12.山下り 其の二
オレ――【セージ】の心に、急に不安がのしかかる。
てっきり、ずっと一緒にいてくれるものだと思ってたのに。
(レイ兄はこの山の人にとって必要なのだから、仕方ないけどさ……)
寂しいな、と思う。
不安よりも先に、もうちょっと一緒にいたかった、という気持ちの方が強かった。
レイを見上げようとしたけれど、横に居たはずの彼の姿がそこにない。
いつの間に消えたのか?
キョロキョロしているとうしろから声が聞こえてきた。
「いや、俺もこのままキミ達の旅についていくよ」
レイの声だ。
見れば彼は、湯気の立つお鍋をその手に抱えていた。どうやら夕食を用意してくれていたみたい。
とゆーか、出来上がっているとゆーことはとうに準備を始めていたとゆーことで……全然気付かなかったね。
思えばあの時肩を叩いたのは、そーいう意味だったのかもしれない。気づけば室内は大分と薄暗くなっていた。
「村の人達には話してあるんだけど、キュイエールはもう既に起きてるんだよね」
カチャカチャと囲炉裏の縁にお皿を並べながらレイが説明してくれる。
ふと背後を見るとイオリが小鉢を持って立っていた。どうやら彼女も手伝いに離れていたらしい。
二人ともズルい。
「十分に回復したようだし、本当はとっくにこの山を離れてもよかったんだけど……」
「折角訪ねて来たというのに、起きた途端帰る、じゃあ味気も何もなかろうよ。この男はな、村の子供らに学を教えてくれたりとワシらの為に残って何かと手伝ってくれたのだよ」
老人がレイの言葉に被せて言う。
今度はそのままレイをひたと見据えた。
「時が来たという事だぁな。きっと彼も同じ様に言ったのだろう?」
レイが頷く。
やっぱり無言のまま。
それでも老人は静かに腰を折った。
「充分世話になった、礼をいう。後は思うままに、いきなさい」
「……はい」
しばらくの静かな時が流れたのち。
レイはようやく、しかし力強く頷いた。
その目に決意を込めて。
***
翌朝も空は快晴だった。
そもそも雲より高い位置にあるこの地に、まともな雨など降らないし、偶に風に押し上げられた霧によって岩肌が湿るもその程度だ。
けれど、その霧もひと度発生すれば生存を脅かす脅威になる。
もとより、人間が生きていける環境ではない。
この天気が続いているうちに、足早に山を下り切りたいものだけど……
俺――【レイ】はそっと後ろを見やる。
少し離れた先の岩場ではイオリとセージの二人が突っ立っていた。
口を引き結んだその顔にはやる気が満ち満ちているものの、さっきから一歩も動いてない。
加えて二人とも微妙に震えている。
「……あの……」
「ダイジョーブ!!」
「すぐ行くからっ!!」
自分の声に、間髪入れず二人が応える。
元気がよろしいのはいいとして。
(このやり取り、もう五度目なんだけどな)
俺はこっそりと、本日五度目の溜め息をついた。
ついと彼らの後ろを見上げれば、昨日泊まった山小屋が見える。
出発しても暫くは見送ってくれていたはずの老人は、このやり取りが二度繰り返された時点でさっさと小屋に戻っていった。
吹き荒ぶ山の風と共に、しばしの沈黙が流れる。
言うまいと遠慮していた言葉がポロリと溢れた。
「……筋肉痛に、なるなんて」
瞬間、二人がピクリと震えたのが分かる。
悔しそうな表情だが、しかしその身体は動かない。
このままでは埒が明かない。
せめて下の村には辿り着きたいし、もう一度あの山小屋に泊まるのは恥ずかしいので遠慮したい。
「そういえば……」
取り敢えず、発破をかけることにした。
「下の村には名物料理があったっけなぁ。たしか、肉料理だったかな〜」
二人の反応が、今度はビクリと大きく震えたのが見て取れた。
よし、食いついた。
二人はこの世界に来てから肉を口にしていない。
せいぜいが干し肉を汁に戻したモノくらいか。それもごく少量だ。
これは別に俺自身が菜食主義、という理由からではなく、先も述べたけど、自分なら半日も掛けずに山を下りる事など造作もない。
居住としていた家には必要最低限の糧しか置いてなかったところに、いきなり二人も増えたのが、そもそもの急いで山を下りることになった要因だ。
元の世界では何を食べていたかなんて知らないけれど、同じ人間である以上、栄養が足りていないのは明らかだ。
