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25.山間道中 其の二

 山裾の森から抜け出して、はやニ日目の昼下り。

 今日も空は青く澄み渡り、人通りのない細い山道を爽やかな風が吹き抜けてゆく。

 そんな道からは少し外れた川辺りで、ボク――【イオリ】は、うめき声をあげていた。


「うぅぅやっぱ……カワイソウになるぅぅ〜……」

「何言ってんの、そのまま苦しませてる方が可哀想だろ。早く捌きなよ」

「頑張れイオリっ慣れだ慣れ!」


 本日の釣果である一尾の魚を三人で囲い、ワイワイと言いあう。魚からしてみればとんだ辱めに違いない。

 もっともレイの言うことは正しくて、そもそも他でもないボク自身が生まれてはじめて捕った魚である。

 責任を持って自分で捌くべきだと分かってはいるのだけども。


 ボクは恐る恐る目の前の、その辺にあった比較的平たい石の上に横たえた魚をチラリと見やる。

 捕った直後の元気はもはやなく、時折これが最期の力!といわんばかりに跳ねるも、その度にレイかセージの手によってバシッと押さえられてしまう。

 苦しげにエラを震わせる姿に、いっそのこと楽にしてくれ、と言われてる気さえする。

 するのだが……


(本当に、ボクが奪っていい命なのか)


 頭の中では延々と、わざわざ目の前の命を奪わなくても世の中には屠殺され出荷されたにも関わらず捨てられてしまう命もあるわけで……と、もはやどうにもしようがない思考がグルグルと廻り続けている。

 ……が。


「……食べるの?食べないの?」


 レイの冷淡な声に、結局応えたのは腹の虫だった。

 しょせん、空腹には抗えない。


「っいただきます!!」


 せめて美味しく頂こうと決意を固め、ボクはナイフを振るった。






 ・・・・






 慌ただしかった昼食をなんとか済ませ、ボクたち三人は誰もいない道をひた進む。


 この道は例の樹海へと続く一本道で、自分たちが抜けてきたその樹海は別名【帰らずの森】として忌み嫌われており、近辺の村人たちが近寄ることはないらしい。

 レイ曰く、山岳の民らが物資の買い付けに使うだけの用途しかない上に、彼らもまた他者とは簡単に馴れ合わないので、近隣の村の方としても自然と「この道には近寄るべからず」という暗黙のルールが根付いていったのだという。

 ちなみに彼らは野営が上手いのでこの辺りの村に寄り付くこともないそうだ。

 ボクが思うに、きっと村の方も金を落とさない連中とは馴れ合うつもりがないのかもしれない。


「さて、この後の道はどうなっているか分かる?」

「え〜っとぉこの先に小さな村が二つあって、その先に大きな町があってぇ……」

「その町を起点に東西南北で道が分かれてるんだよね?南に進むと城下町。西に進むと山にぶつかって、北は北国の国境で……」


 レイの問いに、セージと一緒に前回、無理やりに叩き込まれた頭の中の地図を思い浮かべてみる。


「うん、ちゃんと覚えてるね。もうすぐ一つ目の村に着くから今夜はそこに泊まろうか」

「もうすぐってことは……夕方までには着くと思えばいいのか」

「うん、レイサンのもうすぐはあと二、三時間はかかると思った方がいいからね」

「はいはい、向こうの森に一本だけ飛び出している木が見えるよねーその辺りに目指す村がありまーす」


 レイの恒例である、もうすぐ発言にセージとコソコソ確認しあっていると、すぐにレイがパンパンと手を叩いて補足をしてくれた。

 その説明もどことなく投げやりに聞こえる。


「飛び出してる木、木ぃ〜……あ、あれかぁ」

(とお)。まだまだ先じゃん」


 辺りの森を見回してみる。

 進む道の方向に、ぴょんと一本だけ申しわけ程度に飛び出ている木があった。

 それもちゃんと視認出来るギリギリというか、ようやく見えはじめたのだと分かる範囲だ。

 何故それを、もうすぐなどと表現するのか。


「目的地の目印が見えたら、もうすぐ。目的地が見えたら、すぐそこ。距離ってそういうものだろ?」


 思っていたとおり遠くに見える目印に、やっぱりかと落胆するセージに、今度はレイが聞いてくる。

 感覚が違うことに気付いてすり合わせようとしてくれるのはありがたいが、こちらの感覚を何と説明したものか。


「えっと、向こうの世界では、地図とかに目的地までの距離が測られていて、その数字で近いとか遠いとかを判断してるんだよね」


 思えば向こうでは、そこかしこに数字が乱立していたものだ。

 地図や道にも書かれているし、ちょっとした距離でも案内板が掲げられていたし。

 前にレイに見せてもらった地図には……そもそも読めなかったけど、数字っぽい表記は無かったように思うし、距離に関しては気にしない文化なんだろうか。


「……道の長さを計測しているってことか。そういえば時間もだいぶ細かく計っていたよね。でも、道は整備とかで必要かもしれないけど、時間をそんなに細かく区切って、どう役立てるの?」


 そりゃあまぁ、この辺りは特に田舎というか辺境の地らしいので、距離を測っても需要がないというか、どうにも記し難い道中だったし?

