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18.薬香に咽せる 其の一



「ふぁ……ヤカラ、戻ったよ……あの二人は?」

「おう、レイ。アイツらならもう寝たぜ」


 遅い昼を済ませ食後のお茶を皆で啜ったあと、俺――【レイ】は一人で風呂に向かった。

 さっぱりして戻り、戸口から中の様子を伺えば、部屋の中央でヤカラが新しいお茶を淹れていた。

 薬草の濃い匂いが漂っている。

 空をチラリと見やれば、曇ってはいるがまだ大分と明るい。


「ふぅん、今朝も早かったからなぁ。疲れも溜まってるのかもね」

「レイ」


 頭をガシガシ拭きながら中へ入っていくと、背中から声が掛かる。


「で、人払いまでして話したい内容って何だ?」

「……んー、何のコト?」


 言いながらも隣の部屋を覗けば、二人の寝顔が見て取れた。

 ぐっすり眠っているようだ。


「なぁにすっとぼけてやがるよ。俺のにまで盛りやがって」

「……あは、ちょっと濃かったかな……俺も少し眠いや」


 湯呑をくるくると揺らしながら言うヤカラに、軽口を叩きつつ向かいの席に座れば、目の前にコトンと湯呑が置かれた。


「ほれ飲んどけ。慣れてきたアンタでもそんだけ効いてんなら、アイツらは朝まで起きてこねぇだろうぜ」

「……うん、ありがとう」


 礼を言って湯呑を持ち上げる。

 彼の淹れたお茶からは、スーッとした香りが立ち上ってきた。

 食後に自分が淹れたお茶とは違う配合だ。


「あぁ、そういえば、俺の淹れたお茶って美味しいらしいよ」

「そりゃそうだろうよ。なんせ教えがいいからな」


 言いながらグイっと煽る彼が少し笑う。

 どうやら機嫌は直ってきたようだ。

 これなら説教の件はなかったことになるだろう。


 内心安堵しつつ、自分もお茶を一口含む。

 飲み込めば全身に染み渡り、呼吸と共に靄のようにかかっていた眠気がゆっくりと消えていく。

 眠気を抑える為に張っていた気も、緩やかに解けた。


「うん、美味しい……ヤカラの淹れたお茶が、一番美味しいよ」

「そりゃ……腕がいいからな」


 彼がコトリと湯呑を置いた。

 チラと顔を見れば、少し赤くなっている。


「……何ニヤついてんだよ」

「なぁに?俺、寛いでるだけだけど」


 こちらの視線に気付いた彼と、軽口を叩き合う。

 この空間は嫌いじゃない。


「つーかよ、この時期の薬草は効力が上がるから配合には気をつけろって言ったろが。あれじゃあ睡眠を促すどころか麻酔薬飲ませたのと変わんねぇぞ。ったく、いつも言ってるが薬になるのも毒になんのも配合次第なんだからな!ちゃんと草を嗅ぎ分けてだな……」


 ……この小言さえなければ、この空間も好きになれるんだとも思うけど。


(それでもこのお茶には助けられたな。意識が飛ぶかと思った)


 先の彼の言う通りなのだろう。

 急遽、作ろうと思い立ち、普段は加えない薬草に香りを誤魔化すために、色々と配した結果がこれだ。

 もしかしたら失敗しても、ヤカラがなんとかしてくれるだろうという甘えもあったかもしれない。


 結果、ヤカラはなんとかしてくれた。

 セージとイオリを寝かしつける為に淹れた薬草茶を、いつもと変わらない香りになるように調合したのにアッサリと見抜き、加えてその効能を打ち消すお茶をサラリと出してきた。

