらに繋がれていた。
下手に引っ張れば容易に崩れ落ち、見張りが飛んで来るぞ、と、そう脅したいのだろう。
廊下を引き返し、セージとイオリを呼びに行く事にした。
あの二人がいた方が彼女達も安心するに違いない。
***
「……ありがとうございます」
手首のロープを切り終えると、目の前のおねーさんが小さな声でお礼を言った。
「イエ…ッ!ソノ、ドーイタシマシテ」
手元から顔を上げると至近距離でお胸が目に入り、オレ――【セージ】は慌てて顔を反らした。
オレたちを無情にも置いていったレイが、助けて欲しいんだけど、と言うから何事かと思ってついてきてみれば、女の人たちが床に座り込んでいた。
オレたちと同じくらいの子も、その両手を縛られている。
あまりのシュールさにあ然としていると、レイがキッチンから見つけてきたというナイフを手渡された。
必死の思いでロープを切る。
ナイフなんて持ち慣れていない上に、人様の手首の隙間を狙わなきゃいけないのだ。
一つ切り終わる頃には、顔にビッショリ汗をかいていた。
彼女たちも、最初は部屋に入ってきたオレたちを見るなり小さな悲鳴を上げていたけども、イオリが話しかけると、気が抜けたようにボロボロと泣きはじめた。
涙を浮かべながらも、震えながらも、ありがとうと微笑んでくれる彼女たちに、胸がギュッとなる。
「レイサン、こっちは終わったよ」
イオリがコソリと、レイに話しかける。
レイはニッコリと微笑み、ありがとうと呟いてイオリの頭を愛しそうにゆっくりと撫でた。
イオリも一瞬キョトンとしていたが、すぐに嬉しそうにフワリと微笑み返す。
キラキラとした二人のいつもと違うやり取りに目を細めていると、後ろからホゥ、とため息が聞こえてきた。
振り返ればお姉さんお嬢さんたちが、うっとりと頬を赤らめ瞳をキラキラさせて、二人に釘付けになっている。
気持ちが紛れたのであればイイトオモイマス。
「ここから連れ出そうと思うのだけど、隠れる場所に心当たりはある?」
「は、はい。この裏道から森に入ると、いざという時の避難場所がありますぅ」
「他の者は向こうの集会所に連れて行かれたみたいなんですぅ」
「アイツラは二十人位いるようですぅ。その様な会話を聞きましたぁ」
キラキラな雰囲気のままレイが話しかければ、おねーさんたちは一斉に詳しい情報を教えてくれた。
なんつーか……ロウソクに照らされて青白く浮かぶレイの横顔は、救いにきた王子様というより言葉巧みに拐いに来た魔王に見える…ような……気がする。
「二人共、よく聞い……セージは何か言いたい事があるようだけど、後で聞こうね?」
気がつくとレイがオレたちの前に屈み、自分と目が合うと目を細めてニコリと笑む。
―――しまった気づかれた。
焦るオレに向かってレイがゆっくり手を伸ばしてくる。
が。
「俺は集会所を見てくるから、二人はここで待っていて。夜明け前に俺が戻らなかったら彼女達と森に向かって。その前に誰か来るようなら……全力で逃げて」
一気に言い切ると、抱え込むようにオレたちを抱きしめた。
「戦って倒して欲しい訳じゃないんだ。命を懸けてまで、この人達を守って欲しくない」
オレとイオリのすぐ耳元で、レイが囁く。
自分たちにしか聞こえないような小さな囁きだ。
「生きて。イオリ……セージ」
掠れるように、ため息をつくように漏れた響きは、初めて聞いたその声色は……祈りのようだと思った。
アノナクナッタヒトヲオモイダス
「…すぐに戻って来れると思うけどね。じゃあ頼んだよ」
パッと手を離し立ち上がると、レイは明るく言い捨てて、そのまま奥の闇の中へと駆けていってしまった。
***
最初の内はサワサワと囁くように相談し合っていた彼女らだが、そのうちパタパタと動き回るようになってきた。
