22.天と地の谷
レイのリュックからドッサリ出てきたオヤツをペロリと平らげて、オレ――【セージ】たち三人は前進する。
あれだけ響いてた川の音も木々もすっかり遠く、大きな岩だらけの道に変わっていった。
どれもヤカラの二倍くらいはありそうなデカい岩ばかりで、トンネルだったり飛び石だったりを跳ねたりくぐったりして進むのはけっこー面白い。
レイより細いスキマを通ろうとしたら怒られたケド。
そんなゴロゴロ岩道も、終わりは突然やってくる。
急に開けた視界に眩しい光が飛びこんで、思わず目をつむるけど、次の瞬間、オレとイオリはそろって声を上げていた。
「ふぉー何だここ!?」
「これ、あのとき上から見えてた湖!?」
そう、目の前の見渡すかぎりには、ただひたっすらに空だけが広がっていた。
見慣れた水平線に一瞬海かと思ったけど、海と違ってサワリとも波が立っていない。空をそっくりそのまんま逆さまに映した水は、まるで鏡のようだ。
湖だと分かったのは、羽ばたく鳥がわずかばかり水面を揺らしたから。いわゆる、ベタ凪だ。
父ちゃんの嫌いなワードなんだよな、今にも舌打ちが聴こえてきそう……なんだか潮の匂いまでしてきたよーな?
「わぁ、すごく綺麗だね」
小首をかしげていると、レイの感嘆とした声がすぐ後ろから降ってきた。
「レイ兄も初めて見るの?」
何でも見てきたかのような人なのに、意外だ。
「うん、こんな景色があるとは聞いていたけれど、前に通った時は見れなかったんだ」
そう言いながらレイはオレたちの間をすり抜け、湖の上に足を踏み出していく。
トプリと静かにレイが沈む。
思わず息を呑んだ。
湖に落ちてしまう、と思ったからだ。
だけど、レイはわずかに沈んだだけで平然とそこに……湖の上に立っていた。
くるりとこちらを振り向き、悪戯気にニッと笑う。
「ほら、どうしたの?キミ達もおいでよ」
ドキリとした。
初めて見る景色のせいか、その表情のせいか、レイがソコに存在していないように思えて……
――トプリ……
静かに鳴ったその音に、ハッと我にかえる。
目の前でイオリも同じように踏み出していた。
「うわぁ〜浮いてるみたいだぁ」
はしゃいだ声を上げるイオリに、なんとか気持ちを切り替えようとする。
レイが不思議そうにオレを見ていた。
「どうしたの?セージ……もしかして泳げないとか」
「泳げるわっ!」
失敬なっ海育ちナメんな!
怒りに任せて踏み出せば、やっぱり水の中に足が沈む。
空からの反射で底が見えなくて一瞬不安になるけれど、すぐに靴越しに水底の感触が伝わってきた。
歩くとジャリジャリして、水の中の小石を踏んでる感じもちゃんとする。
「ふおぉ!たしかに変な感じぃ」
下を見れば青空をバックに自分の姿がハッキリと映っていて、本当に鏡の上に立っているよーだ。
「この一帯は岩塩で出来ていてね、長い年月をかけて風雨に晒されて平らになっていったそうだよ。大雨が降った後はたまにこうなるんだって」
説明しながらレイが足元の水面に手を伸ばす。
ポタポタと水滴を垂らしながら拾い上げたのは、一塊の真っ白な石……いや、岩塩か。
「因みに、他国に持っていくと高値で売れるらしいので、少しばかり頂いていきます」
軽く手を振って水気を切ると、サッサと布に包んでリュックにしまい込んでしまった。
「さ、あとは延々と歩くよ」
そのままパシャパシャと湖の上を歩いていく。
もしかして、あの水平の彼方まで行くつもりだろーか。
***
レイの宣言通り、三人は水溜りの上をひたすらに歩き進んでいく。
いつからか吹き始めた風は水面全体を波立たせ、映し出していた空をかき消してしまった。
チャプチャプと、飛沫を跳ね上げながら歩いてもうどのくらい経ったのか。幻想的な景色に感動していた心も今は疲労感で満たされ、早く終わらないものかと願ってしまう。
だだっ広い水の上では座って休むことも出来ない現状に、あの時休憩しておいて良かったと、ボク――【イオリ】は心の底から思った。