もしこの状態が続けば昆虫食もやむなしなのだけど、道中の二人の様子から食べ物として認識してないのは分かっている。自分だって避けたい。
……まぁいざとなったら何であれ、食べるしかないのだけど。
ともあれ、二人は肉に釣られたようだ。
ぶるぶる震えながら、一歩ずつ前進している。
(野盗や獣がいなくて良かったな)
ふと安堵する。
ここは未だ末高い山の上。
通常の山よりも彼の番人が多く生息している、神聖な山だ。
それ故に環境も厳しく、敢えてこの地で暮らそうとする生き物は少ないし、人間もまた然り。
そういう意味では安全性が高いのかもしれない。
たくさん食べて、今のうちに体力つけて、少しでも強くなってもらわねば。
自分一人では守りきれない時が、いつか来る。
「ほらほら、ガンバッテー」
適当に声援を送りつつも視線は遥か彼方、昇る太陽の方角とは反対側の空を見上げる。
目的の彼の地までは、未だ遠い。
***
白い岩肌に灌木の疎らな道を、自分――【イオリ】たち三人は、歩き進んでいく。
太陽はちょうど真上に差し掛かっていた。
「……あっ!?」
自分とレイの先頭を歩いていたセージが慌てて戻って来る。
「エッ、エネミー発見っ!!」
その言葉に自分は、いち早くレイの後ろに隠れた。
遅れて潜り込んだセージとともにプルプル震える。
「えねみぃって何?」
「えっと、敵影発見的な!」
相変わらずキョトンとした反応のレイに、手短に答えた。
訝しげに、それでもちゃんと前方を伺ってくれたレイだが、すぐにその緊張を解き、ポンポンっと自分たちの肩を軽く叩く。
「なんだ……大丈夫、ただの村人だよ」
その言葉に、一瞬考える。
「村人ってことは……」
「そう、村が近いってこと」
レイの背中で、自分とセージはくるりと顔を見合わせると、勢いよく駆け出した。
こんなにもやる気が漲ってくるのは、あのお茶の効果のおかげかもしれない――
――事の発端は今朝方で、起きる前から自分の身に異変を感じていた。
身体が異様に重い。
某昔のアニメよろしく、ワラ床にシーツを敷いた簡易ベッドから抜け出そうと試みるも、動くたびにイタイ……そう、筋肉が。
セージも同じだったようで、レイを挟んだ向こう側からうめき声が聞こえてくる。
ちなみに、昨夜の寝床の配置は自分のとなりにレイ、その向こうにセージと老人の順で雑魚寝した。
セージたっての希望である。
ともかく、何とか出立したものの激痛ですぐに一歩も動けなくなった。
下り坂キツイ。
気合いで踏ん張っているだけでもホメテホシイ。
レイの肉コールに、一歩ずつだが前進していたように思う。
……いや、ちゃんと進んでいたはずだ。
そこに、とうに別れたはずの老人がやってきて、自分たち二人にお茶を勧めてきた。
だがしかし、明らかにドロリとしている。これは本当にお茶と呼んでよい代物なのか。
セージと揃って無言でレイを見ていると、察した彼が自前の調味料らしきものを色々と加えてくれた……のだが、最終的には水で薄めて、一息に飲むといいよ、との雑なアドバイスを添えられただけだった。
セージと涙目になりながら、ひと口ずつお茶を啜る。
それでも完飲出来たのは、レイが耳元で、肉が待ってるよ~、と囁いていたおかげかもしれない。
ところがそれから数時間後、気が付いたら身体が軽くなっていた。
もうどこも痛くない。
心なしか山下りも楽になった気がす……いや……こればっかりは、進む道がちゃんと道だと認識出来る、人間用の山道になってきたおかげかもしれない。
・・・・
『っ着いたぁあぁぁぁぁぁ!!』
「タァー」
「ァー……」
ゴゴンッ、と拳が飛ぶ。
今回のはそれなりにイタイからご近所迷惑度が高かったのかもしれない。
ともあれ、自分たち一行は低い柵が張られた村の入り口に来ていた。
境界線のその向こうには聳える岩肌と切り立った崖の間に挟まれるように、小さな家や畑が寄り集まっているのが見える。
奥には細長い滝があり、虹が掛かっているのかキラキラと輝いている。
褪せた色の屋根とくすんだ壁の住居に、けして暮らしは楽ではないのだろう。
けれども青々と風にそよぐ草原に佇みキラキラと飛沫が舞うこの村は、とても美しいと思った。




