23.半円月と岩穴
パチリと目が覚めた。
もう朝なのか、空間が仄暗い。
起き上がってみると、首すじを伝うものがあった。
どうやら寝汗をかいていたみたいだ。嫌な夢でも見てたのだろうか。
となりではセージが静かに寝息を立てている。
あの谷を見たあとでよく穏やかな顔で眠れるものだ。
ボク――【イオリ】は起こさないように、ゆっくりと離れた。
岩穴の外がボンヤリと明るいが、朝と認識するにはどこか違和感がある。
太陽の明るさではないような……どことなく淡い光のような。
不思議に思いながら外に出てみると、空には半月が浮かんでいた。
「やっぱデカイな……こっちの月は」
あまりにも大きすぎて月だと思わず、巨大なシーリングライトが宙に浮いてると錯覚したくらいだ。
……まだ頭が寝ぼけてるのかもしれない。
「眠れないの?」
どこからか声がかかる。
それこそ月から降ってきたような声に見上げれば、岩穴の上に人影が佇んでいた。
月明かりに青白く照らされた髪が陰影の長い顔にかかり、岩に背を預けゆるりと片膝を立てて寛ぐ様はそこに創られた彫刻のよう。
やっぱり綺麗なヒトだなと思う。月を擬人化したらこう見えるのかもしれない。
とても数時間前に、この世界の地理をボクらの頭にねじり込ませた鬼教師ヤロウと同一人物だとは思えない。
「イオリもこっちに来る?」
その張本人ことレイは、こちらのヤツレキッタ心情などどこ吹く風で、その細長い指で岩穴の一角を指し示す。
よく見れば月明かりに照らされた影が階段の形に浮かんでいた。
登ってみれば一段一段が幅広くて安定していて、人の手で削って作ったのかと思うと感嘆する。
階段の向こうにレイの横顔が見えてきたとき、ふと、彼の周りがキラキラと光っているのに気がついた。
(……雪?)
夜は冷えるがさすがにそこまでではない。
よく見てみようと目を凝らすと、スゥッと何かが横切った。
(えっ!?)
驚いて一瞬目を瞑ってしまう。
開いた時には、雪のようなモノも、そのナニカもキレイサッパリと消えていた。
「イオリ?」
レイがボクを見ていた。
目を細め僅かに口角を上げて笑むその顔がボクの心を見透かしているようで、ドキリとする。
……やっぱりまだ寝ぼけているに違いない。
目を擦りつつ彼のとなりに座り、この際なのでじっくり観察してみることにした。
レイは一見すると、たしかに女性のようにも見えた。柔らかそうな髪に、目も口も眉も細長く整っているが……
(だけど、やっぱり男のヒトの顔だ)
全体的に線の細いイメージがあるが、各パーツが異性ほど丸みを帯びていない。
首すじも男性の中では細い方なのだろうが、華奢ではなく。
身体を拭いていた時の背中は筋肉もついていたし、身長も低いワケじゃないし……ちゃんと男に見えると思うのに。
なのに、異性に間違われるのは嫌じゃないものか。
山の上の村でのように、昔から彼も苦労してきたのではないだろうか。
今の自分みたいに。
「レイサンは、自分の顔……嫌いになったことはないの?」
単刀直入にぶつけてみる。
キョトンとした顔のレイに、やはり質問がシンプル過ぎたかと反省してみる。
「そうだね……悩んでた時期もあったけど。ちゃんと見てくれる仲間もいたし、今は平気かな」
それでもサラリとこちらの意図を分かってくれるあたり、やはり聡明なヒトなのだと思う。
少し考えてみる。
ちゃんと見てくれる仲間……セージやレイのようにだろうか。
だけど、ちゃんと見てくれない相手が大半の世の中で、その度にソイツラを相手にしないといけないワケで。
「ボクは……この見た目の通りに生きた方がいいと思う?」
そう願ってるヒトが大半なら……従ったほうが生きていきやすいのなら。
そう思ったのに、レイはごくシンプルに答えた。
「利用したい時にはそれでいいんじゃない?」
「……利用?」
うん?それはつまり、女のような見た目を利用して相手を騙す的な……つまりはハニートラップ的なことか?