 測ろうと思えば出来るのだろうが、ひたすら進むしかないのであればそんな記録に何の意味があるの?とかいった感覚だろうか。

 それでも、この世界にも都心部は存在するだろうし、そういう交通量が多そうな辺りでは、距離数や細かい時刻とか、必要になってくるとは思うのだけども。


「電車、はないか〜。たとえば時間ぴったりに待ち合わせしたい時とか!」

「ぴったり……何かの作戦用に?キミ達の国は軍事国家なの?」


 セージのたとえにも、レイは何故か不穏な想像をしたらしい。

 旅という生活をしているせいか、時間も太陽の位置で判断出来れば十分だし、仮に雨で時間が分からなくても、止むのを待つしかないのだから気にしても仕方がない、といった感覚はなんとなくわかる。

 それこそ、より正確な計画を立てる時くらいしか必要がないのかもしれない。

 というか、時計はないのだろうか?


「そうじゃなくて!え〜と……料理とか!」

「料理の時間を計る?何故に……」


 セージが頑張って用途を提案するも、レイはいよいよ混乱し始めたらしい。

 疑問は呟きと消え、何やら考えて込んでしまった。


 たしかに今、料理にタイマーで時間を測るかと言われても、いらないと答えるだろう。

 お湯が沸いたらお茶を淹れればいいし、魚に火が通ったかは串に伝う脂の色を見ればいい。

 そもそも気にしたところで、時間が経たないとどうにも出来ないことに悩んでも仕方ないし、たとえ時間がかかってもどうにかするしかない。

 こちらでは、何もかもを時刻のとおりにコントロールするものではない。

 その時の天候や状況、その時々に寄り添って判断して、時の流れるままに動くのだ。


 ……何を言いたいのか、自分でも上手く言えないが。とりあえず、そういう世界なのだと納得しておこう。


「あー……そういえば、村に寄るんだよね?てっきり今日も山の民のねぐらに泊まるのかと思ってたんだけど」

「ん?ああ、まぁ彼等の寝床を借りてもいいんだけどね。ちゃんと休むならやっぱり宿の方がいいし」


 何だか埒が明かなさそうなので、話題を変えてみる。

 話のそらし方としては少し露骨かと思えたが、レイは気にする風もなく、サラリと乗ってくれた。

 ちなみにボクたちは、昨日もまた山岳民の作った野営地に遠慮なく泊まっている。


 その時のルートは、道の脇にゴロゴロと転がっている巨大な岩石の隙間を縫うように進み、岩と岩の間の段差を交互に登った先の大きく裂けた割れ目を、くるりと回り込めばゴールだ。

 簡易な葦組みの屋根の下、あちらこちらにぶら下がったハンモックが揺れるねぐらには、何処からか引いた水場と、お茶を沸かすのであろう専用の小さな竈が備え付けられていた。

 薬草茶を嗜む山の民らしいというか何というか。


 今回もそれなりに快適に過ごせたのだが、やはりフカフカのベッドという存在を知っている以上、そちらが恋しくなってしまう。

 セージほどではないが、お風呂も入りたい。

 それに……


「それに、そろそろマトモな食事がしたいじゃない?」


 それに関しては全くもって同意する。

 ありがたいことに、レイが毎回チーズやらハムやらに加えてスパイス的なものを駆使してくれるおかげで、毎日の食事が本当に美味しい。

 が、それでも基本は魚の丸焼きとか木の実の丸かじりである。

 ホカノモノガタベタイ。


「ご飯!お風呂っお布団!!」


 レイの言葉に、セージも元気よく反応する。

 駆け出すその背を、慌てて追いかけた。


「わぁっ、セージっ待って!」

「イオリっ早くー!レイ兄もほらっ」


 なおも急くその背が振り返り、大きく手を振り回す。

 

「二人とも〜あんまり離れるなって〜」


 ボクたちの後ろからのんびりと、レイの声が掛かる。どうやら彼はあまり急ぐ気がないらしい。


「もーっレイ兄はーやーくー!」


 セージが焦れるようにその場で足踏みをしている。

 よっぽど早く村に行きたいのだろう。テテっとレイの所まで戻ると、その周りをグルグルとまわり始めた。


 「セージ、何もそこまで無駄に体力使わなくても……ってイオリも。一緒になって回らないでよ」


 あきらかに邪魔だとでも言いたげに眉間にシワを寄せるレイに、呆れたような口調で窘められた。


「いやつい楽しそうだなって。それよりレイサン、ふと思ったんだけど、この辺りの村って宿あるの?たしか山の民たちは利用しないんだよね?」


 この道自体に需要がないということは、宿を利用する旅人もいないということで。

 ならば宿屋もないのでは?


「たしかに宿屋はないんだけど、前に村長の家に泊めてもらったことがあってね。今回もお願いしようと思ってるんだ」

「そっか。レイサン、元々はフツーの旅人だったって言ってたもんね」


 知り合いがいるからと、この先のあの(・・)樹海を抜けて標高高いあの(・・)山のてっぺんまで登ってしまう人がフツーの旅人なワケないとは思うけども、一応人並みに宿屋は利用したりするのだろう。


「そっかぁイオリはフツーの旅人に興味があるんだね~じゃあいっぱい教えてあげようね~」

「うげ……」


 レイがとてもキレイににっこりと笑うが、その目は笑っていない気がする。

 今夜の勉強量は今まで以上に増えるかもしれない。

 げんなりしてふとセージを見やると、彼はいつの間にか大人しくなっていた。


 静かに佇む彼の目は、ただじっとレイを見つめていた。

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