29.一匹道中
これはあの三人が旅立った日にまで遡る。
賑やかしい旅立ちを見送った後、その日の内に粗方は済ませておこうと、己――【ヤカラ】は彼方此方へ面通しに向かった。
旅立ちを告げると村人達は皆一様に慌てふためくが、キュイエールの名を出した途端、スン、と静まり返る。
「あー……そっかぁ、あの方のご意向かぁ。じゃあヤカラはそれに従うものねぇ」
「ヤカラの口からその名が出ちゃったら、もうオレ達では止めらんないもんなぁ」
「ん、ムリムリ、諦めよ。他の適任者見繕おうぜー」
まるで悟りの境地にでも至った様な顔で、テキパキと彼等同士で勝手に引き継ぎの段取りを組み始める。
昼過ぎには集会所に全員集まり、簡潔にこれからの役割分担の変更や己が応対してきた事例等を纏め、その日の夕方には全ての方針が決まっていた。
「いやー、ヤカラが抜けると諸々穴だらけになるなー」
「ここ最近はレイ先生にも頼ってばかりだったからなぁ。大きな痛手だよ」
「キュイエール様のご意向ならば仕方ないな。ヤカラが関わってる時点で反論出来る余地もないし」
「むしろ従わないとヤカラにこの村を滅ぼされかねんからな……」
解散しつつ口々に話す村人達の言葉の中には、何やら解せぬ響きも含まれていたが。
まぁ思っていた以上にすんなりと事が運んだんだ、良しとしよう。
星空を見上げる。
アイツらの足の速さは知らないが、今日は精々が塩湖の辺り迄だろうか。明日の朝にでも渡り切ってしまうだろうな。
雨が降った後のあの湖を懸命に渡るのだろう小さな二人の顔を思い浮かべ、今夜は眠りに就く。
翌日は夜明けと共に、祖父と両親の元へ挨拶に向かった。
祖父は予想がついていたのか落ち着いたもんだったが、両親は「まさかアンタが先生の下を離れるなんて!?」と驚いていた。
そのキュイエールの意向だと伝えれば途端に真顔になり「あぁそう、なら行ってらっしゃい」と、あっさりと家から追い出される。
急な掌返しに思わず家の前で立ち尽くしてると、直ぐに目の前の扉が開いた。
やはり家族だからな。暫くの間とはいえ、別れの時間は必要だろう。己は特にこの二人に散々心配も迷惑もかけてきたのだから……――等と考えていたら「はいこれ、あの三人の分」と、何やら装飾やら日持ち菓子やらをドサドサと手渡され、再び扉を閉められた。
解せぬ。
それよりもこの村の奴等との時間の方が長かった。
己を見つけると挨拶もせず、レイはどうしたあの子供は何だお前の両親はお前なら知ってるとしか言わねぇ、と矢継ぎ早に詰め寄って来る。
レイが神域から見知らぬ子供連れて下りてきた時点で察しがつくだろうに。つーか、己の親は何自分の子供に面倒事押し付けていやがったんだ。
兎も角これはキュイエールの意向で己もその旅に同行するのだ、と告げれば皆一瞬だけ静まり返るも再び沸き出した。
お前がレイの代わりに行けばいいだの、キュイエール様は非道いだの、なにそれ羨ましいだの、口々に囀るものだからいい加減に鬱陶しい。
取り敢えずキュイエールに文句言った奴の肩に手を置いて、その誤解を解いてやる事から始めることにした。
……気が付きゃ昼は途うに過ぎていて、周りに居た連中も何時の間にか居なくなっていた。
目の前にはすっかり涙目となって打ち震え、すみませんわたしが間違ってましたもう信心を違えませんもう堪忍してください……と呟くように繰り返す相手が居た。
思い直ったのならば何も言う事は無い。
後は戻って荷造りを整え直し、早目に寝る事にした。
明日はこの宿の手入れと再点検をしてから発つか、と瞼を閉じる。
アイツらは今夜は帰らずの森の手前で休むのだろう。そう思ってふと瞼を開くと、枕元に老人が立っていた。
「……無音で枕元に立つのは止めてくれって言ったよな?洒落になんねぇんだよ、じーさまは」
枕に頭を預けたままで斜め上を見上げれば、暗がりの中を岩の様に佇む祖父が居た。
会いに来る時は昔からこうして気配を消して佇むのだが……絶対に分かってやってるだろ。
「――帰らずの森で、奴さんらが試練に巻き込まれたようじゃ」
「……――はっ!?」
思わず飛び起きる。
何故にアイツらに、試練が起こるんだ。
「ほれ、今直ぐ発つのだ、ヤカラ」
「は?今……って、日が暮れたばっか……」
「と、キュイエール様が言っておったぞ」
「ぐぅっ……!」
急ぎ装備を整え、村を後にした。
幸いというかそれも見込まれていたのか、今夜は月が一際明るい。
月光に照らされて水気の引いた塩湖を走る。
森の入り口手前に着いて流石に一眠りついた。
この森は少しの油断も許されねぇ。
日が昇り、まだ新しい三人分の足跡を辿りながら進む。
何時もより念入りに辺りを探るが、結局何の痕跡も見付からぬままに森を抜けた。
が、ここからの足取りが可怪しかった。
森の終わり際で、足跡が急に一人分だけになっている。まるで体重が増えたかのように地面を深く削り続く足跡に、此処からレイが二人を背負って進んだのだと想像がつく。
ならばと森を抜けたところで辺りを探してみたが、姿どころか野宿した形跡も無い。
んな莫迦な、と思い一日を費やしてもう二周してみたがやはり見付からなかった。
仕方無く先へと進んでみれば……大分先に野営の跡があった。
どう考えても可怪しい。
普通なら森を抜けた辺りにある寝蔵で最低でも一夜は明かすだろう。
だがこの場所は只管に見通しが良いだけで他には何もねぇ、まんま道の上だ。
無力同然のモン抱えてんのに態々こんな所で寝るか?