 ……迷惑をかけたともいう。


「大変お手数をお掛けしました……ええと、それで話したいことがあるんだけどね?」

「ん、おう。そーいやそうだったな、で?」


 このままでは埒が明かないので、本題に入ることにする。

 ヤカラもサラリと切り替えて、こちらの話を促してきた。


「レイ、キュイエールは何て言ってた?」


 ヤカラと話すと、本当に手間がかからない。

 頭の回転が早く、思慮深い。

 先を見通しているかのように判断し決断する。


 普段は小言が多いように思えるが、その内容には必要な要点がちゃんと組み込まれている。

 伝えたい事を伝える力があるのは……羨ましい。

 こういう所は、本当に似ている。


「……流石、キュイエールが育てた後継人だねぇ」






 ***






 薬草の匂いは未だに濃く、部屋中を充満している。

 己等の間に置かれた薬缶の蓋は、開いたままだ。


 その薬缶を取り上げて、己――【ヤカラ】の湯呑に注ぐ。

 チラと相手を見る。

 細めた視線を手元の湯呑に落とし、皮肉めいた台詞を呟くその目は少し揺れていた。

 自分の吐いた台詞に自分で動揺でもしたのか。

 微かに戸惑っているその様子に、内心深い溜め息をつく。

 湯呑をくるくると揺らし、昔を思い返してみた。


「……育てたっつーか、俺が勝手に付き纏ったっつーか。今思い返すと押しかけ女房みたいだよな、俺ぁ」


 大した実力もねぇくせに何処までも付いて回る己に、キュイエールは困ったような笑みを浮かべながらも、いつもその手を差し伸べてくれた。

 神域の冷たい風に晒され、硬い皮膚に覆われたその手は、それでも己にはすげぇ温かくて。


「付き纏う、かぁ……うん……そうだよねぇ」


 人が折角、昔を懐かしんでるというのに、目の前の男は何故か自嘲気味に呟いて俯いてしまう。

 この男がこんな顔を見せるのは珍しい。

 いつもならば、花でも咲いたかのような微笑みで相手を立てるように話を進めていくというのに、今のレイは相手を見もせずに、自嘲めいた言葉を吐くばかりだ。

 薬草茶の効果か……これが本来のこの男の姿なのか。


「つーか、話したい内容って何だよ?」


 仕方なく此方から先を促す。茶をひと口含んだ。


「うん、【アラン】が降りてきたよ」


――ブッッ


 思わず口に含んだ茶を吹き出した。


「うっわぁ〜」


 その様子を見た相手がケタケタと笑う。

 タチの悪い野郎だ、んな事よりも。


「アランって……あの()()()()か!?ん?降りてきたって、まさか……」


 思わず椅子から立ち上がるも、頭の中では仮説と考察が高速で組み立てられていく。

 その先である結論に至りそうになり、頭を振った。

 湯呑を掴みひと息に飲み干す。


 確かめるように、目の前の相手を見る。

 目を細め、満足そうな笑みを浮かべるその様はまるで妖艶な月の精だ。

 己の推測なぞ分かり切っているかのように、泰然と微笑んでみせる。


 いや、実際にそうなんだろう。

 この男はいつも己の考えていた事を、正確に見抜いてくる。


「そうだよ。あの二人と一緒に降りてきたんだ」


 ――ほらな


 自棄糞(ヤケクソ)気味に呟いた。

 音にはならなかったが。


「だから山を下りたってのか……『西の都』に向かう為に」


 一言一言確かめるように言うのは、己に納得させる為だ。

 目の前の相手は無言のままに、軽く目を伏せながら微かに笑んでいる。

 肯定も否定もしないのは、そのまま続けろって事なんだろう。


 『そこ』はそれ以上深堀りせずに先に進め、と。


「おい、それはキュイエールの指示か?それとも…」

「そうだよ。アランは今、眠りについてる」


 端的に先を示す。

 この男と話すと手間がかからない。


「……飢えた獣に生き餌をくれてやるようなもんだぜ。もうちっとこの山で育ててった方がいいんじゃねーか?いくらアンタでも、アイツらを守り切るのには限界があんだろうが」

