14.山岳の村 其の二
バタバタとセージが遠ざかってゆき、部屋には自分――【イオリ】と、レイの二人だけになった。
「まったく、セージはどういうつもりなんだか」
「アハハ……さぁ?」
少し不満気な彼に、自分は愛想笑いしか出来ない。
レイがやれやれといった表情で、小さなテーブルにタライを置いた。
「さて、イオリは今のうちに髪整えようか」
彼はタライの中からクシとハサミを取り出し、イスに座っている自分の方へと向き合う。
「あ!あり、がと……」
実はここ最近……というか山下りの最中は、伸びすぎた髪のせいで足元がチラチラして鬱陶しく思っていた。
被っていたはずのニット帽はとっくに消えていたし、仕方なく常に前髪を搔き上げていたのをレイは見ていたのだろう。
気遣いがスマートだ。
(アッチでは気にもしなかったのにな)
ふと、向こうを思い返す。
登校日は毎朝ブラシで丁寧に漉き、ピンで前髪を留めていた。
『清潔感のあるお嬢様』を演じるため。
それを求められていたからだ。
家に帰れば時間の許される限り自分の部屋に閉じ籠もり、外出はほとんどしなかった。
なるべく暗くして、髪も服も適当にして。
なるべく自分の顔を見ずに一日を過ごした。
こうしてクシを通されて、今の自分の髪の長さを知る。
「イオリはどの位まで切りたい?」
前髪をチョキチョキ切りながら問うレイの声に、ハッとした。
(そっか……もう、好きにしていいんだ)
ここは異世界。
家の者に追いかけられる心配をする必要は、もうない……はず。
(でも……もしまた、アッチに戻ってしまったら……)
不意に不安が襲いかかる。
この世界に来れたきっかけが分からないのだ。
いつまたどんなきっかけで元の世界に戻ってしまうのか。
その時、髪型の変わった自分を父親はどう見るのか。
のしかかる重たい恐怖に胸を絞めつけられ、まるで泥沼に沈み込むように動けなくなった。
***
俺――【レイ】は、鋏を置く。
自分で自分を守るように俯き肩を抱き締めて、ギュウと瞳を閉じるイオリを、見た。
揃えたばかりの前髪の間から眉間の皺が見てとれる。
痛々しいまでのその感情が、こちらまで届いてくるようで。
だけども、俺は声を掛けない。
異世界から来た二人の子供。
それが『来た』なのか、『連れて来られた』なのかはまだ分からない。
彼らの向こうでの関係も生活も何ひとつ知らない。生活様式も文化もきっと、こちらとは根底から違うのだろう。
もし無事に帰れたとして、周りの彼らに対する扱いはどうなのか。あたたかく迎え入れて貰えるのか?
イオリの様子がその答えを物語っているようで。
だけども、自分は何も知らない。
何も知らないということは、何も出来ないということに等しい。
こちらの世界では守れても、あちらの世界に帰ってからは何も出来やしない。
こちらの人間が放つ慰めの言葉など、あちらの人間にとってはきっと無価値だ。
だから。
「俺には、何も出来ない」
正直に打ち明けた。
イオリは動かない。
「何も知らない。イオリの苦しみも……イオリの、隠している理由も」
弾けるようにイオリが、見た。
驚きと恐怖を込めた目を見開いて、俺を見る。
きっとそれは、『何故分かったのか』という驚きと、 『バラされるのか』という恐怖だろう。
「……こんだけ一緒にいて、気付かないセージが不思議だよ」
大袈裟に肩をすくめてみせる。
イオリは、動かない。
心の中で一息ついた。
改めてイオリと向き合い、表情の変わらないその頬に手を添える。
少しでも心が通じるように。
「何も言わないよ、キミがそう望むのならね。俺はその問題に対して何も出来ないし……でも、さ」
どうせなら。
「こちらの世界にいる間だけは、せめて……キミらしく生きれたら、いいのにね」
ここにいる間はせめて、あちらの世界から持ってきた苦しみからは、解放されたらいい。
心から笑えたらいい。
「……さ、前髪は整えたから。また切りたくなったらいつでも言って」
立ち上がって鋏を下げる。
これ以上は切らない方がいいのだろう。イオリの気持ちならば理解は出来た。
コソリと胸の内で溜め息をつく。
(ハァ、昔の自分を見てるみたいだ)
自分にも、髪を伸ばす事で己の身を守っていた頃があった……なんて言う気はない。
「……まって」
不意に裾を掴まれて見下ろせば、決意を込めた目とぶつかった。
「お願いが……あるんだけど」
***
部屋に残ったイオリとレイのやり取りなんざつゆ知らず。
オレ――【セージ】は、のんびりと湯船に浸かっていましたとさ。
「ふぃ〜極楽極楽〜」
浴槽のフチに背をもたれ、両腕を後ろ手にかけてみちゃう。
石をゴロゴロと丸く縦長に積み上げたような造りの湯船は、足こそ伸ばしにくいがちゃんと快適だ。
ドラム缶よりはだいぶ広い、五右衛門風呂スタイルである。
レイと出会った家もそうだったけど、どうやらこの村でも石風呂が主流のようだ。
「風呂造りに関わった全てに感謝〜」
つい父ちゃんの口癖を真似てしまう。
オレにとって……いや、真友家にとってお風呂は特別だ。
船の上は寒い。
主に夜釣り船に乗るせいかもしれないけれど、夜明け前に帰って来る頃にはすっかり冷え切っていて、ブルブル震えながらお風呂場に直行する。
そんで母ちゃんの用意してくれた湯船に肩までとっぷり浸かると、無事に帰って来れたんだって実感して、安心することができた。
「風呂〜ありがとう〜」
毎日毎日、慣れない山下りが続いてクタクタだ。
そのせいか、いつもより多く感謝を呟いてしまう。
すると。
「呼んだか?」
「いやぁあっ!?のぞき見反対っ!!」
風呂場の窓からおいちゃんがヒョコリと顔を出してきた。
驚いてバシャアッと大袈裟に沈んでみせる。
「ハッハ、愉快なボウズだなぁ」
どうやらウケたようである。
窓から身を乗り出したおいちゃんがそのまま話しかけてきた。
「オメェさんらは、何処に向かうんだ?」
「えっ?えーとぉ……」
そういやドコだっけ?なんか聞いた気はするけども。
必死で今までの会話を思い返してみる。
そうだ、この村に着く前だった。
じーちゃん特製のお茶じゃないナニカを飲まされ、筋肉痛が消え、意気揚々と二人の前を歩いていた時に、うしろの方でイオリがレイに尋ねていたっけ。
「たしか、ニシノミヤ……」
「西の都だぁ!?」
そうそれ!……と言いたかったけれど、おいちゃんの素っ頓狂な声につい押し黙ってしまう。
「オメェさんら、あんな所に行くのか?」
「……ど、どんな所なの?」
正気か、とでも言わんばかりの反応に不安が募るけど、ここは勇気を出して聞いてみる。
「いやぁ西の都っつったら、つい最近まで内紛状態だったと聞いているがなぁ」
「なっ!?」
初耳だけど!?