しかもまた何の利点も無ぇような中途半端な距離で、だ。
(もしや、なるべく森と距離を取ろうと休まず進み、ここで漸く気力が尽きたとか……か?)
今までの足取りから推測するに、二人を抱えたままで森を抜けた後のこの距離……まさか一晩歩いたんか。
「何考えてんだ、あの莫迦……」
思わず溢す。
アイツの事はよく知らねぇし、出会ってからの数年間、茶をするか互いの依頼を助け合うか、ンな程度の間柄だ。
あー……だが、手間の掛かる面倒臭い案件だと途中から大雑把になるとこあんよなぁ。つか普段の山下りでも大雑把っつーか大胆っつーかいや、頭ん中では思慮深く慎重を重ねた上だってのは知ってんだがその結果の行動力がなぁ……とぁ、レイについての考察をしてる場合じゃねぇ。
推測通りならレイは追い込まれているんだろう。
今のままだと回復もままならねぇだろうに。
この先の寝蔵で大人しく待っていてくれりゃあいいんだが。
・・・・
翌日、使用した形跡はあるものの結局アイツらは居なかった。
が、その次の寝蔵にある竈はまだ少しばかり温い。今朝発ったばかりか。
因みにこの寝蔵は岩の隙間を利用して網状の寝床を渡し、その上に乗って揺られながら寝るもんなんだが、それがまた心地よくて気に入ってる。
アイツらにも楽しんでもらえてたらいいんだが。
焦りの見えそうなレイの心中を鑑みる。
ここに居ないのならば、この先にある村に泊まって一先ずの回復を試みる筈だ。
もう既に太陽が傾いてきたが、この分なら夜には合流出来んだろう。
一本頭の森に入る頃には、随分と空が赤く染まっていた。
この森の道は山の連中しか使わんからと、通る度に簡単にだが手入れを施している。
虫除けの草や実のなる木、崖の下には獣避けの罠等、近隣の村人が来ないのをいい事に好き放題に配していた。
入って割と直ぐ、道端の崖の縁に標が立っていた。
真っ直ぐに突き刺さった木の棒に立て掛けるように、小振りの枝が添えてある。山では弔いの儀式に用いられるものだ。
その後ろを覗き込み、祈りを捧げる。
直ぐ近くには若ぇのが二人、道端に寝転がっていた。
口輪に、麻布に包まれた両の手は足と共に縄で縛られ、後ろ向きに互いを結ばれている。
気を失っちゃいるがソイツらにはかすり傷一つすら無く、血色も良い。
それはそれは丁寧に、丁重に昏倒させられたんだろう。
アイツは相当、気が立っているようだ。
二匹の仔を連れた母熊の姿を思い浮かべていると、己の足元で男の一人が目を覚ます。
余程体力が有り余ってんだろう、己を見るなり大声で呻き始めるが。
「あんまりデケェ声出すと、獣が寄って来るぜ?」
これを親切か不親切かと捉えるのはコイツら次第だが……
口元が歪むのを、指を当てて誤魔化してみる。
運が良ければ今夜にでも、罠を避けた獣が介錯してくれるだろう。
「そうさなぁ、あと五日程で山の連中が通るだろうぜ。最期の話し相手位にはなってくれんじゃねぇかな」
これからの時間、その命が尽きる迄の間どれだけ長く苦しみを味わい続けるんだか。
何かを察したらしい男にはもう目をくれず、先へと進む。
この先にも同じように転がっているヤツらと、一人だけ顔面蒼白で泡吹いてる奴がい……
「……アイツに何したらそこまで……」
つい全身を確かめようと下の方まで目線を動かしてしまい……そのまま顔を背けながらも呟いてしまう。
いや、もう余計な事は考えるまい。
もうすっかり暗くなった道を傾陽を頼りに駆け抜ける。
取り敢えず、合流したらアイツらを思いっきり労って思いっきり甘やかしてやろうか。
とばっちりを食らうなんざ御免だからな。




