24.自問の森
……ゆっくりと目を開ける。
足許にはゆるりと黒が揺蕩っていた。
辺りは薄暗く、光源が何処かも判別がつかず。
見上げれば、遥か遠くに小さな空が貼り付いている。
ようく目を凝らして見れば、うっすらと人影の様な何かが揺らめいていて……――
そこで意識が浮上した。
***
「ねぇえ、もぉ飽きたんだけどぉ~?」
「ずーっと薄暗いし、虫は多いし、地面ぐしゃぐしゃだし、虫は多いし、木ばっかだし、全然爽やかとかじゃないし、虫多いし……」
「煩いなぁ……セージそれもう七回目だよ。イオリも、さっきも虫除け炊いただろ」
岩穴での野宿から一夜明けて、俺――【レイ】達三人は、岩山を下りきった先の森の中に突入していた。
この辺りで一番広大とされる大森林ではあるが、他の森とはその性質も大分と違う。
木々や藪は鬱蒼と生い茂り、辺りは常に薄暗く。山裾に拡がっているこの一帯の土壌は水気が多いせいで、地面の殆どが泥濘んでいる。
何より厄介なのが、日当たりの悪さと虫の存在だ。
時間の経過も判り辛ければ、方向の確認も取れない。
あの山岳民達ですら、少し踏み間違えれば簡単には戻って来られない程だ。
それに、さっきからイオリが嫌がっている虫にも厄介なのが多くいる。
病を運ぶ虫に寄生する虫。
何の害も無さそうなモノでも、ちょっと匂いが強い食糧を持っていようものなら大量に集ってくる。
この環境で食事とか、ましてや野宿など考えたくもない。
早く抜け出したい気持ちを抑えながら、点々と続く小さな道標を頼りに慎重に進んでいく。
「もう少ししたらマシな道に出るから、我慢して歩いて」
「レイ兄の『あと少し』は信用しちゃダメって習ったんで!」
「確かに。今までもそう言われて歩かされたけど、ちーとも少しだったためしがないもんね〜」
「あ〜もぉ煩いなぁ……」
元気に歩いてくれるのは結構なことだが、その分余計に口も喧し……十二分に元気な様子だ。
良いことだけど、こちらも危険な道を見極めながら迷わないように進むのに集中してはいるので容赦願いたい。
(ああ、それにしても……)
セージとイオリ、この二人と最初に会った頃を思う。
旅の始めの頃に比べると危なげなく進めるようになってきたし、稼げる距離も増えてきた。
まだ数日しか経っていないのにみるみると成長していく様は何だか感慨深いものがある。
「……チョット今の見ました?あの人何か笑ってるんですケド」
「見ました見ました。何ですかね?気でも触れたんですかねー」
「……一晩置いていってやろうかな」
慣れてきた証の様なものだとは思いたいが、小生意気になってきたのはどうかと思う。
溜め息を押し殺しつつも、蔦を掻き分けた先に次の道標を見つける。
そろそろこの難所も抜けられそうで、少し安堵した。
「――……レイサン……」
小さく――微かな呟きが耳に届いた気がして、俺は振り返る。
「……イオリ……セージ!?」
しかし、さっきまですぐ後ろに居たはずの二人の姿は、何処にも無かった。
***
――気がつくと、辺りは薄暗い闇に包まれてた。
さっきまでうっそうと生い茂っていた草木も、それどころか空も……地面すらもない。
足下はぬかるんだ土のかわりに、黒いかすみのようなのがユラユラとたゆっていて。
「……んお?どこだ、ここ」
呟いてみるも、オレ――【セージ】の他には誰もいない。
すぐとなりにいたはずのイオリも、前を歩いていたレイも、こつぜんと姿を消していた。
「うーんどうしよう、はぐれちゃった……?」
だけども、なぜか焦った気にもならない。
何となく頭がボンヤリとするというか……こんな状況なのに落ち着くというか。
どういうワケか特に眠たくもないのに、昼寝でもしているかのよーな不思議な心地だ。
……昨夜見た夢の続きだろうか。
「……なんで、あんな夢見たんだろう」
「――夢ではないよ」
自分のひとり言に、すぐうしろから応えが返った。
その声に、身体が固まる。
「…………え?」
ありえなかった。
やけに懐かしく感じる、ここにいるはずのない声。
だけども聞き間違えるはずのない声に、ゆっくりと、オレは振り返った。
「じぃ……ちゃん?」
そう、そこには物心がつく前から、孫であるオレを自分の船に毎晩のように乗せ続けた祖父が佇んでいた。
駆け出して、祖父の胸にいきおいよく飛び込む。
「……っじぃちゃん……じぃちゃん!!」
ボロボロと泣きじゃくるオレを、じぃちゃんの無骨な手が優しく触れる。
しわくちゃですり傷だらけの手が、頭にズシリとかかるのを味わった。
「……帰りたかった……っ」
吐き出した言葉に、自分の気持ちが――この世界に来てからずっと張り詰めていたんだと、初めて気づいた。
「――そうか」
祖父のしわがれた声が頭上に降る。
「――其れが君の希望か――」
(……ん?)