(少し効果が強かったかもね、レイサン)
ボク――【イオリ】は、コッソリとため息をつく。
さっきは、レイがいきなり見せつけるように微笑むものだから何事かと思ったが、あぁそうかと気づき、後ろのヒトたちに見えるように笑ってみせた。
自分の顔にどれほどの効果があるかは知らないが、少なくとも『親切に自分たちを助けてくれた、その子供が懐いている美青年』を、印象付ける手助けは出来たと思う。
元気になったのはいいが…レイの、静かにしててね?と忠告していったのを忘れていやしないだろうか。
アナタたちも、は〜い!ってイイお返事をしていたと思うのだけど。
そのうち腕まくりをした一人が大小のお鍋やらフライパンやらを抱えて戻ってくる。
一人ひとりが手に取り、それらを片手にブンブンと振り回しはじめた。
次の一人が包丁やらナタ?やらをシーツに包んで持ってくると、手首のスナップを利かせるように投げるフリを繰り返したり、タオルの先と持ち手とを結んだモノをブォンブォンと、やはり振り回す。
頼もしいことこの上ないのだが、やっぱりちょっと……アイツらにバレないに越したことはないので、もうちょっとその、殺気立った笑顔を抑えていただければとオモイマス。
「ねぇ、アレどーしたらいいかなぁ」
その様子を眺めつつ、どうしたものかとセージに話しかけてみるも、返事がない。
振り返ると、彼はぼんやりと戸口の方を眺めているようだった。
「…セージ?どうしたの?」
顔をのぞき込んでみる。ゾクリとした。
顔色はそのままなのに、セージの目だけが光を失っている……ように、見える。
足首を、何かが撫でている心地がした。
「っ!セージっ……セージ!」
慌てて肩を掴み、ガクガクと揺さぶってみる。
――― セージの事、よく見ていて
何故だか今、レイの言葉を思い出していた。
「…うぉぉっ…イオリっ…な、にっ…」
ようやく気がついたらしいセージが、ボクの腕を掴んできた。
内心、ホッと胸を撫で下ろす。
「…っ、セージが……不安そうに、してたからだよ」
何とか、言葉を絞り出す。顔は上げられなかったけど。
自分の腕越しに、セージが何かを言おうとする素振りが伝わって……バンッ、という振動も伝わってきた。
「大丈夫よっ!あの時は遅れを取ったけど、今度は返り討ちにしてやるわっ!」
おそらく、セージの背中でも叩いたのだろう。
顔を上げると、ちょっと痛そうな顔のセージと、その後ろで胸を張っている女性が見えた。
気のせいだろうか、その笑顔がちょっと凶悪に見える気がする。
「そうね、またあの美しいご尊顔を拝するまでは死ねないわよ」
「ウフフ、アイツラの顔ってゴミのようだったわねぇ~…ゴミはちゃんと掃除しなきゃねぇえ」
フツフツと周囲の温度が上昇し続けている気もする。
「エットアノ…ハイ、オネガイシマス…?」
セージが大変戸惑っている。
オロオロしているその顔を見てると、フッと笑いが込み上げてきた。
「イオリっ何笑ってんだよ〜ちょ、コレどーすれば…?」
こっちを見たセージが、カックンカックンと揺さぶってくる。
湧き出た不安をかき消すように、笑ってみせた。
「そういえば、あの方にお伝えしそびれてしまったのだけれども…」
ふいに、一人の女性の声が上がった。
「あの集会所には、結構な量の火薬が運び込まれているみたいなのよね」
その言葉に、セージと顔を見合わせる。
「あぁ、そういえばアイツラ、せっせと何かを運んでいたような…あれ火薬だったの?」
「えぇ、アイツラが、濡れないように気をつけろって言ってたもの」
「そういえば、処分に困るとか言ってたの…聞いたかも……」
処分に困りながらも運び込んだ場所に、他の村人たちも連れて行かれた…?
だけど何かを考えはじめるより先に、セージが動いた。
「セージっ!!」
ボクの声は届いているか。