木陰のティータイムでレイがゴロリと横になり、少し寝ようと言ったとき。
珍しいなと思うも、眠いのならば仕方ないと、しばらく一緒にゴロゴロしたのだ。
(休めないってプレッシャーなんだな)
十分休んだから大丈夫、まだまだイケる、と思える心情が今の自分を支えているのかもしれない。
とはいえ、ゴールが見えないのはキツい。
……………………
「はい、着いたよ」
待ちに待った宣言に勢いよく顔を上げる。
もうずっと足元しか見ていなかったのだと、同時に気がついた。
スタート前に見た水平の果てに、ボクたちは立っていた。
波打ち際から先には空以外に何もなく、さっきまで歩いてきた塩湖の干からびた跡のよう、きれいに均された大地が続くだけだ。
もしや今度はあの地平の果てまで進もうというのか。
レイがゆっくりとその先に向かうのに倣って、少し憂うつになりながらも付いていく……が、やおら立ち止まった彼にぶつかってしまった。
気持ちごと俯いてたから反応が遅れてしまったか。
どうしたのだろうとその顔を見上げるより前に、彼の足許に目がいく。
その先の光景に、全身が固まり――ヒュッとノドの奥が鳴った。
――ジャリ
ボクたちの先頭に佇むレイのその足許は、今度こそ何も無かった。
――ジャリ
進むべき道は何処へやら、彼方まで続くと思い込んでいた地面は消え、眼下へと垂直に続く崖が奈落へと溶けるように消えていく。
太陽の下、その強光すら照り返すことなく、深い谷のさらに奥底で、ソレは、黒き雲海のごとくたゆたっていた。
――ジャリ
悪寒が全身を包む。
単純に足が竦んだだけの、あの山のてっぺんで味わったような生易しい恐怖とは違うこの感覚ハ……
――ジャ……
「はい、おしまい」
ふいに視界が遮られた。その声と隙間から漏れる光にそれはレイの掌だと分かる。
細長い指の向こうに映るのは、自分の靴と黒……もう一歩踏み出せば崖だった。
いつの間にボクはこんなに前へと出たのだろう。
「この世界には、彼方此方にこういった『吹き溜まり』が存在しているんだ。此の先へは立ち入ってはならないよ。絶対に、ね」
レイの静かだがいつにも増して低い声が告げる。
腕の中に引き込まれれば視界いっぱいにミントグリーンの腰布が揺らめいて、それにひどく安心した。
となりでセージもギュウ、と顔を埋めている。
「さ、こっちに行くよ。ちゃんと足元見ててね」
レイに手を繋いでもらい脇道へと入る。急な下り坂がくねくねと続くがそれが良かったのかもしれない。
夢中で下りていくうちに、竦んだ気持ちは薄れていった。
・・・・
今日はいったいどのくらい歩いたか。
茜色の空の下、そびえ立つ岩穴の前でそんなコトをボンヤリ……いや、ボーゼンと考える。
村を出て湖を延々と歩き恐怖体験を味わったあとに坂道を延々と歩く。そうして辿り着いたのがここ、今夜の野営地だ。
山岳民たちが町へ商いをしに行く際に利用する休憩所らしいが、それにしては何というか……変な場所にあった。
まず入り口が見つけづらい。
レイがフラリと坂の途中で岩壁にピタリと寄り添わなかったら、そこに道があるなんて思いもよらないだろう……ついに彼も疲労の頂点に達したのかとむしろ安堵したな、一応人間だったんだ、って。
ところが彼は壁にくっついたまま、スルスルと上まで登りきり、あ然とするボクたちを見下ろしてチョイチョイと手招きをしてくるではないか。
もしかしてリプレイしろと?クレイジーにも程があるだろ。
しかし、マトモそうに見えてレイはクレイジーなのはこのたった数日の旅で嫌というほど思い知らされている。
仕方なくボクたちも岩壁に寄れば、彼の指示にようやく合点がいった。
どうしてそんな造りにしたのか、一見するとただの岩壁なのに、ぴったりくっついて見ればうっすらと階段状になっている。
そこを登り一面に生い茂った蔦のある箇所だけ通れる隙間をくぐってその先の泉も回り込み、そうして辿り着いたのがこの岩穴だ。
うん、やはりちょっと教えてもらったくらいでは絶対に辿り着けそうにない。