声はじぃちゃんのものなのに、その話し方に少し違和感を覚えた。
恐る恐る祖父の顔を見上げてみると相手もまた、自分を見下ろしていた。
「――ならば君の絶望とは何だろうな――」
「…………え?」
じぃちゃんの瞳が怪しく揺らめく。
見慣れたはずの面影に、しかし瞳の色に見覚えはなく。
ソレがとてつもなく奇妙に思えた。
その時。
「…………っ……セージっ!!」
遠くからとても聞き覚えのある声が響いて、思わず振り返る。
この目に写った姿に、胸がザワついた。
「…………イオ、リ?」
「セージっ無事かっ!?」
自分の目の前に現れた相手――イオリは勢い込んで抱きついてきた。
息せき切ったその声とともに、激しい鼓動の音が伝わってくる。
「よかった……いきなり、セージが沈むからっ」
「……っぐぅ、イオ……ぐるじ……!!」
イオリの腕が自分の首を囲い力いっぱい絞めてくる。……やばい意識が飛び…………
「っあ!?ごめっ……セージっしっかり!?」
……飛びかけたところでイオリがようやく離してくれた。
ふぅ……危なかった。
しばし盛大に咳き込むオレにイオリが背中をさすってくれる。
状況はいまだによく分からないが、ずいぶんと心配をかけてしまったようだ。
「ゴホッ……あーダイジョブ、もう大丈夫だから……あれ?」
ようやく落ち着いてきて、辺りを見回す。
だけど、さっきまでそこにいたはずのじぃちゃんの姿が見当たらない。
「……?セージ、どうしたの?」
イオリが心配そうにのぞき込んでくるが、彼は見ていなかったのだろうか。
聞いてみようと顔を上げると、イオリの髪にキラリと何かが光った。
「……あれ……雪?」
「わ、ホントだ?どこから降ってるんだろ……」
ふわりふわりと、辺りを粉のような雪が舞っていた。
視界が白に染まっていく中で段々と辺りが明るくなってくる。
光を浴びてキラキラと輝きはじめた雪はとても幻想的で、オレたちはただ黙って見つめていた。
「――……セージ……イオリ……おいで」
雪の向こうから、レイの声がする。
「レイ兄?」
「レイサンだ……行こう、セージ」
レイの声に、ひどく安堵した。
ザワついていた気持ちも落ち着いてきたようだ。
(…………?)
少しの違和感を覚える。
踏み出しかけた足が何かにつまづいた。
(……いや、今はそれよりも)
かぶりを振って気を取り直し、差し出されたイオリの手を取った。
「うん。行こうか、イオリ」
ギュウと力強く握りしめて、イオリとともに雪の向こうへと駆け出した。
・・・・
目を開けると、視界いっぱいに青空が広がっていた。
気のせいか、チラチラと雪のカケラのようなものも見える。
「……んぁ、眩し……」
シパシパと何度か瞬くうちに、光る雪のようなものは消えていった。
「……あぁ、漸く起きたね」
ムクリと起き上がると、背後から声がかかる。
「レイ兄……ここ、どこ?」
すぐ後ろにはレイがいて、目が合うと安心したように微笑んだ。辺りを見回すオレの質問には答えず、無言のままに頭を撫でてくる。
何だかくすぐったい。
ワシワシと揺れるままに、目だけで周りを伺ってみる。
辺りは拓けていて、木々もまばらだ。
すぐ下には小さな川が流れている。
いつの間にか、あの湿っぽい森からは抜け出していたみたいだ。
そして……ここはどうやら道の上っぽいのだが……もしかして自分は道端で寝ていたのか?人生初なんですけど〜?
「……はぁああ……本当に、よかった……」
気が済んだのか、レイは大きく息を吐き出してゴロリと道端に寝転がった。
あらためてその姿を見ると全身がずいぶんと汚れているし、レイ自身もだいぶ疲れているみたいだ。
てゆーか、オレはだいぶ見慣れてきたからいいんだけども、こんなイケメンがその辺の道端で寝転んでる姿なんて、他人から見たらだいぶシュールだと思いますよ?
「レイ兄、大丈夫?動けないの?」
「ん、平気だよ……あの森から早く離れたくて、キミ達を担いで一晩歩いただけ……」
「大丈夫の意味って何でしたっけ??」
思わずツッコんでしまったよ……ナニやってんだこのイケメン。
たしかにあの森から出られて良かったけども……いや、いつの間にか寝ちゃってた身としては申し訳ないと思うけど……一晩歩き通すほどか?そんなにあの森がお嫌いでしたか??
「ここはあと暫くは安全だから、少しだけ寝るね……セージも、離れないで……」
「え、レイ兄……って寝ちゃった」
ソッコーで眠りについたレイの顔を見下ろす。
そーいや寝顔も初めて見るな……まさかヤカラとのイタズラが今ここで実現するとは。
さっきから自分の横でスヤスヤと眠っているイオリもずいぶんと泥だらけだし……本当に、一体何が起こったとゆーのか。
(イオリが言うには……オレがいきなり沈んだ、って)
頭を捻ってみるが全く思い出せない。
沈んだってことは、沼にでもハマったんだろーか。
(でも……あの感じ)
じぃちゃんが出てきたせいか、夜の海を思い出した。あの海の中は、あんな感じだろうか。
目を閉じてみる。
あの仄暗い空間は、先はどこまでも見通せているようで何も見えていなかったのかもしれない。
水に浮かんでいるかのように身体も心もふわりと軽くて……安心できるような、そのまま寝てしまいそうな……
……もう少し、居たかったような……――
「……セージ」
「ふぁっ!?」
ふいに自分の名を呼ばれて、思わず身体が跳ねた。
振り返ればいつの間にかレイが起きている。
「あれ、もう起きたの?」
まださほど時間も経っていないのに、とその顔を見上げてみる。
レイもなにやら思案顔でこちらを見ているが、やっぱり疲れが抜けているようには見えない。
「……お腹空いたから、そこの川で魚獲ろう。セージも手伝って」
その言葉にお腹が先に返事する。
レイがプハッと笑った。
「今日はこのままのんびり過ごそうか、服もまとめて洗おう。火起こししてるから、セージはイオリ起こしてきてね」
「ぐぅ、わかったし……ほら〜イオリっおーきーろー」
恥ずかしさに俯くもそれで空腹が収まるわけもなく。
オレはヤケクソ気味にイオリを起こしにかかった。