内紛とはニュースとかでたまに聞く、いわゆる戦争っぽいやつなのでは。
「そ、んな危険地帯に我らがレイさんは何をしに行くんですかね??」
「さあなぁ。まぁ大方里帰りとかじゃねぇか?奴さんも旅人だからなぁ」
恐る恐る聞いてみたものの笑って返されてハッとする。
そうだったわ。元の世界帰りしてんだったわ。
(でもそこがホントにレイ兄の地元なら、何でこの旅で戻る気になったんだろう?)
旅のついでなのか、それともオレたちが帰るための手掛りがそこにあるのだろうか。
ぐるぐると思考が回る。
のぼせてきたのかもしれない。
「取り敢えずもう出たらどうだ?次が待ってんだろうよ」
「あっ、たしかに!」
ついのんびりし過ぎてしまった。
(上がったらレイ兄に聞いてみよう)
「次は娘っ子の方で頼むな~」
「のぞく気〜?」
結局イオリとレイが上がるまで、おいちゃんを見張りつつ薪焚きの手伝いをするハメになった。
・・・・
薪焚きの仕方やら何やらをおいちゃんから教わっているうちに、イオリもレイもとっくに風呂を済ませていたらしい。
おばちゃんが呼びに来てくれた。
ちなみに服こそ洗ってはいないのだけど、代わりにと貸してくれた予備の部屋着を着せてもらっている。
夫婦のお子さんが小さい頃に着てたヤツなんだそーだ。
少し厚手の服だけど、これがほどよくあったかくて少しばかり眠くなってしまう。
「ふぃ〜」
ペタリとひとり、テーブルに突っ伏した。
レイは夫婦とカウンターで何やら話し込んでいる。
やたら上機嫌なおいちゃんが、覗こうとしたら怒られてよぉ~、と笑っているあたりロクな内容じゃなさそうだけど。
イオリの方はといえば、お風呂から上がってすぐ部屋に直行したらしい。
母ちゃんが言ってたとおり、オンナノコは色々と大変なのだろう。
一人でレイの淹れてくれたお茶を啜る。
レイは、中身は変わらないよ、と言っていたけれどやっぱり味が違う気がする。
おばちゃんも、美形が淹れたお茶はやっぱ違うねぇ~、と褒めていたし……いや、やっぱ気のせいかもしれないな、これは。
「……セージ」
イオリの声に、うつらうつらとしていた頭が覚醒する。
振り返ると、彼女は少し離れた戸口の前に立っていた。
「……あの、話があるんだけど」
どうやら外で話そうということらしい。
(あらたまって、どうしたんだろ)
不思議に思いながらもついていく。
戸口から外に出ると、茜色の世界が広がっていた。
風が少し冷たくて、でもイオリは気にも留めていないようにズンズンと歩いて行く。
どこまで行くのかとも思ったけど、家のすぐ裏手の空き地で立ち止まってくれた。
しばし、静かに風が吹く。
いまだに相手の意図が分からなくて、オレにはただ黙って待っていることしか出来ない。
イオリは何やらモジモジしているけど、トイレにでも行きたいのだろうか。
……そんなワケないか。
そうこう思っているうちに意を決したのか、イオリはよーやくこちらを振り向いた。
その目はまっすぐにオレを射抜くようで、思わず固まってしまう。
……と、いうか。
「髪、切ってる?」
いつもは肩まで伸ばした髪をハーフアップにしてまとめてた気がするけれど、今はさっぱりとして、うなじがはっきり現れたショートカットスタイルになっている。
マジかぁ〜さっきまで気づかなかった。
間の抜けたオレのせいで、イオリの方は勢いが削がれてしまったんだろう。
困ったように俯いてしまう。
「いや、今はそれじゃなくって……いや、まぁそういうことでもあるけれど……」
ふたたびモジモジしはじめる……けど、もう一度真っ直ぐにオレの目を見据えなおした。
二人の服を風が揺らす。
「言っておきたいことが、あって」
夕日に照らされたイオリの頬が、赤く染まって見えた。