「……ん。ここは守るものが多いから、ね」


 舌打ちしそうになる。

 竜共の目もあるんだろう。

 奴等も山を荒らされるのは好まないだろうが、真っ先に被害を被るのはこの地に住まう者達だ。

 つまりは厄介払いに等しい。

 そんな事は、この男も分かってる。


「いいんだ。これは俺の意志でもあるし……いつまでも立ち止まっている訳にもいかないし」


 ポツリと溢れ落ちるのは、誰に言い聞かせる為の言葉なんだか。

 憂いを含ませたその瞳は揺れたまま、何を想っているのやら。


(黙っていりゃ……いや、素の表情を知らなけりゃ、誰もが神の使いか聖人君子と持て囃すだろうに)


 実際、初めて対面した時も神域から降りてきた女神かと錯覚したもんだが、何度も顔を合わせるうちに己と歳が近いだけの、普通にくだらないことで笑い怒る人間だと知った。

 それでも、この男に頼り相談にいく者に対しては、大人以上の、それこそ賢者の如く応対している。


 如何なる時も動じず、如何なる時も聡明で。

 誰にも弱みを見せる事無く。

 こういう所は、本当に似ていやがる。


「ねぇ、ヤカラ」

「あ?なんだよ」

「俺は、ちゃんと彼らを守れるのかな……ヤカラみたいに、正しい判断も決断も出来ないのに」


 今日は本当に珍しいものが見られる日だ。

 恐らくアイツらに会った時から、気を張り続けてきたんだろう。


(実際に厄介な問題が山積みだしな)


 己に対して弱みを吐露する位には、疲れているんだろうが。

 相手に渡した湯呑を見る。

 少しずつ味わうように飲み進めている様だが、少し濃い目に淹れ過ぎたか。


「どの口が言ってやがるよ。アンタで敵わねぇのなら俺でだって駄目だ」

「ヤカラは強いよ。会う度に教えられる事ばかりだし……いいヤツだし、頼りになるし……」

「……っだぁ、もういいからっこれでも飲んでろ!」


 ダンッと、己の湯呑をレイの目の前に置いてやる。

 そのまま薬缶を引っ掴み、なみなみと注いでやった。


「え?まだこれ飲んでるし…」

「いいから、飲み干してみろ」


 相手の持っていた湯呑を奪い、己の湯呑を無理矢理持たせてやると、戸惑いながらも素直にグイと傾けた。


「――っぐ……ゴホゴホッ!……っ何コレ、苦っ……!?」

「ハハハッ、効いたろ?相手によって油断しきるのは悪癖だぜ」


 馬鹿正直に飲み干そうとしたようで、盛大にむせている。

 ざまあみろだ。


 ……まぁ、気を許してもいいと思われてるってのは、悪くは無いが。


「え、でもさっきのと香りは同じ……あ」


 漸くこちらの意図に気付いたらしい。

 ジトッとした目で睨んでくるがもう遅い。


「盛られたお返しってとこだぁな。まぁだいぶスッキリしたろうが」


 立ち上がり、薬缶の蓋を閉める。

 この男が淹れた食後の薬草茶には、眠気を呼ぶ効能が混じってた。

 己には効き辛いのを知ってたからだろう、特に分けもせず出したんだろうが……なにぶん効能が濃い。

 未成熟なアイツらにはちと酷だろうと、緩和の効能を配した茶を飲ませておいた。

 これよりは大分薄めてやったが。


 それともう一つ、別の薬草を配した茶を淹れてレイに飲ませる。

 己の飲んでる香りに似せ、かつ部屋中に充満させておいた。


「色々と溜め込んでお疲れの様子だったからな。これのおかげで心も口も(・・・・)軽くなったろ?」


 ニヤリと笑ってやる。

 相手の悔しそうな顔を拝めるなんて、本当に今日は珍しい日だ。


(色々と混ぜ込んでくれたおかげで、戻ってくるギリギリまで調合に時間を食ったがな……まぁ)


 上手く騙せたんならそれでいい。

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