「わ〜なんか家みたい」
「ね。俺も初めて来たけど、快適そうだね」
二人に続き、ボクも中に入ってみる。
穴の中は思いのほか生活感を感じる造りになっていた。
真ん中には大小の岩が平らに並び、ちょっとしたベンチとテーブルになっている。
出入り口近くには竈だろうか、黒く煤けた石が組んである。上には張られたロープに干し草が干されていたり、竈の横には薪が転がっていたりと、セージの言うとおり小さな家のようだ。
外には泉から引いた洗い場があり、塩水でベトベトになった靴や服を洗えた。
さすがに入浴は出来ないので身体は拭くだけ。それでも幾分かサッパリできたのが嬉しい。
「さて、今日はこの世界について少しだけ習っておこうか」
岩のテーブルで、大きめのベーコンとチーズのサンドウィッチを夕食に。食後のティータイムに、レイがそう切り出した。
セージと顔を見合わせる。
「えっと、石がみんなを助けてくれる〜とかだったっけ?」
「崇拝してるんじゃなかった?ボクの持ってるこの赤い石がカミサマだ的なやつ」
「あ〜なんか魔法で世界を救っちゃうってヤツぅ?でもな~そんなん言われてもな~」
「だよね~キセキとか見せられてもないしね〜信じろって、ね〜」
『ね〜っ』
「はいはい、堂々とヒソヒソ話しないの。聖石の奇跡も今はまだ使えません」
ボクたちの茶番にレイも慣れてきたようだ。適当にあしらわれる中で、聞き捨てならないセリフを言う。
「今はって、何でダメなの?」
「理由は二つあるかな。一つは、ここが神竜の縄張りだから。アレは聖石が騒ぐのを好まないんだ。それにちょっと以前に騒ぎ起こしちゃって目を付けられてるっていうか……」
言いながら視線を逸らすあたり、だいぶ怒られたのかもしれない。
「じゃあ、このナワバリから出たらいいの?」
次はセージが質問する。
「うん。けども、公に使う事は出来ないよ。キミ達を狙う輩が現れるから」
物騒な話になった。が、考えてみれば納得できる。
カミサマだとされる石で魔法を使うとか、そんなんよほどストーリーがうまく進まないかぎり、ハッピーエンドになんかならない。
それに選ばれし者が自分たちだとして、こんな何も分からない子供などいいエサだ。
「そもそもが、聖石に選ばれる事自体が稀なんだ。国の中枢に入り込んで上手く立ち回れない限りは、力を見せるなんてやらない方がいい。どのみち扱えるようになるには修行が必要だし。今のキミ達には使えない、これがもう一つの理由」
レイの言葉が自分の考えを肯定してくれる。ボクたちにはまだまだ過ぎた力だということだ、納得するしかない。
……しかないのだが。
「でもぉ〜見てみたいよぉ、レイ兄ぃ」
セージのしょんぼりした声に気持ちが揺らぐ。
見れるものなら見てみたい……そりゃそうだ、魔法なんて絶対に見たいに決まってる。
「うん、そうだよね。じゃあ使えるように修行しようか」
『えっいいの!?』
困ったように笑いながら、レイはサラリと言った。
そんなにアッサリと許可していいのか。というか修行もつけられるのか、アンタは。
「とはいえ、さっきも言ったように【イシマトイ】……聖石を扱える者になれるのは稀なんだ。聖石に選ばれても己がその器に相応しくなければ力なんて使えないし、逆に身を滅ぼす事になるからね。修行しても駄目だったって結果が殆どだ」
レイが自分たちの目を交互に見る。
期待をしているわけでもない。だけども、諦めを促してるわけでもない。
「だから先ずは土台作りから。知識も体力も技術も、イシマトイになれなくてもこの世界で生きていく術は身につけなくちゃね」
もう一度、セージと目が合う。
彼が頷くのにボクも頷き返す。
この世界で生きていく……その言葉を噛み締めた。
そんなボクたちに、レイがとても綺麗に笑う。
「じゃあ先ずは……この世界の地図を叩き込もうか」
氷のような笑顔に思わず身震いする。
セージがいつの間にかストールにくるまっていた。