「いや、それただの詐欺師じゃん。それに、変態相手にしか通用しないだろうし」
「アハハッ、俺もその生き方は嫌だなぁ。たださ、相手が勘違いしてるって分かり切ってるなら、こっちもそれを先読みして動く事が出来るじゃない?」
レイがくしゃりと笑った。
まるでイタズラを企む子供のように。
チョットマッテホシイ。
混乱する心を理性で必死に押さえつける。
――大人ニ心ヲ許スナ
まるで聖人君子の手本みたいに。
正体不明の子供相手ですら人道的に慈悲深く応対してみせる。
自分からみたレイは、良く評すればそんな印象だが、上辺だけそう見せてくる大人はウンザリするほどいる。
敬ってほしいのだ。
己の本心を隠し、己の非凡な器量では到底追いつけない理想の人物になりきって、相手を支配したいのだ。
世の中はそんな大人ばかりだ。
だから――……
――大人ニ心ヲ許シテハイケナイ
グラつきかけた感情に蓋をして、話題を拾う。
「えと、女性らしいというと……優しい感じ?あとはか弱そうとか」
「まぁそうだね、相手に危険じゃあないって思われるのはそんなに悪い事じゃないよ」
必死にイメージしてみる。
体格や筋力的にも差があるということは、相手よりも優位に立ちやすい。
か弱いのだから大したことは出来ないだろうと、そう思わせることで……いや、それを読んだ上でこちらの優位になるように誘導するということか?
「いずれにせよ、大人になれば手脚も大きく伸びるし筋力もつく。声も低くなるし嫌でも特徴は出てくる。異性のフリして相手をからかえるのは今のうちだけだ」
「からかうって……」
やっぱりソレはだいぶタチの悪いイタズラになってしまうのでは?本気で訴えられるぞ。
思いっきり白い目で見てやる。
けども相手は肩をすくめるだけだった。
「俺もね、昔そう言われたんだ。要は変えられない事実に悩むよりは、それすらも上手く利用して堂々と生きればいい、ってね」
「堂々と……」
あれほど本当の性別をひた隠しにされて。
偽りの性別でさえも表立つなと言われてきたのに。
だけど、目の前のヒトはこう言った。
せめてこの世界にいる間だけでも、自分の思うように生きればいい、と。
「……怒られない?」
どうしてそんなことを聞いたのか。
当のボクにも、分からなかった。
・・・・
半円の月は頭上をゆっくりと移動していく。
二人だけで会話するのはこれで2回目。しかも相手は大人。
……大人なんて、大嫌いだった。
当たり障りなく丁寧に優しい言葉で教え諭し、結果、従わせようとするのだ。
あるいは、己の考えで自由に行動すればいいと、甘美な言葉で押し込めようとするのだ。
大人など、ろくな存在ではない。
いや、それは同年代に対しても同じか。
友達だからと何でも気軽に話してねと言うが、当の本人の口からは親への不満かクラスメイトの悪口くらいしか出てこない。
あとは親に買ってもらったコレクションの自慢話くらいか。
不満ばかりの親に物を与えられ、卑下する友人と見栄を張り合う。その矛盾ともいえる現状に気付く様子もなく、大人が側に寄ればお利口な顔をして結果満足げに過ごしている。
吐き気がした。
……吐き気がする奴らばかりだ。
そんな奴らに自分の何を委ねろというのか。
どうして心をさらけ出せといえるのか。
だからボクは生涯、誰にも心を開かないと決めた。
絶対に、どんな言葉を囁かれても、信用してはならないと。
……それなのに、どうしてこのヒトは。
ボクの目の前にいる男は、何も言わない。
何も言いきかせてこない。
情けないヤツだと思われただろうか。
こんな……間違いを指摘されることに怯えているような自分に。
そう思ってはみるものの、ボクをひたと見つめるレイの瞳には、相手を侮蔑するような色は感じられない。
そう、どうしたってレイからは、相手に対する目論見というものが感じられないのだ。
それが、ボクにはどうしても理解できなかった。
正論をぶつけられて、不機嫌に言葉に詰まる大人でもなく。
己の解決出来ない問題に理解出来ずに押し黙る大人でもなく。
無理矢理にでも己の理論を押し付けようと考え込む大人でもない。
こんな、幼稚な発言のボクに呆れるでもなく。
レイはただ無言のままに、ボクの頬に手を添えた。
まるで、自分にはこれ以上何も出来ないというように、寂しげに目を細めるばかりで。
(どうしてこのヒトは、ちゃんと何も出来ないと言うのだろう)
前に二人だけで会話した時もそうだった。
大人として、子供相手に何も出来ないと言ってしまうのは、とてつもない屈辱ではないのだろうか。
子供にとっても、何も出来ないと言うのは、責められるべき恥だと思うのに。
どうして……
「イオリがいつか、その人の前に立った時」
レイの発言に心臓が跳ねる。
いつか。
あのヒトの前に戻るかもしれない。
そんな未来が起こりえるのは、分かっていた。
そうなればきっと……いや、絶対に今のボクが求める理想の自分は、受け入れてもらえるどころかぐしゃぐしゃに踏み潰されるだろう。
そんなことは、分かっている。
なのに……レイはこう言った。
「その人が何か言う前に一先ず昏倒させるっていう術しか、俺には教えられない」
「…………はい?」
何か、元も子もない発言が聞こえた気がする。
「や……そんなことしたら、ますます解決出来ないじゃん」
「いや、だってさ?そもそも解決なんて出来ないじゃない」
至極残念そうに呟かれたセリフに一応ツッコむも、今度は拗ねたように口を尖らせる。
拗ねられても困る。
「その人の理想から掛け離れてしまったイオリがいきなり戻ったところで、相手は拒絶するだけでしょ?」
「それは、まあ」
「別れ話をするにしてもさ。イオリのその反応をみると、対話も難しい相手みたいだし」
「あー……うん一応、対話はする体で理詰めにしてくるタイ……感じのヒトかも」
「じゃあ尚更仕掛けられる前に逃げた方がいいじゃないか」
「じゃあって……逃げられないよ。見張られてるんだし」
何だか変な感じに会話が進んでる気がする。
なんていうか、以前女子から聞かされた束縛の強い元カレの対処法みたいだ。
チョットマッテホシイ。
「そうだよねぇ。簡単に逃げられないよねぇ」
こちらの複雑な心境をヨソにレイはあっけらかんと呟いた。
何でか吹っ切れたような顔でこちらに視線を寄越してくる。
「どうする?向こうに戻った時に備えて、今から『その人の為』に生きてみる?」
「……え」
『あのヒトのため』に生きる。
胸がザワリとした。
何故だかその言葉にとてつもない違和感を感じる。
レイの目が、そんなボクを貫いてくる。
「それとも、『自分の為』にその人を利用する方法でも考えておく?」
「……利用……」
―― 変えられない事実に悩むよりは……
さっき、目の前の男が言っていたセリフを思い出す。
起きてしまえば変えられない。
それが事実なのだから。
―― その事実に対して、どうにかやっていくしかない
「堂々と……ボクが生きる為に」
自然と溢れたセリフに、レイが笑う。
どうしてか、気持ちがフワフワした。
「そろそろ休もうか。眠くなってきたし」
「……うん」
その声に、高鳴っていた鼓動の奥から眠気が顔を出してくる。
いつの間にか、巣食っていた不安な気持ちはどこかに消え去っていた。




